3話 降臨する鬼
サブタイが物騒ですが、内容はいつも通りです。
八時間後──。
「……ふぅ、気が重いです」
タマモはゲームにログインしていた。
ただログインしても、使い慣れた農業ギルドの一室から出る気力がわかない。
「……折れてくれたのはいいんですけどねぇ」
使い慣れたベッドのうえでごろりと回転する。思い出すのは昼間の希望との会話だった。
十数年ぶりにまりもに会いたいからか、希望はなかなか引き下がってくれなかった。
会うと言っても、ゲームの中で会うくらいならいくらでも構わないのではあるが、もし希望と会っている最中にレンやヒナギクと出くわしたら最悪である。
希望の理想の「まりも姉様」が音を立てて崩れ去ってしまう。
「中学生って難しい時期ですからねぇ」
思春期に入ったばかりの時期というのはなかなかに多感であるため、それまで憧れていた存在の実像を知り、一気に幻滅されることもある。
タマモにも少しだけ身に覚えがあることだ。そしてタマモにも起こりえたということは希望にも起こりえる可能性が高いということでもある。
「まりも姉様はそんな人だったんですね。いままで騙していたなんてひどいです」なんて言われてしまうかもしれない。
希望はいくらか暴走しがちではあるが、タマモにとってはかわいい妹分だった。
その妹分に一方的に嫌われることなどあってはならない。
……一方的に嫌われることをしてしまったという負い目はあるので、嫌われたとしても反論はできない。
だが逆に言えば、気づかれなければいいのだ。
気づかれなければ、嘘ではない。
良心の呵責はあるけれど、希望に。かわいい妹分に嫌われるくらいであれば、嘘を吐き続けることに躊躇いなどない。
「……アリアに知られたら怒られそうですね」
莉亜は誠実ではないことに厳しい。
タマモも自身のしていることが誠実とは言えないことはわかっているが、十数年嘘を吐き続けたのだ。それをこれからも続けたところでなにも変わらない。
「……希望、大丈夫ですかね」
ただひとつだけ心配なのは、希望がとんでもない勘違いをしてしまったということくらいだ。
どうして会わないのか。その理由を「始まりの街アルト」にはもういないからだと言ってしまったのだ。
街と街の間を行き来するのはいまのところ徒歩しかないので、わざわざ「アルト」に戻る理由はないという話を掲示板で知っていた。
だからこそタマモは会えないと言ったのだ。しかし希望はその一言で勘違いをしてしまった。
「まりも姉様って、攻略組なんですか!?」
「ええ、だから……え?」
「すごいです! ゲームでも優秀なんてさすがはまりも姉様ですね!」
「いや、あの、希望?」
「なるほど。攻略組でしたら、「アルト」に戻れないですもんね。いまのとのろ「アルト」でイベントはありませんし」
「そ、そうね。でも、あの希望?」
「ごめんなさい、まりも姉様。お会いしたいなんていうべきではありませんでしたか」
「え? いや、別に」
「危うく、大地を切り開き、フィールドを駆け抜けているまりも姉様の妨げになるところでした。まりも姉様がお優しいからと言って甘えるところでした!」
「いや、そんな気にしなくても」
「わかりました、まりも姉様」
「え? なにが?」
「私も大地を切り開き、フィールドを駆け抜けます! まりも姉様のように!」
「あ、うん。頑張って、ね?」
「はい! いつか追い付きますので、それまでお待ちくださいね!」
「え、ええ」
「それでは、今回はこの辺で。まりも姉様の貴重なお時間をいただきありがとうございました!」
一方的に言って希望は電話を切ってしまった。
「……まずい。あの子暴走しますよ」
昔からの付き合いだからこそわかる。いまの希望はおそらく止まらないだろう、と。そしてそのまま暴走するだろう、と。
しかしその暴走を止めたくてもすでに電話を切られている以上、どうしようもなかった。
「せめて希望がソロプレイであれば、あぁ無理か」
なにせ、「カレン」に誘われてプレイを始めたというのだから、カレンとクランを組んでいることは間違いない。
救いは憎き「カレン」だけに被害が及ぶということだが、ほかに仲間がいたら、手を合わせることしかタマモにはできなかった。
そうして嫌な予感を抱きながらも、あれから八時間経った現在、ようやくログインをしたタマモだった。
ぼんやりとしながらも、希望らしきプレイヤーだったり、圧倒的な速度で戦闘を繰り返すプレイヤーがいたりしないかどうかの確認を掲示板で行っていく。
「……少なくとも希望がやらかした被害者はいなさそうですね」
掲示板を流し読みしてみたが、暴走するかのようなプレイヤーの話は見かけなかった。
まだログインをしていないだけだろうが、油断はするべきではなさそうだ。
