33話 瞬間
2日も更新休んですみません。
ちょっとショッキングなことがありましたので、それで手が止まっていました。
「──起きなさい」
それは鋭い声だった。
頭上から聞こえてきた声。その声にレンはうっすらとまぶたを開いた。
「起きろ、と言いましたよ?」
ズンっ、と地面が揺れた。同時に血が視界に映る。空中を舞う血。血が舞う際に言葉にならない声が聞こえた。
覚醒した感覚の中で、レンは辺りを見回す。赤い岩の天井、火を噴くマグマ、そして──。
「まだ起きませんか?」
──侮蔑の籠った目をしたフェニックスが目の前にはいた。
「フェニックス、さん?」
レンは掠れた声で目の前の人物に声を掛けると、フェニックスはにこりと笑った。それまでとは様子を一変させて笑い掛けてくれた。だが、その笑顔はなぜか恐ろしかった。
「起きましたね。では、さようなら」
「え?」
言われた意味を理解するよりも早く、フェニックスの脚が高々と上げられ、そのまま勢いよく振り下ろされる。
理解できない光景にレンの思考は止まった。そして強かな衝撃とともにレンの意識はふっと消えた。
「──起きなさい」
声が聞こえた。
鋭い声。侮蔑の籠った声。レンはまぶたを開く。
視界に映るのは赤い天井だった。転がすように顔を背けると、火を噴くマグマがあった。
「ここは──っ!?」
衝撃が走り、口から血が溢れた。
目の前の地面が赤く染まっていく。空気が抜けたような、掠れた呼吸をいつのまにかにしていた。
「なにを呆けているのですか?さっさと起きなさい」
痛みの走る体を無理やり動かすと、目の前には恐ろしく無表情なフェニックスがいた。その足はレンの胸の上に乗っていた。
「フェニックス、さん。これはいった──がっ!?」
フェニックスが乗せている胸から痛みが走る。骨が軋む「メキっ」という音が響いていた。血を口から吐き出した。
「早く起きないと死にますよ?」
フェニックスはとても冷たい声で言った。「死」という言葉が脳裏を過る。だが、なにもできない。いや、なにもさせてもらえない。震える手でレンはフェニックスの足首を掴もうと手を伸ばすが、それよりも早くフェニックスは行動を起こした。
「ふむ。抵抗しないと。では、さようなら」
フェニックスの脚に力が込められたのがわかった。次の瞬間、口から黒いものが飛び出ていくのをレンは薄れる意識の中で見つめていた。
「──起きなさい」
誰かの声。
優しさのない冷たい一声。まぶたを開くとフェニックスがいた。
「……フェニックスさ──」
声を掛けようとしたとき、フェニックスの脚がゆっくりと持ち上がるのが見えた。その瞬間、ぞくりと背筋がぞくりと震えた。
体を転がらせてフェニックスの脚が届かない位置まで離れた。
フェニックスは横目でレンの行動を眺めつつ、持ち上げていた脚を地面にと下ろした。
「──ふむ。たしかこれで27回目でしたか。いや、28回目でしたかね?」
「なんのことですか?」
フェニックスが言いたい意味をレンはすぐに理解することができなかった。
なにかしらの回数を口ずさむフェニックス。だが、フェニックスの言いたい意味がレンには理解することができなかった。
「──まぁ、27回目でいいかな」
なにかしら納得したようで、フェニックスは笑った。そう、笑ったのだが、その笑顔に背筋がまた震えた。
いや、さっきからずっと背筋は震え続けていた。いったいなぜ背筋が震えているのか。それもレンには理解できない。できないまま、体を起こそうとして──。
「行動が遅い」
──ブーツの底が視界に広がり、起こそうとした体はレンの意思を無視するようにして、地面にと縫い付けられていく。
衝撃が全身を襲い、血を口から吐き出していた。
「危険察知するのはよかったですよ。でもそれだけでしたね」
フェニックスは淡々と続けていた。なにを言っているのかがレンにはわからなかった。わからないまま、フェニックスの足の裏がレンの喉に触れた。そして──。
「28回目の反応を楽しみにしておりますよ?では、さようなら」
触れていた足の裏に力が籠る。背にしている地面が砕けるとともに、別のなにかが砕ける音が聞こえた。
「──起きなさい」
また声が聞こえた、とレンは思った。
(……また?)
不意に思い浮かんだ言葉の意味をレンは、ぼんやりと考えていた。
だが、地面を擦るような音が聞こえたことで、レンは思考を打ち切り、地面を転がるようにして距離を取ると、即座に立ち上がった。
不思議なことにレンはミカヅチを構えていた。構えようと考えてはいない。気づいたら構えていた。
自分の体の動きに驚きつつも、レンはまっすぐに相手を、脚を曲げていまにも蹴ってきそうな体勢となっているフェニックスを見つめていた。
「……ふむ、ようやく反応できましたか。50回間際になってというのは、遅いとは思いますが、まぁ、いいでしょう」
「50回?」
フェニックスの言う意味がわからない。だが、気を抜くのは危ないということだけは理解できた。
気を抜くことなく、レンはゆっくりと息を吐いていく。
「っ?」
息を吐くと、なぜが胸が痛い。いや、胸だけじゃない。喉や腹部、心臓さえも痛みを発していた。
(なんだ、これ?)
理解できない痛みが至るところから発していた。だが、傷つけられた覚えもなければ、傷を負った覚えもない。
(幻痛、か?)
