2話~チュートリアル? その1~
「よっと」
少女の小さな手は握っているうちにその体温が上がっていた。歩く速度も段々と遅くなり、先導していたのが俺の後ろに。歩き疲れたのか、もしくは熱でもあるのかと思い振り返ってみると、歩きながら舟を漕いでいた。
泣き疲れて眠くなってしまったのだろう。
もう村は見えているから、おんぶをしようかと言うと、半分寝ぼけた調子でうんと頷いた。
だからこそこうやって背負っているわけだが。余程眠かったのだろう、背負うや否や、すぐに寝息が聞こえてきた。
これには笑みが漏れた。
「全く今日会ったばかりの奴を信用し過ぎだろう。だが……悪くないな」
空が青い。雲一つないな。
そう言えばあちらの季節は秋。そろそろ冷え込んでくるような時期だったが反対にこちらの気候は暖かい。これもまた二つの世界の相違点だ。
橋の脇には腰に剣を差し、いつでも槍を構えられるように柱に立てかけたネコ耳と尻尾のある壮年の男性が立っていた。明るい茶色の髪を短く刈り上げ、鎖帷子の上に毛皮が付いた物を着ている。屈強な体を持ち、俺よりも大きい。つまり、180cm以上はあるのだろう。
ちょうど良い。また、情報収集といこう。もちろん、さり気なく、疑われないように、が最優先だ。
「こんにちは」
愛想のいい笑みを浮かべて、門番に話しかける。
「ん? 坊主、ここらじゃ見かけない顔だなぁ」
俺と同じように愛想のいい笑みを浮かべ、凭れかかったのを止めた。しかし、手を拭くふりをして、さりげなく腰の剣に手が伸びている。それを見逃しはしなかった。
やはり、警戒されているか。とりあえず、敵意は無く、警戒を解くの第一に考えるか。
「まあ、ちょっと迷ってしまいまして、そしたらこの女の子」
そう言って背中を向け、茶髪の髪を後ろで編み込んだ女の子、アンナを見せる。
ずっと背を向けているのは俺の心情的に落ち着かないので確認したのを見るとすぐに向き直った。
「村まで案内してもらってたんですけど、疲れてしまったみたいで寝てしまって。アンナって言うらしいんですけどこの子の家がどこにあるか知りませんか?」
「おお、そうだったのか。迷子か。アンナと出会えてラッキーだったな。そうかそうか。悪いな、てっきり何かあったのかと警戒しちまったぜ」
「いえいえ。それも当然ですよ。門番お疲れ様です」
自分から警戒をしていた事を話し、俺の様子を見るつもりか? 考えすぎならいいが、生憎俺はその程度の揺さぶりでボロが出る位の軟な演技力は持ち合わせていない。
「悪かったな。その子の家なら、入って真っ直ぐ行った所にある神殿の右側にある薬屋だ。看板も出てるから、分かりやすいと思うぜ」
「ありがとうございます」
村に入ると花園に劣る事は無い位綺麗な村だった。
道は一直線に石畳。道端には花々が植えられ、華やかだ。道から逸れた所を見ると水が流れ、村中にクモの巣の様に通っている。
300mほど行った先には厳かな雰囲気を纏ったその建物が存在感を主張していた。まるで、アテネのパルテノン神殿の様だ。石柱が何本も立ち並び屋根を支え、柱の内側には四方を壁に囲まれた部屋が見える。あそこで儀式やらを執り行うのではないだろうか? 人々といってもネコ耳、尻尾のある者たちの多くがあの部屋の中に入っていく。
見た限り村人の表情は明るく朗らかだ。
戦争などは無い平和な国なのだろうか? 日本と同じ位に平和に見える。だが、アンナの言っていたナフィと呼ばれるもの。これが何かは分からないが、決して安全とは言えない。
本当に安全ならば武装をする必要も、堀で周囲を囲む必要もないのだから。そうそう武装を許されているのはその危険がある門番だけでなく村人全員らしい。とは言っても差異はある。皆が皆屈強な体つきをしているわけではない事から戦士ではなく、ただの自己防衛のための手段として携帯が許されているのだろう。アンナもナイフを腰に差していたのだから、薄々勘付いてはいたが。
そんな事を考えていると目的地にたどり着いた。
でかでかと薬という文字が掲げられ、縁は花の絵で彩られている。
店内は閑散としているわけでもなければ混み合っているというわけでもない。絶えず人が出たり入ったりして物色、購入して出て行く。ここから見る限りだが、硬貨の様な物を渡して商品を受け取っていた。この調子ならば、ある程度安定した収入が見込める。
そう言えばこちらの貨幣価値を知らない。これも調べるべき情報の一つである。
商売の邪魔をするわけにはいかないし、アンナはそれほど重たくないので店の外で客の足が途切れるのを待った。
どこからともなく美味しそうな匂いが漂い始めると一人また一人と出て行った。どうやら昼食の時間か何かの様だ。
「さて、行くか」
頃合いを見計らって入っていく。
店内には店員らしき人物が二名。
