1話~ネコ耳少女との出会い~
明かり一つも無い常闇の世界。
ペタペタと音を立てながら歩く少年。
右も左も分からない場所で進む。
なぜ、ここに居るのかは分からない。
それでも彷徨いつづけた。
進めば何かあるのではないかという希望だけが彼を突き動かす。
冷たく暗い場所で少年は《独り》だった。
◆◆◆
ここは大陸アンファーデアの猫族の王が治めるシャ・ユトピの最北端に位置するシャ・フルールという村。この村は豊かな自然に囲まれ、シャ・フルールの中でも有数の観光地である。
村人は観光地としての生業と、花々や薬草を売って生活している。
村から離れた場所にある言わずと知れた自然の花園にいる少女もまた家の手伝いの為にここまで訪れていた。
「ふん、ふふーん!」
茶色の髪を後ろで編み込み、ピンク色のワンピースを着てた少女は今流行りの歌を歌いながら上機嫌で草花を摘み取っている。
今年に入ってから一人で摘み取りに行くことが許されたばかりだ。それでも一人前と認められた気がして嬉しくてたまらなかった。母親からつい先日教わったばかりのスキルを使ってみた。
「【高速採取】!」
すると、自分の体が嘘みたいに素早く動き、刈り取っていく。
「わぁ! すごいすごい!」
だが、そのはしゃぎ様もスキルが終わるまでだった。スキルの効果が切れると、大量の薬草と花を手に入れたが、とてつもない疲労感が少女を襲った。
「はぁ、はぁ……もう、だめ。ちょっと休んでからいこう」
そう言って腰を下ろし、水筒を取りだした。
俺はまだ扉の近くから動いていない。
それは扉の検証と辺りを見回し、警戒していたからだ。
「特に異常は見られないか……扉を使えばいつでもあちらに戻ることが出来る。まあ、戻る気は更々無いからいいとして、この辺りは東京では考えられないくらい豊かな自然があるな」
こういう時は口に出して、確実に一つ一つ確認していく必要があるな。
「一歩間違えればどんな目に合うかは分からないしな」
それは身に染みて理解していた。
「周囲を警戒しろ、決して信じるな」
とは言っても動かなければ得られる情報も限られている。
ここまでで、膝のあたりまで伸びた草花が辺り一面に広がり、建物らしき影を見ることは出来ない位しか情報が集まっていない。
「人が住んでいないのか? それともあちらほど文明が進んでいないか?」
後者の方が可能性は高そうだ。なぜなら、ところどころ人為的に切り取られた植物があるからだ。
意を決して、歩き出す。
歩けど歩けど変わる事のない景色。仄かに香る潮風。近くに海があるらしい。
しばらくすると草花が踏まれ歩きやすくなっている獣道を見つけた。
「道幅は3、4mというところか。日が暮れる前に人を見つけないとまずいかもな」
ここから考えられるのは道を作ったであろう生物の存在だ。動くのにこの幅を必要とするとなればかなりの大きさである事が予想される。まだ、生物の影すら確認できていないので安全かもしれないが、いつ危険に陥るか分からない。武器となるものは何一つ持ってきていない以上、早い所人が住む集落を見つけた方がいいだろう。
「まあ、死んだらそこまでだがな」
恐怖感はない、寧ろ心が躍った。あちらの世界でのつまらなく、平凡な日常よりはスリルがあっていい。
考えながらも足は止めずに歩いていると、綺麗な場所にたどり着いた。
白、赤、青、黄色、ピンク、色とりどりの花園が広がっていた。
しかも、最初の場所と比べて人の手が入っている形跡がある。
「だんだんと近づいているようだな」
もしかしたら、日が暮れる前に人を見つけられるかもしれないな。
――ガサゴソ。
何かいるのか? 道端に落ちている石と木の枝を拾い上げる。無いよりはましだろう。
足音を立てず、息を殺して音のした方へと向かう。
動く物陰。
その瞬間、枝を振り上げた。
「えっ!」
「まずい」
影の正体を見て、振り下ろされようとする枝を何とか止めた。
寸止めだ。影、いや、少女まであと数cmだった。
「ごめんね。何かいると思ってついやってしまったんだ。許してくれるかな?」
いつもの様に完璧な微笑みを浮かべて、目の前の少女と目線を合わせる。もちろん、見た目が少女だからといって完全には信用していない。さりげなく手の届く範囲に枝と石を地面に置く。とりあえず武器を手放した事で敵意はない事を言外に示した。
「お兄ちゃんは誰?」
その言葉を聞いて瞬時に頭が回転し始める。
よく見れば、この少女は顔の横ではなく、頭の上に耳があり、後ろからは尻尾が見えている。少女を見れば歓喜しそうな知り合いがいる。それほど完璧な容姿。顔が際立って整っているわけではない。完璧なのは耳と尻尾だ。人工のものとは思えないほどに自然に生えている。それにあちらの世界での娯楽の様にコスプレをして客を楽しませるような建物が見当たらない以上ネコ耳を常時付けている人などいないはずだ。
脇にそれたが、目下の問題はこの問いにどういう風に答えるかだ。
違う世界から来た?
信じてはもらえないだろう。俺ならまず信じない。
なら嘘をつくか?
