初めてのバレンタインデー その4~いままで一番美味しいチョコレート~
遅くなりました←
今回はタマちゃん受難でもあります←
アオイとアンリのチョコレートがなんなのかがわかります。
2月14日──。
理解不能な状況というものは、得てして不意に訪れる。
タマモは心の底からそう思っていた。
「さぁ、旦那様!」
「さぁ、タマモ!」
加工されたチョコレートとチョコレートらしきナニカがずいっと目の前に迫る。
タマモは「えっと」と困惑しつつも、目の前にいるふたり──アンリとアオイを押し留めようと両手を前に出していた。
しかしふたりは前進してくる。タマモは一歩後ずさる。
だが、タマモが後ずさるとふたりは一歩前に出た。その手にある特徴的なチョコレートとともに。
現在タマモは本拠地の外にある仮設キッチン横の丸太のテーブル前にいた。
ログインしてすぐになぜかアンリとアオイが、お互いを睨み付けていたのだ。
(あれ、このふたりって知り合いでしたっけ?)
タマモは知るよしもないことだが、つい先日街中で睨み合っていたことを、タマモは知らない。
が手にしているのはデフォルメされた狐の顔の形をしたラング・ド・シャタイプのクッキーふたつでチョコレートを挟んだ手間暇かかるものだった。
タマモでも一口で食べれるサイズであり、クッキーとクッキーに挟まれたチョコレートは少し溶けているが、わざとそうしているのは明らか。口内の温度によりチョコレートがより溶けて、舌触りのいいラング・ド・シャと合わさった美味しさが口の中に広がることだろう。感覚的に言えば、北海道の銘菓であるホワイトな恋人のようなものだろうか。
(わざわざラング・ド・シャを狐の顔にするとか、とんでもなく手間暇掛かっていますね。あれってかなり薄いから、加工するにも大変なのに)
もともとラング・ド・シャとは、フランスの伝統菓子であり、「猫の舌」と呼ばれるものだが、ざらざらとした表面と中央が楕円形のものであるのがその名の由来とされている。
そのラング・ド・シャは軽く薄いため、サクッとしつつも、ざらついた食感がなんとも言えない後味を引くものだが、薄いということはそれだけ割れやすいということ。
その薄いラング・ド・シャをわりと複雑な狐の顔に加工するということがどれほどの作業だったのかは、想像しかできないが相当の根気がいる作業だっただろう。
(ボクのためにわざわざそんなことをしてくれたんですよね)
アンリからの愛情をこれでもかと感じられる手作りチョコレート、正確には手作りチョコレート菓子だった。
見た目だけでも美味しいとわかってしまう。むしろこれでまずいと言えるわけがない。
「旦那様への想いを詰めました!」
アンリはまっすぐにタマモを見つめていた。その目にあるのは一切隠すことのない、まっすぐな愛情だった。
その愛情に胸の奥がじんわりと暖かくなるのをタマモは感じていた。
対してアオイはと言うと──。
「ふふん、そんな狐娘のチョコ菓子よりも我のチョコレートの方が美味に決まっておろうに」
──自信満々にその煌めく銀髪を掻き上げていた。そう、自信満々に銀髪を掻き上げているのだ。掻き上げているのだが、アオイを理想の嫁と言っていたタマモであっても「おまえはなにを言っているんだ?」と言ってしまいそうになる、チョコレートという名のナニカであった。
アオイが手にしているチョコレートは、なぜかドロドロとしていた。湯煎したものをそのまま持って来たのかと思ったが、よく見るとそれが違うというのがわかる。
なぜならアオイのチョコは根元が固まっていたのだ。
だが、その上はドロドロとしていた。ドロドロと液体状になっていたのだ。その液体は固形物をコップ代わりにしていた。固形物の中で、液体が揺れていた。
液体は固形物を徐々に溶かしていき、色がより濃くなっていった。
その色はすでにチョコレートという概念を超えていた。もはやドブの色さえも凌駕する黒さである。
