99話 夜は更けゆきて
遅くなりました←汗
前回のシリアスはどこに行った?という感じの内容ですね。まぁ、ほのぼのとしています、たぶん!←
「──それでは氷結王様。ボクはここでお暇させていただくのです」
氷結王による「結氷拳」のデモンストレーションが終わると、タマモは氷結王に下山の意志を伝えた。
まだログイン限界までは一時間ほど残っている。このまま霊山で過ごしてから次のログイン時に下山でも構わないかと思ったが、時間的にヒナギクがまだいるだろうから、いまのうちに戻っていろいろと伝えようと思ったのだ。
(特にアンリさんについては伝えなければならないですからねぇ)
そう、特に問題なのがアンリだ。どうやら近くに潜んでいるようなのだ。おそらくは転移してきたのだろう。
てっきり大ババ様にしか使えないかと思っていたのだが、どうやらアンリないしリーンは転移を使えるようである。
できればアンリのことは少し時間を置いてから伝えようと思っていたのだが、この様子だと連れて帰らねばならないようだ。
(まぁ、もともと連れて帰る予定でしたけどね)
大ババ様にも釘を刺されていたということもあるが、アンリを放っておこうという気はもともとない。
(あれだけまっすぐな気持ちを向けられて、切り捨てるというのはできませんからねぇ)
アンリの気持ちは嬉しい。本気でタマモを想ってくれていることは、素直に嬉しかった。だからといってアンリを受け入れるというわけではない。
むしろそれだけはできない。受け入れることはできなくても、そばにいてもらうことくらいなら問題はないが、その想いを受け入れることはできない。
タマモ自身情けなく思うが、必ず訪れる別れを考えると、尻尾までぶるりと震えそうになる。だから受け入れられない。だが、受け入れずとも汲み取ることはできるのだ。アンリを連れて帰るのはそういう理由だ。
「ふむ。では、転移を」
「……兄上はまだ本調子ではありませんでしょうに」
氷結王は腕を伸ばそうとしたが、その腕を大ババ様が掴んで止めた。大ババ様は氷結王を呆れたように見ていた。
「本調子ではないくせに、「結氷拳」を使ったのですよ?いいところを見せたいのはわかりますが、ご自身の体調くらい理解してくだされ」
「むぅ」
氷結王は不満げな表情を浮かべるも、大ババ様に反論しようとはしていない。口では大ババ様には勝てないと思っているのか、それとも事実を言われたからゆえなのかは判断がつかなかった。
「眷属様を孫娘のように想っておられることはわかりましたが、その孫娘に心配させては元も子もありますまい?」
「それは。だが」
「だがもなにもありません。とにかく兄上は引っ込んでいてください。さきほどまでは半ば死体だったのですから、少し元気になった程度で調子に乗らぬことです」
「……だが、そうなるとタマモを送ることがのぅ」
ちらりと氷結王はタマモを見やる。氷結王自身でタマモを送りたいのだろうが、大ババ様に言われたことが事実であるため、反論できないでいるようだった。
大ババ様もちらりとタマモを見ていた。タマモからもなにか言えということなのだろう。どうしたものかと思いつつも、タマモはひとまずアンリがいることを伝えようとした。
「えっと、氷結王様。お送りしていただけるのは大変光栄なのですけど、ボクには連れがいまして」
「そうですぞ、兄上。眷属様はこの場に嫁を連れておいででしてなぁ。嫁を連れて帰らなくてはならぬのですよ」
「そうそう、嫁が、ってちょっと待──むぎゅぅ!?」
アンリのことを伝えようとしたのだが、そこにまさかの横槍である。いや、ある意味想像できたことかもしれないが、まさかこの状況でそのことを言うとはさすがに想定していなかったタマモは、ややドスの効いた声で大ババ様に食って掛かろうとしたが、それよりも速く大ババ様の尻尾がタマモの口を物理的に塞いだ。
大ババ様の尻尾はタマモの口元どころか、口を中心に頭を一周させる形で口を塞いでくれた。大ババ様は影のかかった邪悪極まりない笑顔を浮かべると好き勝手なことを言い始めた。
「紹介した私が照れるほどに仲がよくてですなぁ。まだ祝言はあげておりませぬが、そうなるのも時間の問題というほどにお似合いなのですよ」
「そうなのか?」
「ええ、それはもう。その者の名はアンリと申しますが、眷属様はアンリを一目見たときから気に入りられましてなぁ。里の中で「アンリの世話になる!」と大々的に仰ったのですよ」
「ほぅ?たしかそれは妖狐にとって」
「ええ、「嫁に来い」という求婚です。それを大々的に眷属様はしてくださりましてねぇ」
扇子で口元を隠しつつ、大ババ様は涙ぐんでいた。だが、タマモには見えた。扇子の内側で大きく歪むその口元がはっきりと見えた。
一言物申したいところなのだが、物理的に口を塞がれているタマモにできるのは唸ることだけである。ご丁寧なことに大ババ様はタマモの口を強制的に閉ざしたうえで塞いでくれているため、一応唸りには入るのだが、できているのは唇を震わせることだけであった。そんなタマモに大ババ様の笑みに拍車がかかる。どのように拍車となるのかは言うまでもない。
「アンリは幼い頃に両親を亡くして、少し年上の兄とふたりっきりで生活をしておりました。当然他よりも貧しかったのですが、その境遇に腐ることなく他者を思いやれるよい娘になってくれました。そのアンリに眷属様は嫁に来いと言ってくれたのです!」
