95話 わずかな勇気とちっぽけな自信
前回との温度差がひどいです。前半は←
今回普段の三話分くらいの長さですので、できたらお付きいただけたら幸いです←汗
「──いやぁ、お待ちしていましたよ、タマモさん」
受付には先ほどと同様にGMのソラがいた。
ただ一度目と違うのは、ソラが正座待機していたということ。
……全裸ではないのが救いと言える。
もし全裸で正座待機なんてされでもしていたら、テンゼンの精神が死んでいただろうなと思うタマモ。
前を歩くテンゼンの足取りが若干おかしいあたり、おそらくは正座待機されている時点でわりとダメージを負っているようだ。全裸であれば、もはや語るまいというところだろう。
(実際に全裸での正座待機している人はいないんでしょうけど)
某巨大掲示板でも「正座待機」は言われることは多いが、実際にしている人はいない。全裸であればなおさらだろう。
なにせ完全なネタなのだ。主に降臨した神にへと捧げる期待と敬意を表すネタだとタマモは思っていた。全裸はその上位パターンである。あくまでもネタという意味では。
しかし全裸ではないが、本当に正座待機するような人物がいるとは思っていなかった。
それもよく見ると明らかに興奮していた。
いまにも「でゅふふふ」と笑いそうなレベルであった。
(「でゅふふふ」と笑う人なんて間違ったオタクのイメージなんですけどねぇ)
それも大昔のだった。大昔のオタクのイメージと言えば、バンダナにチェックのシャツ、ジーパン、リュックサックにハーフフィンガーグローブというものであろう。そこに「でゅふふふ」という笑い声が追加されるというのが大昔のオタクのイメージだった。
……いまもごく稀に見かけなくはないが、天然記念物と言ってもいいレベルの格好である。むしろそんな格好をするのは、完全にネタのためとしか言いようがない。
いまのオタクはわりとおしゃれな服を着ている人が多かった。
中には服を頓着しない人もいるが、大抵はそのまま街を練り歩いてもおかしくは見られない格好の人が多い。
もっとも自宅ではどうなのかはわからないが、自宅ではどんな格好をしているのかわからないのは、別にオタクだけではない。
だが、どちらにしろ公共の場とパーソナルスペースできっちりと線分けをしている人は多いはずだ。
しかしソラは線分けどころか、その概念さえも破壊しかねないレベルである。
ゆえに「でゅふふふ」と笑ってもおかしくはなかった。
むしろ全裸で正座待機されていなくて本当によかったとさえ、タマモには思えていた。……それでも正座待機はどうよとは思わなくもないが。
「お待たせしましたね」
「いえいえ、待つのもまたご褒美ですからぁ」
ニコニコと笑いながらどうしようもないことを言いのけるソラ。
こんなんでもGMになれるのかと言うべきなのか。それともこんなんだからなれたのかと言うべきなのか。なんとも悩ましい。
「……まぁ、とりあえずです。明日の試合についてお願いしたいことがあるのですよ、GMさん」
「雌豚」
「……うん?」
(おかしいですね。内容がひどくおかしかったのですよ、いま)
お願いしたいことがある、とタマモは言った。なのに返答がなんともおかしな単語だったような気がした。耳がおかしくなったかなと思い、少し目汚しとなるが耳の中を軽く擦って耳垢を取り除いた。
「……うん。さて、ゲームマスターさん、いまなんて?」
「メスブタです」
「は?」
「め・す・ぶ・た・です」
とても楽しげになんとも言えないことを言うソラ。語尾にハートマークが着いていそうなほどに興奮した面持ちだった。
タマモは絶句した。どうやら聞き間違いではなかったようだった。
むしろ聞き間違いであってほしかった。
しかし現実はいつもタマモには厳しいようである。
そんなタマモの耳にドンという派手な音が聞こえた。
見ればテンゼンが隣で膝を着いていた。かなりの大ダメージをいまの一言で負ったようだが、いまはいい。
「えっと?」
