9・移動要塞
ぼくが尚もシステマーに話しかけようとしたとき、テレビの画面が切り替わった。特別報道番組になったようだ。
それに気付いたのはぼくだけらしい。今の状況で特別報道番組が組まれる事態など、一つしか考えられない。例の地震による敵の要塞の出現についてだ。
「システマー」
声を上げて、システマーやキリコにテレビを観るように促した。これに気がついたシステマーも、通信機器の操作方法をキリコに説明していたところだったらしいが、その手を止めてテレビの周りに集まる。
「やっとケーブルテレビさんも緊急特別報道番組をやれるようになったんだねえ」
システマーはそんな言葉を吐きながら少し笑い、パイプ椅子を引っ張り出してきてそれに腰を下ろした。
テレビ画面には何か黒いボールが映っている。現場からの中継、というわけでもないだろうに一体何を映しているのだろうか。
「月並市上空に、突如として謎の物体が出現いたしました。凄まじい大きさです、目測でおよそ全長五十メートルはありそうです」
リポーターは叫ぶようにそう言っている。となると、この今現在テレビ画面に映っているのはその謎の物体なのだろう。
月並市は今現在電波が使えない状況である。どうやって中継しているのだろうか。有線だとしたら、事務局から直接カメラで映さなくてはならない。そう思っていると、少しカメラが引いてくれた。事務局の屋上らしきところにリポーターが立って、黒いボールを指差している。どうやら本当に事務局から直接カメラを向けているようだ。
確かに、空に黒いボールが浮いている。だが、悪天候、それに遠すぎることもあってはっきりと映っていない。浮遊物体は球形の何かのように見えるのだが、映像が悪くて黒いボールにしか見えていないのだ。だが、あれが敵の移動要塞であることに疑いの余地はないだろう。
「一体、あの物体は何なのでありましょうか。現在、政府は対策会議を収集し、対応を検討していくとのことですが」
テレビの電源が落とされて、リポーターの言葉は切れた。電源を落としたのはキリコだ。
「姉さん、あれが敵の本拠地?」
「そうだと思うけどね。あれほど目立つ姿をしているなんて思ってもなかったけど」
確かにそうだろう、全長五十メートルというのでは、飛行機並みだ。アジトというには大きすぎる。それに何故今になってあのような目立つ真似をするのかわからない。
「避難勧告が出るのも時間の問題でしょうねぇ、六郎くん。そうなったらもうこの研究室は使えなくなるけれど」
システマーがぼくに水を向けてくるが、どう返答していいのかわからない。ぼくは腕を組み、質問を返す。
「そうでしょうね。しかし、今すぐに出撃して、あれを撃ち落そうというのですか?」
「できることなら」
正気か、とぼくは思った。全長五十メートル、まるで宇宙船だ。それをたかが個人の兵器で叩き落せると思っているのだろうか。
「何か方法があるのですか」
「あなたが作ってくれていた例の新兵器なら間違いなく一撃だよ。突き抜けて一発でね」
「新兵器、精神エネルギーの?」
システマーは頷いた。確かに、最適条件下なら天文学的なエネルギーが取り出せるという兵器だ。あのくらいの物体なら塵のように消し飛ばせるだろう。だが、幾つか問題がある。
「この雨の中をレーザーで狙撃できるのですか」
「接近しなきゃいけないでしょうね」
質問をすると、すぐにシステマーは返答する。ぼくはそのまま質問を重ねた。
「誰が撃つのです」
「霧子しかいないでしょう」
「接近するまでに撃ち落される危険性が高いです」
「それは私と影子でサポートして、何とかするしかないでしょう」
「成功の見込みは?」
「まぁ、三割くらいかな」
たったの三割。ぼくはその低さに頭痛がしたが、口にはしなかった。敵は圧倒的なテクノロジーを持っているのだ。それの母艦と言ってもいいような物体が相手なのだから、その数字でもあるだけはマシという他ない。それはわかるのだが、人命がかかっている。それに、一度失敗してしまったら終わりだ。
「では七割の確率で我々は完全に敗北し、ゲームオーバーというわけですか。コンテニューなんてないのに」
「無論」
システマーは足を組み、腕も組んだ。椅子の上で胡坐をかくさまは行儀がいいとはいえない。だが、その様子は先ほどベッドの上で同じポーズをしていたキリコに似ている。そういうところはやはり姉妹なのだろう。
「だけどね、わかってるとは思うけど敵は予想以上に強大で、恐ろしいくらいの強さを誇ってる。それに勝とうというんだからそれ相応のリスクはあると思うよ」
「しかし」
その論がある程度の正しさを持っていることは認めるが、それに従うわけにはいかない。ぼくはシステマーを押しとどめる言葉を考える。だが、ぼくが言葉を発するよりも早く、キリコが手を挙げた。
「はい、質問があるんだけど。私が撃つっていうその兵器、どんなものなのさ。『カノン』のレーザー版みたいなやつ?」
その質問に答えようと口を開くが、ぼくよりも早くシステマーが言葉を発した。機先を制されるとはこういうことをいうのか。ぼくは口を噤んで、研究室の壁を見る。
「まぁ簡単に言えばそうかな。根本的な構造は違うけど、扱い方から言えば『カノン』と似ているかもしれない」
システマーはその兵器を説明した。人の精神力を破壊エネルギーに変換する驚異の兵器。システマーは設計図に『マインドブラスター』という仮名をつけていた。
「精神力をエネルギーにして撃つ、ってことは無限に撃てるってこと?」
「無限じゃない、撃つたびに精神的に疲労すると思う。まだ撃ってみてはいないからわからないけど。まぁ理論上は多分これで撃てると思うんだけど」
キリコの質問に、システマーは答えた。相変わらず作動点検はしていないようだ。試しに撃ってみるくらいのことはしてみてもいいかもしれない。だが、何しろ今は時間がない。
「撃つと疲れる? 具体的にどのくらい」
「三発撃ったら、死ぬよ」
「は?」
淡々と質問に答えるシステマーだが、その回答にキリコは怪訝な表情を浮かべた。ぼくも驚く。精神エネルギーを糧にしているとはいうものの、死の危険があるとは今まで考えなかったからだ。
「どういうこと、それ」
