1話〜仮初めの覚悟〜
暗く黒い世界。
独りの少年が仄かに明かりを灯した家を見つけた。
この暗く冷たい場所からの解放という希望を抱く。
誰かがいると信じて。
そして、扉は開かれる。
◆◆◆
早朝にシャ・フルールを出発し、この世界で得た力に身を任せてずっと走り続けてきた。
水分は魔法で、体力はスキル【早治術】を使えば、短時間で筋肉を休める事が出来た。倦怠感を無視すれば、長時間走り続ける事が可能になる。
「便利なものだ」
自分の身体ではあるがどこか他人事のように感じられるほど使い勝手が良い。
「そんな事よりどちらに向かうべきだろう?」
シャ・フルールの南門から続いていた道に沿って進んできたが、ここにきて二手に分かれていた。
だが、右に向かう道はどこに行くか分かっている。
「右はベルナールと一緒に通った事がある道、だな」
右の道は海に繋がっている。燃える木、フラマルブルを倒した場所へと出る。その先には海があるのだが、村や町といったものは見かけなかった。
「出来れば、日が暮れる前に次の村に着きたい」
モンスターに襲われるかもしれない野宿は避け、村で休みたい。一人ではなく、仲間がいれば、見張りが出来るのでその心配はいらないのだが……急いで出るのではなくベルナールに一声かけてからくるべきだったのかもしれない。そのせいで安全な寝床を確保するために日が顔を出している内に着かなければならなくなった。
「休憩終了。行くか」
道は決まった。左だ。後は迷わず、進むだけ。
一歩ごとに歩幅を大きくし、身体は前に傾ける。
周りの風景が後ろに、モンスターよりも速く走った。
「橋か」
額の汗を拭いつつ、立ち止まった。目の前には深い谷が広がっていた。
谷底には水が流れ、川になっている。流れはなかなか速く落ちたらひとたまりもない。
だが、落ちる心配は必要ないだろう。橋は大きく、大人6人が横に広がっても歩ける道幅と、ずっしりとした頑丈そうな見た目。大体は土、手すりは木で作られているようだ。この橋は本当に土だけで作られているようだ。石を組み合わせているのではない。組み合わせたならば出来るであろう繋ぎ目が見当たらないのだ。
「となると魔法か」
考えられるのは魔法の存在だ。
瞼を閉じて集中して、視る。
「茶色と緑色か。なるほどな」
手すりは両岸から生えるように伸びている。これは偶然にも手すりの様な形になっているが、偶然なのだろうか? いや、違う。その証拠にこの根から緑色の魔力を感じる。という事は手すりも橋も魔法によって作られたのだろう。
「俺にも出来るか?」
いや、流石に今は無理だな。
渡ってみても見た目通りの頑丈さだ。ミシミシと軋む事も、風で揺れる事もない。
「いい眺めだ」
シャ・フルール側には花畑が、反対側には狭い一本道が広がっている。
山を切り開いて道を作られているようだ。道の両側に地層がむき出しになっており、その上には木が生えている。山を切り開いたせいで道幅が狭く、大人3人が通れるかどうかというところだ。
その道はゆるやかな坂になっており、地面はコンクリートなどで舗装されているわけもなく、木の根が出っ張っていたり、石や岩がその辺にゴロゴロと転がってたりしていて低い山を登山しているような気分になる。とは言え、あちらであれば木の枠組みがあり、階段が作られ、歩き易くなっている分進行速度は落ち、疲労するが無い物ねだりしたところで何か変わるわけでもない。
坂の中盤まで登りきったところで、砂利や小石が上からパラパラと転がってきた。
「がけ崩れでもするのか? いや、雨は降っていなかったし大丈夫だろう。……なるほど、あれが原因か」
ふと上を見上げると木に隠れる人影を見つけた。
大方旅人や商人を狙う盗賊だろう。
チラリと確認しただけで後は前を向いて気づいていないフリをする。だが、【即神術】を使って不意打ちにも対応できるようにしておく。警戒せずに弓矢などで狙われたら大変だからな。このスキルを使えば、反応する事は出来る。
2mほど歩いたところで、人の気配が俺の前後に移動したことに気づく。
挟まれたか。どうする? 走り抜けるか、相手になるべきか。
いや、狙われるという事は相手に多少の油断があり、そして人目が少ない、もしくはないのだろう。ならば、ここで対人戦というのを経験しておいてもいいかもしれない。