そのうえドロドロとした液体は、いや、固形物自体からすでにドブの方がましと言える香りが漂っていた。
だが、その固形物自体の香りはまだましである。液体状のナニカからはそれさえも超えた臭いを発していた。いや、溶けた固形物の香りが液体と混ざり合い、より一層ひどい臭いを発していた。それこそこの臭いを密閉空間に設置し、そこにプレイヤーを放り込んだら、それだけで死亡してもおかしくないほどに。
そんなひどい臭いを発したチョコレートという名のナニカを突きつけてくるアオイ。その表情は頬を染めてやや恥ずかしそうに俯いていた。いわゆる乙女顔なのだが、このチョコレートらしきナニカのどこに乙女を露にできる要素があるのかがタマモには理解できなかった。
「さぁ、喰らうがよい、タマモよ」
ニコニコと笑うアオイ。その笑みにタマモは顔をひきつらせた。
「どうした、タマモよ?なぜ喰わぬのだ?」
アオイは理解できないという顔をしていた。理解できないことの方がタマモには理解できなかった。しかしアオイはタマモの気持ちを理解せず、チョコレートらしきナニカを突きつけてくる。タマモは涙目になっていた。
「はぁ、そんなゲテモノを旦那様に食べさせるおつもりですか?旦那様のお腹を壊すつもりですか、あなたは?」
そんなアオイにアンリがため息交じりに侮蔑のこもった視線を向けていた。そんなアンリを見たことがないタマモは、自身の目を疑っていた。
「黙れ、狐女が!たかが、焼き菓子を挟んだチョコレートを用意した程度で調子に乗るな!その程度、誰にでもできようが!」
対してアオイはアオイでこめかみに血管を浮かび上がらせながら叫んでいた。その顔には殺気が込められていた。タマモは思わず震えそうになった。
「まったく調理音痴は。誰にでもできると言っておりますが、少なくともあなたにはできませんよ?あぁ、だから調理音痴なんですね?」
だが、アンリはまるで気にすることなく、それどころかアオイを見下し始めた。アオイが怒り始めた。しかしアンリはアンリで瞳孔を縦に割れさせて「ふしゃー!」と威嚇を始めた。
「ええぃ!貴様などでは話にならん!タマモ、いざ喰らうがいい!」
「そんな汚物を旦那様に食べさせられるわけがないでしょう!こちらをどうぞ!」
アオイとアンリは同時にそれぞれのチョコレートをタマモの口の中めがけて突っ込んできた。ふたつのチョコレートを口の中に無理やりねじ込まれ、「がふっ!?」と妙な声をあげるタマモ。
口の中には美味しいチョコを挟んだラング・ド・シャの味と想像以上のドブ臭さのチョコレートらしきナニカの味が口の中に広がっていく。
タマモは体を大きく震わせたが、すぐに意識を手放した。
「おお、タマモ!気絶するほど美味しかったか!」
「なに言っているんですか!?あなたのがまずくて気絶して──」
「なにをバカなことを──」
遠ざかる意識の中、タマモは喧嘩を続けるふたりの姿をただ見つめていた。
どれくらい時間が経ったのか、タマモはゆっくりとまぶたを開いた。
「──あ、お目覚めですか?旦那様」
目を覚ましたタマモが見たのは、心配そうに見下ろすアンリの姿だった。
いつぞやのときと同じく、膝枕をしてくれているようだった。
「……またお世話になりましたね、アンリさん」
「むぅ。「アンリ」ですよ」
ぷくっと頬を膨らますアンリ。いつものように「アンリさん」と呼んでしまったことで少し不機嫌になってしまったようだ。
「……ごめんなさい。でもどうにも呼び捨てが慣れなくて」
「……それでもアンリは、「アンリ」と呼んでほしいのです」
アンリはじっとタマモを見つめる。その視線にタマモはなんと言っていいのかわからなくなってしまった。
「そう言えば、アオイさんは?」
「……偽乳女は帰りました。「タマモが気絶するほど美味と思ってくれたのだ。文句はない!」とかなんとか言って意気揚々と帰りました」
ふんだと言ってアンリは頬をまた膨らませた。「偽乳女」というのがアンリ曰くアオイのことなのだろうとタマモは思った。
