97話 濡れる星月夜
二日ぶりの更新となります←汗
今回はタマちゃん視点ではありません。
ちょっと物悲しくなる内容となります。まぁ、サブタイの時点でアレですが←
(──うまくいったみたいね)
物陰から様子を伺いながら、リーンはほっと一息を吐いた。
リーンの視線の先には、銀色に輝くおたまとフライパンを手にしたタマモがいた。両手にあるそれらを掲げるタマモ。位置の関係上、どんな顔をしているのかはわからない。見えるのは、タマモの背中だけなのだ。その背中越しから見える中で、特に視線を向けてしまうのは、タマモの持つおたまとフライパンだった。
(……あれが「進化」ですか。以前とは輝きが違いますね)
そう、タマモの持つおたまとフライパンは鈍い色をしていた。
だが、いまは銀色に美しく輝いていた。月と星々の光に染まっているからこそなのだろうが、その輝きを纏う姿は、どこか幻想的であった。実際、その姿に見惚れている者が若干1名いるわけである。
「……お美しいです」
ほぉと感嘆の息を吐く声がすぐ下から聞こえてくる。視線を下げるまでもなく黒みがかった緑色の立ち耳がピコピコと動いている。
「アンリ。邪魔ですよ?」
目の前で動き続ける立ち耳を掴むリーン。叫ばれると面倒なので、耳を掴む際にほぼ同時でアンリの口を覆っている。アンリは掴まれた立ち耳を赤く染めていた。いや、立ち耳だけではなく、全身の肌が淡く染まっている。
しかし、端から見るとなかなかに危ない光景であるのだが、アンリを抑え込むのに集中しているリーンは気づいていない。
(まったく、どこもかしこも成長著しいなぁ!)
リーンが里を出るまでは年齢相応だったはずのアンリだが、いまや身長は抜かされ、体つきは比べることがおこがましいほどの圧倒的な差を見せつけられている。
曾祖母である大ババ様曰く、「リーンは若い頃の私によく似ているが、発育は似ておらんのぅ」という、実にありがたいお言葉を受けていた。正直泣ける。
逆にアンリは「アンリは当然若い頃の私には似ておらんが、発育という面だけを見れば、そっくりじゃなぁ。どこぞの曾孫とは違ってのぅ」と大ババ様にはやはりありがたい一言を受けていた。
現にいまのアンリと見比べると、どちらが年上に見られるのかなんて考えるまでもない。
もちろん、里の住人であればどちらが年上なのかはわかっているだろうが、初対面の相手となれば話は変わる。誰がどう見てもアンリを年上だと思うことだろう。
実際にはアンリの方が年下であることを、初対面で看破するのは難しいだろう。
それほどまでにリーンの記憶の中のアンリといまのアンリとは乖離していた。
(ほんの20年ちょっとでここまでなるとかおかしいよね!)
リーンにとってアンリの成長は不可解としか言いようがない。
ヒューマンの感覚で言えば、ほんの2、3年ほどの月日でここまで成長に格差があるというのは不可解である。
もちろん成長には個人差があるものだが、途中までは同じような食生活だった。若干アンリの方が質素なものを食べてはいたが、せいぜいメインの他に小鉢がひとつあるかないかくらいの差程度ではあった。そのひとつの差が大きいのかもしれない。
ただそれはあくまでもリーンの成長が著しい場合であればだ。
食べるものが多かったものよりも、食べるものが少なくなかったものの方が成長しているというのは、意味がわからない。
アンリの家の食事と言えば、ご飯に味噌汁と漬物、そして冷奴が時折あるかどうかである。基本的には、ご飯に味噌汁と漬物である。明らかに栄養が足りていないというのに、リーンよりも成長しているというのはいったいどういうことなのか。
(たしかに、たしかに私はアルトの街で好き勝手に生活していましたけど!)
リーンの食生活は、朝はパン、昼もパン、夜は麦酒片手に豆腐ないし茹でた枝豆である。
ヒューマンの換算で言えば、リーンは14、5歳相当になるだが、ヒューマンもだいたいそのくらいから飲酒が解禁されるため、ヒューマン換算だろうと実際に生きた月日だろうと、酒を嗜んでもなんら問題はない。
むしろ飲んでいないとやっていられないのだ。なにせ来る日も来る日も仕事仕事仕事なのだ。それもなぜか農業ギルドの受付チーフであるはずなのに、やっていることは農業ギルドのマスターの秘書である。
実際農業ギルドの所属者たちはリーンを秘書官として見ている。が、そもそも農業ギルドには秘書官なんて存在していないのだ。
(秘書官であったら、受付に常駐しているわけないでしょうに!)
