66話 毒の使い手
跳躍したアッシリアは右手を構えた。
「起きなさい、アル」
アッシリアは右手に向かって、なにも装備していないはずの右手に向かって声を掛ける。
するとなにもなかったはずの右手に真っ白な手甲が、右拳まで覆う真っ白な手甲が現れた。
『「明空」改めアッシリア選手の腕に真っ白な手甲が現れましたぁぁぁーっ! あれがアッシリア選手のEKなのかぁぁぁーっ!』
煽るような内容の実況ではあるが、その煽りに観戦していたプレイヤーが歓声をあげ始めた。
(まぁ、普通に考えたら驚くでしょうね)
なにもなかったはずの右手にいきなりEKが現れれば誰だって驚くだろう。
アッシリアも最初は驚いたものだ。
しかしいまはかえってその能力を気に入っていた。いくらか問題はあるが、名前的には問題はない。正確には連想させる名前というだけのことではあるのだが。
「ブレード」
指示を送ると手甲の先──右拳の先に真っ黒な剣が、ちょうどアッシリアの拳から肘くらいの長さの両刃剣が現れた。
その両刃剣を突進していた大剣士の頭上にと振り下ろす。
振り下ろした影響でアッシリアの体は空中でくるりと縦に回転した。さながら曲芸のような動きに観客席からまた歓声があがる。
歓声と同時に大剣士の頭部を黒い剣が切り裂いた。
血の代わりの赤いエフェクトが宙を舞う。
『アッシリア選手の変則的なバックスタッブが炸裂!スコット選手のHPバーが大幅に減りました!』
実況が白熱していた。
しかしアッシリアは気にすることなく大剣士ことスコットに追撃を仕掛けようとした。
「はぁぁっ!」
だが、大きな深呼吸が聞こえてきた。その後すぐに肌を差すような烈帛の気合いとともに風のように速い一矢が放たれた。
(腕をあげたね、ナデシコ)
迫りくる一矢を放ったのは、「ザ・ジャスティス」のマスターとなった弓士のナデシコ。かつてアッシリアが頼りにした右腕であり、「ザ・ジャスティス」のサブマスターだった。
アッシリアが抜けてから順当に「ザ・ジャスティス」のマスターになったようだ。ベータテスト時には少々真面目すぎて融通が利かないところもあったが、ナデシコであれば問題なくマスターとしてやっていけるだろう。
その証拠に「姉様」と慕うアッシリアにも容赦なく全力攻撃を仕掛けてきている。
(であれば、応えてあげないとね)
全力には全力を。
ゲームとはいえ、本気で戦いを挑む相手にはそれ相応の対処をする。それがアッシリアの流儀だった。
「アロー」
上下逆で空中にいたアッシリアは、体を強引に振り替えって右腕を振るった。右拳の先に現れていた黒い剣が手甲から放たれた、ナデシコの放った一矢へと向かっていく。
そうして放たれた黒い剣とナデシコの一矢は空中でぶつかり合い、結果ナデシコの一矢は砕け散り、アッシリアの剣が逆にナデシコへと迫っていく。
ナデシコは驚愕としながらも後ろに飛んでアッシリアの黒い剣を回避した。それまでナデシコが立っていた場所に黒い剣は深々と突き刺さった。突き刺さると同時に剣の刀身がわずかに欠けた。
(矢を砕け散らせても、舞台までもは無理みたいですね)
突き刺さった剣が欠けるのを見て、ナデシコは黒い剣の耐久性はそこまで高いものではないと踏んだ。
そうして黒い剣の耐久性をナデシコが確認している間に、アッシリアは舞台に手を着き、バク転の要領で着地する。
ほんの数十秒ほどだが、一進一退の攻防というには、アッシリアがやや一方的に攻め立てていた。
それでも人数不利には変わりなく、このままの攻防が続くのかと思われた。そのときだった。
「うぅっ!」
大剣士のスコットがいきなり呻き声をあげるとそのまま倒れこむと、スコットのHPバーが砕け散った。
『スコット選手のHPが砕け散りました!なにが起こったのでしょうかぁぁぁ!』
実況が叫ぶ。その叫びに白々しいとアッシリアは思った。
(なにが起こったのでしょうか、ってわからないわけがないでしょうに)
実況も運営が行っていることを踏まえたら、なにが起こったのかがわからないわけがなかった。
わかったうえでのマイクパフォーマンスをしているのだから、つくづく面倒な連中の集まりのようだ。
もっともなにがあったのかわからないプレイヤーにとっては、チートのように映りそうだが。
「……「致死毒」ですか」
ナデシコが不意に呟いた。
わざわざ口にするほどのことでもないはずだが、わざわざ口にするということはチートなど使っていないと証明する一方でアッシリアを丸裸にするつもりなのだろう。
「ご名答よ。よくわかったね、ナデシコ」
「スコットのHPバーがいきなり砕けましたからね。考えられるのは毒。それも非常に強力な毒です。最低でも「猛毒」は確定。ですが、「猛毒」であれば、もっと早く異常が出ます。その異常が出ずにいきなり砕けた。となれば「致死毒」くらいでしょう」