頭に手をやり、頭痛をこらえるような動作をするキリコ。しかし、システマーは平然とその質問に答える。
「精神エネルギーは遠慮なくごっそりと使うよ。そうでないと十分なエネルギーにならないから。多分キリコ、あなたならその精神エネルギーの奪取に二度くらいなら耐えられる。武道やって鍛えてるからね。でも、三度も撃ったらちょっと保証できない。生きていたとしてもへとへとになってしまって、戦うどころじゃなくなると思う」
「それほど消耗が激しいのですか?」
ぼくは横から口を出し、訊ねた。
「理屈ではね。霧子、そういうわけだから撃つときは慎重に」
「わかったよ」
キリコは頷く。彼女が納得したようなので、話題を戻すことにする。システマーの目を見て、ぼくは問う。
「それで、システマー。勝率三割で、あえて挑もうという理由は?」
「今が最も勝率が高いと感じるから。放置すればするほど、勝算は薄れていく」
システマーは簡単にそう結論をだした。さらに、彼女は言葉を重ねた。しかも、これまでにないほどの熱意をもってだ。
「今! 今しかない。敵は移動したて、放置して時間が経てば態勢を整えてくる。それだけ敵の数も増える、防御の質も固まる。今敵陣に乗り込んでぶっ叩かないでどうするの」
「しかし、それは全員の体調が万全になるのを待ってからでも」
ぼくとてその理論がわからないわけではない。それに少し大きな声を出したシステマーに圧倒された。だが、キリコの体調は万全ではない。システマーも疲れが溜まっているはずだ。
ここは押し留まるべきなのだ。万全の準備を整え、敵の戦力を調査してからでも決して遅くはないだろう。ぼくはそう思っている。
「私なら大丈夫だよ」
だが、ぼくの言葉をさえぎるようにキリコが立ち上がって、そう言った。
「勝率三割、上等だよ。それで敵が倒せるのなら、やるしかないね」
これにより、ぼくは反論する術を失った。
キリコの目は本気だったのだ。もう、ぼくが折れるしかないようである。もちろんこれが正しいとは思わないが、ぼくの上をいく天才であるシステマーの意見に加えて、キリコへの気遣いという意味での反論も断ち切られた。
山内姉妹にかけるしか、なくなってしまった。
「いいでしょう、システマー。今すぐに敵陣へ乗り込みましょう。これが最後の出撃になるでしょうね」
腹を決めて、ぼくがそう言うと同時に研究室のベルが鳴った。内線だろう。こんなときに誰が何の用事だろうか。
受話器をとると、フロントからだった。
『辻井様、ただいま政府より周辺一帯に避難勧告が出されました。当ホテルもただいまより退去を開始いたしますので。直ちに出なければなりません』
ぼくは可笑しくなった。腹を決めるまでもなく、そうせざるを得ないような状況に追い込まれつつあるのだ。
「ええ、すぐに立ち去りましょう。こちらからはすぐに退去しますので、ホテルは施錠していただいて構いません」
そう応えて受話器を置き、キリコとシステマーの方を向いた。
「出撃だ」
一度腹を決めたからには、この作戦の成功率を少しでも高めなくてはならない。ぼくはシステマーの作戦に乗ったのだ。最後まで船を下りることはしない。
メタルスーツを着たキリコと、バリアフレームを着たシステマーが飛び立つ。
フロントからの内線があってから十五分後のことだ。外は雨、少しずつ雨は強くなっているようである。ぼくはといえば、水口さんに背負われて、空へ飛んでいる。ぼくの服は防水性の高いものではあるが、レインコートほどの撥水性はない。少しずつ水を吸って、重くなるはずだ。だが、水口さんは文句一つ言わない。
「大丈夫だよ、絶対落としたりしないから」
水口さんは笑っている。
ぼくはそれに応える余裕がない。前を飛ぶキリコの背中には『カノン』とショットガン、そしてマインドブラスターがある。できるだけ敵の移動要塞に近づき、それをぶっ放すのが目的だ。移動要塞は、すぐに見えた。ホテルから出るだけで、空に浮く球体が見えたのである。あまりにも圧倒的な存在感を放つ、あまりにも近すぎる黒い月だ。これを撃墜するなどということは、突拍子もないことだ。巨大すぎる。
確かに飛行機に比べれば、少し小さいかもしれない。だが、球体なのだ。丸い。それが何の説明もなく、空に浮いている。そして地面から近い。上空、僅かに三十メートル程度かもしれない。そのくらいの高さにまで、迫っているのだ。
ぼくは顔に降り注ぐ雨を気にしながら、システマーにもらった通信機器を放さない。
「キリコ、頼んだよ」
不安になる心を押さえつけるように、キリコへ通信を送る。
『大丈夫だよ、もう今年の不運は使い切ったと思うから』
雑音交じりの返答が帰ってくる。キリコとシステマーは黒い球体に向かって飛んでいく。ぼくと水口さんはそれを追ってゆっくりと飛ぶのだった。
空は暗く、雲も厚い。目の前の移動要塞は、黒くそびえるだけだ。
その要塞の周りに、何かが浮いているのが見えた。ぼくの目には見えない。遠すぎる。その何かが、こちらに向かってやってくるのがわかる頃には、キリコから焦った声で通信が入っていた。
『六郎、敵だよ!』
「辻井くん、しっかり捕まってて!」
反応して、水口さんが身構える。
浮いていた何かが、こちらへ向かって飛んでくる。しかもその『何か』は一体ではない。ぞろぞろといるのだ。
ぼくは言われたとおりに水口さんの背中へしっかりとしがみつく。情けないが、仕方がない。一応ぼくと水口さんの身体はロープで縛って固定してあるが、振り落とされれば二人共に負担がかかる。
システマーが両腕を『何か』に向けてバルカン砲を放った。連続する破裂音とともに、『何か』が体液を吐いて崩れ落ちていく。だが、敵は全くひるみを見せず、数の多さに任せてシステマーを取り囲もうとする。
「うぐっ」
ぼくは息を飲んだ。敵が近くに見えたからだ。飛行ユニットに似たものを装備し空に浮いてはいるが、頼りなげな細い足を8対も9対も持った、その平たい姿はどう見ても、おぞましい虫だったからだ。
「『フナムシ』だ……」
数だけは多く、一匹一匹は脆いというところもぴたり同じ。ただ、臆病な彼らとは違い、獰猛な性格になっているようだ。でなければぼくたちを取り囲んで押しつぶそうなどとはしないだろう!