そうこうしている内に前に2人、後ろに3人の山賊が現れた。皆、武器を構え下卑た笑みを浮かべている。それに木々の中にはまだこいつらの仲間が隠れて見張っているようだ。
奴らの顔を見て確信してたのは油断しきっているという事実。
「兄ちゃん、背中にある物騒なものは捨てて、金目のもの全部置いてきな。そうすりゃ命までは取らないでやるよ」
まあ、自分たちが複数人いて、相手が一人となれば油断するなという方が難しいだろう。だが、すぐに襲いかかってくるような感じではない。都合がいい。せいぜい情報を搾り取ってやろう。
持ち前の愛想笑いでさらなる油断を誘う。
とりあえず、武器は足元に捨てる。いざとなれば素手や魔法で倒せばいいだろう。
敵の防具はモンスターの毛皮で作られたもので、防寒性はありそうだが、鉄ではないため素手でも十分攻撃を通すことが出来そうだ。
「分かってるじゃねえか。次は金目の物全部寄こしな」
俺が一部要求を呑んだことで手に持つ剣の腹をポンポンと叩きながら、さらに距離を詰めてくる。
汗臭い。正直近づきたくはないが、仕方ない。
「命は惜しいので金目のものを全部出しますから、少しお話をさせていただけないでしょうか?」
盗賊たちは互いに顔を見合わせて、どうするか決めかねている。
「へへっ、いいぜ。話しな」
顔に傷がある男が代表して答えた。という事はこいつが頭領か? 逃げる時は真っ先に倒させてもらおう。
「ありがとうございます。あなた方の目的をお聞かせ願えないでしょうか? 私といたしましても今から出す物を有効に使っていただけると嬉しいので」
傷の男は一しきり笑うと答えた。
「面白い奴だ。盗賊に使われて嬉しいか。変わった奴もいたもんだ。
金目のものを奪ってどうするかって?
そんなもん決まってらぁ。
食い物と女だよ。兄ちゃんの物次第だが、金も大分溜まってきたし、ここらで女の奴隷を買うのも良いかもしれねえなぁ」
奴隷? この世界は奴隷が存在するのか。
「奴隷とは私のような者でも買えるのでしょうか?」
「そんな事も知らねえなんてどっかのボンボンかよ。こりゃ期待が出来そうだ。話してやるから有り金だしな」
収納袋に手を突っ込み有り金全て放り投げた。
回収が面倒だが、拾う時には増えているかもしれないので問題ない。
「子供の小遣いにしちゃあ持ってるじゃねえか。人質にして親からふんだくるのも良いかもしれねえな」
「お金はこれで全部です。それで奴隷について教えていただけますか? 親からはそのような事にかかわるなと言われてきましたので、全くの無知なのです」
相手に都合がいいように、そしてこう言っておけば馬鹿な子供のようにも見えるだろう。というか子供に見えるのか? これでも二十歳は迎えているのだがな。まあ日本人は童顔だと言われているから、仕方ないのかもしれない。確かに髭は生えていないし、体毛も濃い方ではない。それに比べ、奴らの腕は太く、また濃い毛に覆われている。
「そりゃあ金さえあれば何でもし放題だぜ。まあ、奴隷を買うにはちょっとした伝手が必要だから一般人が知らねえのも仕方ねえか」
そこまで言ったところで傷の男の隣にいた男が彼に耳打ちをした。
何を言われたかは知らないが、こちらをじっと見て気味の悪い笑みを浮かべた。
「考えが変わった。兄ちゃんは俺たちと一緒に来てもらう。まあ、悪いようにはしねえから付いてきな」
周りがざわめきだす。耳に神経を集中させると途切れ途切れに会話が聞こえてきた。
奴隷、売る、金、男。読めた。俺を奴隷としてどこかに売り払うつもりなのだろう。
冗談じゃない。確かに自分の容姿が優れていることは自覚しているが、まさかこんな事になるとは。これでは悠長に情報を探っている場合ではなくなった。隙が出来次第動くか。
盗賊の1人が俺のバスターソードを、2人が散らばっている金を拾いに行った瞬間に動いた。
姿を見せない者も含めて敵の数は7人。近くにいるのは俺の周りに立ち、見張っている4人。とりあえず、目の前にいる盗賊の顎にアッパーをくらわせて、軽く宙に浮き防御も何も為されていないがら空きの胴体に向けて蹴りを放ち、吹き飛ばした。
即座に周りに立っている者の反撃に備えて身構えていたが、盗賊たちは一拍置いて俺の方を向いた。
そこで気付く。
俺の動きをその目ではっきり捉える事が出来た者はいなかったのだ、と。隻腕の戦士、ベルナールは俺をはっきりと見ていたため、この世界の者は皆同じような事を出来ると思っていたが、奴が特別だったようだ。
