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73話 穏やかな人は怒らせちゃいけません←

 一筋の煙が空へと舞い上がっていた。


 煙とともにパチパチと火が爆ぜていく。


 火が爆ぜるとともに、火の周りに串刺しされた魚と香辛料を掛けられた霜降りの肉がじゅうじゅうと脂を滴らせていく。


 滴る脂は爆ぜる火へと容赦なく降りそそぎ、その度に火は勢いよく燃え盛る。


 燃え盛る火へとそっと手が差し伸べられた。


 火の中に直接手を差し込むわけではなく、火を囲む串を次々に反転させていく。


 反転するたびに、魚には塩を、霜降り肉には香辛料をわずかながら追加していく。


 追加した塩と香辛料によって、芳しい香りが辺り一帯に立ちこめていた。


 火がなければ、顔を近づけてその香りを楽しむ者もいたかもしれない。


 が、再び滴る黄金色の脂によって、火は再び盛った。


 いくら距離があるとはいえ、盛る火に顔を近づけようとする者はいない。


 が、代わりとばかりに腹の虫が盛大に鳴り響く。


「あぅ」という愛らしい声が暗闇の中でこだまする。


 二重の音にその場にいた全員の視線が、声と音の出所へと向けられた。


「……み、見ないでください」


 顔を真っ赤にしてひとりの少女が、マドレーヌが俯いた。


 頭上にある立ち耳はペタンと伏せられ、二又に分かれた尻尾は動揺しているのかぷるぷると震えている。


 本人の表情以上にマドレーヌの心情をこれでもかと表していた。


「まぁ、いい匂いだからねぇ」


 俯くマドレーヌを見て、タマモは口元を押さえながらおかしそうに笑った。


 マドレーヌを見やりながらも、タマモは薪をくべながら、火を囲む串を見つめていた。


 パチパチと静かに火が燃える。


 薪とともに滴る肉汁を飲み込みながら、盛んに燃えていく。


 火が燃えるたびに、闇は払われていく。


 尤も払えるのはほんのわずかな範囲のみ。


 その範囲外は変わることのない闇に覆われてしまっていた。


 そんな周囲が闇に覆われた中、タマモたちは樹海の一角に、聖風王によって連れてこられた聖風王の居城へと来ていた。


 いや、正確に言えば、聖風王の居城は樹海そのもの。


「ガスト」近郊を覆う広大な樹海そのものが聖風王の住処であるが、聖風王が寝床とし、執務を行う場所がある。


 それがタマモたちがいまいる場所。樹海の中央に位置する大木による回廊にして、聖風王の座す居城「巨樹回廊」であった。


 その「巨樹回廊」のちょうど中央。木々が折り重なったことで生じた聖風王の玉座へと繋がる道の終点にして、巨樹によって隠された岩山の頂上にタマモたちはいた。


 見晴らしはそれなり。


 岩山を隠すようにして存在する巨樹たちによって、見通しは悪いため、絶景を楽しむことはできない。


 それでも頂上ゆえか、木々の頭上を吹き抜ける風は浴びることくらいはできた。


 巨樹が壁となっているからか、吹き抜ける風は強くなかった。


 せいぜい頬を撫でていくような柔からなものくらい。


 そのくらいがちょうどいい塩梅だった。


 強すぎると頂上ゆえに寒くなり、弱すぎればかえって感じられない。


 吹き抜ける風の音はすれど、タマモたちに辿り着くのは頬を撫でる程度の弱々しいもの。


 その風が、いまはとても心地よかった。


「ふぅ、心地よいものじゃ」


 アオイが風を浴びながら、目を閉じていた。


 目を閉じながらも、その手はそぉっと焚き火を囲む串へと伸ばされていく。


 が、タマモはしっかりとその動きを見ていた。


「てい」


「ぬっ!」


 タマモはアオイの手にとぽこんとおたまを振り下ろす。


 気付かれていたことに動揺するアオイ。


 そんなアオイをタマモは笑顔で睨み付け、アオイはその笑顔に沈黙を余儀なくされた。


 冷や汗を搔きながら、アオイは「空希にそっくりだ」と内心で思う。


 現実の葵お付きのメイドである空希は、この手のことにはとんでもなく厳しい。


「お嬢様?」と首を傾げるだけだが、その目は冷徹そのもの。普段の優しさなど欠片もなく、ただただ恐ろしかった。


 そのときの空希といまのタマモはとてもよく似ていた。


 なお、葵が空希を怒らせたのは、一緒にティータイムを楽しんでいた際に、等分に割りふった焼き菓子を空希が残していたのを見て、「食べないのなら貰いますよ」と葵が取ろうとしたからである。