『フナムシ』たちは次々と移動要塞の周辺に飛び出してくる。そしてぼくたちの姿を発見するや、こちらに向かってやってくるのだ。
キリコは背中のショットガンを引き抜き、手当たり次第に『フナムシ』に向けて撃った。そのたびに何匹かの『フナムシ』が打ち砕かれて地面に落下していくが、焼け石に水だ。一体どれほどの数がいるのかわからない。
『何て数! 面倒くさすぎる』
キリコは逃げながらショットガンを撃つ。敵の数が多すぎて、ショットガンを撃っているだけでは敵にすぐさま取り囲まれてしまうのだ。さすがに包囲されてはキリコとてただではすまない。そうならないためには常に動き回らなければ。
そしてそれはシステマーも、そして水口さんも同じだった。
水口さんは飛び道具を持っていない。必死に『フナムシ』の大群から逃げ回っている。飛行速度は僅かに水口さんが勝るが、飛行ユニットを装備している彼らに機敏さでは勝てない。少しずつ追い詰められている。
「霧亜、山内さん! 敵をこちらへ」
だが、水口さんには何か策があるのか、そんな声を出した。
『何かやるつもりだね。任せるよ』
それぞれに追われている二人も、水口さんに任せるつもりらしい。だが、敵を一箇所に纏めたところで、水口さんに多数の敵をまとめて倒すような術があったのだろうか。
考えている間に、システマーとキリコがこちらに向かってやってくる。それぞれに多数の敵を連れてだ。
水口さんは背後に下がりながら、懐をまさぐった。そして何かをつかみ出し、敵に投げつける。ぼくは慌てて自分の口と鼻を塞いだ。何をするつもりなのか、わかったからだ。
一瞬で強烈な光が発生する。水口さんの投げた薬品が燃えたのだ。しかし、その光はすぐに収まる。爆発物ではない。
そして爆発物よりも、ずっと厄介な兵器だった。水口さんは急いでその場から逃げる。システマーとキリコもその様子を見て、すぐにその場を離れた。
『何をしたの』
「毒だよ。少しだけハッピーになれる毒かな」
キリコの質問に軽く答える水口さん。光が発生した地点にいた『フナムシ』たちは、体液を吐きながら身体を硬直させ、地面に落下していく。しかも、伝染病のように次々と被害は拡大していく。
それでもまだ気合と根性でぼくたちを追ってくる『フナムシ』もいたが、大抵は途中で力尽き、飛行ユニットに振り回されて地面やビルの外壁に激突していく。
毒の影響を避けるために、ぼくたちは『フナムシ』のいた場所から退避している。キリコはトドメとばかりに、まだもがいている『フナムシ』たちに向けてミサイルを放ち、彼らを四散させた。
そして振り返り、そびえる敵の移動要塞に向けてマインドブラスターを構える。これをぶちかまして、貫通すれば終る。
だが、システマーがそれを制した。
「霧子、待った」
トリガーを引こうとしていたキリコの動きが止まる。
「このまま要塞の中へ、進んだほうがいい。敵の中枢部にお見舞いしたほうが攻撃が通る可能性は高まるから」
ぼくは黒いボールにしか見えない、移動要塞を見た。フナムシが出てきたらしい出入り口が、まだ開いたままだ。
「敵の中へわざわざ入っていくなんて、自殺行為だと考えないのですか。システマー」
反論してみたが、やはり無駄だった。
「中に入ったほうがいいよ。外から打ち込むより、中から破壊したほうが撃沈できる可能性は高い。これは私たちが戦闘機などに比べても小さいという利点が生かせるから」
「いいよ、姉さん。私だって、ここまできたらその『亡霊』って奴の顔くらい見ておきたいし」
キリコまでシステマーの意見に同調してしまう。システマーを親友と慕う水口さんに至っては聞くだけ無駄だろう。説得するのは無理だ。ぼくはそれでもう諦めて、中に入ることに同意した。
ぼくたちは雨の降りつづける外から、敵の移動要塞の内部へと入り込むことになった。
黒い球体、直径は約五十メートル。そのほぼ真下のあたりに、出入り口が存在した。正確な真下ではない。少しずれている。だが、それは間違いなく出入り口だった。
ぼくは水口さんに背負われてその中へ入る。
冷たい。すぐにそう思った。この中は冷えている。気温は氷点下五度前後だろう。
「寒いね、相変わらず。どうしてこんなに冷房をきかせるんだろう」
システマーがそう言った。恐らく、それは敵が生物改造技術に長けているからだろう。細胞や微生物の働きを抑制するためにこのような低温にしてあるのだ。
出入り口から入ると、すぐに真横に伸びた通路があった。普通に歩けるようだ。通路の長さは短く、十メートルも行かないうちにスロープになっていた。この通路は幅も高さも二メートル程度だ。
壁は無機質に灰色一色で、何の飾り気もない。
最後にキリコが入ってくると、出入り口が閉じた。
「敵さんは、私たちのことをよく把握しているみたいだね」
閉じた出入り口を見て、システマーがそんな感想を言う。通路の天井が弱々しくだが光っているため、視界は悪くならない。この通路を奥に進むのには、何の支障もない。明らかに、敵に誘い込まれている。
ぼくがここまで水口さんに背負われてついてきたのには理由がある。夏子さんが死ぬ原因をつくったような奴の顔を、一目でも見てやりたかったからだ。だから、その点からだけで見れば、この誘いはむしろ好都合といえる。
「最後の戦いだね」
少し剣呑な表情で、キリコがそう言った。
ぼくたちはそれに頷き、通路を移動し始める。スロープは予想外に急斜面だったので、歩かずに飛ぶことになる。
普段ハイテンションな水口さんが、移動要塞の中に入ってから一言も言葉を発さない。ぼくはそれに気付かず、このスロープの角度と要塞の形からどこへ向かっているのかと考えていた。どうやらほぼ中央へ、一直線に向かっているようだ。
通路は斜めに伸びている。スロープは一定の角度を保ったままだ。
しかし、しばらく進むと壁が見えてきた。行き止まりか。先頭を進んでいたシステマーがその場に止まり、上を見上げる。
「ここからは、真上に進むみたいだね」
言われてぼくも見上げてみる。天井がすっぽり抜けていて、先に続いていた。飛行ユニットがなければここで立ち往生してしまったに違いない。それまでの二メートル四方の空間はそのままに、真上に伸びた縦穴を進まなくてはならないようだ。
「梯子も何もないね。敵さんは一体どうやってこんな空間を移動しているんだろう」
