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84話 たた、そばにいられるだけで

今日は正午に更新です。

わりとざっくりとですが、豆腐作りです。

「さて、次はこの生呉を火にかけるぞ」


大ババ様の指示のもと、タマモは油あげの元となる豆腐作りに勤しんでいた。


豆腐の元となる生呉は、アンリの協力のもと出来上がった。


そのアンリは現在机に上半身を突っ伏していた。タマモの「三尾」に対抗するために、力をすべて使いきったようである。


「やれやれ、アンリはもう使い物にならぬのぅ。まぁ、ここからはひとりでできることではあるのだが」


アンリの姿に大ババ様はため息を吐いていたが、言葉のわりにはその眼差しは穏やかだった。アンリへのわかりづらい気遣いを感じられた。


「眷属様。いまならアンリを後ろから襲えるぞ?」


アンリに聞こえそうな声で内緒話をするように手で口元を隠す大ババ様。


だが、タマモは「そういうのはいいんで」とピシャリと切り捨てた。その返答に「つまらぬなぁ」と唇を尖らせつつ、大ババ様はかまどの方へと向かっていく。タマモはすり鉢を手に大ババ様の後を追いかけた。


「次は湯を沸かす。沸騰した湯に生呉を入れて茹でていくのじゃ」


「直接火に掛けはしないのですか?」


「そうすると焦げてしまうのでな。ゆえに湯に入れて茹でていく。ちなみにその際に鍋底につかぬよう、ヘラでかき回すのじゃ」


大ババ様はどこからともなく、大きめの鍋を取り出すとかまどの上に置いた。それから近くにある壺の蓋をどけると柄杓で掬っては鍋の中に水を張った。


「さて、狐火はできるな?」


「はい、もちろん」


「よい返事じゃと言いたいところだが、眷属様のやり方では時間が掛かる。ゆえに簡単な方法を教えておく」


「簡単な方法?」


「やり方は単純よ。人差し指と中指に親指を擦らせるだけじゃ。だが、きちんと想像しなければならぬ。指を擦らせて火を出す光景を頭の中で思い浮かべるのじゃ。なかなかに難しいが、やれるようになれれば──」


「──こうですね」


──パチン。


籠ってはいるが、軽い音が響く。同時にかまどの中でゴウゴウと燃え盛る炎が現れた。


「へぇ。たしかにこれならいちいち集中しなくてもいいですし、楽ですねぇ」


いままで狐火を使うときは、だいぶ集中させられいたが、これなら指を鳴らすだけでいい。かなりお手軽であるし、火力も申し分もないようだった。タマモは鼻歌混じりに「三尾」を揺らした。


「……はぁ、たまげたのぅ。説明しただけでできるとはなぁ」


大ババ様はタマモが一発で火を熾したことに目を剥いて驚いていた。がタマモからしたらそんなに驚くことではない。


(某大佐や某美食家を思い浮かべればいいだけなのです)


タマモが思い浮かべたキャラクターは、それぞれに別作品であるが、どちらも好きな作品であるため、指を鳴らして火を熾すのは容易に想像できたのだ。オタク趣味の勝利というところだろう。


「まぁ、手間は省けたな。では、その狐火を操作してお湯にするのじゃ」


「はい」


タマモは火にと手を向けて、火力を上げた。家庭用のコンロが目ではないほどに火の勢いは強く、鍋の中の水は瞬く間にお湯になった。


「よし。では生呉を投入するのじゃ。かき回すことを忘れずにな?」


いまにも煮えたぎりそうなお湯の中に生呉を投入するタマモ。投入してすぐにヘラで鍋の中をかき回していく。


「火加減を調節して、ゆっくりと沸騰させておくれ。沸騰したら泡で盛り上がるので、そうしたら火を止めよ。鍋の中が落ち着いたらもう一度火に掛けよ。だいたい10分ほどは煮込むとよいぞ」


はい、と返事をしながらタマモはヘラで鍋の中をかき回していく。


生呉が投入されたことで、温度が下がった鍋の中は徐々に温度を取り戻し沸騰していく。鍋の縁を超えそうなほどにこんもりとした泡が吹き上がった。


「よし、火を止めよ」


タマモは狐火を止めた。狐火を止めて鍋の泡はこんもりとしていた。


「泡は直に治まる。治まったらまた火を掛けるのじゃ。吹き上がりに注意しながら甘い匂いがし始めるまで煮ていくのじゃ」


さきほども説明されたことだが、こうして目の当たりにすると、さっきも聞きましたなどとは言えなかった。タマモはただ「はい」と頷いてから泡が治まるのを待った。


ほどなくして泡は治まった。タマモは狐火でかまどに火を点けると、今度はゆっくりと煮込んだ。


鍋の中はグツグツと煮込まれていくが、先程のように吹き上がらないように注意を払って狐火を操作していく。


やがてホットミルクのような、だが、少し異なる匂いが炊事場に広がった。そこで大ババ様は「火を止めよ」と指示を出した。タマモは言われるがままに火を止めた。


「次はいよいよ、絞るぞ。濾すための袋に入れるのじゃ。その際、桶を下に置くのを忘れぬようにせよ。あと熱いから火傷に注意じゃ」


「濾してもその濾したものを受け止めるものがないとダメですもんね」


「その通りじゃ。まぁ、濾しきった残りかすも利用できなくはないが、油あげには向かぬ。使うのは濾した乳のようなものじゃ」


「はい」


タマモは最初に大豆を浸けていた桶とは別の桶を置くと、大ババ様に渡された濾すための袋の中に鍋の中身を注いでいく。注ぐだけで十分すぎるほどに熱いが、ここで手を離したら水の泡である。


