2話 かわいい、妹分?
莉亜への想いを吐露していたまりもだったが、不意に鳴った着信音に現実へと呼び戻された。
「アリアでしょうか?」
ありえないとは思いつつも、まりもは枕元のスマートフォンを取り、名前を見ないまま電話に出た。
「もしもし?」
お決まりの一言を口にし、莉亜の声が聞こえてくることを祈っていたが、聞こえてきたのは──。
「おはようございます、まりも姉様!」
──莉亜とはまるで違う声。そしてその声にはまりもには当然のように聞き覚えがある。
慌ててまりもは取り繕った。
「おはよう、希望。ひさびさにあなたの声を聞けて嬉しいわ」
ふふふと笑って、いかにもなお嬢様を全力で演じるまりも。
だが内心ではひどく動揺していた。
(な、なんでこんなときに電話してくれますかね、この子はぁぁぁーっ!?)
まりもは心の中で叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。電話を掛けてきた相手は、莉亜以外での唯一の例外である従妹の天海希望だった。
まりもの家である玉森家と希望の天海家は一応親戚関係にある。
ただ親戚と言っても遠縁だった。
玉森家が本家であり、天海家は分家の分家筋であるため、家同士での付き合いはほとんどない。希望とは子供の頃の会合で一度会っただけだった。
だが、その子供の頃に一度会っただけで、希望はまりもに懐いてしまった。
それ以来会うことはないけれど、こうして電話やメールまたは手紙などで近況の連絡を取り合っていた。
希望は最近になって中学生になったばかりで、数か月前に中学校の入学式の写真を便箋で送ってくれた。その写真には中学の制服を着た希望と幼なじみの女の子が写っていた。
幼なじみはともかく希望は年齢の割に発育がかなりいいようだ。とても羨ましい。
「私も、まりも姉様のお声を聞けて嬉しいです! 今日も鈴のような美声ですね」
「ふふふ、お世辞でも嬉しいわ、希望」
「お世辞じゃないです! まりも姉様はなんだってお美しいんですから!」
「そ、そうかしら?」
「そうなんです! 私の理想です、まりも姉様は」
希望の熱意は相変らず凄まじい。
ここまで慕ってくれるのは嬉しい。嬉しいが、希望の慕う「まりも姉様」と「実際のまりも」はかなり乖離していた。
それこそ昭和のアイドルはトイレになんて行かないという偶像を抱かれていたのと同じくらいに、希望は「まりも姉様」に憧れているようだった。
(いい子なんですけど。いい子なんですけど、お願いだからそれ以上ボクを持ち上げないでくださいぃぃぃ!)
まりもは泣いていた。希望がなにか言うたびに涙が零れるのである。
希望が語る「まりも姉様」など存在しないのだ。
存在するのは引きこもりニートでオタクなまりもだけである。
再確認するたびに胸を抉るようなダメージがある。
ライフポイントはとっくにゼロだ。
しかしそのことに希望は気付かない。気付かないまま、希望は憧れという名の鋭利なナイフでまりもの心を切り裂いてくれる。
「ところでまりも姉様。最近お勉強の方はいかがですか?」
「う、うん? まぁまぁね。この前のはたまたま体調を崩してしまったせいだったから、次はたぶん大丈夫だと思うわ」
「ですよね。まりも姉様が浪人生になったって聞いたときは、なにかの陰謀に巻き込まれたのかなってとても心配しました。だってまりも姉様は慢心なんてされない完璧な方ですから。そんなまりも姉様が志望校に落ちるわけがありませんから!」
ぐさりと言葉が胸に突き刺さる。そのするはずのない慢心によって大学に落ちてしまったのだ。
あのとき莉亜の言葉を聞き流すことなく、真摯に受け止めていたら落ちることなどありえなかっただろう。
「そ、そうね。でも体調を崩してしまったのは少し油断もあったから」
「いえ、そんなことはありません! まりも姉様が油断なんてありえません。きっと生徒会長として頑張っておられたときの疲れや受験勉強の疲れが蓄積してしまっていたんです。そうに決まっています!」
「ま、まぁ、そうかもしれないわね」
「そうですよ、きっとそうなんです!」
電話越しに希望は自信満々に言ってくれた。
たしかに生徒会長という重圧から解放されてすぐの頃は、思っていた以上の疲れが溜まっていた。
しかしそれは任期が終わって1か月ほどのことだ。
それ以降は完全にぐーだらとしていて、疲れなど溜まっているわけがなかった。そしてそれは受験勉強も同じであり、1日1時間ほど予習と復習をするだけでほかのことなどなにもしていなかった。
ゆえに疲れが蓄積していたなどありえないのだ。
だが、希望の中ではまりもが受験を失敗したのは、すべて「蓄積した疲れによる体調不良」ということになっていた。おそらくは事実を言っても信じてはくれない。
(かわいい子なんですけどねぇ。どうしてこうも思い込んだら一直線なんでしょうね? ボクの影響ではないということは。「奴」の影響ですかぁ)