キリコがそう言った。息が白くなっている。ぼくはそれに対する返答を思いつかない。応えたのはシステマーだった。
「案外、一方通行なのかもしれないよ」
真上に五メートルほど進んだところで、開けた空間に出た。
円形の部屋だ。半径二十メートルはありそうで、中央に何か白いトーテムポールのようなものが立っている。トーテムポールの上には何かが光り輝いている。
飛行ユニットではなく自分の力で飛んできた水口さんは、そこへ出るとすぐに床に降りた。息を切らしてはいないが、いつものようにハイテンションではなくなっている。
中枢部に出たのか、とぼくは思った。実際に、ここの壁は半球状になっているものの、それでもこの部屋が移動要塞の大部分を占めていることには間違いない。どう考えても、中央のトーテムポールが中枢だ。
しかし、あれは一体なんなのだろうか。どういう原理で、光っているのかもわからない。あれを破壊することで、本当に全てが終るのだろうか。
「さて、六郎くん」
地面に降りたシステマーが無用心にも、部屋の中央に向かって歩き出した。ぼくは止めようとしたが、その前に彼女は足を止めて振り返る。
「ここが中枢だよ。そして、あれがこの移動要塞の主」
「あれが?」
システマーの指差す先は、トーテムポールの先で光る謎の塊だ。
「お誘いいただいたわけだし、ご挨拶くらいしておかない?」
そう言って微笑むシステマーだが、キリコがそれを制した。
「姉さん、ふざけてる場合じゃないよ。あれが中枢だっていうなら、壊さなきゃいけない。何の防衛機能もないとは思えないけど、あれを壊すために私たちやってきたんだもの」
キリコはマインドブラスターを背中から引っ張り出した。形も大きさもほぼ『カノン』と同じだが、いくつかコードが飛び出していて、メタルスーツに接続されている。その砲口はぴたりと、謎のトーテムポールに向けられた。
「今すぐにこれをぶっ飛ばして、全部片付けてしまわなきゃ」
「待つのだ、勇者よ」
瞬間、そんな声が響いた。重々しい声である。
「敵?」
周囲を警戒するキリコだが、敵は見つからない。ぼくも見回してみるが広い部屋の中にはぼくたちしかいない。スピーカーでもどこかにあるのだろうか。
「あれだよ、あの光っているもの」
システマーが再び指差す。ぼくたちはあらためてトーテムポールを見たが、その輝きに変化はない。
と、思った途端、光は動いた。トーテムポールから浮き出し、何の説明もなく空中に浮いて留まったのだ。また声が響く。
「ここまで自分の力でたどり着いたのは、君たちが始めてだ。今回はご招待したこともあるが、その強さには敬意を表しよう」
確かに、光から『声』が聞こえてくる。
ぼくたちはあっけにとられていた。どこか絵本の中の、魔法の世界にでも紛れ込んでしまったような気がする。一体、こいつは何なのだ。プラズマか、人魂か。
「あんたが、『亡霊』って奴なの」
キリコがマインドブラスターを構えたままでそう訊ねた。
「そうだ。『亡霊』とはすなわち私のこと。宇宙を漂流する思念体、根源霊」
質問に答えながら、『亡霊』と名乗った光は蠢いた。ずるずると泥のように形を変えて、まるで人のように頭を生やし、肩を出し、腕を引っ張り出した。たちどころにして人間の上半身のような形になり、かと思えばどろりと溶けて、その背中からまた別の頭を生やす。気味の悪い姿だが、彼は光っている。どろどろと溶け落ちる姿も光っているのだ。薄気味悪く形成と溶解を繰り返しながらも、一種の神々しさが窺えるほどに鈍く淡い光を放っている。
ぼくは戦慄を禁じえなかった。生唾を飲み、水口さんの背に捕まる手に力がこもる。だが、水口さんは落ち着いたものだった。両足を伸ばしてしっかりと床を踏み、動転した様子など全くない。それほどにシステマーを信頼しているのか、それとも豪胆なのか。
「一体、何が目的で人々に『誘い』をかけたの」
「復讐のためだ」
質問に、『亡霊』は律儀に応える。
「所詮私は思念体、いかに知識を持とうとも、自分ひとりでは何も為せない。協力者を求めるのは道理だ」
「人類に対する復讐なのか?」
ぼくも口を開き、質問をした。この部屋も随分と寒いが、気にしている場合ではない。
「人類にではない。誘いをかけた連中も含めて、彼らは憎悪の対象とはしていない。彼らは任意の協力者であり、実験台であり、栄養源に過ぎない」
おかしい。
ぼくはその回答を聞いてそう思った。以前ぼくが予想していた彼らの行動原理と随分違っている。ぼくの考えでは、彼らは世界征服を狙っているセンが強かった。少なくとも、人類からの敬意と畏怖を求めているものと思っていたのだが、違ったらしい。
「ここまでたどり着いた勇ましき者、そしてそれを支えた人間の科学者よ。汝ら二人、ここへ自分の足でたどり着いたその力を評価して話そう。私の正体と、この行動の目的を」
『亡霊』はいまだ人間の上半身を形成しては自壊して融解していくという作業を繰り返している。それが徐々にペースを速め、いまや同時に二つの上半身が見えるようになっていた。彼の言葉は、どうやらぼくとキリコに向けられている。システマーと水口さんはそれぞれ、拉致されたり『誘い』をかけられたりして、一度はここに来たことがあるのだろう。
「わかりやすく『亡霊』と名乗ったが、私はお前たちの概念で言う亡霊とは少し違う。宇宙を彷徨う思念体。統一意志。根源は、ある宇宙の文化圏においての科学者であったものだ。そのものは、その文化圏で異端なる考えと科学知識をもっていた。そしてその科学知識を生かして兵器を量産するだけの体制をも持っていたのだ。よって政治組織から排斥をうけ、彼はその文化圏を追われた。宇宙へと放逐され、彼は絶えた。それが私の始原だ」
マッド・サイエンティストといったところだったのだろうか。ぼくと似た環境にいた人物だったのだろうが、異端な考えとはどの程度のものだったのだろうか。いや、それよりも『ある宇宙の文化圏』としか言っていないが、やはりこれは地球外生命体のことを指しているのか。