一人は先程の男性と同じくらいの歳の恰幅のいい茶髪の女性。もう一人は俺と同い年位と思われる白く綺麗な髪の女性。
どちらもどことなくアンナと似ている。クリっとして人を疑う事を知らない大きな瞳だ。
「すいません。少々よろしいですか? 失礼ですが、お姉さんはアンナのお母さんですか?」
お世辞にもお姉さんと呼べるような歳には見えないが、そこはお世事だ。この女性をアンナの母親とふんで、話しかけた。
「いらっしゃい。って客じゃないようだね。アンナはうちの子だけど、どうかしたのかい。ん……その子はアンナ。アンタ何をしたんだい?」
今にも引っ手繰ろうという気迫が感じられるが、それは許さない。俺はアンナに危害を加えたわけではなく、ただ届けに来てあわよくば情報収集をしようとしただけだ。
「ただ、眠っているだけですよ。お姉さん」
ゆっくりと揺らさず、起こさないように手渡すとその怒気は収まった。
「そうかいそうかい。驚かせてすまなかったね。奥に上がんなよ、色男。お茶の一つでも出してあげるよ」
さっきまでの鬼気迫る表情が嘘のようになりを潜め、笑顔で招きいれた。
「ふぅ。落ち着きますね。ありがとうございます」
「何、爺臭い事を言ってんだい」、と笑うのはこの家の家主でアンナの母親のアリアナだ。先程も言ったようにその恰幅の良さは怒った時の迫力を際立たせる。
飲み終わった湯呑を「か、片付けますね」、と下げるのが、アンナの姉のミアだ。彼女だけがこの家で白い髪をもち、その綺麗で背中まで伸びる長い髪をゆったりと流している。少しオドオドしている事から、人見知りではないかと思った。
ひどく対照的な家族構成だが、アンナは母親似、ミアは父親に似たのだろうと仮定しておく。
家は木で造られ、温かみのある家だ。屋内は至って普通、というよりも予想通りの生活水準だ。石造りの水場に木で作られた椅子と机。もちろん、土足で出入りが自由で、ただ二階は寝室となっているため二階に上がる際には靴を脱がなければならない。
ある程度家の中はアリアナの案内で確認出来たので、これだけでもこの少女と出会った価値はあると言える。
一つ、二つ、三つとパズルのピースが揃っていく様に。知らない事を吸収していった。
「アンタがアンナを連れて来てくれたわけは分かった。ありがたい事だよ」
俺の前にドカッと腰を下ろしたアリアナが尋ねた。アンナとの経緯はすでにざっくりと話してある。嘘はついていない。アンナが目を覚ませば、確実にばれる。だからこそ、嘘にならないぎりぎりのところをぼやかして話す。主に俺についての情報は曖昧にする。
「私は――」
「その馬鹿丁寧な口調は止めな。肩が凝りそうだ」
横ではミアがその言葉にクスクスと声を立てて笑っているが、俺はそれどころではなかった。
なるほど。あまり丁寧過ぎるのは危ないかもな。日本人はいつも笑みを浮かべていて何を考えているか分からないと言われる位だ。相手と場所によって口調は使い分けた方がいいだろう。
「そうですか。俺もそう思ってたところです」
然も前から同じ事を思っていた様に装った。
アリアナは笑顔で先を促す。
「では、ここからは俺がここに来たわけを説明します。少し恩着せがましいかもしれませんがいくつか質問に答えてくれると嬉しいです」
「ふうん。答えれる事なら答えるから早く言いな」
これでとっかかりは成功だな。
少し頭を下げて考えていた質問を投げかけた。
「今俺は困った状況にいまして、田舎を出る時に渡された金銭を失くしてしまい、先達物が無いんですよね。だから、アリアナさんに働き口を紹介してもらおうかと思いまして」
アリアナは「そうさねぇ」、と考え込んだ。
腕を組み、二の腕を指で小突きながら考えること数秒経った後、口を開いた。
「まあ、紹介は出来るっちゃあ出来るんだけどねぇ。何を紹介するかはアンタが何を出来るかによるね」
「それもそうですね。基礎を教えてくれるのであれば、大抵の事をこなせるかと。それこそ雑用から荒事まで何でも、ですね」
アリアナは荒事という言葉に驚いているようだ。
「へぇ、腕っ節が強いようには見えないんだけどねぇ」
「ははは。よく言われます。でも、田舎で育ってきた分、荒事には慣れてますから」
「そうかい。なら、いいさね。じゃあ、いくつか紹介しようかね。
雑用がしたいならここで手伝いなさい。一通り仕込んでやるし、お金にも不自由してないから給料も払える。
でも、もしアンタの言う通り、腕っ節に自信があって、手っ取り早くお金を稼ぎたいのならギルドに行きな。まあ、あんまりお勧めはしないけどね」
どちらを選ぶかな。ギルドか、各種職業別の相互補助組合の事か。そこに行けば、何らかのお金を稼ぐ手段があるわけだ。お勧めはしないという事は十中八九荒事に巻き込まれるんだろうな。例のナフィも関わってくるのだろうか?
