13.靴下紛失とゴールデンビューティー 【トリノ五輪フィギュア観戦回顧録】
「オリンピックの女子シングル? 日本勢よりあのロシアの女王でしょ。マジたまんない」
……意味の取り方によっては非常に失礼な発言になるかもしれないが、これは高校時代の昼休み、トリノ五輪が最終盤に差し掛かった際「女子シングルどうだろうねぇー」というぼんやりした私の発言に対する友人の答えである。あのロシアの女王。言わずと知れたイリーナ・スルツカヤ選手である。両足出来る完璧な形のビールマンスピンに連続スリーターンからの3回転ループ。確かに現役時もプロになった今も素晴らしいスケーターだ。まさに私のアイドル。私はイーラの操る鞭になりたい。(ソルトレイクシティ五輪のエキシビションをご覧ください)
その日、生地がペラペラで穴の開いた靴下を気にしつつ、貴重な昼食時間の花を五輪と漫画の話で咲かせた。
トリノ五輪の時は今ほどスポーツ中継に興味はなかったので、早朝に行われているフィギュアスケートをつまんで観るか、終わった競技の結果を新聞見出しかニュースで見る程度だったとふと思い出す。……その4年後のバンクーバー五輪では現行ルール・選手を把握する立派なスケオタに昇格し、さらにその4年後のソチ五輪では『なんでロシア男子1枠なんだよおおおお!!!!』『ヴォロノフ選手うぎゃーーー!!』と、ことあるごとに血の涙を流すロシア男子シングルオタになることを、高校時代の私は知らない。
06年トリノ五輪のフィギュアスケートは、日本時間では早朝に行われていたのを覚えている。通っている学校の都合上、私は7時には最低でも家に出なくてはならず、なので最低でも6時半には起きていなくてはならないのだ。見るのにちょうどよかったというか、何というか。なので起きたら「スポーツは録画で見るより生中継」という両親がすでにテレビをつけていて、丁度安藤美姫選手が『蝶々夫人』を滑っていた。
起きた私はとりあえず着替えずにダラダラと第3グループから五輪を見始めた。最終グループが始まり、観戦しながらのろのろと寝間着から着替え、とりあえずもそもそと朝食を食す。靴下まだはいてないけどまあいっか、と思っていたら荒川静香選手の演技が始まる。
イナバウアーは確かに印象的だったが、私が一番美しいと思ったのはスパイラルである。支え手なしのY字スパイラルを見てガチで変な声が出た。当たり前のようにレベル4。深く、余裕さえも感じるスケーティングで演技が実行されていく。演技が終わり、これは凄いことになりそうだ、と思っていたら村主章枝選手の演技が始まる。靴下はいてないけどそれどころじゃない。あと3人だから最後まで見るぞ。村主選手のラフマニノフ、素晴らしい。第5滑走、キミー・マイズナー選手。キミー、ああキミー。最終滑走、イリーナ・スルツカヤ選手。頑張れ、イーラ!ああ、あああああ3回転ループがーーーあああーーーああーーー!!と変な悲鳴を上げつつ大丈夫、立て直せる!と念を送りつつ、全てが終わり、最終結果が発表される。
応援していた選手を考えると、悔しい結果でもあった。でも同時に、嬉しい瞬間でもあった。すべての選手が美しかった。その中でも荒川選手の輝きが凄まじかった。その時に出せたすべてが結果になる。これがスポーツだな、と思い……さあいい加減学校に行かないとな、靴下履かないとな、と現実に立ち戻り。
そこで家の中を見回して気が付く。
く、靴下が、ない!!!
3足しかない指定校の靴下がない!!!!
干されてもいなかったし畳んでもいない。部屋にも持って行っていないし、もしや、洗っていないのか!!?
ちょ、どこー!靴下様!!!出てきて――――!!!靴下指定だから別のやつはけないの――!!!おいでませ見つかってくださいませお願いしますので出てきてくださいませ靴下様―――――!!!!あと3分、あと2分で家を出ないといけないのに靴下がない!!!ついでに寒い!!!靴下に騒ぎつつテレビでは表彰式が行われている。荒川選手のゴールデンビューティーな笑顔が眩しいけど、私靴下がないの!!!!つーか私、なんで1時間以上も前から起きてたのに靴下見当たらないことに気が付かなかったの―――――!?
……と、日本中が『荒川静香、五輪金メダル!!!』『アジア人初のフィギュアスケート女子シングル金メダル!』『今大会日本人選手唯一のメダル!!!』で沸き上がっていた頃、私は指定高校の靴下を探して慌てふためいていた。結局靴下は当時存命だった乾燥機の中に張り付いていて、ついでにでかい穴が開いていて、しかも乾燥機は稼働していなくて入れただけで、つまりその靴下は生乾きどころか脱水はしたけど濡れているよ状態で、ちょ、夏ならともかくこの寒空これはかなあかんのん? と思いながら、履かないわけにもいかないので、履いて登校。電車の座席に座り、乾燥。つい10分前まで見ていた五輪のことをスッパリ忘れて靴下乾けと足元に念を送る。
ピョンチャン五輪を目前にして、ふと過去の五輪を自分自身がどう見てたかのか振り返りたくなったのだが、思ったよりこれ、最悪な記憶だった。
あの、12年前の自分、お願いだから感動の余韻を返して。