73話 きょうだい
「どこにいるんだろう?」
雑木林に沿って歩きながら、周囲を見渡していたレン。
目的であるテンゼンは見つかっていなかった。
それでも諦めることなく探し歩きながら、ちょうど雑木林の入り口の反対側──ヒナギクとの合流予定の真逆の入り口にとたどり着いた。
雑木林の大きさから見るかぎり、外縁を沿って歩いていたレンと同じくらいか、若干早めにヒナギクもたどり着いているはずだったが──。
「あれ?」
──レンが反対側にたどり着いたときにはまだヒナギクの姿はなかった。
「……思ったよりも中は広いのかな?」
例えば雑木林の中だけダンジョン化しているということもありえた。
さすがに「闘技場」の中だけのダンジョンなんて笑えない。
「闘技場」は常時自由に歩き回れる場所ではないうえに、いまはイベント中だ。
そのイベント中だけチャレンジできるダンジョンなんてありえない──とは言いきれないのがこのゲームの運営だった。
「……レベル上げ目的のダンジョンとかありえそうだよなぁ」
なにせ「ならうな、目指せ」というキャッチコピーが、そのまま攻略のヒントとしている運営だ。
イベント中であっても、ほかのゲームの運営がやらないであろうことを平然とやらかしかねないのだ。
もっとも今回にかぎって言えば、もし雑木林の中が本当にダンジョンとなっているのであれば、レベル上げのために有用となるだろう。
ただでさえ、観戦する以外にはすることがない「闘技場」に時間を加速されているとはいえ、1週間も閉じ込められているのだ。
次の試合のためのレベル上げや、浮き彫りとなった今後の課題のための修練をするにも戦闘を行える場所は「闘技場」にはない。
だが、もしこの中庭がダンジョン化しているのであれば、それは運営からの救済措置とも言える。
……救済措置だが、救済の方向性がおかしい。もっともここの運営らしいと言えば、そうとしか言えないことではあるのだが。
「こんなところがダンジョンだったら、誰も気づかねえって」
そう、普通こんなところにダンジョンがあるとなど、誰が思うだろうか?
これが常時自由に歩き回れる場所ならありえるだろうが、1週間の期間限定だった。
しかもイベント真っ最中の際に、そんな隠しイベントを起こすなど普通はありえない。
あったとしても大々的にヒントくらいは出すだろう。
しかしいまのところ、そんなヒントはない。
となればこの雑木林がダンジョン化しているというのはありえないだろう。
「……それでもやらかしそうだよなぁ」
そのありえないことをやらかしそうなのが非常に怖い。
怖いがたぶん大丈夫だろうとレンは思うことにした。
でないと、ひとつひとつの可能性にまで目を向けないといけなくなり、非常に面倒くさいことになる。
「とりあえず、ヒナギクを──」
「レンっ」
待とうとしたそのとき。不意にヒナギクの声が聞こえた気がした。
だが、雑木林の中からヒナギクが出てくる様子はないし、その姿さえも確認できない。
だが──。
「ヒナギク!」
──レンは雑木林の中に踏み込んだ。
聞き間違いか幻聴かもしれないが、それでもヒナギクの声を、焦ったようなヒナギクの声を聞いたのだ。
その場で留まることなどできるわけもない。
そうしてレンは全速力で雑木林の中を駆け進む。
レンの頭の中からはテンゼンのことではなく、ヒナギクのことだけになっていた。
「ヒナギク。無事でいて」
大切な幼なじみであるヒナギク。どんなときも一緒にいてくれて、誰よりもレンを理解し、肯定してくれる。
そんなヒナギクをレンは誰よりも守りたいと願っている。
「私は守られるだけのお姫様じゃないよ」
そのヒナギクからつい先ほどに言われたことが脳裏に浮かぶ。
第1試合のレンの行動を批難したものだ。
身を挺してヒナギクを守ろうとしたのに、そのヒナギクに怒られてしまった。
たしかにやりすぎだったかもしれないが、それでもレンにとっては当然のことだったのだ。
だが、レンにとっての当然はヒナギクにとっては当然ではない。
ほぼ語ることなく意思疏通ができるふたりだが、そこだけは一致しない。その一点だけが、意見は合わなかった。
(わかっているよ。ヒナギクの言いたいことなんて)
そう、言われなくてもレンはヒナギクの言いたいことは理解していた。理解しているけど、納得はできないのだ。
「……俺はヒナギクをもう傷つけたくないんだよ」
子供の頃の失敗を二度と繰り返すわけにはいかない。
だからこそ、ヒナギクを守りたい。いや、守らなければならないのだ。たとえこの身がどうなろうとも。
「ヒナギク。無事でいてくれ」
レンは焦る心を抑え込みながら、雑木林の中を駆け抜け、そして──。
「さて、レンが来るまでどうしようかな? どうしてほしい、ノンちゃん?」
──地面に倒れ伏したヒナギクとその前で刀を持ったフードで顔を隠した黒い外套のプレイヤーが立っていた。ヒナギクは胸を押さえてプレイヤーを見上げていた。
(あれが!)
