55話 テンゼン
「──勝者は「フィオーレ」となります」
聞こえてきた勝ち名乗りに、タマモが空へと向かって叫んだ。
その姿をヒナギクはレンを肩に担ぎながら見守っていた。
「……本当に勝っちゃった」
ヒナギクは唖然となった。
ヒナギクはタマモが勝つとは思っていなかったのだ。正確にはひとりで勝てるとは考えていなかった。
(どこかで助けてあげなきゃいけないと思っていたのに)
タマモに「フルメタルボディズ」のマスターの相手をさせていたが、どこかで介入しないといけないだろうなとヒナギクは思っていた。
しかしその「フルメタルボディズ」のマスターをタマモはひとりで撃退したのだ。
昨日はヒナギク自身がお膳立てをしていたから、勝つだろうと思っていた。
だが今回はお膳立てなどなかった。多少そういうことになるような行動は取ったが、ほぼタマモの独力だけで「フルメタルボディズ」のマスターに打ち勝ったのだ。
その勝利を誇るようにしてタマモは叫んでいた。
本来なら叫ばない方がいいのだろうが、そうしたくなるような激闘だったのだから、無理もない。
その証拠にいまのタマモに対して目くじらを立てる者はいなかった。誰もがタマモの頑張りに惜しみのない拍手を贈っていた。
その姿を見て、ヒナギクは誇らしさを覚えていた。
(タマちゃんは頑張ったというのに)
肩に担いでいるレンを見やると思わずため息が出てしまうヒナギク。
レンはぐーすかと寝息を立てて眠っていた。
なんとも情けないものである。
もっともレンはそれほどのダメージを負ったのだから無理もない。
だから呆れはしても怒る気はヒナギクにはなかった。
「本当に仕方がないんだから」
やれやれとため息をヒナギクが吐こうとした。
「──まったくだね。本当に情けない」
不意に声が聞こえてきた。その声に思考が止まるヒナギク。
(……いまの声は)
思わず肩に担いでいるレンを見やるも、レンは相変わらず寝ている。
「相手のことも考えずに「守る」? まったくバカバカしい」
吐き捨てるように言われた言葉。その言葉を発した声にヒナギクは覚えがあった。いや、覚えがないわけがなかった。なにせその声は──。
(いくらか低いけど、この声はレンの声だ)
──その声は現実でのレンの声だった。産まれたときからずっと一緒だったレンの声をヒナギクが聞き間違えるわけがなかった。
だが、その当のレンはいまヒナギクが担いでいる。そもそもアバターで現実の声が出せるわけじゃない。
なのになぜいま現実のレンの声が聞こえているのだろうか?
「少し驚かしちゃったかな? ごめんよ」
ふふふ、と笑う声。周囲を見回すも誰もいない。
(いったいどこから?)
ヒナギクは自然と身構えていた。身構えながら周囲を見回していると──。
「あぁ、こっちだよ」
──背後から声が聞こえた。体ごと振り返ると個人部門の舞台が見えた。その舞台の上には──。
「やぁ、ひさしぶりだね。ノンちゃん」
──顔まですっぽりと覆うフード付きの外套を身に着けた小柄なプレイヤーが右手をひらひらと振っていた。
それもただ手を振っているわけではなく、対戦相手の甲冑姿のプレイヤーのEKを左手の人差し指と中指で挟みながら手を振っていたのだ。
『テンゼン選手、余裕の表れでしょうか? クラン部門のヒナギク選手をナンパしています!』
実況が捲し立てるようなことを言っているが、ヒナギクにとってはどうでもいいことだった。
「いま、なんて?」
「うん?」
「いま私をなんて呼んだの?」
実況が言った「テンゼン」というのが、いま目の前にいるプレイヤーだろう。
そんな名前の知り合いのプレイヤーはいない。当然フレンドにもいなかった。
だが、テンゼンは親し気に話しかけてくる。テンゼンはヒナギクを知っているようだった。
いや、テンゼン側からだけではなく、ヒナギクもテンゼンを知っているのがあたり前のような口調をしていた。
それこそまるで昔からお互いに知っている相手であるかのようにだ。
そしてなによりもテンゼンが口にした「ノンちゃん」という名前だ。その呼び名はヒナギクの幼少の頃の不本意なあだ名だった。
そのあだ名をなぜテンゼンは知っているのだろうか?
そのあだ名は昔からの友人であっても知らないものだ。
そのあだ名を知っているのは、レンとレンの家族、そしてレンの家が経営している道場の仲間くらいだ。
その中で「ひさしぶり」と言われるような、ここ最近会っていない人と言えば──。
「まさか」
──思い当たる人物がひとりだけいた。その人物の名前を口にするよりも早く、テンゼンは対戦相手のEKを離した。同時に対戦相手がゆっくりと倒れ込んでいった。
『斬月選手、ダウン! 先手でEKを振り下してから一切の動きがなかった斬月選手ですが、テンゼン選手にEKを手放されて倒れ込みました! いったいなにが起こったんだぁぁぁ!?』
実況が困惑していたが、ヒナギクにはテンゼンが斬月というプレイヤーにしたことがなんとくわかった。
おそらくは斬月がEKを振り下した際に、カウンターをテンゼンが入れたのだろう。それも視認できない速度の一撃を恐ろしいくらいに正確に放ったのだろう。その一撃で斬月は気絶した。
だが、それを悟らせないためにわざとEKを掴んですぐそばでヒナギクたち「フィオーレ」の試合を観戦していたのだろう。
(言葉にすれば簡単だけど、実際にできる人なんてそうそういるわけがない。でも──)
テンゼンの正体が想像通りであれば、想像通りの人物であればたやすく行えるだろう。それほどにその人物は規格外の存在なのだから。
「斬月選手の戦闘不能を確認しました。よって本戦個人部門第一試合の勝者はテンゼン選手とします」
アナウンスがテンゼンの勝利を告げた。あまりにも唐突な内容に会場内が唖然となっていた。しかしテンゼンはそのことを気にすることなく、舞台をそそくさと降りてしまった。
「ま、待ってください!」
ヒナギクはテンゼンを呼び止めた。テンゼンは足を止めて振り返った。
相変らずフードで顔を隠しているため、テンゼンがどんな表情を浮かべているのかはわからなかった。
それでも、それでもヒナギクはテンゼンを呼び止めた。
(せめて、せめてレンが起きるまで待っていてもらわないと)
テンゼンの正体が予想通りの人物であれば、レンは誰よりも会いたがっているはずだ。
なにせ三年間も会えていなかった相手なのだ。
当然レンであれば会って話をしたいと思うはずだった。
そしてそれはきっとテンゼンとて同じはずだとヒナギクは思っていた。
だからこそもう少しだけテンゼンには待っていてほしいとヒナギクは思っていたのだ。だが──。
「ひとつ言伝をお願いするよ、ノンちゃん」
「言伝、ですか?」
「ああ。君が担いでいるバカにだよ。「いずれまみえるときが来る。そのときは僕がお前を斬る」と。そう伝えておいてほしい」
「……え?」
言われた意味をすぐに理解することができなかった。
しかしテンゼンはヒナギクの困惑を無視するようにして歩き出してしまう。
もう止まる気はないのか、「待ってください」と叫んでもテンゼンはそのまま立ち去ってしまった。
「いったい、どういうことなの?」
ヒナギクにはテンゼンの意図がわからなかった。わからないまま、テンゼンの後ろ姿を見つめることしかできなかった。