「彼は何もしてはいなかった。ただ、考えが他と異なっただけなのだ。それなのに理不尽な排斥をうけて命を断たれた。彼は恨みを残して死んだ、その恨みを残した彼の身体は、やがて流刑星へと流れ落ちた。そこには彼と同じように排斥をされ、息絶えた怨念が集まっていた。流刑を受けた人間は皆、その星へ送られるのだが、彼らは何も資源のない星で渇き苦しみながら息絶えていたのだ。本来そこは僅かな動物が住み、なんとか命を繋いで生きられるはずだったのだが、随分前から気候が変わり、人の住めない星となっていた。だが流刑星の様子など細かに調べない政治組織のおかげで、流刑にかけられた人間は相変わらずそこへ送り込まれていた。理不尽な死を迎えた魂は集合し、意志の統一を図った。『その文化圏の政治組織への復讐』、これがつまり我々の最終目標となる」
「存外にチープだ」
ぼくは小さくそう呟いた。本当にそう思ったからだ。たったそれだけの安っぽい目的のために人々に誘いをかけ、バイオウィンガーを生み出し、多くの人を殺して混乱を振りまいた。他所の文化圏はカス扱いか。このような奴の言うことなど、聞けない。
「そう思うよ」
水口さんがぼくの言葉に応じてくれる。キリコの方を見てみると、まだマインドブラスターを抱えたままだ。目つきが少し怪しくなっていることから、相当に怒っていることがわかる。ぼくと似た思いを、今の『亡霊』の話から抱いたらしい。
「それで、結局何が言いたいわけ」
抱えた武器の狙いをぴくりとも変えずに、キリコが冷たい声でそう言った。
「勇者よ、最後まで聞くがいい。私は復讐のために宇宙を彷徨う思念体、死者の怨念、霊、その集合体。排斥されたものの残留思念を数多に吸い込み、膨張した姿。ゆえに実体を持たない。逆に、どんな身体にでも入り込み、支配することができる。魂を持たない身体ならば。そこで『ある別の次元』においては最強の肉体を作り出し、それを用いることでこの文化圏で人々の畏怖と敬意を集めようとした。それは『誘い』をかけたものの裏切りによって失敗をしたが」
『亡霊』はそこで水口さんをにらみつけたように見えたが、水口さんは微動だにしなかった。ぼくは水口さんに背負われているので、彼女がどういう表情をしているのかはまるでわからない。
「いずれにしても、この文化圏で敬意と畏怖を集め、権力を得ることは悪いことではない。私はこの文化圏の人類を実験台、栄養源としてしか見ていないが、彼らの生活を支配できたなら、効率の良い栄養源と実験台の確保が可能となる。それはつまり、より高次元の知識の探求に繋がっていく。私としては七十億もの実験台があれば生物兵器知識はさらによいものになると断言できる。これは弱者を尊ぶ意識のある『あの政治組織』の連中には無理なことで、私だけが為しえることだ」
「そんなことはさせないよ」
「だが、そちらの科学者はどう思う。勇ましき者よ。知識欲の充足と、研究の末に自らのみが知りえる知識が増えることは至極だ。勇敢なる科学者よ、私らと共に永遠の研究に身を投じる気はないか」
ぼくは目を見開いた。
『亡霊』は、はっきりとこのぼくを見ている。『異なる文化圏』からやってきたマッド・サイエンティストがこのぼくを誘っているのだ! そうか、これが『誘い』か。ぼくが冷静にそう考えられるようになるまで、五秒ほどの沈黙が必要だった。
だがぼくの沈黙を迷いととったのか、亡霊は勝手に話を進める。
「勇ましき者よ、お前はこの科学者を好いているのだろう。この者と一緒にいるならば、安寧が得られると考えている。そのように武器を構えて、戦う必要もなくなるのだ。世界を支配する覇者の傍らに控え、そのものに尽くすだけでよくなる。愛するもののそばにいること、それができるならよいのではないか」
そんな言葉を『亡霊』が言い放った。途端、キリコの顔が歪んだ。腹の中が煮えているのだろう。ぼくにはそれがよくわかった。
これまで動かなかった水口さんが、ばさりと羽を動かした。背負われているぼくは思わず目を閉じる。『カゲロウ』である水口さんの羽はぼくを背負っていても問題なく羽ばたける構造になっているのだが、全く影響がないわけではないのだ。
「辻井くん、どうするの」
冷静な声で、水口さんがぼくに問うた。
「六郎」
抑揚のない声で、キリコがぼくの名を呼んだ。水口さんもキリコも、ぼくを心から心配しているのだろう。そういう顔をしている。システマーだけは下を向いているが、恐らくそれはぼくがどう応えるか確信しているからに違いない。
ぼくは一度目を伏せて、それから顔を上げた。『亡霊』は答えを待ちわびるように鈍く光る身体をぐねぐねと動かしている。それに向かって、腹から言い放つ。
「ぼくは、探求欲のために良心を捨てる気はない」
「良心の呵責など感じなくなる。すぐにだ。君に未練があるというのならば、親しいものは殺さずにおこう。その安寧も保証しよう。欲しい女などいたならば、すぐさま君にしなだれかかって甘い吐息を吹きかけるようになるだろう。君は何一つ、君の知る世界のことを心配せずにひたすら知識欲を充足させていればいい」
『亡霊』はすぐに反論をしてきた。だが論点がずれている。ぼくは言い返した。
「魅力的な提案だが、ぼくはそれを飲むことができない」
「それは何故かね。解決できる問題なら言うがいい。私は君の知識を欲している。この扱いづらい、山内霧亜の電光のような脳細胞よりも。君の学習能力、建設的な考え方、堅実な性格。君は実に、私にとって必要なのだ」
諦めないのか、よほどぼくに味方になって欲しいのか。『亡霊』は見苦しくぼくを誘った。だが、それ以上戯言を聞いてはいられない。ため息を吐きたくなったが、その間にも彼はまくしたてるように喋った。
「それとも、正義かね。この人間達の間にはびこる邪悪な宗教のような考えだ。そもそも、善悪など誰が決めたものだ? いもしない神がこさえたものか。そのようなものにこだわることの無意味さを知らぬ君ではないだろう。死体を損壊することも、生物学や医学の面から見ればその発展のために必要なことなのだ。捕虜を拷問にかけて情報を聞き出すことは悪か、正義か。そのようなことを問答していることは全く意味がない。善も悪もこの世には存在し得ない。科学者ならば割り切るべきだ。人間は、自らの欲望を充足させることを目的にして生まれてくるのだから。君もそのように生きたまえ、そのための途は、今ここにある」
正義。今までそのようなことは意識してこなかった。
『亡霊』は大きな上半身を形成したかと思うと、その右手をぼくに差し出して叫んだ。
「辻井六郎、君を誘おう!」
「辞退申し上げる!」