熱さと戦いながら、鍋の中身を袋の中に注ぎ込むと間髪入れずに袋を絞っていく。ボタボタと袋の中の水分がこぼれ落ちていく。


「熱いだろうが、頑張るのじゃ」


「……はいっ!」


タマモは唇を真一文字に結んで袋の中身を絞っていった。

ほどなくして袋の中身から水分がでなくなった。


袋の中を見ると絞り尽くされたかすが残っていた。


(これがおからで、下に溜まっているのが豆乳ですね。実際に作るのははじめですけど、感慨深いのです)


おからも豆乳も現実では見慣れたものだが、こうして手作りするとなんとも感慨深いものがあった。


「よし、次はその乳をこのにがりと一緒にまた煮込むぞ」


「沸騰させない方がいいんでしたっけ?」


「あぁ。沸騰しない程度に温めるのじゃ。そのときにこのにがりを入れる。ただし直接ではなく、ぬるま湯に混ぜたものをだがのぅ」


「?直接はダメなんですか?」


「うむ。豆腐は、この乳の温度がものを言うのじゃ。低すぎてもダメ。高すぎてもダメでのぅ。ゆえに温度が下がりすぎない程度のぬるま湯に入れるとよい。まぁ、にがり自身が苦いゆえに薄めるというのもあるがな」


「なるほど」


食卓に当たり前にある豆腐。その作り方は、細心の注意を払うもののようだ。


(お豆腐屋さんは偉大ですねぇ)


しみじみとお豆腐屋さんの苦労を感じつつ、タマモは大ババ様の指示通りに豆乳を鍋で温めていく。同時に別の鍋を使ってぬるめに温めたお湯の中ににがりを入れて、そのにがりと混ざったお湯を温めた豆乳の中に少量注いでいく。


「次は数回ほどかき混ぜたら、しばらく放置じゃ。全体が固まったら布を敷いた型に流し込め」


「……はい」


「どうしたかえ?」


大ババ様の指示が聞こえたが、すぐに返事ができなかった。


というのもログイン限界が訪れたからである。警告音が頭の中で鳴り響いていく。


「……すいません。どうにも眠気が」


「あぁ、そう言えばそうか。眷属様は「旅人」であったのぅ。となれば、活動できる限界があったのぅ」


「はい。それがいまみたいで」


まぶたが重い。ログイン限界がおとずれたことで、強制ログアウトの警告が出ていた。強制ログアウトと言ってもなにかしらのペナルティーがあるわけではなく、ただ強制的に現実に戻されるだけのことである。


だが、あと少しというところでログイン限界になるというのは実に悔しい。


「あと、少しなのに」


まぶたを開いているのが辛い。まぶたがひどく重たかった。


「ふむ。あと少しなんだがのぅ。その様子では抗えそうになさそうじゃな?」


「はい」


返事をするのもすでに億劫だった。タマモは体を前後にふらつかせていた。


「そうか。では続きは」


「アンリにお任せを!」


不意にアンリの声が聞こえた。同時にタマモは後ろからそっと抱き締められた。顔だけを向けるとにこやかに笑うアンリと目があった。


「……あんり、さん?」


「アンリでよろしいですよ」


「……でも」


「アンリです」


クスクスと楽しげに笑うアンリ。が、すぐに表情を真剣なものに変えた。


「ここから先はアンリにお任せください。無事立派なお豆腐を作りあげます」


「……だけど、これはボクが」


「いいのです。アンリは少しでも旦那様のお役にたちたいのです。たとえ旦那様からのご寵愛をいいただけなくても、あなたのために動きたいのです」


タマモはなんて返事をしていいのかわからなくなった。


(考えていたことを読まれていた?)


アンリが言ったことは、結果的に言えばタマモが考えていたことそのものだった。まさかその内容を読まれていたとは思っていなかったタマモは、言葉を失った。そんなタマモにアンリはそれまでと変わらない笑顔を向けていた。


「……旦那様には旦那様のご事情があることは、アンリは理解しております。そのご事情ゆえにご寵愛をいただけないこともまた。それでもアンリは旦那様のお世話をしたいのです。見返りはなにもいりません。ただおそばに置いていただけるだけでアンリは幸せですから」


アンリはまた笑った。その言葉が嘘ではない証拠に、アンリの尻尾はパタパタと緩やかに振られていた。


アンリの気持ちはタマモが想っていたよりもはるかに大きく深かった。が、アンリを愛おしくは思えない。愛おしくは思えないが、申し訳なさは十分すぎるほどにわき起こっていた。


だが、言葉にすることはできない。もうまぶたを開いていられないのだ。


それでもわずかな単語を口にすることはできた。


「おねがい、します」


「はい、お任せください、旦那様」


うっすらと開いていたまぶたから覗けたアンリの表情は、満面の笑みだった。


かわいいとか愛おしいという感情よりも、ただただ申し訳なさだけが先だった。


だが、それを口にすることはできなかった。口にできないまま、タマモはそっとまぶたを閉じた。


「よい夢を、旦那様」


アンリの声が聞こえた。だが、その言葉を聞き取ることはできず、タマモは微睡みの中にと落ちていった。

あと少しというところで、時間切れとなりました。

次回は現実ですね。


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