134話 「蒼天」を掲げるとき・前編
タマモが泣きじゃくっていた。
その姿は相変わらずだな、とアッシリアには思えていた。アッシリアにしてみれば、いまのタマモの姿は普段のまりもの姿となんら変わらなかった。
むしろこれでこそのまりもだとアッシリアには思えていた。
(本当にあんたらしいよ、まりも)
優勝していないというのに、惜しみのない拍手はまるでタマモが優勝したようにしか思えない。実際は本戦の2回戦で敗退しているというのにも関わらず、だ。
「ふふふ、まるで優勝者のようですなぁ」
デューカスが笑っていた。普段通りの笑みではあるのだが、その表情はどこか微笑ましいものを見ているかのように思える。だが、その言葉とその笑みにはアッシリアも頷けた。
「……「宵空」殿もそういう表情を浮かべるのですね?」
「「明空」殿はずいぶんとお人が悪いですな。私とて人の子です。……あのような純粋な涙を見て邪推なことは言いませんぞ?」
「左様ですか」
「ええ」
デューカスと意見が合う。想像もしていなかったことがこの「武闘大会」ではよく起きていた。だが、それも悪くはないと思えるのは、タマモの人柄ゆえのものなのだろうか。それとも少しはデューカスとの距離が縮まったということなのかはわからない。
だが、少なくともタマモの泣き顔を見て邪推なことを言うつもりはない、と意見が一致したことには変わらないのだ。ならそれでいい。いや、それがいいのだ。
「……本音を言えば、少しは邪推なことを言いたいところではあるのですがね?」
「……いままでの流れをぶち壊しはやめてくださいません?」
少し褒めようとしたらこれだ。本当にデューカスは空気が読めないプレイヤーだった。いや、それが彼の持ち味と言えばそれまでなのかもしれないが、少しは空気を読んでほしいものだった。
「いやいや、先ほども言いましたが、言うつもりはありませんよ。あくまでもあえて本音を言えば、です。ですが、あの子の涙はとても純粋ですな。その涙を見ていたら、そんな気持ちはそがれてしまいましたよ。それに」
「それに?」
「……ずいぶんと苦労していたと見えますからなぁ。嬉しいことはたしかでしょうが、それでもそれだけではあそこまで泣きじゃくることはありますまい。それが泣きじゃくるということは、です。彼女はこのゲームがリリースしてからほとんど誰にも認められてこなかったのではないでしょうか? もしくは認められるような功績などほとんどなかったのではないでしょうか? あったのはただ挫折と苦しみだけだった。だが、その挫折と苦しみの果てにいまがある。だからこその涙。ゆえに誰もが彼女を讃えずにはいられない。この拍手はそういった拍手だと私は思いますよ」
デューカスの笑顔が少し変わった。人のよさそうな、とても優しそうな笑顔だった。普段の不気味なものではなく、他者への思いやりを感じられる笑顔だった。
「……そういう笑顔を浮かべられるのであれば、普段からしたらどうですか?」
「これは参りましたな。私はこれでも邪悪なPKではあるのです。邪悪なものに普通の笑顔は似合わない。似合うのは邪悪なものだけでしょう。加えて少し気恥ずかしいのです。こう見えてもわりと人見知りするタイプなのですよ、私は」
「そうなんですか?」
「ええ。加えて認めない者は意地でも認めません。その点彼女はなんとなく認められますな。その理由はいまいちわかりませんけれど」
苦笑いしながらデューカスが言う。デューカスほどのプレイヤーにも認められる存在。実にまりもらしいことだとアッシリアは思った。
「……同感です。私も不思議と彼女は認められますよ。どうしてなのかはわかりませんけどね」
「「明空」殿ものですか。将来彼女はとんでもないプレイヤーになるかもしれませんな。我らが姫。いまのうちに彼女をスカウトするのもありではないでしょうか?」
デューカスは芝居じみた大笑いをしていた。だが、その目だけは相変わらず穏やかだった。その穏やかなまなざしと芝居じみた笑みを浮かべつつ、デューカスがアオイにと声を掛け──。
「ふふふ、そうじゃのう。まだ「収穫」には早いと思うがなぁ」
──ぞくりと背筋が震えるような寒気が走った。デューカスが小さく悲鳴を上げるのが聞こえる。いや、悲鳴だけではなく、デューカスが怯えていた。それはデューカスだけではなく、アッシリアも同じだった。
「あぁ。欲しい。欲しいのぅ。タマモが欲しい。あの子が傷つき、泣きじゃくる姿が見たくて堪らぬ。その姿をこの手でなしえたいと心の底から思うのぅ」
アオイは興奮していた。まるで発情でもしているかのように頬は赤く染まっている。だが、その目はどこまでも暗い光を宿していた。そして全身からは周辺の空気を凍らせるかのような殺気を放っていた。その殺気にデューカスだけではなく、アッシリアも怯えていた。
「……姫」
「わかっておる。わかっておるよ、「明空」」
「こ、ここはどうかおさがりください」
「そなたも言うでない、「宵空」」
デューカスともどもにアオイを落ち着かせようと声を掛ける。アオイはうざったそうにするが、ちゃんとこちらの話を聞いてはいるようだった。だからと言って冷静というわけではないようだが。
「……さて、ふたりともそろそろやるとしようか」
「そう、ですな」
「了解」
準備はすでに整っているうえに、衆人観衆の目もちゃんとある。これ以上の舞台はそうそうないだろう。……この場でやるのはそれこそ空気が読めていないと言えなくもないが、すでにアオイがその気である以上致し方がない。
「さぁ、「蒼天」の名を掲げようぞ」
アオイが笑う。その笑顔は獰猛な獣のように見えた。その笑顔を浮かべたまま、アオイは行動に出たのだった。