反射的に、ぼくは叫び返していた。鈍く光る塊を、ぼくは強く見上げる。ぼくを支える水口さんの足は震えもしない、しっかりと床を踏んでいた。
「何ゆえに」
『亡霊』の声は低くなり、強い声音になった。その問いは強いものだ。回答しないことを許さない。しかし、ぼくには答えがある。誰に何を言われても、首を縦に振ることはできないのだ。
「いい子にしていなければ、夏子さんに会えない」
「それが理由か?」
彼は戸惑ったらしい。勿論他に理由はある。彼らによって夏子さんが殺されているからとか、キリコの努力を無にしないためとか、水口さんをこのように追い詰めた元凶を許せないとか、いくらでも言うべき理由はあった。しかし、根源はただそこなのだ。ぼくは決して悪人になれない。
ぼくをそんな人間にしたのは、夏子さん。いい子にしていれば、また会える。その一言だけで、ぼくを呪縛した。
ぼくは『いい子』でいなければならない。『いい子』は、みんなを困らせる奴がいたら、率先して彼に注意をしなければならない。言っても聞かなければ懲らしめてもいい。そして、みんなを命の危険に晒すような脅威には、立ち向かわなければならない。
だから、ぼくはこの誘いには決してのることができない。
絶対に。
「それが理由だ。理解はしていただかなくて結構」
「子供のような理由、幼い。それが私を拒むのか!」
彼は膨張した。泥のようにうねりながら広がり、腕を伸ばし、まるで羽のように大きく広げた。威圧するように広がる羽に、システマーや水口さんが身構える。ぼくは少し覚悟を決めた。
「失望したぞ、科学者よ!」
結晶のように光沢を持ち、表面が硬質化していく。彼は怒っているようだ。
「幼きものどもよ、ここで潰えよ!」
どろどろの光る泥は、身体全体に憤怒の表情を浮かび上がらせた。大きく伸び上がり、次の一瞬でぼくに手を伸ばしてくる。
手というのもあやしい、大きな針のような輝きがぼくに迫った。水口さんはステップを踏んで、それを回避する。かなり速い。水口さんに背負われていなければ、確実にぼくは貫かれていただろう。背中に冷たいものが走り抜ける。じっとりとした汗が全身にへばりついてくるが感じられた。
「マインドブラスター!」
それを宣戦布告と見たのか、キリコがトリガーを引き込んだ。瞬間、キリコの持っていた武器が光を放つ。懐中電灯を何千倍にもしたような光がその先から放出され、文字通り光の速さで『亡霊』に食い込んだ。輝きは強く、熱を伴ってぼくたちをも巻き込んだ。放射の一瞬などは、ストロボを焚いたようにすさまじい輝きに見舞われて、視界が白一色に染まってしまう。真正面から見れば目がくらむどころか、数分間は視力が奪われてしまうだろう。車を運転していると夜間に対向車のライトで幻惑されることがあるが、それの何百倍もの光なのだ。しかもそれだけに終らず、ブラスターという名の通り、マインドブラスターは『熱線銃』という性質をもっている。強烈な光と熱で攻撃をする武器なのだ。熱い。離れた位置で、横にいたぼくたちでさえも強い熱を感じた。火傷しそうなほどの熱波がこちらにとどいている。余波だけでこの威力なら、まともに食らった場合どうなるというのだろうか!
その想像通りの結果が、そこにある。『亡霊』の身体は簡単に引きちぎられ、ブラスターで撃たれた部分は吹き飛び、熱で引き裂かれている。光線は彼の体を突き抜けて、移動要塞にも穴を開けてしまった。内壁も外壁もひとまとめにして真っ赤に融解させ、風穴があいている。放射時間はほんの数秒だったにもかかわらず、宇宙船の隔壁を吹き飛ばしたのだ! 恐るべき破壊力と言う他ない。これほどの熱が発生するのでは、発射したキリコも、マインドブラスター自体もこの破壊力に耐え切れない。それもあって、システマーは『三発が限界』ということを言っていたのかもしれない。
「ぐっ」
キリコが膝をついた。マインドブラスターを使用したことで、精神力を奪われたからだろう。
しかしぼくは、この武器の馬鹿げた威力に目を奪われていた。数字の上で予想はしていたが、これほどの威力があるということを現実に目の当たりにすると、驚愕する。氷点下五度程度から、一気に真夏の炎天下のような温度にさらされる。全てマインドブラスターを使用したことが原因だと言わざるを得ない。
「キリコ!」
ぼくは首だけで振り返って、膝をついたキリコを見る。しかし早くも彼女は歯を食いしばって、なんとか立ち上がろうとしている。相当な負担が強いられたに違いないのだが、なんと気丈なことだろう。
「だ、大丈夫だよ。私強いから」
明らかに無理をしている声でそう言ったが、それでもキリコはまだ立てない。ぼくがなんとか励ましの言葉をひねり出そうとしたとき、水口さんが警告を発した。
「辻井くん、敵はまだ」
その言葉に視線を戻すと、光る泥が蠢く様子が見えた。『亡霊』はダメージをある程度受けたらしいものの、平然としている。焼け爛れた部分を捨てて、残った部分が膨張を始める。
「そのような武器を隠し持っていたとは恐れ入る、勇者よ。だが、私は思念体であり、集合体なのだ。そのような兵器でもって力任せに打ち倒せると思わないことだ」
そういいながら、さらに膨張し続ける。光る泥は空中に浮いたまま、変形を始めた。手にも足にも見えない突起をいくつも形成し、針と成し、まるでウニや毬栗のように針だらけの姿になってしまう。
「本気を出すつもりかしら」
口元に手をやり、システマーがくすりと笑って見せた。彼女だけはここに至っても、余裕の表情を崩さない。一体何の考えがあるのだろうか。マインドブラスターが通用しなかったというのに。
融解していた壁が冷えて固まる。マインドブラスターのせいで上がっていた気温がまた下がってきた。どうやら、部屋の中は氷点下に保たれるようになっているらしい。穴のあいた壁も、どういう理屈か、じわじわとその穴を塞ぎつつある。
「よそ見している場合じゃないよ、辻井くん。敵も本気みたい」
「ああ」
『亡霊』は浮いたままで膨張し、腕を大きく伸ばした。何本もの針の中から太く巨大な腕を形成し、さらにその腕を細かく分割し始める。太い腕が、細い何本もの腕に変わる。腕というよりも、ヒドラやイソギンチャクのような触手だ。細いといっても、か弱い力しかもたないということはありえない。その腕がやがて容赦なく振り下ろされ、ぼくたちに向けて迫ってくる!
