22.創作ノート③ ——「60×30」、演技シーン執筆とルールについて
前回に引き続き、「60×30」のお話をさせていただきます。今回はルールと創作、そしてプログラムについて。それなりにこのお話を読み進めてくださっている方はちょっと興味深く読めるかもしれません。
「本格的にプログラムを書きたい」という思いからこのお話は始まったわけだけど、スポーツ小説に避けられないのが「ルール」。
フィギュアスケートなんてまぁ、ややこしいルールがあるわけで。あのジャンプの基礎点はやれ難点、ステップがちゃんと踏めなかったからこのシークエンスはノーカン、演技構成点は、音楽との解釈は、など挙げればきりがない。しかも、2004—2005シーズンの以前と以後でルールがまるっきり違うので、そのあたりも考えないといけません。
フィギュアスケートのルールでもう一つ厄介なのは、「毎年ルールが微妙に変わる」というところ。例えば、去年までこのジャンプの基礎点は5.5点だったけど今年からは5.3とか。(実際、バンクーバー以後と以前で、3回転フリップの基礎点がこうなりました)今年からは両手を挙げてジャンプを飛んでも、加点要素にはならない、とか。スピンでのチェンジエッジは1回まで、とか。
変わったルールを上げていけばもうきりがない。
実はこの微妙なルール改正で、作中のプログラムをまるっきり変えなくてはならないことになった時があります。
それは2015年世界ジュニア、鮎川哲也のフリー。「千と千尋の神隠し」です。
というのも、最初哲也の世界ジュニアのフリーは割と正統派のクラシック曲の予定でした。ジャンプ構成は変わらないのですが、変わったのはステップ。
当初、初稿版を書き始めた2011年。この時ステップシークエンスでのレベル4が前よりも取りやすくなっていました。選手のステップをよく見たら……片足でステップの半分以上を滑っていたのです。昔「ステップシークエンスの半分を片足で滑ったらレベル4」というルールがあったのです。でもジュニアの選手ではステップでレベル4を取れた選手がいなかったので、「フリーで哲也がサーペンタインステップシークエンスを片足で半分以上滑ってレベル4」を書こうとしていたのです。……が。
確かソチの前です。片足で半分以上ステップを踏んでも、レベル4にはならなくなってしまったのですよ。両足でバランスよく豊富にステップを踏んだほうがレベル4になるようになったのです。まあ、当たり前といえば当たり前なんですが……やりたいことができなくなってしまった!
ので、「ステップが肝になる」というところだけ継承して、思い切って曲を変えることにしました。哲也が「ルッツが苦手のアクセルジャンパー」なので、ジャンプ構成がそのままなのは助かったと言えば助かった。問題は曲、曲。
……そこでどうして「千と千尋の神隠し」にたどり着いたのは正直あまり覚えていないのですが、いつの間にかそれを書くためにサントラを買い、カーステレオにセットして運転中に聞きまくり、プログラムを作るための準備をしていました。覚えていないといえば覚えていないのですが、「2015年時点の15歳の鮎川哲也に似合うような曲を堤昌親が選ぶなら」という観点で見れば、この選択が正しかったような気がします。曲も「龍の少年」と「千尋のワルツ」と「帰る日」をベースに4分間。
「千尋のワルツ」が入ってくれたことで、プログラムのイメージが「ハク=哲也」で「千尋=雅」になってくれた気がします。……まぁ、ぶっちゃけ一番死ぬほどしんどかった演技シーンの一つでもあり、一番読み返せないところです。お前、こんなことを考えながら……と作者が改めて思ってしまったでございます。
話がだいぶそれてしまいましたが、これがルール改正によるプログラム作成の影響の一つの事例です。
前の曲名はまだ作中で出てきていないのでここでも出しませんが、これが今2020年9月時点で書いている2016-2017シーズンの哲也のフリーの曲になりました。ルール改正がなかったら変わっていなかったかもしれませんが、「千と千尋の神隠し」に決めたとたん、15歳の哲也がこの曲で滑れるイメージが私の中でなくなってしまったのでよかったのかもしれませんね。
そんなわけで、プログラムを描く際には「曲」と「選手の技術、個性」と「ルールがどう適用するか」がいかに大事かがわかった事例です。すべてが適用してくれればそれほど苦労はしないのですが、それが結構難しかったりするんですよね。ストーリーの都合もありますし。
そこまで血反吐はいて書く必要は……?と聞かれそうですが、聞かれたらこう答えます。
それが書きたくて書いてんだよ!!!!!と!