63話 絶対的になるな
「ここですか」
「うむ」
氷結王の貯蔵庫は、氷結王が住む頂きへと続く坂道のちょうど麓にあった。
麓と言ってもタマモたちが登った坂道の裏側──現在のタマモたちがいる霊山の北側にある大きな口を開けているかのような、岩と岩の裂け目が長い時間を掛けて大きく深くなっていったような洞窟であった。
氷結王に会ったときには見なかったのも無理もない。大きな口を開けているような外観であっても坂道のある南側からでは、どうあっても確認できない位置にあるうえに、貯蔵庫のすぐそばまで森が迫っているため、上から見て気づくということもできそうにはない。
「これじゃわからないのも無理はないのですよ」
「客人に生活面を見せるわけにはいかぬのでな」
シュトロームは苦笑いしながら言っていた。いまの発言はシュトローム自身の考えによるものなのか、それとも氷結王のものなのか。はたまたふたりの同意によるものなのか。いろんな意味で判断がつかなかった。
「入ってもいいのですか?」
「うむ。我が君には我が許せば誰でも入れていいと言われているのでな。それにそなたらであれば我が君も頷かれることだろう。……生活面を見せるようで多少はためらわれるだろうが、構わぬさ」
ふふふ、とおかしそうに笑うシュトローム。シュトロームは氷結王を主として立ててはいるが、その一方でいい意味での気安さを向けてもいるようだった。
「……シュトロームさんにとって、氷結王様はどういう存在なのですか?」
「いきなりだな?」
「気を悪くされたらごめんなさい。でも気になったので」
「いや、謝らずともよい。我のあの方への態度があまりにも気安く感じられたのだろうしな?」
シュトロームはまた笑った。笑いながらもどこか寂しそうでもあった。
「……我にとってあの方は、父であり兄でもある。我はあの方の魔力から産み出された存在だ。そしてあの方と同じようにあの方の母君と姉君に育ててもらった。ゆえに父であり、兄でもあるのだ。だが、同時に我とあの方の関係は主従であるのだ。たとえ我自身が父とも兄とも思っていようとも、その絶対的な関係だけは決して変わらぬのだよ」
シュトロームは頂きを見上げていた。頂きを、氷結王が座す頂きを見つめるその眼差しは、とても尊いものを見ているかのようだった。それこそ神聖なものを見ているかのような、敬虔さを感じられた。
だが、敬虔さとともに歯がゆいなにかをタマモは感じた。
しかしそのことを口にするのは憚れた。
口にしていいとも思えなかったし、シュトローム自身がそのことを口にされるのを嫌がりそうだとも思ったのだ。
「シュトロームさんは大人ですね」
「まぁ、これでもそなたよりは長く生きておるのでな。……ゆえにひとつだけアドバイスだ」
「アドバイス?」
「うむ。どんなことにも言えようが、己自身がどう想おうともそれはなかなか伝わらぬ。己の気持ちを絶対的にするな。己が絶対的なものだとは思うな。絶対的というものは存在しないのだ」
「存在しない」
「……仮に存在したとしても、それはとても寂しく悲しいことだ。自分が誰よりも優れていると嘯くことに何の意味がある?そんなものには何の意味もないし、とてもつまらぬことだ。なによりもなにかあったとき、困ったことやひとりではどうしようもないときに、手を貸してくれる者がいなかったら、それだけで詰みであろう?」
「それは、そうですね」
「妖狐よ。そなたはそうなるな」
「え」
「そなたは絶対的になってはならぬ。そんなものはただつまらなくて、寂しいだけだ。絶対的になどならなくてもよい。誰からも愛され、そして誰をも愛せるような存在になれ。そういう存在こそが最も強く、そして最後には必ず勝つのだ、と我は思う。他者を傷つけるためではなく、他者を救うためにその力を振るえ」
シュトロームはそう言って笑った。その笑顔にその言葉になんて言えばいいのか、タマモにはわからなかった。
「さて、長話もなんだ。目的のものを取りに行こうか」
シュトロームは短く笑うと、跳び跳ねながら貯蔵庫の中に入っていく。タマモたちはその後に続いた。
シュトロームが語った「絶対的になるな」という言葉を噛みしめつつ、暗く長い貯蔵庫を進んで行った。
このときシュトロームが語った言葉は、後にタマモの人生に大きな影響を与えることになったが、そのことをこのときのタマモが知るよしもなく、タマモはシュトロームの後を追い掛けながら、シュトロームの言葉について考えていたのだった。