水口さんは空へ浮いた。システマーもバックステップを踏み、キリコも間一髪のところでジャンプし、それぞれに敵の攻撃をかわす。逃げた先に、さらに腕は伸び、ぼくたちを串刺しにしようと迫ってくる。
振り払おうとした水口さんだが、ぼくはそれを止めた。どこに毒が仕込まれているかもわからないし、電撃を流す用意だってあるかもしれない。素手では触れないほうがいい。ぼくは持ってきていた小太刀サイズの木刀を取り出し、水口さんに渡した。すぐさまそれを振り、触手を跳ね除ける。
キリコもシステマーも、それぞれにブレードや剣を振るって敵の攻撃をしのいだ。
「キリコ、大丈夫か!」
ぼくは叫んだ。マインドブラスターの一撃で仕留められなかった以上、一番苦しいのはそれを撃った彼女のはずだった。だが返答はなく、キリコは飛行ユニットで空中を飛び回って敵の攻撃を回避し、しのぎ続ける。
水口さんはこの伸びてくる触手に攻撃をくわえているが、一向にひるむ様子はない。ほとんどダメージを受けていないようだ。やはり本体を叩かなければ、ダメージにならないのだろうか。
だが、先ほど本体にマインドブラスターをぶちかました。それでもダメージになっていないように感じられる。
どうすればこの敵を倒せるのか、ぼくは考えをめぐらせた。
「多分、敵は再生能力を持っているのではなくて、『思念体』であることを生かしているのだと思う。あの光るぐねぐねしたものは質量保存の法則を無視して膨張し、武器を形成しているけれども、それは一体何故なのかを考えなければ」
ぼくは必死に考えを進めるが、ぼくを背負う水口さんはかなり必死になって敵の攻撃をさばいでいる。敵も次々と触手の数を増やし、ぼくたちを串刺しにしようとしてくるのだ。正面から大量の針のようになった触手が突撃をかけてくるので、背後に逃げようとする水口さん、ステップを踏んだ瞬間に何かに気付いて木刀を振り回した。一瞬の差で、背後に迫っていた針のような触手を弾き飛ばす。いつ、何の間違いで殺されてもおかしくない。そのような状況下でもぼくを背負っていることに文句一つ言わない。水口さんはただぼくとシステマーを信頼しているのだ。キリコもマインドブラスターを撃った直後の振るわない身体に鞭打って、敵の攻撃を回避し、防御してくれている。こちらもまた、文句一つ言わずに。
考え付かなければならない。敵は未知の技術の塊だが、恐れている場合ではない。ぼくは天才なのだから。
部屋の中央から何本もの腕を伸ばし、攻撃を仕掛けてくる『亡霊』に対する有効な攻撃手段はあるのだろうか。マインドブラスターで撃ってもダメだというのなら、どうしようもない気がする。
敵の攻撃は激しくなるばかりで、水口さんの動きも激しくなる。ぼくは頭を揺さぶられながら、考える、ただ考える。
何本もの腕が水口さんを襲う、それを回避する、迎撃する。その先、回避してくる水口さんを待ち伏せるように、別の腕が待っている。気がついたときには、回避できないほどに距離が狭まっていた。
やられた、と思った瞬間に破裂音が鳴り響き、目の前に迫っていた腕が千切れて飛んだ。ちらりと視線を走らせると、『カノン』を構えたキリコが見える。助けてくれたらしい。だが、その彼女にも死角から別の腕が迫っていく。気付いたキリコが飛び上がって逃げようとするが、敵のほうが一瞬早い!
「キリコ!」
ぼくは思わず叫んだが、どうにもならない。キリコが身をよじってなんとか回避を試みるが、突き刺すように動く敵の腕は彼女の左腕をかすめた。苦痛に顔をしかめるキリコに、追撃をしかけようと敵の長い腕が集まる。だが、そこへ飛び込んだ影がある。システマーだった。敵の触手へ自分から飛び込むように挑みかかり、片腕だけで剣を振り回す。たちどころにして敵の腕は何本も同時に切断され、切れた先は制御を失って床へと自由落下する。しかし剣が届かずに切断されなかった腕が鋭く伸び、システマーの頭部を直撃した。
「うっ!」
さすがのシステマーも呻いた。ただの一撃で彼女の身体はスパイクを受けたバレーボールのように弾き出され、床に激突。鈍い音を発して小さく跳ね返った。
「霧亜!」
血を吐くような声で水口さんが叫ぶ。自分のことも構わずに、システマーのところへ向かう。ぼくの渡した木刀で迫る敵の腕を迎撃しながら吹っ飛ぶような速度で駆けつける。
本来なら、ここは水口さんを止めるべきところだった。ぼくたちは分散していなければならないからだ。敵の攻撃が一箇所に集中してしまえば、回避することなどできはしない。だから離れなければならない。しかし今の状況でシステマーを見捨てることもはばかられる。
幸いなことに、システマーは意識を失ってはいなかった。倒れた彼女にトドメをさそうと集まる敵の腕が迫る中、すぐに立ち上がったのだ。水口さんはそれでなんとかシステマーのもとへ行くことを踏みとどまる。キリコがショットガンで彼女に迫る腕を撃ち払ったが、それでも何本かの腕がシステマーに迫る。回避するべく動いたシステマーは何とかその攻撃を避けきる。だが横薙ぎに振るわれた敵の腕がまたしても頭部を掠めた。衝撃でシステマーのメットが剥がされて、彼女の素顔が露出する。メットが空中に飛び、長い髪が広がった。
この状態で次に頭に一撃を食らった場合、確実に死が待っている。しかし、システマーの顔は冷静だった。その表情は先鋭的で、冷徹なまでに落ち着きを見せていた。僅かに笑みさえも見せながら、システマーがキリコの援護を受けながらも態勢を整え、再び飛行ユニットを使って空中に飛ぶ。だが、いくら彼女が天才で余裕の表情を崩していなくとも、追い詰められていることには違いない。
水口さんも余裕があるとはいえないし、キリコもシステマーも、戦ううちに傷が増えていく。彼女達の命があるうちに、ぼくが、天才であるこのぼくがこの状況を打開する策を考え付かなければならないというのに。
しかし思いつかない、どうすればこの化け物を倒せるというのだろう。キリコの持っている弾薬も限りがあるし、迫る敵の腕を切断したり撃ち落したりしているだけで状況が好転するとは思えない。
キリコは切断した敵の腕の残骸の中に、降りた。連続で動き回ったためか肩で息をする彼女に、次々と遠慮なく敵の攻撃が迫っていく。汗を拭く余裕もなく、キリコは飛び上がって横からの攻撃を回避し、構えるブレードを振り回して上からの攻撃を迎撃する。上から迫った腕がブレードに切り裂かれ、体液を吐く。体液を浴びないように逃げながらも背中からショットガンを引っ張り出し、部屋の中央に浮かぶ光源に銃口を向けた。彼女が素早く引き金を引くと、破裂音と共に散弾が撃ち出される。
確かに命中しているらしいが、『亡霊』は全く意にも介さない。実弾ではまるで効果がないというのだろうか。敵にまるで反応がないのを見て、キリコは顔をしかめている。
その彼女の背後へ敵の腕が伸びていく。気配に気付いたらしいキリコが振り返るが、そのときにはもう回避不能だった。ぼくはすぐにレーザー・スライサーで敵の腕を撃とうとしたが、間に合わない。食卓にたかるハエを丸めた新聞紙で叩き落すようなあっけなさで、キリコは敵の腕に吹き飛ばされた。キリコの身体は貫かれはしなかったが、勢いよく背後にはじき出されて半球状の壁に激突する。
その一瞬だけで、ぼくの頭に血が上った。
『亡霊』の弱点を考えていたことも、ぼくを背負う水口さんを気遣うことも、システマーのメットが吹き飛んでいることも、何かもかもが頭の中から消え失せ、ただ怒りだけがぼくを支配する。
キリコ!