ヒナギクの言っていた通りの外見であり、声もまたヒナギクの言うとおりなのだろう。
(これが俺の声なのか)
普段の自分の声と実際の声の差異があれど、これが自分の声なのだろう。妙な気分になる。
だが、なによりもヒナギクの呼び名だ。ヒナギクを「ノンちゃん」と呼んだ。
もう確定だろう。
「兄ちゃん!」
レンはテンゼンを呼んだ。
するとテンゼンは振り返りながら言った。
「やぁ、久しぶりだね、レン。いや、いまはボクのかわいい「弟」と言った方がいいかな?」
テンゼンは笑っていた。笑いながらレンを見て「弟」と言った。その時点でテンゼンがレンの兄であることは間違いない。……あえて「弟」と言ったのが半分は皮肉で、もう半分が呆れていることもまた間違いはないだろう。
「兄ちゃん。なんでヒナギクを攻撃した?」
「してはいけなかったのか?」
テンゼンは不思議そうに言った。その言葉にレンはかっとした。
「ヒナギクがなにをしたんだよ!? あんたに攻撃を受けるようなことをヒナギクはしたのか!?」
「いいや? ノンちゃんはなにもしていないよ?」
「なら、なんでヒナギクを傷付けるんだ!? ヒナギクは兄ちゃんになにもしていなかったんだろう!?」
ヒナギクを傷付けられた。それはレンを怒らせることと等しいことだった。
それはテンゼンとて理解していた。理解したうえでテンゼンはあえてヒナギクを狙っていたのだ。その理由をレンは知らなかった。
「……ノンちゃんからは聞いていないのかい?」
「なんのことだよ!?」
「……ふむ。どうやら余計な気を使ったみたいだね。やれやれ伝言ひとつさえもできないのか。思ったよりも使えない子だったんだね、君は」
ヒナギクを見下ろしながら、テンゼンは言った。その言葉にレンの表情が変わった。
「いま、なんて言った?」
「頼んだ用事もまともにこなせない使えない女、と言ったよ? 聞こえなかったのかい、レン」
テンゼンは笑う。笑いながらその手にある刀を振り下した。
その先にいたヒナギクの胸元にその刀身は吸い込まれるようにして振り下された。
紅いエフェクトが宙を舞った。その瞬間、レンはテンゼンへと斬りかかった。
「許さねえ! たとえあんたであっても、ヒナギクを傷付けたことを許さねえ!」
レンは目を血走らせながら叫ぶ。だが、テンゼンはレンの一撃を片手で受けとめていた。
「……許さない? じゃあ、どうするんだ? ボクはノンちゃんを斬ったのだけど、おまえはボクをどうするつもりなんだい、レン?」
にやりと笑うテンゼンにレンは叫んだ。
「斬る! たとえ誰が相手だろうと、ヒナギクを傷付けた奴を俺は許す気はない!」
「そうか。じゃあやってみせろよ。おまえごときにできるのであれば、な?」
「後悔するなよ、クソ兄貴!」
「後悔させてみなよ、愚妹」
嘲笑うテンゼンと怒りに燃えるレン。そうしてふたりの、実の兄妹での斬り合いは始まったのだった。