後はここで働くのか。なかなか魅力的だ。安全で着実にお金を稼ぐ事が出来る。しかも安定して収入を得る事が出来るだろう。だが、俺はこの場に長く留まり、情が湧くのが怖いと感じ始めていた。それに、長くいればいるだけ、誤魔化しが利かなくなる機会も増えるかもしれない。
そうすると、出来るだけ早く支度金を揃えて次の場所に移った方が良さそうだ。
「決めました。ギルドに行こうかと思います。アリアナさんの申し出は嬉しいんですけど、俺は他の場所も見て回りたいので。その為に早くお金を稼げたいんですよね」
「そうかい。ならそうするといいさ。でも、無理しちゃいけないよ。場所なんて逃げてきゃしないんだからね」
「ええ。自分の力量は分かってますから、ゆっくりいきますよ」
真っ赤なウソだが。一刻も早くここから出たいものだ。さっき情が移りそうになってからは尚更そう思うようになった。
「で、もう一つお願いがあるんですが――」
ギルドに行けば荒事に巻き込まれる。ならば、先に手を打つのが吉だろう。その為に頭を下げた。
「まいどありー」
俺は薬屋を出て右に進んだ場所にある武器・防具屋で買い物を終えたところだ。
在庫処分予定の店で一番安い少し錆びたショートソードを購入して、残り銅貨12枚、12キュイ。ちなみに、このお金はどこから出たのかというとアリアナのご厚意に甘えて、必ず返すという約束をして借りたお金だ。
その際に、田舎者アピールをして貨幣価値を聞きだしていた。
真っ先に出されたのがこの硬貨だった為、この硬貨の価値が一番低いだろうとの当たりを付けて、カマをかけつつ探りだした。
この世界と決めつけるには早いが、この辺りでは金貨、銀貨、銅貨の順で価値の高さが決められている。
1枚の銅貨につき、1キュイ。それを100枚で、1枚の銀貨、すなわち1アルと同等の価値がある事になる。同様に100アルで、1オル。1枚の金貨と交換する事が出来る。
だが、アリアナは金貨を持っていたなかったため、金貨は一般人にはあまり馴染みのないものなのかもしれない。
ここまでで分かっているここら辺の相場はアリアナの店の綺麗な花束が10~30キュイ。
薬草が50キュイ~15アル。
薬草を元に作られた薬、店にあったのは体力回復薬に魔力回復薬、そのた風邪薬などが50キュイ~50アル。風邪や頭の痛みなどを抑えるといった日常生活に関連する物が安く。体力回復薬や魔力回復薬といった様な戦闘に関連する物が高い値段設定となっていた。
アリアナの技量の高さと豊富な自然資源から店で売られている薬の効果は高いらしい。それこそ、遠く離れた場所から買いに来る者までいるとアリアナは鼻高々に語っていた。
そして、今買ったショートソードは値切った事もあり、38キュイ。店にあった業物などの高価な物で20アル。
防具は全部揃えて、なお且つ一番高い物が35アル、安い物で1アル。
回復薬の方が高いじゃないかと思うかもしれないが、ここら辺は比較的平和なおかげで、そこまで武器・防具の需要がないため、このような値段設定になっているそうだ。
この聞きとりの中で新しい単語を耳にはさんだ。
――モンスター。
店主曰く、強靭な肉体と凶暴な性格、邪悪な力を持っているそうだ。人間を――おそらく、ここには俺と似ていると言われた和の国、ネコ耳と尻尾のあるこの人たちも含まれる――襲い、自らの血肉としているそうだ。それは単に人間個人が有する力があまり高くない為に狙われるそうだ。その為の自衛手段の一つが装備を固めるという事につながるのだろう。
ゲームの様な世界だが、当分は飽きることなく過ごせそうだ。