68話 ひと言のメール
舞台袖では、最終試合で争った「三空」と「ザ・ジャスティス」の面々が今度は口で争っていた。
タマモはとっさに通路の陰に隠れながらも二組のやり取りを眺めることにした。
「──なぜでしょうか? アッシリア姉様は、PKをするような不遜な方ではありません。最も優れたPKKとして名を馳せたお方です。それはあなたとてご理解しておりますよね、アオイ殿」
「くどいと言うたぞ、ナデシコとやら。だが、貴様が言うように「明空」、いや、アッシリアはたしかにかつて最高のPKKとして名を馳せておった」
「そうです。だからこそまた我らと──」
「だが、それは過去の話よ」
言い募るナデシコを一言で切り捨てるアオイ。ナデシコは「え?」と言って呆然としていた。
それまでなしのつぶてのように、アオイにはまるで相手にされなかったのだろう。
それが一転して認めるようなことを言われた。
わずかな希望があると思っていた矢先に否定をされてしまったというところなのだろう。
それをわかって行ったのか、アオイは人の悪そうな笑顔を、口元を歪めながら笑っていた。
「貴様の、貴様らの慕った「褐色の聖女」はすでにいないのだ。ここにいるのはわが右腕「明空」である」
「……たしかにいまはそう名乗られているのでしょうが、アッシリア姉様はPKKであって──」
「だからそれは過去の話よ。そもそもPKKとは闇堕ちしたプレイヤーでもなれるものなのかな?」
「それ、は」
ナデシコが言葉を詰まらせた。
しかしアオイは容赦なく続けていく。
「どうした? 我は闇堕ちしたプレイヤーでも、PKKになれるのかと聞いているだけだが?」
「……特例とすれば」
にやにやと楽しげに笑うアオイに、ナデシコは苦汁に満ちた声で言った。だがその一言さえもアオイはあっさりと切り捨ててしまった。
「はっ! なにを言うか思えば特例じゃと? バカも休み休み言え」
「な!」
「よいか、ナデシコとやら。特例というのは、本来してはならぬものよ。なぜなら特例とは一度でも行えば恒常化しかねぬ火種をはらむものよ」
「……お言葉ですが、そう何度も行うことはありませぬ。あくまでも対象がアッシリア姉様だからであり──」
「なぜじゃ?」
「は?」
「だからなぜ、アッシリアならよいのじゃ?」
「それはアッシリア姉様には特例を行使するほどの功績もありますし」
「ならば、アッシリアと同等の功績ないし劣る部分もあるが、多大な功績があるプレイヤーがいたらどうする? そのプレイヤーも闇堕ちしていたら? 貴様らはどうするのじゃ?」
「それは」
「それは?」
ナデシコがまた詰まらせた。
アッシリアだからこその特例という処置と言った手前、同じ特例という処置は行えない。
アッシリアほどではなくても、功績があるかつての仲間を見捨てることなどできない。
しかし一度闇堕ちした者をそのまま迎え入れるとなると、特例処置をするしかない。禊をしてもらうとしても、不運にも悪堕ちしてしまったという仲間とているかもしれない。
ただ運が悪かっただけなのに、悪堕ちしたというだけで禊をさせるのは憚れた。
禊を行わせる自分たちとて、ただ運がよかったというだけのこと。
なにかひとつ間違えていたら、同じ目に遭っていた可能性もあるのだ。
だから闇堕ちしたからと言って、禊をさせるというのは憚れた。
「よいか、ナデシコとやら。特例というのは便利ではあるが、便利なものほどある種の危険性、火種をはらむものだ。今回の「アッシリアであれば」など特にそうじゃろうよ。闇堕ちしていたが、もともとはPKKのトップだったとは言うたところで、不平不満を抱く者は必ずいるであろう。そのことをわかったうえでかつ、なにかしらの対策が、誰もが納得する方法があるというのであれば、そなたの話を聞いてやってもよい。しかし対策がなにもなく、ただ「アッシリアだから」という理由での引き抜きは聞かぬ。なぜならそんな仲良しごっこのおままごとのためにせっかくの右腕を手離す気はないからのぅ」
アオイはナデシコに背を向けて歩き始めた。ナデシコが声を制止の声を掛けてま完全に無視していた。
その姿からはタマモが知っているアオイとは別人のようであった。
(本当のアオイさんはどっちなんでしょうか?)
通路の陰に隠れながらもタマモは遠ざかるアオイを眺めていた。アオイは珍しくタマモには気づかなかったようだ。ナデシコの制止を無視して行ってしまった。
その後を謎の男性プレイヤーが続いた。男性プレイヤーもまたタマモには気づくことなく通りすぎていく。そして最後にアッシリアが通った。
「ア──」
「アッシリア姉様!」
アッシリアに声を掛けようとしたが、タマモよりも速くナデシコが声を掛けた。それもタマモの声を塗りつぶすような大きな声でだった。
アッシリアはナデシコの方へと振り返った。ちょうとタマモに背を向ける形でだった。
「私は、私たちはもう一度姉様とご一緒に──」
「……ごめんね、ナデシコ。いまの私は「褐色の聖女」ではないの。いまの私は「明空」のアッシリアだから」
それだけ言ってアッシリアはナデシコから顔を背け、踵を返した。
「ぁ」
アッシリアが踵を返したのは、振り返ったのと真逆、ちょうどタマモがいる方へだった。通路の陰から出ていたタマモをアッシリアが見つけるのは必定だった。
アッシリアと目が合い、タマモはなんと言えばいいかわからなくなってしまった。
(ごめんねって謝るべきですよね。で、でもどう切り出せばいいんでしょうか?)
謝るべきなのに、続く言葉が思いつかず、タマモは固まってしまった。口に出るのは「あー」とか「うぅ~」などのまともな単語ではない言葉だけ。
そんなタマモを見てアッシリアは朗らかに笑った。笑いながら舞台の方を指差した。
「ほぇ?」
舞台の方を指差されてもなんのことなのかはよくわからない。
不思議そうに首を傾げるタマモを見て、アッシリアは笑いながらメニューウィンドウを開くと、なにかしらの動作をした。
「またね」
ひらひらと手を振り、アッシリアは通りすぎていく。
「待って」
タマモはアッシリアを呼び止めようとしたが、不意にメニューウィンドウが開いた。
見れば、「プレイヤー「アッシリア」からのフレンドコード」が送られました」と表示されていた。
「フレコ?」
送られたフレンドコードを受諾すると今度は「プレイヤー「アッシリア」からのメールが届いています」と表示された。
「なんでメールなんて」
恐る恐るとアッシリアからのメールを受け取るとそこには短い一文だけがあった。
「1時間後にあなたが座っていた付近で待っていて、まりも」
──そのメールは短かった。短かったが、はっきりと「まりも」と書かれていたのだ。
タマモは息を呑んでから慌てて通路に出る。
アッシリアはずいぶんと小さくなっていたが、まだ見える位置にいた。
なんて答えればいいのかはわからない。わからないがタマモはアッシリアを見つめていた。
するとアッシリアは振り返ることなく、ひらひらと手を振っていた。
その姿は莉亜そのものだった。
「待っているからね」
遠ざかっていくアッシリアの背中へとタマモは呟くように言った。
するとアッシリアは振り返り、「うん」とだけ頷いてくれた。
タマモの視界は自然と歪んでいく。
歪んでいく視界でタマモはアッシリアをじっと見つめながら手を振ったのだった。