およそ痛みが走ることのない部位からの痛みの原因で、思い当たるのは幻痛くらい。だが、その幻痛にしても理由が思い当たらない。
「わけがわからないという顔をしていますね?」
フェニックスが表情なく言った。その表情にレンは背筋が自然と震えていた。息もいくら吐いても整いそうにはなかった。
(怖い、のか?)
息が整わない理由をレンは自身が怖がっているからだろうと仮定していた。そしてその仮定がおおむね間違ってはいないだろう。
背筋が震えるのも、息がいつまでも整わないのも説明できる。逆にそれ以外の理由で背筋の震えも息が整わない理由も説明できない。
ただわからないのは、なぜここまで恐怖しているのかという理由だ。
(……特になにかをされたわけじゃないはず、なのに)
思い当たることがなにひとつとてなかった。そう、なにもないはずなのに、なぜか全身を恐怖が包んでいた。この恐怖の理由はなんだろうとレンは考えるが、答えは浮かばなかった。
「……額から垂れていますよ?」
フェニックスが何気なく言った。なにが垂れているのかはわからないが、額からなにかが伝っていくのはわかった。フェニックスから視線を逸らすことなく、手の甲でやや乱暴に額を拭い、手の甲を向けた。
「……え?」
手の甲は血がべったりと付いていた。指で額に触れ、指を見ると指にも血が付いていた。
「……これは」
「あぁ、治しきれませんでしたか。先ほどの回、48回目は頭を割って殺しましたから、完全に塞がらなかったようですね」
「どうでもいいことですけど」とフェニックスは言う。
(殺した?誰を?)
フェニックスが言う意味をうまく理解できない。いや、実感がなにひとつとてなかった。フェニックスに殺されたという記憶がないのだ。
だが、ならばなぜ額が血に染まっているのか。そもそもフェニックスが嘘を吐く理由が思い付かなかった。
(じゃあ、本当に殺されたのか?それも50回近く?)
死に戻りにしてもいくらなんでも多すぎる。まだログイン限界は訪れていない。数ヶ月がかりで50回死に戻ったというのであればまだわかる。
だが、1日で50回も死に戻るというのは理解できない。仮にそれだけ死に戻るとしたら、5分に1回以上のペースということになる。
「……冗談、ですか?」
「冗談は好きですが、こんなことでしても意味はありません。ゆえに事実です。あなたは48回私に殺されています」
フェニックスが一歩進んだ。それに合わせてレンは一歩下がった。無意識に下がっていた。脚が勝手に動く、レンの意思ではどうしようもなかった。
「……記憶にないですよ?」
「ええ、それはそうでしょう。なにせ死んでも生き返らせていますから。言ったでしょう?即死でない限りは蘇らせると」
フェニックスは笑った。弧を描かせて笑っていた。その笑みに背中が寒くなる。しかし背中が寒くなっでフェニックスは近づいてくる。歯が噛み合わなくなっていた。耳障りな音が、ガチガチという音が響いていく。
「それでは49回目と行きましょうか?」
フェニックスが目を見開いた。赤と黄色のオッドアイの瞳孔が縦に割け、無機質な光を宿していた。その光を見てレンはミカヅチを両手で握りしめ、大上段に振り上げていた。
いや、振り上げようとした。だが、なぜか腕が徐々に下がっていく。止めようとしても言うことを聞かない。そのままぐちゃっという音を立てて地面にぶつかった。視線を下げるとレンの両腕が地面に転がっていた。
肘から先まである腕が転がっている。恐る恐ると視線を向けると、肘から先がなくなった腕が見えた。
悲鳴が口から出ようとした。だが、それよりも早く視界が回った。下から自分の体をなぜか眺めていく。
地面にぶつかる。痛みはない。ただ意識があっという間に混濁して──。
「──起きなさい」
再び声が聞こえた。
レンは飛び起きると、首元に触れた。繋がっている。いや、首だけじゃない。腕もたしかに繋がっていた。
「……ゆめ?」
両腕の肘から先を失い、首を落とされた夢。自身が死ぬ夢。あまりにもリアルすぎて、息が自然と切れていた。
「なんて夢を」
「夢ではありませんよ?」
頭上から声が聞こえた。声とともに頭上に影が差した。レンはとっさに「雷電」を使用し、距離を取る。
短く速い呼吸を繰り返しながら、少し前までいた場所を見やる。そこには腕を振り上げた体勢のフェニックスがいた。
だが、腕を振り上げつつもその目はレンを見つめていた。
「……避けましたか。いえ、ようやく避けられるようになりましたか」
フェニックスは体勢を直し、レンを見つめている。赤と黄色のオッドアイは、夢で見たように縦に割け、無機質な光を宿している。
「……俺になにをしたんですか?」
ミカヅチの切っ先を向けて、フェニックスに尋ねた。フェニックスはなにも言わない。ただ、右腕をまっすぐに水平に伸ばした。伸ばされた右腕はゆらりと揺れた。
右腕が揺れてすぐにミカヅチを立てた。それからすぐレンの体は吹き飛んだが、踵から着地し地面に跡を刻んでいく。
マグマまでもう少しというところで、ようやく止まった。レンはミカヅチを地面に突き刺し、蹲った。荒く激しい呼吸を繰り返していく。
「……殺すつもりの攻撃を受け止めましたか。上出来ですね。褒美に──」
優しく殺してあげますね。フェニックスは口元を歪めていた。その表情にレンは目を見開いた。目を見開きながら、すぐそばにいるフェニックスをレンはただ見上げていた。




