85話 いやだ
「……なんか、その、ごめんなさい」
ヒナギクが顔を真っ赤にしていた。顔を真っ赤にしながら、頭を下げていた。
「いえいえ、お気になさらずにですよ」
ヒナギクとは対照的にタマモは笑っていた。ヒナギクを抱き締めて頭を撫でるという、ずいぶんとレアなことをさせてもらえたのだ。不満があるわけもない。
あえて不満をあげるとすれば、それはヒナギクが幼児化したのが、レンが原因だったということくらい。
もっともそのおかけで、ヒナギクの中でのレンの立ち位置がはっきりと理解できたのだが。
「……」
「タマちゃん?」
ヒナギクが顔をあげる。首を傾げながら不思議そうにタマモを見つめるヒナギク。そんなヒナギクを見ても、以前のような胸の高鳴りはなくなっていた。
(かわいいと思うのですが、なんでしょうね、これは。かわいいと思うけど、そのかわいいと思うベクトルがおかしな方向になっているような?)
あえて言葉にすれば、恋愛感情を大幅に母性が上回っているというか、ヒナギクを希望と重ねて見てしまっているというか。
(むぅ。「ヒナギクさんをボクの嫁に!」という気持ちは相変わらずあるのにその気持ちがだいぶ薄くなっているのです。それも希望と重ねてしまっているのが原因ですかねぇ)
従妹の希望はとてもかわいい子だ。だが、かわいいと思っても希望を嫁にと思ったことは一度もないのだ。希望はかわいい妹という風にしかタマモは見たことがない。
そしてその希望と重ねてしまったからか、ヒナギクに以前のような感情を抱くことができなくなりつつある。
(これは。ゆゆしき事態ですね)
どう考えてもまずい。
ただでさえヒナギクとレンは鉄板と言ってもいいような関係であるのに、対抗馬であるはずの自分が辞退するような展開になるのは大いにまずい。
(むむむ、早く収まれ! ボクの母性!)
普段は出てくる気配もないくせに、どうしてこういう余計な仕事を完璧に遂行してくれるのやら。
タマモの脳内で、ドヤ顔プラス歯をきらりと光らせてサムズアップする母性さんをはっきりと思い浮かべることができた。
(くぁぁぁぁーっ! 腹立つ笑顔を浮かべるなですよぉぉぉーっ!)
ドヤ顔する母性さんに怒り心頭なタマモ。冷静になってみれば、そもそも感情に顔などあるわけがないうえに、自律行動などするわけもないのだが、そんなあたりまえなことを考えることができないほどに現在のタマモは慌てていた。
そんなタマモを見てヒナギクは「いつものタマちゃんだなぁ」と思ってしまうあたり、普段のタマモがどれほどに残念であるのかがよくわかる。
「さっきまでのタマちゃんって」
「ほえ?」
「なんか普段とは違っていたね」
「あぁ、あれは「必殺お嬢様モード」です。主にやらかしすぎたおバカさんに対して使うのですが、ヒナギクさんにはあちらの方がいいかなと、なぜか思ったのです」
「なぜか?」
「ええ、なぜか」
タマモ自身「お嬢様モード」になった理由はわからない。
つい少し前に自滅したばかりだったというのに、なぜヒナギクに対しても「お嬢様モード」になったのか。その理由がよくわからないのだ。
理由はわからずとも、結果的にヒナギクを落ち着かせることができたのだから、よしとするべきだろう。
「そっか。なんかさっきのタマちゃんが姉様に似ていたよ」
「姉様?」
「うん、従姉のお姉さん。私は「姉様」って呼ばせてもらっているんだ」
「へぇ」
なんだか奇遇ではある。タマモも希望から「姉様」と呼ばれている。が、単なる偶然だろう。
「ただ姉様はお体が弱いみたいで」
「そうなんですか?」
「うん。だから受験も失敗してしまったみたいなんだ」
「それは大変ですねぇ」
タマモ自身受験には失敗した口ではあるが、体が弱かったからではなく、完全なタマモ自身のミスによるものだった。
ヒナギクの「姉様」のように体が弱かったからではない。
(ヒナギクさんの「姉様」さんには同情しますねぇ)
同じく受験を失敗した身としては、非常に親近感が沸く。いや、もはや同士と言っても差し支えはなかろう。
(いつか、ご挨拶をしたいですねぇ。「ヒナギクさんを嫁にもらいました」と)
ヒナギクとレンの関係を垣間見てもなお、タマモはヒナギク狙いである。いや、ふたりの関係を垣間見たからこそ、より一層やる気が増したのである。
(いざ、NTRなのです!)
タマモはやる気を満ち溢れさせた。その心の声をほかのプレイヤーが聞けば「おまえはなにを言っているんだ?」と言われかねない内容なのだが、残念なことにタマモは本気だった。
いや、本気になってしまったタマモが残念極まりないというべきなのか。実に判断に迷う。
「タマちゃん?」
「え、いやいや、なんでもないのですよ?」
「そう? なんだか目が怪しかったような」
「……キノセイナノデス」
「なんで片言なの?」
「まぁ、それよりもですよ、ヒナギクさん」
「話を露骨に反らせようとしているね?」
「……とにかくです。明日のことはどうしましょうか?」
有邪気にもほどがある内心をどうにか気づかれないように無理やり話を反らすタマモ。そんなタマモにヒナギクはジト目をしていたが、明日の試合のことを話すと表情を変えて、真剣な表情にとなる。
「……そうだね。どうしたものかな?レンは起きてもステータスは半減してしまっているから、試合に出てもいままで通りは無理だろうし」
「かと言って、ヒナギクさんだけに頑張ってもらうわけにも」
「むしろそんなことをしたら集中砲火されちゃいそうかなぁ」
「ですよね」
ただでさえ「フィオーレ」は人数が少ないのに、主戦力となるレンが参戦不可となってしまったのだ。
レンの変わりを同じく主戦力であるヒナギクがするというのは却下だろう。
ヒナギクが言うようにヒナギクにと集中砲火を受けるだけだ。
ヒナギクのSTRは高いが、VITの数値はそうでもないため、集中砲火を受けてしまえばそれで終わる。
そうならないためにはタマモもそれなりの動きをしないといけない。しかしそうするにはタマモの低ステータスが足を引っ張ってしまう。
どう考えてもタマモとヒナギクだけでは戦いようがないのである。
「やっぱり棄権がいいんですかねぇ?」
「そうするしかないかな?」
ふたりだけでは戦いようがない。そう結論づけたふたりだったが──。
「いやだ」
──不意にレンの声が聞こえた。見ればレンはうっすらとまぶたを開いていた。
「こんなことで棄権なんて、嫌だ」
レンは呼吸をするのも辛そうな顔で、「棄権をしたくない」とふたりの意見を真っ向から否定したのだった。