「雌豚と呼んで叩いてください! 前払いのご褒美をくださらないと嫌です!」
( ゜ Д ゜ )クワッと目を見開きながらなんとも言えないことを、全力で言い放つソラ。
そんなソラに再び絶句するタマモ。
しかしソラは「wktkwktk」と口ずさみながらタマモを見つめている。
タマモの目にはソラの背中にフルスロットルで振られている尻尾が見えた。
「……はぁ」
タマモはため息を吐きながら、右手をふらふらと振ると思いっきり後ろへと振りかぶり、そして──。
「ボクの言うことを聞きやがれです、この卑しい雌豚が!」
パァンと澄んだ高い音を立てながらソラの頬を張り飛ばした。張り飛ばされたソラは「ありがとうございます!ご主人様!」と誤解されそうなことを言い放ってくれた。
「誰がご主人様ですか! おまえみたいな卑しい雌豚なんてこっちから願い下げですよ!」
「は、はひぃ!」
「変な鳴き声を上げるな、です!」
「は、はひゃぁぁぁ!」
「黙るのです! この雌豚がぁぁぁ!」
「あ、ありがとうございまひゅうぅぅぅぅぅ!」
パァン、パァンと高い澄んだ音を立てながら、ソラの頬を叩き続けるタマモ。そんなタマモに叩かれながら、目にハートマークを浮かべそうなほどに興奮するソラ。
どこからどう見ても両方ともアレとしか思えない光景だった。そんなふたりの姿にテンゼンは静かに横たわっていた。その口からは黒々とした血を伝わらせながらだった。
しかしふたりにはテンゼンの姿は見えない。見えないまま、ふたりはしばらくの間、なんとも言えないふたりの世界にと突入していた。
「ふ、ふひゅふふふ。堪能ひまひたよぉ」
頬を真っ赤にしながら、ソラは興奮した面持ちで言い切った。口調から踏まえると、現実だったら歯の何本かは折れていてもおかしくないどころか、下手したら鼓膜が破裂しているレベルだろう。
そんなダメージを負ってもなお、ご褒美と言い切れるソラにタマモは背筋を寒くした。
ちなみにテンゼンは時折ピクピクとするくらいでもうほぼ動かなくなってしまっているのだが、テンゼンのダメージよりもソラのアレっぷりがひどすぎるため、タマモの目には入らなかった。
「とにかくです。雌豚」
「はひ、タマモひゃん」
「そろそろボクの話を聞きやがれなのです」
「はひ! ご褒美をいっぱいもらひましたので!」
えへへへと楽し気に笑うソラ。もはや語る言葉さえなくなってきたタマモだったが、くじけそうになる心をどうにか奮い起たせていく。
「……とりあえず、明日の試合についてですけどね」
「はいはい。進展はありましたか?」
「それなりには、ですね」
「ほう?」
瓶底の眼鏡のつるをくいっと上げながら、ソラの口元がわずかに歪む。薄桃色のリップがどことなくセクシーだった。もっとも中身はアレなので、すべて台無しではあるのだが。
「……明日の試合には出ます」
「おや? 結局折れたのですね?」
「折衷案というところですよ」
「折衷案、ですか?」
ソラは意外そうな顔をしながら「具体的には?」と聞いてきた。具体的な折衷案は決まっていた。しかしいくらか躊躇いはあった。もう腹は決めている。それでも本当に言うべきかどうかを迷ってしまった。
「タマモさん?」
ソラが首を傾げている。腹は決まっている。覚悟もしている。決意だってある。ただひとつだけ。そう、ほんのわずかな勇気だけが足りなかった。
いつだってなにかをしようとするときに必要なのは、ほんのわずかな、ひとかけらの勇気だけ。その勇気を持てる存在を「勇者」と呼ぶ。
(その点、ボクはダメダメですね)
決めたことのはずだったのに、勇気が出なかった。勇気を出すということがこんなにも難しいことだということをタマモは初めて知った。どうすれば勇気を出せるのか。勇気を振り絞ることができるのか。タマモにはわからなかった。
「……ありのままの気持ちを伝えればいいのよ」
「え?」
