68話 お酢も手に入れた!
またまた遅くなりました。
時間が安定しませんねぇ←ため息
「妖狐」
ほのかに冷たいなにかが服越しに触れていた。
冷たくはあるが、背筋が震えるほどに冷たいわけではない。
むしろほのかに冷たいことがかえって心地よかった。
その心地よさの中でタマモはゆっくりとまぶたを開いた。
「起きたか」
まぶたを開くと、見覚えのある縦線と横線で描かれた落書きフェイスがあった。
「……しゅとろーむさん?」
舌っ足らずな口調で、目の前にいるシュトロームを見やると、シュトロームはほっと息を吐いた。
「テンゼンを送り届けて戻ってくれば、そなたが倒れていたのだ。心配したぞ」
「倒れていた?」
「なんだ、それさえも覚えておらぬのか?」
呆れたというよりも、心配の方が勝っている様子でシュトロームは、タマモの顔を覗き込む。
とはいえ、いくら覗き込まれようとも特になんともない。なんともないが、シュトロームを心配させてしまったことは、たしかのようだった。
「むにゅ。心配をおかけしました」
起き上がるとタマモは頭を下げた。同時にぽろりとなにかが落ちた。
「ほぇ?」と首を傾げつつ、落ちたそれを拾い上げると、細長い筒のようなものがあった。
「……煙管です?」
それはどこかで見覚えがあるような煙管だった。
吸い口から火皿に至るまでがくすんだ金色で、火皿もやはりくすんでいたが銀色である。
もとはそれなりに派手なものだったのだろう。胴には狐の模様が刻み込まれていて少しだけかわいげもある。
「ん~。ちょっと派手なのです」
くすんだ金と銀色の煙管はわりと渋めだが、タマモの趣味とは少し異なる。いまの色合いはなかなかに趣深い。が、それでも少々派手だ。
「ん~?「石州」とは違うみたいですね」
タマモの言う「石州」とは、煙管の種類だ。
羅于と呼ばれる竹の柄を吸い口と火皿の間に挟む「石州」というものが一般的ではあるが、タマモが手にしたそれは「延べ煙管」と呼ばれる全体が金属でできたものだった。
その金属製の煙管がなぜこんなところにあるのやら。
「……妖狐、それをどこで?」
シュトロームが言う。タマモは「わからないのです」と言おうとしたが、タマモを見つめるシュトロームを見て止まった。
「それは我が君の母君の持ち物なのだ」
シュトロームは泣いていた。涙ながらに氷結王の母親の持ち物がその煙管だと言った。
「氷結王様のお母さんの?」
「うむ。いわば形見であるのだが、いったいどこで?それは消失したはずだったのだが」
「……わからないのです。気づいたらありました」
シュトロームは形見の煙管について知りたがっていたが、タマモにもなぜそんなものを持っていたのかはわからない。わからないが、覚えがあるのだ。
「……うろ覚えなのですけど、これを吸っていた誰かと話をしていた気がするのです」
思い出せないことなのだが、この煙管を吸った誰かと楽しく話をしていた記憶がタマモにはあった。その誰かが誰なのかはわからない。
ただ大切ななにかを告げられたという覚えはあるのだ。そのなにかがなんであるのかもまたよく覚えてはいないのだが。
「……誰か、か。少なくとも我は見ておらぬな」
「そう、ですか」
誰かはわからない。だが、とても優しい人だったことと、タマモを深く愛してくれていることは覚えていた。
「……お母様みたいな人でした」
顔も名前さえも覚えていない。だが、その深い愛情だけははっきりと覚えていた。膝枕をしてくれて、頭も撫でてくれた。そのぬくもりと感触ははっきりとわかるのに、顔と名前はまるでわからなかった。
その深い愛情は母親のそれを想わせてくれた。
タマモの実母は、会おうと思えばすぐに会える。むしろいまこうしてゲームしているときもすぐそばで寝転んでいる可能性とてある。
いろいろと詳細不明なところもある母ではあるが、タマモへと向けてくれる気持ちは本物だった。心の底から母はタマモを愛してくれている。……その愛情に報いることができないのが、なんとも心苦しい。それは少し前まで話していた「誰か」にも通ずる。