それが最善の手だろうが、如何せん情報が少なすぎる。見破られない様に、疑われない様に上手くつかなければならない。
「遠くから来たんだけど、村に行こうとしたら迷ってしまってね」
今のところ嘘は言ってないが、何とも杜撰な嘘だ。疑ってしかるべきだが、少女であるという事を考慮し、信じてくれることを願おう。
「ふうん。迷子なんだぁ」
少女は警戒を解いてくれたようで、笑顔で答えてくれた。
賭けには勝ったとみていいだろう。
「じゃあ、アンナが村まで案内してあげるよ! 付いて来てよ!」
少女の名前はアンナ。覚えた。
名前から察するに英語圏のような名前を使っている。俺も偽名で通したほうがいいか? だが、これはばれた時のリスクが高すぎるな。
「アンナか、良い名前だね。俺は空。ソラ・カミヤだ。よろしくね」
「ソラ。よろしく、ソラ兄ちゃん。空兄ちゃんなのかな? この名前ってことは和の国の人なの? ずいぶん遠くから来たんだね!」
和の国? 新しい単語だ。話が通じるから別に気にしていなかったが、日本語が普通に通じている。どういう事だ?
また、脇にそれたな。和の国。俺の容姿を見てそう言うのだから、似たような外見を持つ人種は存在しているという事か。ここは和の国出身という事で通すか。この子の反応から見るに敵対国と言うわけでもなさそうだし、問題はないだろう。
遠くにあるというのも俺には有利に働く。
真偽を判断できる人物が近場にいる可能性が低くなるからだ。
油断することは出来ないが。
「ああ、そうだよ。でも、和の国でも田舎の方に住んでたから、あんまり常識を知らないんだ。そこは許してね?」
出来るだけ丁寧に優しい口調で語りかけ、頭を撫でる。
するとどうだ。アンナは顔を赤らめ、笑顔をこちらに向けてくる。
上手くいった。あとは村に着くまでにアンナからどれだけ情報を引き出せるかだ。
「じゃあ、いこ!」
「ああ、そうだね。ありがとうアンナ、よろしく頼むよ」
「まっかせなさい!」
胸を張り元気よく答える。
俺は歩きながら不審がられない様に周囲を観察し、情報を得つつ聞くべき質問を考える。
現在地。
これを質問すれば、ある程度の地理をうかがうことが出来るだろう。
この世界と元の世界の相違点。
どう質問すればいいのかが難しいが、これを確かめることが出来れば得る物は大きいだろう。これに関しては人に聞くよりも、本か何かで確かめた方がいいかもしれない。そちらの方が確実で不審に思われることはないだろう。
何をしていたのか?
順番的にはこれから入るのが一番自然だろう。それにここからこの世界、いや、この辺りがどの程度の文明レベルを誇っているのかが推測できるかもしれない。
「アンナ、君はここで何をしていたんだい?」
「アンナ? アンナはここでお花とか薬草を採ったりしてたんだよー! もう一人で出来るんだよっ! すごいでしょ!」
なるほど。腰に見えるハサミとナイフはその為か。そして、背中に背負っている袋の中に薬草等が詰まっているのだろう。
「アンナは凄いな! もうそんな事を一人で出来るのか!」
さも驚いた風に褒める。アンナは褒められて満更でもないようだ。
「でしょ、でしょー!」
「そうだな。ちなみにここはどこなんだ?」
ちょっと考えてはいるが疑われた様子はない。
「ここはシャ・ユトピのシャ・フルールだよ!」
また知らない単語だ。「シャ・ユトピは何だ?」、と聞くのは止めた方がいいだろう。おそらくだが、口調から言ってシャ・ユトピは知っていて当然だという感じだからだ。いくら田舎にいたからと言ってもこの程度は知っているふりをしないとおかしい。
シャ・フルールについてはこの辺りのを指すか、もしくは村の名前だろう。
「シャ・フルールってどんな所なんだ? 迷って偶々ここに着いたから、どういう所なのか分からないんだ。まあ、アンナが住んでいるところなんだから、良い所に決まってるだろうけどね」
この辺りまでは疑われずに聞き出したい。さり気なく褒める事で心象もよくしたし、問題はないはずだ。
「うん! 良い所だよ! みんな優しいし、自然でいっぱいだし。畑で食べ物を作ったり、牛さんのお世話をしたりして、暮らしてるんだー」
農村と思って概ね間違いない。アンナを見てて思った事だが、この辺りの食糧事情はあまり問題が無いらしいな。これなら食事にもありつけるかもしれない。
「あ、見えてきたよー。あれがアンナたちが住む村シャ・フルールだよ!」
やはり、シャ・フルールというのは村の名前らしい。
この村は周囲に水の通った堀があり、そこに橋が架けられている。物見櫓が四方に存在し、警戒できる造りになっている。
「ずいぶん物騒な造りだが何かあるのか?」
「うん。ナフィーが偶にやってくるの。お父さんも戦って死んじゃった……」
さっきまでの笑顔が嘘のように悲痛なものへと変わっている。見てられない。この少女にこれを聞くのはタブーだったようだ。
「アンナ、すまない。許してくれ」
情報を集めるためとは言え、こんな年端もいかない少女を悲しませるのは俺の望むところではない。
ポケットからハンカチを取りだし、目元の雫を拭った。
「辛い事を思い出させて、すまない」
しゃがんで頭を撫でてやると勢いよく泣き出した。
今まで堪えていたのだろう。
本当に悪い事をした。
アンナが泣き止むのを待つ。
やがて泣き止むと、泣きはらした目を恥ずかしそうに反らした。
その様子を見て、苦笑した。とても素直な子だと思ったからだ。俺には出来ないことだ。
俺は茶色の整えられた髪を崩さない様に撫でながら優しい声音になる様に意識して話す。
「アンナ、泣くなとは言わない。泣きたい時に泣けばいい。それが正しいんだ。だから、恥じる事はないよ。この経験は君の中で決して無駄にはならない」
そう泣きたい時に泣けばいい。意地もプライドも捨てて、それが出来なければ俺の様になってしまう。
「ありがと……いこう」
消え入りそうな声で答えると、俺の手を引いて歩いて行く。
それに応えるようにギュッと握り返した。