35話 1日の始まりとメイドさん
──コンコンコン。
ノックの音が聞こえてきた。
その音にまりもはまぶたを開いた。
「……んぁ。朝、ですか」
まぶたを開けると、見慣れた部屋の天井があった。
ぼんやりと天井を眺めつつ、よっこいしょっと口にして、まりもは起き上がる。
「んぅ~。体がごきごきしますねぇ」
軽く体を伸ばすと、ゴキィっというわりといい音が鳴ってくれた。が、寝起きは大抵そんなものだ。一晩で凝り固まった体を動かしつつ、コンコンコンと規則正しいノックをされているドアへと近寄っていく。
壁に掛けてある時計の針は朝の7時を指し示していた。莉亜が来る時間にしてはいくらか早すぎる。
かと言って早苗であれば、わざわざノックで起こそうとはしない。ノックはするだろうが、それは入室の合図のためのものであり、ノックだけでまりもを起こそうと考える早苗ではなかった。
となると、このノックの主は早苗ではないということだった。
(ん~?お母様ですかねぇ~?でもお母様なら、ベッドに潜り込んで寝るでしょうから違いますし)
頭を掻きつつ、ノックの主が誰であるのかを考えていくまりも。まりもの母である玉森夫人は、朝起きたらまりもと同じベッドで寝ているということが稀にあるのだ。
それもちゃんと内側から鍵を掛けていたとしても、翌日には同じベッドで寝ていたということが稀にあった。
そしてその稀にある光景を早苗が目撃した場合、玉森夫人と早苗は第2応接室へと籠ることになるが、その理由はいまいちわからない。
ただ、父曰く「知らない方がいいこともある」ということなのだから、母にせよ、早苗にせよ、まりもに事情を知られたくないということは間違いなさそうだった。
ゆえにまりもは第2応接室にて母と早苗がなにをしているのかはあえて気にしないことにしている。
その母も早苗もノックでまりもを起こすということは、いままでほとんどしていない。過去に何度かあったように思うが、ふたりがまりもを起こす方法は基本的には接触しながらものとなっている。それは昔もいまもそしてこれからも変わることはないだろう。
だからこそ、誰がノックをしているのかが気になった。
(テンゼンさんが「些細なことでも気に掛けるようにすることはオススメしておくよ」と言っていましたからねぇ)
誰が起こしに来たのかということは、正直どうでもいいことではあった。
が、「死の山」で再会したテンゼンに、些細な違いにもきちんと気に掛けることは大切だと言われていた。
それを言ったときのテンゼンは、シュトロームとガチの喧嘩をしていたのは、とても印象的だった。が、いまはおいておこう。いま大事なのは、ノックだけでまりもを起こそうとしているのは誰なのかということだった。
が、あいにくと見当がつかない。おそらくはメイドたちの誰かなのだろうが、その誰かが誰であるのかまではまりももわからなかった。わからないまま、ドアノブに手を掛けた。
「ふぁい。どなたですか?」
ドアを開くとやや小柄な体格の栗色の髪をしたまぶたを閉じたメイドが、実際には糸目のメイドが立っていた。
栗色の髪はセミロングで、後頭部あたりで纏め上げられており、後ろから見ると真っ白なうなじがほどよく見えている。
早苗とは違い、スレンダーな体型だが、莉亜よりもはるかに大きい。が玉森家のメイドたちの平均よりも控えめだ。あえてなにがとは言わないが。
「おはようございます、まりもお嬢様」
「おはようございます、藍那さん」
朝の挨拶を栗色の髪をしたメイドこと藍那と交わすと、藍那は静かにカーテンシーをしてくれた。その所作には無駄が見受けられなかった。
「藍那さんが起こしに来てくれるのは珍しいですね。早苗さんはどうされたんですか?」
「はい。早苗お姉様は現在奥様と第2応接室へ籠られております。少し長くなるだろうかということで、不肖この藍那が早苗お姉様に代わってお嬢様のお世話をさせていただきに参りました」
「朝からですかぁ」
「はい。朝からでございます」
藍那は静かに頷いていた。相変わらずまぶたは閉じられたままであり、早苗とは違い、表情の変化はほとんどない。
ただ早苗の話題になると、少しだけ表情が緩むのだ。その証拠に普段閉じられたままのまぶたが開き、いくらか薄めの茶色の瞳が露になる。そのときの藍那の表情はとてもかわいらしい。
(早苗さんはほんわか美人さんですけど、藍那さんはクールビューティー。クールビューティーの緩んだ表情なんてごちそうなのです!)
ほんわか美人の早苗とクールビューティーな藍那。どちらがよくて、どちらがダメとかは言うつもりはない。
むしろどちらもまりもにとっては、どストレートなのである。ゆえに上も下もない。
惜しむらくは藍那は、まりも付きのメイドではないため、頻繁に会えないということである。
(でも今日は朝から藍那さんの緩んだ表情を見られたのですし、今日はいいことがありそうですね)
まりもにとっては、レアキャラな藍那と朝から会えたうえに、緩んだ表情を見られたのだ。実年齢はまりもよりも3、4歳ほど年上なのだが、緩んだ藍那の表情はとてもかわいい。その表情を朝から見られたことでなんとなくだが、今日はいいことがありそうだと思えるのだ。
「それではお嬢様。お召し物を替えさせていただいても?」
「構わないですよぉ」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
藍那は静かに一礼をする。その所作は早苗に次いで美しくある。
それもそのはず藍那は玉森家メイド隊の副長であるのだ。
副長でありつつ、早苗をお姉様と呼び慕っている。早苗曰く藍那は妹ということになるらしい。
いわば名実ともに早苗の補佐役を勤めており、早苗が多忙の場合は藍那がまりもの世話をすることもある。が、今回のように朝から世話をしてくれることはいままで一度もなかった。
「藍那さん」
「なにか?」
「早苗さんとお母様になにかあったんですか?」
「……まぁ、いろいろとありましたというところでございましょうか」
「ほぇ?」
「気になさらないでいただけると、お姉様も喜ばれます、とだけ藍那からはお伝えいたします」
「よくわからないですが、わかりました」
「いえ、お気になさらずに。では、本日のお召し物ですが──」
藍那は慣れた様子でクローゼットを開けて、今日のまりもの服を選び始めた。服を選ぶ藍那を後ろから眺めつつ、「なにがあったんだろうなぁ」とあくびを掻くまりもだった。
その後藍那の選んだ私服を着てダイニングに向かうと、ニコニコと迫力のある笑顔を浮かべた母と早苗が向かい合っていたのだが、それはまた別の話となる。
こうしてまりもの1日は今日も始まった。