だが、所属者たちはリーンを見るたびに「秘書官さん」と呼ぶのだ。たしかに秘書じみた仕事をなぜかさせられてはいる。
だが、秘書官ではないのだ。受付チーフであるのだ。しかし誰も耳を貸してはくれない。
加えてなぜか秘書官みたいな仕事をさせられてしまう。
昨日もタマモに会う前に総本部のお偉方との会合を、あちらの秘書官とのやりとりをさせられていた。その際にお偉方からは「優秀な秘書官がいますね」とお褒めの言葉をいただくことになった。
だが、あくまでも受付チーフであり、秘書官ではないのだと伝えようとしたのだが、そのときには連絡は終わっていた。
すでに総本部からもリーンが秘書官であるという認識になっている。
だというのに、給料は秘書官相当ではない。受付チーフという肩書きはあるが、部下に比べてもそこまで給料は多くない。
せいぜい手取りで20万シルくらい。ボーナスはその分多めにはもらえているが、仕事量相当かと問われると素直に頷けない。
日に日に仕事量は増加するのに、給料は増えないのだ。残業代は増えるかもしれないが、その残業代にしても相応とは言えない。どことなく操作されている気がしてならない。
そんな日々の疲れの影響で、リーンの夕食はもっぱら酒とつまみである。さすがに塩だけで飲めるほどの上級者ではないものの、いまのままでは時間の問題だった。
「むぅ」
「姉様?なぜ、唸っておられているので?」
アンリの耳と口元から手を離して唸り始めるリーン。そんなリーンにアンリは若干肌を染めつつも首を傾げていた。
その仕草はヒューマンで言えば13、4歳という年齢を踏まえても幼さを感じるのに、不思議な色気のようなものがあった。自身には一切ないものだなぁと思うリーン。
(やはりお酒ですか?いやいやいや、お酒は私の燃料なのだから、それを断てということは私に死ねと言っているようなもの!お酒を断つことなどできません!)
くわっとひとりで目を見開きながら、わりと残念なことを思うリーン。幻術でヒューマンに化けているときには、完璧なキャリアウーマンであるリーンといまの残念思考なリーンを同一人物だとは誰も思うまい。
しかし悲しいかな。これが現実である。そしてえてして現実とはそういうものであった。
だが、そんなリーンの内心などわかるわけもないアンリは、なぜか目を見開いているリーンに対して、不思議そうに首を傾げていた。
だが、アンリの視線は徐々にリーンからタマモにと逸れていく。そのことをリーンはアンリを後ろから抱き抱えながら見ていた。端から見ればアンリに後ろから抱きついているようにしか見えなくても、リーンにとってはアンリを後ろから抱き抱えているのだ。賛同を得られることがなかったとしても、抱き抱えていると言ったら、抱き抱えているのだ。
「……あんたはタマモさんが本当に好きだねぇ」
アンリを抱き抱えながらリーンは言った。そんなリーンの言葉にアンリは「……はい」とだけ言った。立ち耳を真っ赤に染めるアンリを見て、リーンは「そっか」とだけ言った。
「人界はいろいろと大変よ?それでも来るの?」
「はい」
「……そう。ならもうなにも言わない。好きにしなさいな」
「はい。ありがとうございます、リーン姉様。それとごめんなさい」
「……あんたがなにを言っているのかわかんない」
「そう、ですか。それでもごめんなさい、と言わせてください」
「そう。じゃあ気にしないでとだけ言っておくよ」
「はい、ありがとうございます。姉様の分まで頑張ります」
「……だからなんのことなのか、わからないってば」
言いながら視界が歪んでいた。
理由はアンリの言うとおりだからだ。特になにかを言った覚えはない。しかしアンリには気づかれていたようだ。
「……私の方が年上なんだけどねぇ。どうにもそういう目では見られないみたいだし」
「……そんなことは」
「あるの。だから私は無理。見た目で判断する人なんてこっちから願い下げだもの」
「旦那様はそんな方では」
「……そうね。でも私は無理。だからあんたはあんたで頑張りな」
滲んでいた目元を拭う。考えても仕方がないのだ。もう終わったことである。いや、アンリが終わらせてくれたのだ。
見る目がそもそも違っていたのだ。アンリをそういう対象にしないようにしている節が「彼女」にはあった。だが、そう思う時点で時間の問題だ。
対してリーンはと言うと、そもそも対象にさえされていない。
勝機など欠片もない。
ゆえにやめる。ただそれだけのことであった。
「……かわいい妹分を泣かせるのは忍びないし」
「アンリは泣きません。もう泣かないのです」
アンリは両手をぎゅっと握りしめていた。握りしめられたアンリの手を眺めつつ、リーンはアンリの頭を胸の中に閉じ込めるように抱き締めた。アンリはもうなにも言わない。だが、それでいい。それでいいのだ。これ以上の言葉など必要ではない。
「頑張ってね、アンリ」
「はい、リーン姉様」
再び滲んだ視界を拭うことはせずに、リーンはアンリを抱き締めた。抱きしめながら、月と星々の光を浴びるタマモをじっと眺めていた。
リーンさんが以前に貰ってくれと言っていましたが、本気だったのです←