「……誰だったんだろう?」
いくら考えも思い出せない。その声も。その顔も。そのやりとりさえも。「誰か」に繋がるヒントとなるものはなにひとつ思い出せなかった。
「……まぁ、そのうち思い出すこともあろう。それよりも妖狐よ」
「はい?」
「そろそろ中に入ろうか?」
「ほぇ?」
シュトロームが体の一部を変形させて、タマモの背後を指差していた。なんのことを言っているんだろうと振り返ると、そこには鉄製らしき両開きの扉があった。左右の扉には二頭のドラゴンが、青と赤の二頭のドラゴンがそれぞれ描かれていた。
「この青いドラゴンって氷結王様ですか?」
左側の扉に描かれた青いドラゴンは、いまよりもだいぶ若いが氷結王そっくりだった。
「よくわかったな。それは我が君のお若い頃のお姿だよ」
シュトロームはそう言って扉をゆっくりと開けていく。
タマモは煙管をインベントリにしまいこみながら、開いた扉の向こう側にと足を踏み入れた。
扉の向こう側はやはり薄暗くはあるが、部屋のところどころに燭台が掛けられていた。
「妖狐よ。火を頼む」
「火、ですか?」
「うむ。妖狐であれば、「狐火」を使えるだろう?」
「えっと」
たしかに「狐火」と言うと、妖狐にはつきものの能力ではあるが、いまのところタマモは「狐火」が使えない。レベルが上がればそのうち使えるようになるのだろうが、いまはまだ使えなかった。
「……もしや使えぬのか?」
「修行不足でして」
「いや、修行うんぬん関係なく、「狐火」は使えるはずだ。単純にそなたが「まだ使えない」と思い込んでいるだけだ。できないとは思うな。できると信じて目を閉じよ。枷を外せ。その心の中にある「炎」を熾せ」
「……炎を」
「そう、熾すのだ」
シュトロームの言うとおりにタマモはまぶたを閉じた。
(できないと思い込むのではなく、できると思うですか)
そんなことでできれば、苦労はしないと言いたかったが、自然とシュトロームの言葉を信じて、タマモは炎を思い浮かべた。
猛々しい炎ではない。炎となる前の種火。いまはまだ小さくてもたしかな火の塊をタマモは思い浮かべていた。
同時にゴトリと重たいなにかが動く音が聞こえた。その音が聞こえるとタマモの体はひとりでに動き、掌を虚空に向けて呟いた。
「……熾ろ、狐火」
ボッという小さな音が聞こえた。まぶたを開くとそこには小さなものだが、赤い炎が灯っていた。
「ふむ。できたようだな」
シュトロームは満足げに頷いていた。タマモは返事を忘れて掌にある赤い炎を見つめていた。
「では、それを灯してくれ。どれがそなたの言う「ス」というものなのかまではわからぬのだ」
シュトロームが燭台を指差すことでタマモは「は、はい」とようやく返事をした。慌てて燭台に火を灯すと、薄暗い貯蔵庫の中が明るくなっていく。
貯蔵庫の中は酒甕がそこら中に無造作に置かれていた。中にはシュトロームの言っていたように野菜が浸かっている甕もあった。
その野菜は天井から吊り下げられていた野菜の一部が落下したようである。
甕の周りにはいくつかの野菜が散乱していた。
ひとまず野菜が浸かっている甕の液体を指でひと掬いして舐め取った。
「~!酸っぱいのです!」
間違いなく酒ではなく、酢であった。もとは酒だったのだろうが、酢に変化したようだ。本来の米酢は酒粕から作るのだが、その辺りはなぁなぁで済ませたのかもしれない。
「……と、とりあえずこの子はお酢なのです。もらってもいいですか?」
「あぁ、もちろんだ」
シュトロームが頷くのを見てからタマモはありがとうございますとお礼を言った。
その後、すべての酒甕を確認し、酒ではなく酢になったものはすべて貰うことになった。酒から酢になったものは、全体から見るとせいぜい1割にも満たなかった。
だが、それでも酒甕一杯の酢を複数手に入れることはできたのだ。
「これでお酢も手に入りましたよぉ!」
タマモは右手を頭上に掲げながら元気よく叫ぶのだった。
こうしてタマモは大量のお酢を手に入れたのだった。




