1話 素直になれなかった日
本日二話目です。
まぶたを開くとカーテンからの隙間からは淡い光が差し込んでいた。
「朝、ですかぁ」
玉森まりもは装着していたVRメットを外しながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
が、すぐに飽きて自室の枕に顔を埋めた。
もうかれこれ一週間近く家から出ていない。だが家から出ずとも問題はなかった。
なにか必要なものがあれば、密林先生か楽しい天国先生で買い物をすればいいだけだった。
漫画やラノベであれば、熱血で有名な店長さんを抱えるアニメショップか瓜科ブックスないし猫科の穴のネットショッピングである。
あぁ、素晴らしきかな、ネット社会。まりもはしみじみと頷きながら、ひと眠りするべくまぶたを閉じようとした。
だが、不意に自室のドアから「ドン!」という大きな音が響いた。その音はそのまま何度も続いた。
「むぅ。また「裏切り者」ですね」
時計を見ると時刻は八時前。
まだ季節は桜が咲くには早い時期だったが、まりもは先日高校を卒業しており、定時に起きて、家を出る生活とはおさらばしているため、これから眠っても問題はない。
しかしまりも曰く「裏切り者」にとってはそういうことを言わせるわけにはいかない事情があった。
「まーりーも! いい加減にしなさいよ、あんた!?」
ドンドンと扉を思いっきりノックする少女の名は秋山莉亜。
まりもの言う「裏切り者」であり、かつてまりもが自他ともに認めていた親友だった。
しかし莉亜はまりもを裏切った。ゆえにまりもは莉亜を「裏切り者」と呼ぶようになっていた。
「いい加減にするのは、アリアの方ですよ! ボクを裏切ったくせに、よくもまぁぬけぬけと!」
「だーかーらー! 裏切ってないって言っているでしょう!?」
まりもは布団に包まりながら、莉亜がいるドアの向こう側へと叫んだ。
しかし莉亜も負けじと叫んでいる。ちなみに「アリア」とはまりもの中での莉亜の愛称だった。
「秋山莉亜」を縮めたら「アリア」となるからそう呼んでいるが、見た目が純日本人といういで立ちなため「アリア」の愛称はあまり似合っていない。
その莉亜はここ最近の日課となりつつある、いつものやり取りをまりもと交わしていた。
……あまりにも立て続けにしているためか、莉亜の目はいくらか据わったものになっているが、部屋に閉じこもっているまりもはそのことには気づかずに、莉亜に向かって言いたい放題だった。
「いいえ、裏切りなのです! 約束したのに。あんなにも約束したのに! なのにアリアは、アリアはぁぁぁ!」
「悲壮感を必要以上に足そうとするな、このなんちゃってロリ!」
「ぼ、ボクはロリじゃないですよ! このちっぱい!」
「てめぇ、いまなんて言ったぁぁぁぁぁ!?」
「ひ、ひぃぃぃぃーっ! お、女の子が「てめぇ」なんて汚い言葉を使っちゃいけないのです!」
「うっせぇ、ボケ! さっさと出てこい!」
ドアノックが、ドンドンという音からガンガンという音に変わった。
小学生と中学生になる弟がいる莉亜は時折男勝りというか、レディースかと思うような荒っぽい口調になる。
そして荒っぽくなると蹴りが飛んでくる。いまもおそらくはドアを全力で蹴っているのだろう。
……いくら親友かつ幼馴染の家だからと言って、ここまで無礼講なのはどうかと思うが、もう半ば家族のようなものになっているに加えて、コンプレックスを口にしてしまったことで莉亜を怒らせてしまったのが原因だった。
こうなった莉亜を止めることは誰にもできない。しかしまりもには秘策があった。
「ふ、ふふふ、そんな脅しで屈するボクではないのですよ! こういうこともあろうかとドアには蝶番を──」
──ドゴーン!
