74話 ムラクモ
テンゼンとの斬り合いが始まり、十数分、受けに回っていたテンゼンが攻撃に転じたことでほんの数撃でレンは戦闘不能寸前にまで追い込まれていた。
(あぁ、やっぱり兄ちゃんは強いなぁ)
兄であるテンゼンから何度も攻撃を受けながら、レンはぼんやりとしながらも、改めてテンゼンの強さを痛感していた。
(俺なんかじゃ逆立ちしても兄ちゃんには勝てないよな)
テンゼンは、レンの剣術の師だった。
テンゼンの本気をレンは知らない。本気を知らなくてもテンゼンがどれほどまでに格上であるのかは身を持って知っていた。
だが、どんなに格上であってもヒナギクを傷つけた。
たとえ誰だろうとヒナギクを傷つける相手は許さない。
だからこそレンは戦いを挑んだ。
しかしその挑戦は呆気なく終わりかけていた。
(強くなれたと思っていたのに)
テンゼンは「この3年間でなにをしていた」と何度も言った。「おまえの3年間はなんの意味もなかった」とも言っていた。
そんなことはない、と。自分なりに強くなれるように頑張ってきたのだと胸を張って言えるようになった、はずだった。
しかし現状は悲しくなるほどにレンの想定を下回ってしまう。
「なにも変わっていない」──。
テンゼンが言うとおり、現状は3年前となんら変わらない。
テンゼンにレンの攻撃は通じないのに、テンゼンの攻撃をレンは防げない。それは3年前と変わらない。
いや、もしかしたら3年前よりも悲惨だった。
当時テンゼンはここまでレンを攻め立てることはなかった。
竹刀を落とせばそこで試合を止めてくれた。もっとも残心として竹刀を喉元に突きつけてからだったからだが、それでもここまで一方的に打ち据えられることはなかったのだ。
だが、いまレンはテンゼンに徹底的なほどに打ち据えられていた。それこそ、それこそ現実であれば、死んでもおかしくないほどにだった。
(兄ちゃんはそんなに俺が憎いの?)
フードで顔を隠しているため、テンゼンの表情はわからない。
ただ、わずかに見える瞳には、暗い光が宿っていた。
(……俺が産まれたからいけないの?)
打ち据えられながら、レンは絶望していた。
あんなにも優しかった兄が、稽古以外では上二人の兄よりも優しく、いつもレンを気遣い、守ってくれた兄が心の底ではレンを憎んでいた。
そうでなければ、兄は、テンゼンはこんなことはしない。
そして兄に憎まれていたとしたら、それはレンが産まれたことで母親が蒸発したこと以外には考えられない。
(俺は産まれちゃいけなかったんだ。俺さえ産まれなければ兄ちゃんはこんな憎しみなんて抱かなかったんだ)
すべては自分が産まれたから。自己否定をしながらレンはただテンゼンの憎しみを一身に受け続けていた。
「……っ!」
(……なんだろう?)
不意に誰かの声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
誰の声だろうと声の聞こえた方を見やると──。
(ヒナギク?)
──そこにはヒナギクがいた。
ヒナギクはわずかに体を震わせながら気丈に振る舞っていた。
なにを言っているのかは意識がはっきりとしていないため、よくわからなかったが、なにかを言っていることはたしかだった。
(あぁ、ヒナギクの声か)
ヒナギクがいたことで、声の主がヒナギクであることがわかった。
わかったが、いまのレンではどうすることもできなかった。
(ごめんな。俺じゃ君を守れない)
テンゼンに打ち据えられているいま、ヒナギクを守れない。
それがより一層レンを絶望へと突き落とす。
そんなレンの耳にテンゼンが「ヒナギクを犯す」と言う一言が聞こえてきた。
(ヒナギクを、犯す?)
カチリ、となにかが動く音が聞こえた。
そんなレンを無視するようにして状況は動いていく。
テンゼンはレンの襟首を掴んだまま、ヒナギクへと近づいていく。
フードで顔は隠れているが、唯一露になっている口元は歪んでいた。そしてヒナギクは怯えつつも気丈に振る舞っていた。
またカチリ、となにかが動く。今度はその音に合わせてレンの体は動いていた。テンゼンの手を、レンの襟首を掴むその手首を握りしめていた。
「……許さねえ」
テンゼンの手首を渾身の力を込めて握りしめていく。
「ヒナギクを傷付ける奴は、誰であろうと許さねえ。たとえ相手が俺の実の家族であっても、だ!」
握りしめたテンゼンの手首から鳴ってはいけないような音が鳴りはじめるも、レンは構わずに握りしめていた。
テンゼンが顔をしかめながら、レンの頬を打った。
ほんの一瞬だけ意識が飛び、力が緩む。その一瞬でテンゼンはレンの手を払いのけ、距離を取った。同時にレンは踏み込んだ。
「ヒナギクは、俺が守るんだ!」
踏み込みながら右腕をオーバーハンドで振り抜いた。
テンゼンがとっさに刀の腹でレンの拳を防いだが、レンは構うことなくテンゼンの刀を殴りつけた。その一撃にテンゼンの刀は中ほどから折れた。
テンゼンの目が見開かれるのをレンは見て取った。
「喰らえっ!」
左手でミカヅチを握り、そのまま水平に薙ぎ払う。
テンゼンは上体を反らすことで直撃を避けていたが、フードの根本をレンは斬っていた。
根本を斬ったことでテンゼンの顔が少しだけ露になった。その顔を見てレンは見て唖然とした。
「……その顔は」
「ふふふ、まさか、ここまでやるとは。やるじゃないか、レン。少し見誤っていたね。おまえはもうここまでの存在になっていたか。ならば、ボクも少し本気を出そう。ボクのEKを見せてやろう」
顔が露になったことで、テンゼンは流暢に話し始めた。その口調はとても楽しげであった。
だが、レンにとっては楽しくはない。むしろ困惑を強めていた。
「なんで、その顔に」
テンゼンの顏は、テンゼンのアバターの顏は現実のテンゼンのものではなかった。
声からして予想はできていたが、毎朝鏡ごしに見ているレンにとっては困惑するしかなかった。
「これかい? これは一言で言えば誓いだよ」
「誓い?」
「あぁ。「必ずおまえを斬る」というボクなりの誓いだよ、レン」
テンゼンは言いながら、折れた刀の柄を捨てて虚空で両手を掲げていく。
そこにはなにもないはずなのに、テンゼンはなにもないそこでなにかを握っていた。
そして握ったそれをゆっくりと抜いていく。
するとなにもなかったそこから一条の光が放たれた。その光の中から一振りの太刀が現れた。
「さぁ、やろうか、ムラクモ。そいつはおまえの最初の獲物だ」
現れた剣を握るとテンゼンは踏み込んでくる。
踏み込んでくるテンゼンにとレンはミカヅチを振るうが、ミカヅチは宙を舞った。
テンゼンの一撃により、手から離れてしまった。しかしテンゼンの攻撃は終らない。がら空きとなったレンの腹部へとテンゼンの攻撃が伸びてくる。
「まずは一殺」
テンゼンの言葉をレンはゆっくりとした時間の中で聞いていた。