「……とりあえずボクもいつものように畑に──ん?」
寝転がっていたベッドから起き上がり、活動を始めようとした。だが、不意にメールの新着が入った。
誰からだろうと思いながら、メールフォルダを開くと──。
「レンさん?」
なぜかレンからのメールだった。
なにか用事でもあるのだろうか。そう思いながら、メールを開くとそこには一言「逃げて」とだけ書かれていた。
「……なにに対して?」
一言だけでは理解できなかった。「なにから逃げればいいんですか」と返信を送ろうとした、そのとき。
──コンコン
「タマちゃん、もう起きている?」
ドアの向こうからヒナギクの声が聞こえてきた。
返事をしながらもレンへの返信を送り、メニューを開きながらもドアノブを掴むと、またレンからのメールが入った。
速すぎないかと思いつつも、メールを開くとそこには、「「鬼」から逃げて!」と書かれていた。
「お、に?」
唖然とするのと、ドアノブを回すのは同時たった。
ドアが開き、廊下に立つヒナギクの姿が見えてきた──と思ったとき、タマモは襟首を掴まれた。ほかならぬヒナギクによって。
「……え?」
素の声を出しながらも、タマモは状況を理解できなかった。
理解できないまま、部屋から無理やり引きずりだされるように引っ張られた。そして──。
「おはよう、タマちゃん」
「お、おはようございます」
──やけに圧を感じるヒナギクと対面した。
ヒナギクは笑っていた。そう、笑っていた。笑っているのだが、どういうわけか妙に怖い。
「調理」の指導の際はとても厳しく怖い。
しかしいまは「調理」の指導はされていないのだ。
なのにも関わらずタマモははっきりとした恐怖を感じていた。
その恐怖の理由をタマモはすぐに知ることとなった。
「ねぇ、タマちゃん?」
「は、はい?」
「私はタマちゃんのお師匠様だよね?」
「え? ま、まぁ、そうですね」
「調理」に関してヒナギクの指導を受けているので、ヒナギクの弟子というのは間違いではない。
しかし「お師匠様」とはずいぶんと変わった言い方をするものだった。ヒナギクらしからぬ言い方だった。
「じゃあ、絶対服従だよね?」
「……はい?」
いまなんて言われただろうか?
言われた意味を理解することができず、タマモは聞き返していた。
普段のヒナギクであれば怒られることはない。
だからこそ聞き返してしまった。しかしそれは完全な悪手であった。
「……絶対服従だよね?」
すーっと目を細めながらヒナギクが笑った。
口元は怪しく弧を描いており、その表情を見た瞬間、タマモは悲鳴を上げていた。
「ねぇ、聞こえている? 絶対服従かって聞いているんだけど?」
「いや、あの、ぜ、絶対服従なんて。いまどき奴隷でもあるまいし──」
「なぁに?」
「いや、ですからボクは奴隷では」
「なぁに?」
「えっと、その」
「なぁに?」
「……服従イタシマス」
ヒナギクの「なぁに」という返事にタマモは折れてしまった。
頷かないかぎり、ヒナギクが退きそうにないと思ったのだ。
それに「絶対服従」とは言うが、そんな大それたことをさせられるわけでもない。
そんな軽い気持ちでタマモは頷いてしまった。
「じゃあ、今日からタマちゃんには一日にひとつレベルを上げてもらうからね?」
「……はい?」
ヒナギクの発した言葉の意味をまた理解できなかった。
思わずタマモは聞き返していた。そんなタマモにヒナギクは冷たい目で言った。
「なに聞き返しているの? タマちゃんに許されるのは「はい」か「イエス」しかないんだよ? なのになんで聞き返しているの? 絶対服従するって言ったよね? 言ったよね、タマちゃん?」
「え、えっと、言いましたけど」
「じゃあ、なんで聞き返しているの? 返事は「はい」か「イエス」かのどっちかだけだよ。その耳は飾りじゃないよね? 飾りじゃないなら理解できるでしょう?」
「で、でも」
「……返事は?」
「は、はい!」
ヒナギクがまた笑った。口元が大きな弧を描いた。その笑顔にタマモは体を震わせながら敬礼をしていた。
敬礼しながらレンの言った「鬼」がなんなのかをいまさらながらに理解した。
「じゃあ、始めようか、タマちゃん。いつもよりもちょっと厳しくするからね? いつもみたいに優しくてはしてあげられないから、覚悟してね?」
「ひゃ、ひゃい」
「鬼」はここにいたのだ。そう、ヒナギクという名の「鬼」が。
そしてそのことに気付かず、タマモは「鬼」と対面してしまったのである。
(ど、どうなるんでしょう)
タマモは体を震わせながら、ニコニコと笑い続けるヒナギクの後を追って、畑へと向かって行った。
ヒナギクが鬼化しました←
次回はちょっと、うん←顔を反らす