「──ふぇ?」
蝶番によって部屋のドアは固定してあった。
いくら莉亜がドアを蹴ろうと開かない──はずだった。しかしその開かないはずのドアは開いた。ドアが開くということは──。
「……覚悟はいいな、このなんちゃってロリ」
「ひ、ひぃぃぃ!? こ、殺されるぅぅう!」
──怒り狂った莉亜という悪鬼を部屋に招きいれるということだった。
形容しがたいものを背負いながら笑う莉亜にまりもは悲鳴を上げた。
その後、まりもは莉亜による「お話」を受けることになったのは言うまでもない。
「う、うぅ~、汚されちゃ──あいた!」
「人聞きの悪いことを言うな」
莉亜の「お話」は二時間ほど続いた。
揃って高校は卒業しているため、朝から二時間の「お話」をしてもなんの問題もない。
やや遅めの朝ごはんを優雅に取ることができていた。
莉亜はすでに家で済ませていたので紅茶だけをまりもの家のメイドさんに淹れてもらった。
ダイニングにはいつものように数名のメイドさんが控えているが、まりもと莉亜のやり取りはいつものことなため、莉亜が「スパン」といい音を立ててまりもの頭を叩こうと一切動じていなかった。
「し、親友の頭を殴るのはどうかと思うのです!」
「あんた曰く私は「裏切り者」じゃないの?」
「そ、それは」
莉亜に食ってかかるもあっさりと返されてしまった。
まりもにとって莉亜は「裏切り者」だが、「裏切り者」と呼ばれてもこうして足しげく家まで通ってくれる莉亜を本心から「裏切り者」と思っているわけではなかった。
ただのわがままを言っているだけなのはまりも自身わかっていることだった。それでも言わずにはいられなかったのだ。
こうして莉亜と一緒にいられるのはあと一週間ほどだ。
莉亜は一週間もすれば大学の準備に忙しくなる。
そんな莉亜とは違い、まりもは春休みを長期間過ごすことが決定していた。
それこそがまりもが莉亜を「裏切り者」認定する理由だった。
「まぁ、人聞きの悪いことを平然と言えるから、人のことを「裏切り者」だとか言えるんでしょうけど」
「……アリアが裏切ったのは本当のことです」
「だから裏切ってないってば」
この一週間、いや、数か月前から何度も同じことを言ったが、まりもの「裏切り者」発言はどうしても止まらない。
「そもそもあんたが開始時間を間違えるからいけないんでしょうが」
「それを伝えてくれるのが親友だと思うのですよ、ボクは!」
メイドさんが作ってくれた朝ごはんのサンドイッチを頬張りながら、まりもはテーブルをバシバシと叩いた。
だが、対面側に座りながら紅茶を啜る莉亜はため息を吐くだけだった。
「伝えてくれるのが親友って、何度も言ったじゃないの。時間を間違えないでねって」
「そ、それはそうですけどぉ」
「でもあんたは「アリアは心配性ですね。大丈夫です。ちゃんと確認済みなのです」と自信満々に言っていたじゃん」
「そ、そこをあえてちゃんと時間を口にするのも親友の仕事で」
「……私はあんたのお母さんかい」
はぁと深いため息を吐いてから、莉亜は肩掛けの鞄から一枚の用紙を取り出した。
「なんですか、これ?」
「どうせあんた暇でしょう? なら一緒に参加しない? VRMMOのベータテスト」
莉亜が差し出した用紙はプリントアウトされたものであり、まりも自身気になっていたタイトルのベータテスター募集の報せだった。
「「エターナルカイザーオンライン」ですか」
「前々から気になっているって言っていたよね、たしか?」
「……そうですね」
「エターナルカイザーオンライン」とは、数年前から開発されていたVRMMOのタイトルだった。
キャッチコピーは「ならうな。目指せ」というなんとも不思議なものだったが、大手のゲーム雑誌でも期待のタイトルとして以前から最高評価を得ていた。
タマモ自身「エターナルカイザーオンライン」の情報が掲載されたナンバーは確実に買っていたほどに期待しているタイトルだった。
半年ほど前からそろそろベータテストが始まるのではないかという噂がネットで見かけるようになっていたし、公式HPでも近々ベータテスト開始というお知らせが掲載されていた。
夏休みを狙ってリリースされるだろうから、春ごろにベータテストが始まるのではとまりもは予想していた。
そして実際この時期にベータテスターを募集し始めた。まりもの予想は当たっていた。
本来であればにべもなく参加する予定だった。
だが、まりもは志望校、もともとの志望校よりもランクをふたつほど下げた大学に落ちてしまった。
その大学はもともと莉亜の志望校であり、地元にある大学だった。
まだできたばかりの新設校ではあるため、威張る先輩がいないのがいいと莉亜と一緒に選んだ学校だった。
その新設校にまりもは落ちた。学力不足ではない。
単純に試験開始時間を間違えてしまったのである。
十一時開始だったのに一時開始と見間違えてしまった。
余裕を持って八時頃に起きて、家でのんびりとしていると莉亜が慌てて電話してきたのだ。「いまどこ!?」と。
それでまりもは開始時間を間違えたことを知った。慌てて家を飛び出し、試験会場に向かうとギリギリ間に合った。
しかしギリギリだったせいか、いままで勉強してきたものが、蓄積してきたものがすべて飛び出してしまっていたに加え、解答欄をひとつずらして書いていたことに残り時間ギリギリになってようやく気づいたが、すでに後の祭りだった。
その後の試験もいろいろと不運が重なり、思うように実力を発揮することはできなかった。
結果進路指導の教師や担任からは「ほぼ間違いなく合格する」と言われていた志望校に落ちてしまった。
もともと合格すると考えていたため、滑り止めを受けてもいなかったこともあり、まりもは浪人生活に突入することが決定してしまったのである。
「大学に合格したら、一緒にベータテスターになろうって言ってくれたよね? 一緒に合格はできなかったけれど、これなら一緒にできるでしょう?」
莉亜は笑っていた。久しぶりに見る莉亜の笑顔。
ここ最近は莉亜を裏切り者扱いしていたために見ることができなかったもの。
まりも自身莉亜と一緒にベータテストに参加したいと思っていた。
でも言いだせなかった。けれど莉亜から言い出してくれた。あとはもりもが頷くだけでよかった。だが──。
「ボクは暇じゃないのです。「裏切り者」のアリアとは違って勉強で忙しいのです!」
まりもは莉亜からの誘いを蹴ってしまったのだった。
続きは十二時になります。