大ババ様は目元を拭いつつも、その口元は弧を描くようにつり上がっていた。これ以上となく邪悪に歪んでいるのだが、言っていることはだいたい合っている。
ただし、タマモは嫁に来いと言ったつもりはなかった。あくまでも世話役になってくれと言いはしたが、嫁に来いとは言っていないのだ。嫁に来いとまでは言ったつもりはなかったのだ。
だが、妖狐のしきたりを知らなかったがために、とんでもないことになってしまった。しかもそれを氷結王にも知られることになってしまった。
「……そうか。苦労した娘を嫁に。さすがはタマモよ」
氷結王もまた涙ぐんでいた。「涙脆いにも程があるでしょう!?」と思うタマモだが、その声は届かない。悪狐と書いて「おきつね」と読む大ババ様によりなにも言えなくされてしまっていた。
「ゆえに眷属様だけを転移させるのは酷というもの。加えてふたりをいっぺんに転移させる力はさすがにいまのご体調では難しいかと思われますが?」
「うむ。たしかにのぅ。一時的にとはいえ、夫婦を別れさせるのは外道を超えて鬼畜の所業よ。わかった。ふーこよ、そなたに任せよう!」
「ご理解いただき光栄です」
大ババ様は扇子を閉じてにこやかに笑った。だが、その笑顔の裏がどういうものなのかは容易にうかがい知れた。
「だが、その前にアンリとやらと会いたいのぅ」
「ええ、もちろん。アンリ!いるのはわかっておるぞ!前に出よ!」
暗がりに向かって大ババ様が叫んだ。数拍置いて、頬を染めたアンリが恐る恐ると姿を現した。氷結王を前にして緊張しているのか、その体は若干震えていた。
「お、お初にお目にかかります。あ、アンリと申しまひゅ!」
震えながら挨拶をする姿は、怯えている小動物のようでなんとも愛らしい。だがなによりも、だ。
(最後の最後で噛むところなんて素晴らしいですねぇ)
そう、最後の最後で噛むところは、タマモ的にはポイントが高い。これが狙ってしているのであれば、「あざとい」としか言いようがない。だが、アンリは素でやっているのだから、素晴らしいの一言である。噛んだアンリとしては恥ずかしいだけだろうが、それはそれでいいと思うタマモだった。
「ほぅ、これはこれは。かなりの器量よしじゃのぅ。うむ、外見は問題なかろう」
アンリの素晴らしさを改めて確認しているタマモをよそに、氷結王はアンリを上から下まで確認するように眺めると、力強く頷いていた。
(まぁ、アンリさんは美少女ですし、見た目を気に入られるのは当然ですね!)
むふぅとなぜか自慢げに胸を張るタマモ。本人的にはこれでも「アンリの気持ちを受け入れる気はない」と豪語しているのだ。端から見れば、「時間の問題だなぁ」としか思われないことは確かであろう。もしくは「新手のツンデレか?」と言われることになるはずだが、そのことを当のタマモはまるで気づいていないのだ。やはり他人のことには目敏くても、自身のことには気づきづらいということなのだろう。
「アンリとやら」
「は、はい!」
「緊張しなくてもよい。そなたはタマモの嫁となるということであるが」
「は、はい。旦那様のおそばに置いていただけることになりました」
「そうか。だが、タマモは「旅人」であるのだ。いつかは別れが訪れることになろう。それでも」
「……それでも構いません。たとえわずかな期間であっても旦那様のおそばに置いていただけるだけで、アンリは幸せですので」
アンリははっきりと言い切った。その目には迷いはない。すでに覚悟の決まった目をしていた。その目の輝きにタマモは少しだけ怯んでしまった。そんなタマモを氷結王は一瞥していたが、すぐに破顔した。
「……わかった。そなたの覚悟はよくわかった。であれば、我から言うことはあるまい。強いて言うならばのぅ」
にやりと。そう、にやりと氷結王は口元を歪めて笑った。その笑顔に嫌な予感を覚えるタマモ。そしてそれは現実のものとなる。
「子は女子からの方が望ましいぞ。女子は育てるのが大変なのでな。ゆえに男子は次の子からの方が望ましく」
「……なに言っているの、フロ爺?」
それまで黙っていたテンゼンが氷結王の一言にそう言った。だが、無理もない。あまりにも唐突な一言だったのだ。当然タマモも大ババ様の尻尾で口を塞がれつつも、同じ事を言っているのだが、悲しいことにその声は届くことはない。
「……え、えっと、旦那様がお子をお望みなのであれば、アンリはいつでも構いません。旦那様とのお子なのであれば、アンリはどちらでも立派に育て上げますけど」
アンリは全身を真っ赤にして俯いた。「反応がいちいちかわいいなぁ!」と若干ずれたことを思いつつももがくタマモ。しかし大ババ様の拘束は解けない。
「ほっほっほっ。なんともまぁ愛らしい娘じゃなぁ。しかも気概もある。うむ。よい嫁であるな。大切にするのじゃぞ」
氷結王は顎ひげをいじりながら笑っていた。それは大ババ様も同じである。
笑っていないのは話の流れを理解できないテンゼンと肩を竦めるようにしてため息を吐くシュトロームに、赤面して俯くアンリ。そして──。
「むがぁぁぁ!(ボクの話を聞いてくださいよぉぉぉぉ!)」
──当事者であるはずなのに置いてけぼりにされているタマモであった。
こうして霊山の夜は徐々に更けていくのだった。
わりと陥落間際であるのに、外堀を埋められてしまうタマちゃんでした。