不意にソラが言った。ソラは瓶底眼鏡越しにタマモをじっと見つめていた。瓶底眼鏡の先にあるソラの目はうっすらと見えていた。うっすらと見える目は紅い。
でも炎のようにたけだけしいわけではなく、夕日のような穏やかな目だった。その穏やかな目でタマモを見つめながらソラは続けていく。
「勇気を振り絞る。それはたしかに「勇者」のするべきことでしょう。でもね。どんな「勇者」だって最初から「勇者」だったわけじゃない。「勇者」にと至る前は、すべからくみな普通の人だったの。でもほかの人とは違ったのは、ありのままの気持ちに従ったからということ。あなたの思う通り、ほんのわずかな勇気を持って、ありのままの気持ちに従って行動した。でもそれはほんのわずかな勇気を出したからじゃない。ありのままの気持ちに従った結果、そこにほんのわずかな勇気が宿った。たったそれだけのこと。勇気が出せないと考えるのではなく、ありのままの気持ちに従いなさい。行動して初めて勇気は宿るものよ」
「……ありのままの気持ちに」
「そう。従えばいい。だってあなたにはもう勇気は宿っているもの。昨日の試合と今日の試合。そのどちらも勇気がなければ、すでにあなたたちは敗退していた。敗退しなかったのは最後の最後まであなたが勇気を持っていたから。その胸に宿るわずかな勇気を持ち続けていたから。だからあなたたちは勝ち進めた。ゆえにあなたに足りないのは勇気ではない。自信だけよ」
勇気ではなく、自信が足りない。たしかにそうかもしれないとタマモは思った。
あの大学入試からどうしても自信を持つことができなくなってしまっていた。自信を持てなくなってしまっていた。
たとえこのゲームの中でどれだけ活躍をしようとも、かつてのような自信を持つことはできなかった。
「自信を持ちなさい、タマモさん。あなたたちは決して運だけで勝ち残ったのではない。あなたたちは実力で勝ち残れたのよ。それはあなただって同じ。だから自信を持ちなさい、小さき「勇者」よ。あなたの進む道は決して間違ってはいない」
小さき勇者──。
このゲームを始めたとき、ひそかに想っていたこと。
でも現実のゲームライフは勇者とはまるで言えないものだった。
おとぎ話やゲームや漫画、はたまたアニメに出るようなカッコいい勇者にはなれていない。
だが、そんな自分をソラは「勇者」と言ってくれた。
たとえそれがリップサービスだったとしても、その言葉がとても嬉しかった。
カチリ、と心の中でかみ合う音が聞こえてくる。
迷いもためらいもある。
それでも心の中で熱いなにかが込み上がってくるのをタマモは感じていた。
「立ち上がりなさい、「勇者」よ。その手にある剣も盾もただの飾りではないの。あなたの進む道を切り開き、あなたの護るべきものを守るためのものよ。だから前を見なさい。あなたの進もうとしている道は決して間違ってはいない。自信を持って、胸を張って前に進めばいい。それがいまあなたの為すべきことだから」
ソラは笑っていた。笑いながら言ってくれた言葉は、まるでおとぎ話の中の女神様のようだった。白い髪に紅い瞳。どちらも日本人離れしているが、日本語を流暢に話せるのだから日本人なのだろう、とは言わない。いまどき海外の人だって流暢に日本語を話せる人はいるものだ。だから日本語を話せるから日本人だとは言わないし、言うつもりもない。
ただソラの顔立ちはよく見ると純粋な日本人とは少し違うように思える。海外の血が入っているハーフないしクオーターなのかもしれない。
そんなソラだからこそなのか。淡々と話すソラを見て女神のようだと感じてしまっていた。中身はとんでもなくアレだというのにも関わらずだ。
だが、そのおかげでなんとなく、そうなんとなくだが、前に進む勇気を貰えた気がした。いや、ほんのちっぽけだが、自信を持つことができた気がした。
「……明日の試合、戦うのはボクだけです」
「へぇ? ひとりで相手のクランと戦うと?」
「いいえ。相手のクランもひとりだけにしてもらいます」
「相手もひとり? ……あぁ、そういうこと。つまりあなたが出した答えというのは」
