Ex-15 兄と重ねて・後編
遅れました←汗
今回はアンリ兄成分はほぼないです。
「──今日もリーン様の元へ向かうのかい?」
兄が笑いながら台所に顔を出していた。アンリは「はい」とだけ頷いて、当時の日課だったいなり寿司を作っていた。
タマモの元に通い始めて、10日が経った頃、兄はいつものように笑い掛けてくれていた。だが、いま思えば「リーンの元へ通っている」という嘘に気づかれていたのだろう。
兄は「リーン様の元へ」とわざわざ言っていたのだ。
そのときは考えてもいなかったが、いま思えばあれは故意だった。
「リーンの元へ通っている」という言い訳がしやすいように助け船を出してくれていたのだ。ただ当時はそのことに気づいておらず、「気づかれてはいない」と安心していた。
(さすがに一方的に見ているだけなんて言えないし)
日々行っていることが、なかなかに特殊なことであるのは理解していた。
ゆえに兄には言えなかったのだが、兄は気づかないふりをして、背中を押してくれていた。
「そうか。ではリーン様にはよろしく言っておいてもらえるかな?うちの愚妹が迷惑を掛けている、とな」
「むぅ、愚妹ではないです!」
「ははは、許せ。まぁ、気をつけて行ってきなさい。外は寒いからな」
兄は笑いながら反応に困る一言をくれた。なにを言えばいいのかはわからなかったが、頷こうとたときには兄はすでに道具を担いで「では行ってくる」と家を出てしまった。
「お兄様ったら鋭いのか、鈍いのかわからないんだから」
焦りそうになる一言を残して仕事に出た兄に対して毒づきながら、弁当であるいなり寿司を笹の葉に巻き終えた。
「……よし。行こう」
深呼吸をひとつ吐いてからアンリは、家を後にした。兄の思わぬ一言に慌てさせられたおかげでいつもよりも少し遅れての出発となった。やや駆け足になりつつ、アルトへと向かいながら、思っていたことはただひとつだけ。
(今日こそは渡そう)
弁当として作ったいなり寿司を今日こそは渡したかったのだ。
その頃にはもうリーンの元には通っておらず、アンリはまっすぐに雑木林に潜んでタマモの作業を見守っていた。
弁当はタマモに渡すためとして作っているが、それまで作った弁当はすべてアンリ自身が食べていた。理由は言うまでもない。
いつも今日こそは、と思うのだ。だが、いざタマモを前にすると頭の中が真っ白になってしまう。結果石像のように固まってタマモの作業を見守って帰ることになる。その際にいなり寿司を自ら食べていた。
「今日こそはと思っていたのに」といつも肩を落としながら食べるいなり寿司は、少しだけしょっぱかった。甘く煮込んでいるはずなのに、しょっぱくて仕方がなかった。
それでもめげずにアンリはタマモの元に通っていた。当時はもう自身の気持ちがどうなっているのかなんて自覚していた。
それはきっと里の仲間たちにも気づかれていただろう。いつも生暖かい視線を向けられていたのだ。その理由について当時はまるで気づいていなかったが。
そんな視線を浴びながらも雑木林にたどり着いた頃には、すでにタマモは作業を始めていた。
(も、もう作業しているぅ!今日こそはご挨拶をして、お弁当を渡して、お手伝いをしようと思っていたのにぃ!)
予定では、その日こそは挨拶をするつもりだったのだ。まだ気持ちを口にする気はないが、まずは友人という形で始めて、徐々に関係を深めていこうと思っていた。
だが、一歩目から躓いていた。もっとも一歩目を躓くのはいつもどおりなのだが。
(どどどどどど、どうしよう!?)
幻術で周囲と一体化しているように見せながら、大いに慌てふためくが、すでに予定は瓦解していた。予定ではタマモが来るよりも早く雑木林に訪れて、三つ指ついて待っているつもりだった。
……冷静になって考えれば、それが悪手であることは明らかなのだが、当時のアンリにはそれほどまでに余裕というものが存在していなかったのだ。
余裕のない中で必死に考えた結論が、三つ指ついて待っているというものだったのだが、タマモが想定よりも早く訪れたことで瓦解してしまった。
しかしタマモはアンリの動揺など気にすることなく、畑を耕していた。
小さいながらに畑はできており、その畑にはやや小振りなキャベベが実っていた。
そのキャベベを見守りながらタマモは畑を耕していたのだ。
畑の脇には腐葉土を作ろうとして、落ち葉などを入れた穴があったが、アンリの目から見て腐葉土になるには時間がかかりそうだった。
(腐葉土にするには、時間がかかりそうですね)
まだ穴は落ち葉が入ったままの姿であり、ここから腐葉土とするにはまだ当分時間がかかる。
(ただ落ち葉を入れただけじゃダメなんですけど)
どうやらタマモにはその手の知識は皆無のようだ。そしてそれはアンリにとっての朗報でもあった。
(ここでお手伝いすれば、アンリの株も上がります!)