「相変わらず鋭いのね、ナデシコ」
「……あなたにさんざん鍛えられましたから、ね」
ナデシコが目を細めていた。その表情は悲しみに染まっている。ナデシコのその表情にアッシリアの胸はわずかに痛んだ。だが、わずかにしか胸が痛まないことに少しだけ愕然となりそうになるも、どうにか取り繕うとした。
「……私たちとの連絡を断たれたのは、そのEKを手に入れられたからですか?」
ナデシコは矢を番えながら、間髪いれずに尋ねていた。
「……そうよ。この子を手に入れたことがきっかけだった。この子を十全に使いこなさいとあなたたちにも被害が出ると思ったの」
「……ではなぜ、アオイ殿と同じクランに所属されているのですか?」
大きく深呼吸をしてから番えた矢を放つナデシコ。その矢に合わせて「ザ・ジャスティス」のメンバーがアッシリアに突撃していく。
いつのまにかアッシリアの後ろと左右を囲んでいた「ザ・ジャスティス」の残りの面々。ナデシコは正面から矢を放つことでアッシリアを牽制する役目であり、囮だった。
4方向からの同時攻撃。いくらアッシリアも規格外のひとりとはいえ、4方向からの同時攻撃を捌けるわけがない。
だからこそナデシコはみずから囮となった。みずから囮となって、残りの3人の匂い消しをしたのだ。
その結果、アッシリアの動きはわずかに硬直した。
3つまで防がれても残りひとつは確実に入る、とナデシコは確信していた。
だが──。
「……大胆な策だけど、詰めが甘い。モードパラライズ」
──ナデシコの確信を嘲笑うようにアッシリアが指示を告げた。いったい誰にと思ったとき、アッシリアの手甲からふたたび剣が現れた。ただし色は少しだけ黄色がかっていた。
「っ! 攻撃ちゅう──」
「遅い。パラライズドサークル」
ナデシコはとっさに残りの面々に攻撃を中断させようとした。
だが、それよりも 速くアッシリアは円を描くようにして剣を振るった。
その一撃はアッシリアに迫っていた「ザ・ジャスティス」の残りの3人に命中した。
だが、その一撃はほんのかすり傷程度のダメージしか与えられなかった。
そう、ほんのかすり傷だった。だが、そのかすり傷が致命的な結果を生むことになる。
『おおーっと! どういうことでしょうか! アッシリア選手に迫っていた「ザ・ジャスティス」のシオン選手、エスパーダ選手、グラン選手の動きが止まりました! いったいなにがあったのかぁぁぁ!』
実況が言う通り、アッシリアに迫っていた「ザ・ジャスティス」の残りの3人──剣士のシオン、槍士のエスパーダ、そして新人の双剣士のグランはぴたりと動きを止めていた。だが、気絶しているわけではなく、単純に体を動かすことができないでいた。
「今度は「麻痺毒」です、か」
「……ご名答。少なくともこの試合中はその3人は動けないと思うよ」
アッシリアは「ザ・ジャスティス」の3人の脇を通ってナデシコへと近づいていく。ナデシコはとっさに距離を取りながら矢を放とうとした。だが──。
「っ!?」
──ナデシコの体は不意に止まった。それこそシオンたち3人のように体を動かすことができなくなっていく。そんなナデシコにとアッシリアはゆっくりと迫っていった。迫りながらアッシリアは言った。
「ご名答とは言ったけれど、正確にはシオンたちに使ったのは「麻痺毒」じゃないよ。あれは「神経毒」であって、「麻痺毒」ではない。「麻痺毒」はとっくに使っていたよ。とても弱いものをだけどね」
アッシリアはナデシコの矢を砕いた黒い剣を指差した。
「その剣はナデシコの言った「致死毒」が込められている。でもね、「致死毒」だけじゃないんだよ。その剣は刀身が欠けると中からとても弱い「麻痺毒」が拡がるようになっているの。もちろん剣に近ければ毒は強くなるけれど、よほど大量に吸い込まない限りはなんの問題もない。たとえば剣の近くで深呼吸でもしない限りは、ね」
「っ!」
「モードパラライズ解除」
ナデシコが息を呑むと同時にアッシリアは踏み込んだ。
「全力の攻撃をするときに深呼吸をする癖は治した方がいい。そう何度も言ったと思うのだけど、聞いていなかったんだね、ナデシコ」
アッシリアはナデシコの懐に飛び込みながら言う。そして下から掬い上げるようにして黒い剣でナデシコの体を斬った。深々と胸を斬られたナデシコのHPバーは「致死毒」の効果により砕け散った。
「「ザ・ジャスティス」のマスターの戦闘続行不能を確認しました。よって本戦1回戦最終試合の勝者はクラン「三空」となります」
ナデシコのHPバーが砕け散ると同時にアナウンスにより勝ち名乗りが上がる。そうしてアオイとは異なるものの、アッシリアもまたPKKたちに完勝した。こうして3日目の全試合は終了したのだった。