「ええ。マスター同士での一騎打ち。それで明日の試合の決着を着けさせてほしいのです」
マスター同士での一騎打ち。それがタマモが出した答えであり、折衷案だった。実際予選一回戦でPKKのマスター同士での一騎打ちがあった。あれがヒントになったのだ。
マスター同士での一騎打ちであれば、レンが戦うことはなくなる。
レンはこのまま試合を続けたいとは言っていた。だが、試合に出て活躍したいとは言っていなかった。
その点マスター同士での一騎打ちであれば、試合を続けることにはなるうえに、レンを戦わせなくてすむのだ。
つまりレンの意思もタマモとヒナギクの意見もどちらも含まれており、丸く収まる答えなのである。
加えて言えば、相手のクランにもメリットはある。
一騎打ちであれば、それもマスター同士での一騎打ちであれば、消耗するのはマスターだけであり、ほかのメンバーには消耗はないし、相手はタマモを倒せばそれで勝ち進める。
レンやヒナギクと戦わずにいられるのだから、タマモたちのメリットよりも相手のクランのメリットの方が大きいのだ。
もっともマスター同士での一騎打ちとなると、相手のクランも負ける確率が跳ね上がることにはなるが、確率で言えば半々である。高くもないが低くもない。博打に出るのも悪くはない数字だった。
「あなたたちのメリットも大きいけれど、相手のメリットはそれ以上にあるとなれば、おそらくは相手のクランも受けるでしょうね。そして一騎打ちであれば、試合も盛り上がるうえに、勝敗もこれ以上となくわかりやすくなる。ふふふ、運営としてもメリットが大きいかしらね。いいでしょう。あなたの意見を受けましょう。もっとも相手のクランが受けるかどうかはわかりませんが、それでもいいかしら?」
「はい」
ソラを見つめながらタマモは頷いた。するとソラはどこか遠くを眺めるような視線を向けてきた。いったいなんだろうと思ったが、すぐにソラは空中で指を動かしていく。まるでキーボードを叩いているようだった。やがてその動きも止まった。
「……はい。たしかにあなたの意見は相手のクランにもお伝えしました。結果がわかるのは相手のクランからの返答が──もう来た」
少し驚いたようにソラが言う。その返信の内容を見て、ソラは「ふふふ」と口元を押さえて笑った。
「「望むところ」だそうよ。ずいぶんとまぁ脳筋というか、戦闘狂というか。まぁ、とにかく明日の試合はあなたと相手のクランのマスター同士での一騎打ちとなりました。これでご満足かしら?」
「ええ」とタマモは頷いた。ソラは「そう」と笑っていた。笑う姿もどこか日本人離れというか、少し常人とは違う気がする。それこそまるで本当の女神様のように感じられてしまう。
「では、これであなたの用件は終りで」
「あ、そうだ」
「うん?」
「よければ、相手のクランはどこなのかを」
「本当なら試合直前までは教えないのだけど、今回はいいかしらね。なにせお互いに知り合いみたいだし」
「え?」
知り合いが相手。となると相手はふたつのクランに絞られた。すなわちアオイ率いる「三空」かもしくは──。
「相手のクランは「紅華」、そのマスターである「紅き旋風」ことローズ選手があなたの戦う相手となります」
──ローズ率いる「紅華」かということになる。その「紅華」のローズと明日戦うことになった。
(……ちょっとだけ早まりましたかね)
少しだけ、ほんの少しだけ後悔してしまったタマモだった。だが、すでに賽は投げられた。四日目の試合本戦2回戦はローズとの一騎打ちは決定したのだ。であれば、あとはもう行動あるのみだった。
「よぉし、頑張りますよぉ!」
タマモは両手を掲げながら気合を込めて叫んだのだった。そんなタマモの姿にソラは目を細めながら「小さき勇者に祝福あれ」と呟いた。
だが、その呟きはタマモの耳には届かなかった。
タマモは明日の決戦への闘志を燃やしたのだった。
前半と後半の温度差よ←