「アンリさん、あまりそういう呼び方はダメですよ?」
「嫌です!アンリは、偽乳女は偽乳女と呼ぶと決めているのです!」
アンリは顔を背けて言った。
どうにもアンリはアオイを敵対視しているようだった。「アオイさんは優しい人なのになぁ」と思うタマモだが、いま言っても逆効果であることはわかっているため、あえてなにも言わないことにした。
「とりあえず、あまり喧嘩を売ってはダメですよ?」
「……旦那様がそう言うのであれば」
アンリは渋々とだが頷いていた。本当に嫌そうだが、とりあえずは頷いてくれた。
(まぁ、たぶんまた喧嘩になるんでしょうけど)
アンリとアオイが顔を合わせたら、確実に喧嘩になるのだろうなぁと思うタマモ。そしてそのときにはまた巻き込まれてしまうのだろう。
(まぁ、構わないですけどねぇ)
やれやれとため息を吐きつつも、タマモはインベントリからそれを取り出した。
「……はい、アンリさん」
「だから、「アンリ」と──え?」
タマモはインベントリから取り出したそれ──バレンタインチョコをアンリにと手渡した。
「これって」
「アンリさん用ですよ。ヒナギクさんやレンさん、あとは氷結王様や焦炎王様たちにも渡す予定ですけど、とりあえずそれはアンリさん用のチョコですから。……手作りではないのは申し訳ないですが」
タマモが用意したのはアンリたちとは違い、手作りではなく市販の品だが、一応は全員に合わせたものを用意していた。特にアンリのものはたっぷりと時間を掛けて選んだ。日頃の感謝も込めてという名目だったが、それだけではないことを自覚しているが、タマモは口にするつもりはない。
「一番時間を掛けて選んだものです。味わって食べてください」
言いながらタマモは顔が熱くなった。バレンタインチョコを渡すのは初めてであり、やけに緊張してしまっていたのだ。加えて市販品なのも少し尾を引いている。
「これを、アンリに?」
だが、アンリの様子を見る限り、余計な心配のようだった。アンリは涙目になって、タマモが用意したチョコを胸に掻き抱いた。
「大切に食べます」
「そうしてください。あと」
「はい?」
「まだ、アンリさんのチョコはありますか?ちゃんと味わえなかったので食べたいのですけど」
顔を反らしつつアンリに尋ねると、アンリは「もちろんです!」と頷いてくれた。見ればアンリの横にはアンリが用意したチョコレートが置かれている。
そのチョコレートをひとつ摘まむと、アンリは顔を真っ赤にしてチョコレートを口元まで運ぶと、「あ~んしてください」と言った。
タマモは思わず口を開いていた。その口の中にアンリ手製のチョコレートが放り込まれた。
相変わらず美味しいが、さっきよりも少し甘く感じられた。
「……美味しいのです」
「それはよかったです」
アンリはえへへと笑っていた。笑っているが、その指はよく見ると傷だらけになっていた。
「……美味しいです、本当に」
「いま聞きましたけど?」
「何度も言うくらいに美味しいですよ」
「よかったです」
アンリは恥ずかしそうに笑っている。「もう一枚お願いします」と言うとアンリは「はい」とだけ頷いていた。頷きながらチョコレートを食べさせてくれた。
(いままで食べた中で一番美味しいかもです……恥ずかしくて言えませんけど)
一番美味しいとは恥ずかしくて言えなかった。だが、タマモの中ではアンリが食べさせてくれたチョコレートがいままで食べたチョコレートの中で一番美味しいチョコレートとなった。アンリ本人には決して言えないことだが。
もっともアンリはアンリでタマモの内心を理解しているのかいないのか、ニコニコと笑いながら次々にチョコレートを食べさせてくれる。
甘くて美味しいチョコレートを、アンリに食べさせてもらうチョコレートの味をタマモはチョコレートがなくなるまで堪能したのだった。
とりあえず、タマ×アンが公式です←
次回から本編に戻ります。