ただ数が数だ。万全を期して、思いきり跳躍して包囲を抜ける。
さて、倒すか。だが、どうする? 殺すか、殺さずに無力化するだけに止めるか。
まずは殺さずに通る場合。
これをすると俺の情報が漏れる可能性がある。だが、小指ほどの良心を傷めずに済む。
次に殺す場合。
近くに山賊以外の人の気配はない、殺したからといって情報が漏れる事はないだろう。だが、魔法という不可思議な手段もある以上、その可能性はゼロというわけでもない。この場合のメリットは奴らの口封じが出来る点と多くの金が手に入る点だ。
今のところ、目立つつもりはないし、お金もあって困るものでもないだろう。
それに盗賊たちがこれまでしてきた事を考えると胸の奥で何か思うものが無いわけではない。
なら、やるか。
そう決心すると、即座に動いた。
【即神術】は便利だ。長いこと考えるのも一瞬で終わらせ、今の様に向かってくる敵の動きがとてもゆっくりになっているように感じられる。【軽身術】か【鬼動術】を使えば、周りの奴がスローモーションで動いている中、俺だけが普通に動けている様に見える。
更に簡単に攻撃を見切れるというのは戦闘をする上で相手よりも有利に進める事ができる。躱すのも、カウンターを決めるにも容易になる。だが、多くの体力を消費するので、自滅してしまったら目も当てられない。スキルなしでの戦闘に、元の世界で身に付いた勘を鈍らせないようにも何らかの手を打たなければならないだろう。しかし、今はその力を存分に使わせてもらうか。
だが、一拍動きを止めた盗賊の動きが軒並みよくなった。
スローだったが今では少し遅いかな位で動いている。
スキルを使ったのか。だが、一瞬間があるのは大きな隙だ。次からはその隙を突く。
飛来する矢を弾くと、ダガーや斧を振り回しながら、向かってくる盗賊を冷静に見極める。
近い奴らから先に対処していく。
顔に向かって炎弾を放つ。威力は高くなくとも使い勝手と燃費の良さ、そして、炎属性のものなら視界を遮ることも出来る。
腕で顔を守れば、胴ががら空きだ。容赦なく鉄拳――【硬化術】で鉄の様な硬度をもつようになった拳。文字通り鉄拳である――を叩き込んだ。
その際に盗賊が落としたダガーを拾うと、次々と斬り殺していった。
一振りする度に一つの命が失われていく。
肉を切り、骨を断った。その度に落ちていく斬れ味。
切り裂かれ死亡した盗賊の手の平から、滑り落ちる斧を空中で掴むと大きく振り回す。
斬るというよりも砕いた。
大振りにした分だけ、一度の行動で幾人もの者が命を落としていった。
多少の差はあれどモンスターを殺すよりも手に感触が残らなかった。骨格や皮膚、体毛の硬度が違うのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、あまりにも呆気なく絶命していく様は俺の中での罪悪感や嫌悪感を驚くほど少なくした。
それからは単純作業。武器が使えなくなれば、落ちている武器を拾い、着実に敵の数を減らしていった。
向かってきた者を全て斬り終え、逃げていく背中に向けてだが-を投げると、まだ息のある者に近付き心臓を一突きして息の根を止めた。
最初の一撃で昏倒していた頭と下っ端その一は幸運だった。死の恐怖を感じずに死ねたのだから。
夥しく流れ出た血くを無視して、遠慮なく目当ての物を求め、盗賊の懐を弄る。
十五分ほどかけて、丹念に探し、使えそうな武器と金などの戦利品を頂いた。
敗者の物は勝者の物となるのは昔からの習わしだ。この世界の文化水準は幾分低い様に思えるため、ここで頂戴しても問題ないだろう。
最後に地面に落ちてあった俺のバスターソードを拾いに行ったが、山賊たちの血に塗れていて、これを使いたいとは思わなかった。斬れ味も強度あってない様な物だったし、ここで捨ててしまおう。
土属性魔法で穴を掘ると、盗賊たちをまとめて埋めた。そこに使えなくなった武器も入れて、最後に水属性魔法でここら一帯を洗い流せば終了だ。とは言えまだ初級魔法しか覚えていないため、薄める程度の事しかできなかったが。
こうして、血は大地に染み込み、盗賊たちの亡骸は地中に住む者たちの糧となる。
後悔はしない。
一歩間違えれば俺がこうなる可能性だってあった。
生き残るには容赦なく、そして、冷静に処理していくしかないのだ。
俺は振り返ることなく次の町を目指して歩き出した。