90話 この似た者夫婦!(byリーン
まぶたを開くと見覚えのない梁が見えた。
天井に近づけば近づくほど暗くなっていく。見通しの悪い天井をぼんやりとタマモは眺めていた。
「……ここは?」
タマモは起き上がろうとしたが、なぜかうまく体が動かなかった。というか、お腹の辺りに重みを感じた。なにかがお腹に乗っているようだ。なんだろうと視線を下げると、ぴこぴこと動く緑色の立ち耳が見えた。
「……はぇ?」
すっとんきょうな声を出すと、頭の上から身動ぎする音が聞こえてきた。そのまま視線をあげると前後に動く白い塊が見えた。なんだろうと思いつつ、その塊に触れてみた。
「ん」
触れるとなんとも悩ましそうな声が降ってきた。そして掌に伝わるぬくもりと柔らかさの正体は、マイスターを自認するタマモにははっきりとわかった。
(大きさはそこまでではないものの、弾力に関してはトップクラスですね!なかなかのものをお持ちなのです!いい仕事をしていますね!)
掌から伝わる感触を通して、どれほどのものであるのかを理解するタマモ。感触だけで理解するその無駄にレベルの高い無駄すぎる鑑定能力には、脱帽しかない。
(むぅ。大きさはそこそこですが、この服越しからでもわかる柔らかさは、まさにお餅なのです!たいへん素晴らしいのですよ!)
掌にあるそれをできるだけソフトに握りながら、反ってくる感触を絶賛するタマモ。だが、絶賛するあまりにタマモは現状にはまるで気づいていなかった。
そう、すぐそばから愉悦顔で見つめられていることにタマモはまるで気づいていなかったのだ。
「ふふふ、眷属様はやはり乳が好きなようじゃなぁ」
「はっ!?」
すぐそばから聞こえてくる邪悪そのものな声に慌てるタマモ。しかしすでに時遅しである。
「どうかのぅ?我が一族の娘の味は?」
口元を大きく歪めて笑う大ババ様がそこにはいた。大きく歪められた口元から覗く口の中は炎のように真っ赤である。不思議なことに顔には影がかかって真っ黒にしか見えないからか、口内の鮮やかな赤がより際立って見えてならない。
ただ際立ちはするが、それは邪悪さがより際立つということであり、美しさなどは欠片もない。ただただ邪悪でしかなかった。
「こここここれは違うのです!単なる事故なのですよ!」
「ほぅ?そうか、そうか。では本人に聞いてみようかのぅ。どう思う、アンリよ」
「……ぇ?」
大ババ様が口にした名に、タマモは固まった。恐る恐ると起き上がり、どうにか振り返ると、黒みがかった緑色の瞳とこんにちはだった。起き上がる際に「ゴン!」と大きく鈍い音が響いたが、気にしている余裕はタマモにはなかった。
「ぁぅぅぅ~」
黒みがかった緑色の瞳の持ち主であるアンリは、耳まで真っ赤になっていた。そのアンリの胸元に添えられるようにしてタマモの右手があった。添えられるどころか、ばっちりとアンリの胸をもみくちゃにしているタマモの右手があった。右手はタマモの意思を無視するかのように、自動的に動いていた。まるで右手が自律行動をしているかのようである。
「ふふふ、いくら世話役を任せたとはいえ、祝言前の娘に手をつけたのだから、責任を取って貰わぬといかんなぁ~?」
左右の目をそれぞれに見開いた、大ババ様の邪悪極まりない笑顔が迫る。だが、タマモにはもはや答える気力はない。というよりも自身でわかってしまうほどに涙目となっていた。それは現在進行形で胸をもみくちゃにされているアンリもそうである。
いくらタマモを「旦那様」と呼んだとしても、いきなりこんなことをされるとは思ってもいなかったことだろう。アンリの兄であるアントンにより、玉のようにかわいがられて育ってきたであろうアンリにはタマモの右手の行いは刺激的にすぎたのだろう。
もっともそれまでの体勢的に考えれば、丈の短い袴で膝枕をしていたというアンリもアンリな気がしてならないのだが、いまはそういうことを言っている場合ではないことはタマモとて理解している。
「あの、これはですね」
「……こ、こういうことは、あの、せめて、その、新枕の際じゃないといけないと思うのです。いえ、あの、旦那様が、お求めとあらせられるのであれば、アンリはその!」
耳どころか全身を火照らせたように真っ赤になるアンリ。そんなアンリを見て茹でダコというのはこういうことなのかもしれないと現実逃避するタマモ。
そんなタマモに追い打ちが掛けられた。
「……やはりあなたはそういう子だったんですね。幻滅ですよ、タマモさん」
お腹の辺りからとても低く、冷たい声が聞こえてきた。まさかと思いながら、タマモは視線を下げると、今回は見覚えのある緑色の瞳とこんにちはだった。
もっと言えば、頭の上にたんこぶができているリーンがとても冷たい目でタマモを見つめていた。いや、もはや睨んでいるという方が近いだろう。が、涙目になっていることで迫力は皆無である。むしろかわいらしいと言えるレベルであった。しかしどんなにかわいらしくてもにらまれていることは変わらなかった。
「あ、えっと、これは違うのですよ?」
「どう違うと言うのですか?アンリを手垢で汚すなんて!まだ祝言もしていない子に手を出されたことのなにが違うと仰るのですか!?」
リーンはたんこぶを作ったまま、タマモに迫る。その姿はかわいらしいものの、先ほどにはなかったはずの迫力のあるものだった。さながら怒り狂う小動物というところだろうか。
「あ、あの、リーン姉様。もうその辺りで」
「あなたは黙っていなさい!」
「で、でも、アンリは、旦那様のものですから。旦那様がお求めであれば、新枕でなくても構わないかなぁと。きちんとした手順を踏まれてからが一番いいのはわかりますけど、でも、旦那様がアンリをお求めであられるのであれば、アンリとしてはこの身を捧げることは吝かではなくですね」
全身を真っ赤に染めつつ、涙目になって捲し立てるアンリ。思わぬアンリの一言に言葉を失うタマモ。だが、アンリは百面相と言っても過言ではないほどに次々に表情を変えていく。……大半は泣き顔であるのだが、それもまた愛らしいとタマモには思えた。が、それを言える状況ではなかった。
「お、落ち着きましょう、アンリさん!」
タマモはアンリと向かい合うようにして座り込む。その際、タマモのお腹にしがみついているリーンが下敷きになるもタマモの目にはもはやリーンは映っていなかった。
「あ、アンリとお呼びください!」
アンリはアンリでタマモからの「さん呼び」が気に入らないようで、やはりタマモと向かい合うようにして座り込んだ。その際アンリの膝がリーンの鼻頭にクリーンヒットするのだが、アンリもすでにタマモしか見ていない。
ある意味似た者夫婦であった。結婚どころか籍を入れてもいないのだが。
だが、そんなことはお構いなしにふたりは真剣である。たとえタマモの右手が自律的にアンリの胸をもみくちゃにし、アンリはアンリで指摘することがおかしかったとしても、このふたりは真剣であった。
そんなタマモとアンリの陰でリーンは痛みに苛まされているのだが、ふたりの目には映らない。ただひとり映っている大ババ様は爆笑していた。が、いつまでもふたりの世界でいられるわけもない。
「い、いい加減にしなさい、この似た者夫婦ーっ!」
リーンの叫びが、涙目かつ鼻血を流したリーンの叫びがこだますることになった。その言葉でタマモは慌て、アンリはまた顔を真っ赤にするのだが、それはまた別の話となる。