希望がこうなったのはどう考えても「奴」──希望の幼なじみである「カレン」の影響だろう。
中学の入学式の写真を見るかぎりは、まりも同様に発育はすこぶる悪いようだが、見た目はまるで人形のようにかわいらしい女の子だった。
そう見た目は、だ。
中身は希望いわく「下手な男よりも男らしい」という性格のようだ。
その「カレン」の影響を受けているからこそ、希望はあまりにも一直線な女の子になってしまったのだろう。
(むぅ。ボクのかわいい妹分を勝手に自分色に染めないでほしいです)
「まりも姉様」のことに関して暴走しがちではあるが、希望がかわいい妹分であることは変わらない。
リスペクトしすぎで、まりもの胸を突き刺してくれるのはやめてほしいものだが、その一方でまりも自身、尊敬の念を抱かれることは嫌ではなかった。
……たとえ希望の語る「まりも姉様」と実際のまりもとが別物ではあっても、まりもはまりもなりの努力をして希望の理想の「まりも姉様」になろうとはしていた。
お嬢様口調なのもその一環である。
……単純に出会ったときの会合では「らしい口調をしろ」と両親に言われたことで試しにしたお嬢様口調を希望がまりもの素の口調だと勘違いしたことから現在の関係は始まったのだが。
その関係もそろそろ10年ほどになる。
まりもとしては希望もそろそろ現実に気づいてほしいものと思っているが、基本的に現実はまりもには厳しいため、希望が理想と現実の解離に気づくことはない。
この件は莉亜にも匙を投げられていた。
「無理に繕わずに素で接すればいいじゃない」
と莉亜には言われていた。
莉亜に言われずともそれはまりもにもわかっていた。
わかっているのだが、こうして希望と話すたびに実際のまりもを晒す勇気がでなかった。
結果、ずるずると「まりも姉様」を演じてしまっていた。
もっとも「まりも姉様」となるのは、希望と接したときだけであるから、そこまでの負担ではない。それだけが救いだった。
だが、その唯一の救いさえも希望の発する一言で打ち砕かれることになる。
「ところでまりも姉様」
「なにかしら?」
「エターナルカイザーオンラインってご存知ですか?」
「ええ。お父様にお願いして息抜きにプレイさせてもらっているからね」
「まりも姉様もプレイされているんですね! よかった」
「……もしかして希望もプレイしているの?」
「はい! すっごく楽しいです! カレンに誘われて始めたんですけど、のめり込んでいます! 学校も夏休みなので、毎日プレイしています!」
「そう。それはよかったわね」
「はい! それでよければなんですが──」
「うん?」
(なんかすごく嫌な予感がしますよ? いやいや落ち着くのですよ、ボク。そんな簡単に悪いことが起こるわけが──)
「──ゲーム内でまりも姉様とお会いしたいです。今日ログインされる時間を教えてください! お会いしに行きます!」
(やっぱりかぁぁぁーっ!)
まりもは心の中で叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
(どどど、どうしましょう!? 希望は絶対諦めないですし!)
そう、希望は諦めてくれない。正確にはよほどのことがない限りは諦めてくれないのだ。
そういうところはとても好ましいとは思うが、その好ましい部分が時折こうして牙を剥いてくるのはどうにかしてほしいものだ。
そして希望がこうなったのはすべて憎たらしい幼なじみのせいである。
(おのれぇぇぇ、カレン! うちの妹を自分色に染めやがってですよぉ! 子供の頃の希望を、ボクの言うことならすぐに聞いてくれた頃の希望を返しやがれです!)
会ったこともない希望の幼なじみの「カレン」への恨みを抱きながらもまりもは、状況打破のために思考を巡らしていく。しかしなにも思い付かない。
(あ、謝ります! 顔を合わせて土下座でもなんでもするから、もうちっぱいなんて言わないから! だから、アリア! アリア、カムバッーク!)
まりもは心の中で叫んだ。
しかし現実の莉亜には伝わらない。さしもの莉亜もまりもの内心の叫びまではわからない。
そしてまりもの脳内の莉亜は。まりもが「アリアならこう言うだろう」と思う莉亜は「自分でどうにかしなさい」としか言わない。
現実の莉亜も脳内の莉亜と同じことを言うというのは、まりもにはわかっていることだったが、それでもまりもはすがるしかなかった。しかしそれも時間切れとなった。
「まりも姉様?」
なにも答えなかったまりもに痺れを切らしたのか希望が声をかけてきた。
まりもの頭の中では餌を前にお預けされている大型犬のようなイメージである。
しかし餌がドックフードであればまだ微笑ましいが、その餌がまりも自身なのだから笑えない。
(ど、どどど、どうしましょう!?)
希望の催促するような声を聞きながら、まりもは窮地に立たされてしまったのだった。
従妹に(ある意味)迫られるまりもでした。
続きは明日の正午となります。




