103話 仲間だから
「タマモ選手、ローズ選手にジリジリと押されています! このままでは、場外に落とされるのも時間の問題かぁぁぁ!」
実況が叫んでいた。
その内容の通り、舞台上ではローズがタマモをジリジリと押し込んでいく。
タマモは踏ん張ろうとしているが、素のステータスに差がありすぎていて、まともに踏ん張ることもできないでいる。タマモの顔には明らかな焦りが見える。
「タマちゃん!」
レンは舞台上のタマモに向かって叫ぶ。しかしタマモはレンに返事をする余裕もないようで、歯を食い縛っていた。だが歯をいくら食い縛ろうと素のステータス差を覆すことはできない。
幸いなことにローズのSTRの数値がさほど高くないことが影響しているためか、ジリジリと押されているだけだった。だが、逆に言えば数値が高ければ耐える時間はほんの一瞬で済んだはずだが、ローズのSTRが低めであることが災いして、より長く耐えることになってしまっていた。
はたしてそれは運がいいと言っていいのか、それとも運が悪いというべきなのかなんとも言えないことだった。
そんな圧倒的に不利な状況であっても、タマモは必死に食らいついている。
だが、このままではいずれ場外に落とされるだけだ。
しかし起死回生の手はいまのところないのか、タマモはローズに押され続けていた。
「タマちゃん!」
レンは再び叫んだ。叫びながら舞台に上がろうと一歩前に出ようとした。
「ダメだよ、レン」
だが、レンが一歩前に出ようとするのと同時にヒナギクがレンをより強く押さえ込んだ。このゲーム内では、ヒナギクとの身長差はほとんどない。しかし現在のレンはヒナギクに羽交い締めにされたうえで、地面に足がつかない高さまで持ち上げられてしまっていた。まるで現実でのやり取りのように思えてならない。
「放せ! 放せよ、ヒナギク!」
レンは必死に抵抗した。が、いくら抵抗してもヒナギクは放してくれそうになかった。
「なんで放してくれないんだよ! あのままじゃタマちゃんが。そもそも俺はこんな話は聞いていないぞ!?」
レンが聞いていたのは四日目の試合も引き続き出場するというだけだった。レンの熱意に負けて出場するということであって、タマモがローズと一騎打ちをするなんて聞いてはいなかった。
「なんで俺に黙ってこんなことをするんだよ!? 俺がいつこんな試合をしたいなんて言ったよ!? 俺はこんな試合なんて──」
「うるさい! 黙っていなよ、このドバカ!」
ヒナギクが叫んだ。ヒナギクらしからぬ大声だった。その大声に本当に黙ってしまったレン。しかしヒナギクは止まらない。
「タマちゃんがなんであんなことをしているのか、あんた本当にわかっていないの!?」
「どういうことだよ!?」
「考えればわかるでしょう、このバカ!」
ヒナギクが悪態を吐いてくる。リアルでのヒナギクもわりと悪態を吐くが、今日は一段と悪態が激しい気がする。
(考えろ、なんて言われてもな)
舞台上のタマモを眺めつつも、レンはタマモの行動についてを考え始めた。
とはいえ、タマモがなぜこんな試合をすると言い出した理由なんて言われても、ぱっと思いつくものはなかった。そもそも理由があるというのだろうか?
(タマちゃんがひとりで戦おうなんて言うわけがないよな)
あの人一倍臆病なタマモがひとりっきりで戦うなんて言い出すわけがなかった。
だが現実にタマモはひとりでローズと対峙していた。アバターの能力もプレイヤースキルもすべてが上回っているローズ相手にひとりっきりでだ。誰がどう見ても無謀でしかない。そんな無謀なことをタマモが言い出すわけがなかった。ということは、だ。
「ヒナギク、おまえがタマちゃんを」
「ふざけんな! 私がそんなことを言うと思っているの!?」
ヒナギクが怒鳴る。だが、怒鳴られても仕方がないかとレンは思った。つい出来心のように口にしてしまったことではあったが、たしかにヒナギクがひとりっきりでローズと戦えとタマモに言うわけがない。そんなことをしても負けるのは目に見えている。それどころかタマモがトラウマを負いかねないことだった。ヒナギクは厳しいところはあれど、こんなことでその厳しさを発揮するとは思えなかった。
しかしそうなると、なぜタマモはひとりっきりで戦っているのだろうか?
「本当に、あんたは大バカだよね。本当、そういうところが大っ嫌い!」
「な、なんだよ、いきなり!」
「自分のことは棚に上げて、ひとには無茶をするなとか言うところだよ! あんたの口癖みたいなもんでしょう!?」
「それは」
たしかにヒナギクの言う通り、レン自身にも憶えがあることだ。レン自身の無茶は別にいい。しかし他人の無茶や無謀は見ていられなかった。だからこそ無茶をするなとよく言っていた。だが、それとタマモとのことになんの関係があるというのだろうか?
