92話 原則
「──それで手続きをしてくださるんですか?」
タマモは笑っていた。笑いながらもその手にはすでにおたまとフライパンが、これでもかという力で握られていた。狙いは当然真性のアレことGMのソラだった。
「そうですねぇ。ではタマモさんが私の頬にキスを──」
だらしなく口元を歪ませるソラ。
そんなソラの言葉にタマモは静かにおたまを振り上げる。その目はとても冷たく、一部のプレイヤーであれば、「ありがとうございます!」とお礼を口にするほどだろう。
そしてプレイヤーではないが、その一部の特殊枠になんの矛盾もなく当てはまっているのが、このソラであった。
振り上げられるおたまを見て「( * ´Д ` )」としているソラ。
はたしてそれはタマモからの暴行を受けるからなのか、それともみずからが設定したEKの一撃を受けられるからなのかは定かではない。
だが、仮にタマモの攻撃だからこそというのであれば、まだ特殊枠ですむ。
しかしこれが自身の設定したEKの一撃だからこそとなると特殊枠中の特殊枠ということになる。
もっともタマモにとってみれば、ソラは特殊すぎる存在なので、いまさら特殊性が上がろうと大した違いはないのだ。
タマモたちが受付に来てから、いったい何回ソラが「ありがとうございます!」と言ったのかはわからない。
そのたびにタマモの中でのソラという人物のプロフィールは更新され続けている。……更新されるプロフィールがどういうものであるのかはあえて言うまい。
「まぁまぁまぁ、落ち着いてくれ、タマモさん」
そんなタマモを落ち着かせようと躍起になっているテンゼン。
さきほどから顔は蒼白となっており、足元はおぼついていない。そのうえお腹を押さえ続けていた。
その姿からはいまにもお腹からキリキリキリという音が聞こえてきそうなほどである。
だが、まだ音は鳴っていないし、吐血もしていないが、いまのままだとそれも時間の問題だろう。
どうしてそこまでテンゼンが大ダメージを負っているのかはタマモにはわからなかった。わからなかったが、とりあえずソラという真性のアレを叩きのめした後に尋ねればいいと思った。
「……とりあえずおまえのどたまをかち割らせてもらうのです」
「はい、ありがとうございます!」
「( * ´ Д ` )」といかにも興奮した様子のソラ。より一層冷たい目を向けるタマモ。そしてタマモを後ろから羽交い締めにしながら、ついには吐血を始めたテンゼン。
その光景はなにかしらのコントかなにかかと思うほどに、3人のやり取りは端から見ると洗練されたもののようにも見えた。
そのためほかのプレイヤーが通り掛かっても、「コントの練習かぁ」と気にすることなく通りすぎてしまった。
その光景を別空間で眺めていたほかの運営メンバーが「次はコント大会もいいかもしれない」となんとも残念なことを呟いていることを3人は知らない。
「──で、やってくれるんですか?」
「仕方がありませんねぇ。ご褒美もいただけましたし。ぐふふふ」
「……」
「まぁまぁまぁまぁ、落ち着こうかタマモさん!」
「止めないでください、テンゼンさん。そいつ、潰せないのです」
「いやいやいや、相手はGMだからね!?」
その後、おたまではなく、フライパンをソラの頭に打ち付けてようやく溜飲が下がったタマモだったが、ソラの余計な発言でふたたびフライパンを振り上げていく。
今度こそは、とタマモの凶行を止めようと必死になるテンゼン。そして我関さずとにやけているソラ。
「……やっぱりコントか」
ふたたび通り掛かったプレイヤーは、3人のやり取りを見てそう断定していた。
しかしそのことを3人は知らずにそれぞれの反応を示していた。
「……とにかく、「フィオーレ」の棄権をお願いするのです」
「仕方がありませんねぇ。承知しました、と言いたいところなんですが」
その後、佇まいを直したタマモとソラは、本来のやり取りを始めた。が、なぜかソラが含みを持たせる言い方をした。「もったいぶらずにさっさと言えなのです、雌豚」と頬を叩きそうになるタマモ。
しかし、現在のタマモはテンゼンに後ろから羽交い締めにされたうえで抱えあげられているため、ソラへの攻撃はできなかった。
そのことを残念そうにするソラを見て、「こいつ本物なのです」と畏怖するタマモと、「こふっ」と吐血するテンゼンだった。
しかしソラはふたりの反応を気にすることなく、瓶底眼鏡の位置を調整しつつ言った。
「原則、試合の棄権は全員の意見が一致した上でとなっています。話を聞いたところでは、タマモさんたちの意見は一致しているとは言えませんね。なので意見を一致したうえでもう一度お越しください」
ソラははっきりとタマモの意見を切り捨てたのだった。