畑仕事に関してはアンリは昔からしていた。かれこれ40年ほどは経験があるのだ。その経験上、これでは腐葉土は作れないというのがわかる。
(……見たところミミズはいない。土はまだかき混ぜる段階ではなし。米ぬか等も使ってはいない。うん、これじゃ落ち葉を穴に入れただけです。一度里に戻って持ってきた方がよさそうですね)
必要なものをあれこれと思い浮かべつつも、アンリは腐葉土の穴から離れて、いつものように特等席に腰かけた。すなわち積まれた木材の上にだ。幻術で姿を視認されないがゆえの行動だったが、タマモは気づいた様子を見せない。黙々と畑を耕していく。
(……おかわいらしいのに、とても真剣ですね)
タマモの見目はとてもかわいらしかった。里の子供たちと同じくらいに見えるが、その見目とは裏腹に、まっすぐに大地を見やる目はとても凛々しかった。
(……凛々しい)
ほぅ、と熱い吐息が口から洩れ出ていた。タマモのために作ったいなり寿司をひとつ口にしつつ、アンリはタマモをじっと見つめていた。
(……お知り合いになりたいけど、このままタマモ様を見ていたいなぁ)
知り合いたいとは思うのに、このままじっと一番そばで見ていたいともアンリは思っていた。まだタマモがどういう人なのかはわからなかった。
見た目相応という風に見えるのに、その中身は少し違うようにも思えていたのだ。
(……このままでいたいと思うけど、お話をしてみたい。ご飯を食べたり、お買い物をしたり、お料理もしてみたり、そして一緒に──)
──暮らしてみたい。同じ屋根の下で一緒に生活したい。
それはアンリの心からの願いとなっていた。わかっていたことではあった。だが、改めて理解したのだ。
(……アンリはあなたが好きです、タマモ様。タマモ様のお嫁さんになりたいです)
タマモが好きなのだと。タマモに恋をしていると、はっきりと理解していた。
(……タマモ様)
その名を口にするだけで、3つの文字が連なっただけなのに、胸がどこまでも温かくなる。この人ともにありたいと願ってしまう。
だが、知り合ってもいないのにそんなことを口にしても困らせるだけであることはわかっていた。
(きっかけがあれば)
きっかけがあれば、知り合いになることはできる。徐々にアンリ自身のことを知ってもらいたい。できたら両想いになりたいとも思った。
けれど、そのきっかけがない。
当時はアンリが一方的にタマモのことを知っているだけだった。
知り合いになることなど夢のようなものであり、両想いになるなど夢のまた、夢であった。それでもタマモを想う気持ちは翳ってはくれない。むしろタマモを見れば見るほどに、胸の高鳴りが増していく。
(……タマモ様、アンリはあなたとともにありたいです)
胸の想いを吐露できればどれだけ楽になるだろうか。
だが、声を掛けることさえもできないのだ。やろうと思えばできる。だが、それがとてつもなく難しいことだとアンリには思えてならない。
(……こんなに近くにいるのに。腕を伸ばせばあなたに触れられるし、触れてもらえるのに。こんなにもあなたは遠い)
腕を伸ばす。そばにいると言っても、タマモのいる畑とアンリが腰かけていた木材とは1メートルほどの距離が存在していた。
たった100センチの距離が途方もなく遠かった。それでもそばにいられることは幸せだった。幸せだが、辛くもあった。たった一字足りないだけなのに、こんなにも違う。その違う言葉が矛盾することなくアンリの胸には宿っていた。
結局その日もアンリはタマモに知り合うことはできなかった。通いながらも見ているだけだった日々はしばらくの間続いていた。
だが、その日々もすでに終わったものだ。
「……旦那様」
「どうしました?」
アンリは目の前にいるタマモに声を掛けた。タマモはアンリの頭をヒナギクと一緒に撫でてくれている。顔は少しだらしない。だが、その目には慈しみの光があった。
あの頃には向けられることのなかった光。その光を身一杯に浴びられる。それはとてつもない喜びであり、幸せである。
「……なんでもありません。お呼びしただけです」
「なんでまた?」
「……秘密です。旦那様にも言えない秘密ですので」
ふふふ、と笑い掛けるとタマモは理解できないというような顔をしていた。その表情ひとつとっても愛らしく、そして愛おしい。
(幸せです)
アンリは心の底から幸せを噛み締めていた。幸せを噛みしめながらタマモをただ見つめていた。
今後アンリ視点は特別編で行っていく予定です。
次回は別の人です。