 どちらにも共通するのは、アオイが食い意地を張ってしまったことである。


 そして食い意地を張ったアオイを見やるタマモと空希はそれぞれに冷徹と言ってもいいまなざしを向けてくることも含まれる。


 アオイにとって、当時の空希の冷徹なまなざしは半ばトラウマとなっていた。


 そのトラウマを刺激され、アオイは「……ごめんなさい」と顔を背けながら謝っていた。


「まったく、いい歳して食い意地を張るなんてみっともないですね」


 ふふんと胸を張りつつ、マドレーヌは「そろそろかな」と串に手を伸ばした。


 アオイはともかく、妹分である自分であればタマモも優しく接してくれるはず。そうマドレーヌは思った。


 だが──。


「こら」


「はぇ?」


 ──ぽこんとマドレーヌの手にもおたまは振り下ろされた。


 想像もしていなかった光景に、マドレーヌの思考は停止する。


 恐る恐ると顔をあげると、そこには見たこともないほどにきれいな笑顔を、青筋を浮かべながら、にこやかに笑う敬愛する姉がいた。


「ひぅっ!」と素っ頓狂な声をあげながら、マドレーヌは叩かれた右手を急いで引っ込める。


「円香もなにしてんの」


「だ、だって、そろそろ、かなって」


「だって?」


「えっと、その」


「円香?」


「……ごめんなさい、姉様」


 無言の圧だった。


 マドレーヌを笑顔とともに無言の圧が襲ってきた。


 その圧にマドレーヌは屈し、アオイと同じように顔を背けながら謝ったのだ。


「くくく、いい歳して食い意地を張るか。そなたも我のことをとやかく言えぬようじゃなぁ、マドレーヌよ」


 喉の奥を鳴らすようにしてアオイが笑う。擬音で言えば「にちゃぁ」というものが似合うような、なんとも粘着質な笑みであった。


 その笑みに「はぁぁぁ!?」と一気にマドレーヌは沸騰する。


「私はまだ小学生なんで! だから食い意地を張っても仕方がないんです! 成長期まっただ中ですので!」


「はん。ただ食い意地が張っているだけであろうが? そもそも成長期だ? そんな貧相な体でよくまぁほざくのぅ」


「ま、まだ成長期が始まったばかりですから! それにそっちはもう成長期も終わったおばさんのくせに、なんで食い意地張っているんですか!」


「お、おば!? 我はまだ未成年じゃわい! それをおばさん? おばさんじゃとぉ!? 貴様、死にたいのか、小娘ぇ!」


「あーあ、やだやだ。若いって言うのであれば、「おばさん」扱いくらい簡単にスルーしてくださいよ。みっともないなぁ」


「こ、こんのつるぺた寸胴の分際でぇ」


「だ、誰がつるぺた寸胴ですか!?」


「おまえじゃわい!」


「違います! あなたがおばさんなのは事実ですけど!」


「貴様ぁぁぁぁぁ!」


「なんだよぉぉぉ!」


 お互いに睨み合いながら唸るふたり。


 しかし、そんなふたりへと静かな声が発せられた。


「……うるせえよ、おまえら」


「「っ!?」」


 その声はふたりに挟まれる形で焚き火を囲んでいたタマモである。


 ふたりがお互いへとむける罵声は、ものの見事にタマモにも直撃していたのだ。


 もっと言えばクリティカルヒットしていた。


 アオイが言う「つるぺた寸胴」は現実のタマモの体型であり、マドレーヌの言う「おばさん」は、マドレーヌから見ればたしかに十歳近く年上のタマモは「おばさん」扱いされても仕方がないかもしれない。


 尤も体型はともかく年齢に関しては、タマモも来年成人式であり、まだまだ若いどころか、十分に若者の範疇である。


 ただ、十歳近く年上というのを社会人の構図に当てはめると、話は変わってしまう。


 仮に二十代の十歳上となると三十代ということになる。


 三十代も若者の範疇ではあるが、マドレーヌのような十代前半から見れば、「おじさん」や「おばさん」扱いされてしまう年代であることはたしかだ。


 とはいえ、それはあくまでも三十代であればの話。


 タマモのように成人式間近の年齢であれば、十代前半のマドレーヌから見ても「お姉さん」の領域だ。


「おばさん」扱いされる年齢ではない。


 が、マドレーヌの執拗な「おばさん」発言にタマモの心はひどく傷付いた。


 そこに加えて、アオイの「つるぺた寸胴」である。


 傷付いていたタマモの心にトドメとなる一撃となってしまったのだ。


 結果、タマモはブチ切れた。


 普段のタマモらしからぬ荒っぽい口調。


 アオイもマドレーヌも一度も聞いたことがない荒々しい言葉遣い。


 聞き間違いかとふたりが同時にタマモを見やる。


 そうしてふたりは同時にタマモに視線を向け、同時に悲鳴を上げた。


 そこには口元を妖しく歪ませて笑う、悪鬼という言葉さえも生ぬるく感じられるほどの禍々しい笑みを浮かべたタマモがいたのだ。


 その笑みにふたりは恐怖し、悲鳴を上げた。


 だが、その悲鳴を聞いてもタマモは止まらない。


「……喧嘩両成敗だよなぁ?」


 ゆらりとタマモが立ち上がる。タマモが立ち上がるとその背にあった「七尾」もゆらり、ゆらりと揺れ動く。


 揺れ動く七つの尻尾がひどく不気味だった。


「ままままま、待ってください、姉様ぁ! い、いまのは」


「そそそそ、そうじゃ。落ち着け、タマモよ! いまのはじゃな」


「……問答無用だ」


 より口元を歪ませて笑うタマモ。その笑みにふたりは「ひぅっ!?」と背筋を震わせた。


 その後、ふたりがどうなったのかは言うまでもない。


 そしてふたりは思った。


「普段穏やかな人は怒らせちゃいけないのだ」と。


 ふたりは心の底から思いながら、タマモによる折檻を受けることになったのだった。 

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