「……考えなよ、バカ。あんたが人の無茶を見ていられないのであれば、あんたの無茶をほかの人がどう思っているのかくらいはわかるでしょう?」
ヒナギクの声のトーンが下がる。怒っているのかと思ったが、背中が少しずつ濡れていることにレンは気づいた。背中を濡らすものがなんなのかは考えるまでもなかった。
「ヒナギク、おまえ、泣いて、いるのか?」
「言わなきゃわからないの、バカ」
ヒナギクの声は震えていた。それでわかった。本当にヒナギクが泣いているということに。だが、なぜ泣かれているのかがレンにはわからなかった。
「なんで」
「……あんたが無茶をしているとき、私がどんな気持ちなのかわかる? あんたが人の無茶を見ていられないように、私も見ていられないんだよ。泣きたくなるくらいに悲しくて仕方がないんだよ?」
「そう、なのか?」
「そうに決まっているでしょう? 大切な友達や幼なじみが傷つくのを見て笑えると思っているの? 自分に置き換えて考えてみればわかるでしょう?」
「ぁ」
自分に置き換える。その言葉の通りに置き換えてみれば、すぐにわかった。むしろなぜいままでわからなかったのかがかえってわからない。そしてわかった。タマモがなぜあんなことをしているのかが。
「タマちゃんは、その気持ちを教えるために?」
「そうだよ。それだけのために、タマちゃんはああしてひとりで頑張っているの。あんたにもっと他の人に頼れ、と教えるために、だよ」
鈍器で殴られたような衝撃とよく言うが、それは実際にはこういうことを言うのだろうな、とレンは冷静に想っていた。だが、冷静なのはそこまでだった。衝動に似た感情が次々に沸き起こっていく。
「た、タマちゃん! もういい、もういいから!」
タマモの伝えたいことはわかった。だから、耐えなくてもいい。そのまま負けを認めればいい。いまなら怪我を負っていない。だからそのままみずから場外に落ちれば怪我ひとつなく負けることができる。だから諦めろとレンは言外で言ったつもりだった。
しかしタマモは耐えていた。ローズの突進をただ耐えていた。
「なんで? なんで耐えるんだよ! 負けていいって! タマちゃんが傷つく必要なんてないだろう!?」
レンは叫ぶ。その声はタマモにも届いているはずだ。しかしタマモはみずから後ろには下がらなかった。ローズの突進にただ耐え続けている。
「……私も昨日同じことを何度も言ったよ。でもあんたは聞いてくれなかった。だからタマちゃんは同じことをするって言っていた。それで本当に理解できるだろうから、って。そう言っていたよ」
「なんで? なんでそこまでするんだよ!? タマちゃんがそんなことをする必要なんて」
「仲間だから、って」
「え?」
「「ボクはヒナギクさんやレンさんのようなこだわりもなければ、誇りもありません。でもなにもなくても伝えられるものはあると思うのです。そのためにボクは一度っきりの無茶と無謀をします」って言っていた。笑いながらタマちゃんは言っていたよ。私たちを仲間だって思ってくれているから、頑張るって。そう言っていた」
「仲間、だから」
「そうだよ。だから私はこうして押さえこんでいるの。タマちゃんの決意と覚悟の果てに、あんたがしていたことがどういうことなのかを教えるために」
「そん、な」
言葉が出ない。前を見たくない。顔を反らし、目をつむりたい。だが、ヒナギクは後ろから言う。「顔を反らすな。目をつむるな」、と。
「あんたが顏を反らして、目をつむったら、タマちゃんの頑張りが無駄になるでしょう? あんたはタマちゃんの頑張りをなんの意味もないことにしたいわけ?」
「そんな、そんなことは」
「なら、顔をあげな。じっと見つめてよ。それがタマちゃんの意思に沿うことなんだから」
ヒナギクは言った。ヒナギク自身顏を反らすこともなく、目をつむることなく、タマモを見つめていた。静かにヒナギクの体は震えていた。
いまはまだ押し込まれているだけ。だが、いつローズが実力行使に出るかはわからないのだ。そうなるまえに負けてほしいとヒナギクが感じていることははっきりとわかった。
レン自身そう思っているのだから、わからないわけがない。しかしタマモはやめない。やめようとしてくれなかった。
「タマモ選手、どんどんと押されていきます! これは勝負あったかぁぁぁーっ!?」
実況の声が白熱する。だが、その声とは裏腹に観客からは怒号が飛んでいた。
「おいおい、なんだよ、それ! もっとましに戦えよ!」
「せっかくの一騎打ちなのに、ラグビーじゃねえんだぞ!」
「もっと打ち合えよ、つまらねえな!」
ずいぶんと身勝手な言葉が飛び交う。だが、たしかにただ押し込むだけの展開の試合ではそう言われてしまうのも当然だった。
しかしレンにとってはその言葉は「ふざけんな」としか言いようがないことだった。
「ローズさんとまともに打ち合えるわけがないだろう。勝手なことを」
「……そうだね。でもそれは昨日私も思ったことだよ。あんたが私を守ろうとしたとき、他の人が煽るようなことを言ったとき、私も同じことを考えていた」
「っ!」
「身勝手なものだよ。だけど、あの人たちと同じ立場であれば、私たちも同じことを言うかもしれない。誰だって自分の身に置き換えることなんて早々しないものだもの。だからこそタマちゃんは一度っきりの無茶をしているんだよ。自分の身に置き換えてしっかりと考えてほしいから、って。そう言っていた」
「タマ、ちゃん」
視界が歪んでいた。けれど視界が歪んだところで、試合は止まらない。止まることなく、タマモはどんどんと押し込まれていく。必死の形相で踏ん張ろうとなにをしようと劣勢を覆すことができないまま、ただだ押し込まれていく。そんな光景をレンは見つめていることしかできなかった。できないまま、ただタマモとローズの一方的な試合を見つめ続けた。