今までも彼女が傷つくところは散々に見てきたはずなのに、何故かこのとき理性が吹き飛んだ。
ぼくはレーザー・スライサーを構えて、水口さんが態勢を崩すのも構わずに銃口を『亡霊』本体に向けた。
怒りに理性を失ったまま、ぼくは咆哮を上げ、引き金をしぼった。絶対に、この敵は許せないと。ぼくの作ったレーザー・スライサーは光を吐き、『亡霊』に直撃する。水口さんが態勢を整えるために動き、それがそのまま銃口の動きとなった。レーザー・スライサーが発した光は動き、敵の身体を切り裂く。
「うおおおおおっ!」
敵の身体は切り裂かれ、そこから伸びだしていた触手のような腕の動きが鈍る。
ぼくは引き金をしぼりっぱなしにした。照射可能時間は十五秒しかないが、そのエネルギー全てを使うつもりだった。あとのことなど構わない、それほどぼくは怒っていた。
敵は照射されている間呻いていたが、たちどころに十五秒が経過し、レーザー・スライサーのエネルギーが切れる。すると徐々に『亡霊』は動きを回復させてくる。本体へのレーザーによる攻撃は多少有効だったようだが、決定打にはなっていない。
「うっ」
ぼくは呻いた。敵の攻撃が、明らかにぼくを背負う水口さんに集中するようになっていた。
「まだ武器を隠していたか、科学者よ!」
『亡霊』が怒ったような口調で言い捨てる。どうやらレーザーが有効というのは確からしいが、もうエネルギーがない。
「やはり貴様から殺すべきであった!」
それまで以上の数と速度で、敵の腕が水口さんに迫ってくる。水口さんも呻いた。もう話す余裕もない。神経を集中させ、あちこちへと動いて敵の攻撃を避け続ける。
ほぼ全方位から迫ってくる攻撃を、水口さんは驚異的な反射神経とカンで回避する。木刀を振るって血路を開き、安全な方向に逃げてはすぐさま壁を蹴り、床を蹴り、ひたすらに逃げ回る。ほんのわずかな休みもなく、動きっぱなしだ。背負われているぼくは頭を激しく揺さぶられているようで、もう視界もまともに働かない。
キリコは先ほどのぼくの攻撃で、敵の動きが緩んでいる間になんとか動けるようになったらしい。メットの脱げたシステマーを護るように敵の攻撃をしのいでいる。ぼくは激しくシェイクされる視界の中に、なんとかそれらを認めた。
頭が振り回されるので酔ったように気分が悪くなるが、それでも考えなければならない。ぼくにできることは怒りに我を忘れて攻撃をしかけることではない。この化け物を倒すための策を練ることだったのだ。
必死になって攻撃をかわす水口さんに背負われながら頭をひねるうちに、ある事象に思い当たる。敵は、熱で焼き焦がされた部分を捨てているのだ。目だけでそれを探すと、マインドブラスターによって焼かれた敵の一部分は、いまだ床の上に放置されている。有効利用されている様子はない。
「熱で変質する、のか?」
ぼくはそう考える。
つまり、この敵を倒すための有効な武器は熱なのか。それも高熱。
そう考えをまとめたとき、水口さんが動きを止めた。何事か、と思ったがすぐに理由がわかった。右足を貫かれたのだ。避け続けることなどできるはずもない。機械の力を借りているキリコやシステマーと違って、水口さんは自分の力だけでずっと動き続けているのだ。疲労の溜まる早さが元から違っていた。
水口さんは荒く、白い息を吐きながら、自分の右足を切断した。体液を吐きながら水口さんの右足がその場に転がる。ぼくは声をかけようとしたが、恐ろしさのあまりに口が開かない。なんと言っていいのかわからなかった。同時に強い恐怖がこみあげてくる。
「六郎!」
動きの止まったぼくたちに迫る敵の腕を、キリコがショットガンで撃ち払った。そのキリコに迫っているものは、システマーが剣で切り伏せる。
水口さんは荒い息をついていた。出発前にぼく一人背負うくらいなんでもないと言っていたその姿が、熱をもって今や疲れ果てている。それでもぼくの渡した木刀を握り締めて、迫ってくる敵の攻撃を打ち払った。
これ以上はもう、到底もたない!
ぼくは今考えたことを出来る限りの大声で叫んだ。
「システマー、キリコ! 敵は熱で一時的に動きが鈍る、恐らく身体を作っている材質が高熱で変質するんだ!」
「熱?」
返答を聞いている暇もない。やはりついてくるべきではなかったのかもしれない。
しかし、水口さんはぼくを背負って、よく戦ってくれた。ぼくという荷物がいたためにこのような絶望的な状況になったのだとしたら、もうどれだけ謝っても償えるものではないが、それは死んだ後で考えよう。今はただ、希望をつながなくてはならない。
「敵を、焼き払うんだ」
「辻井くん、少し動くよ」
水口さんが突然、力強く動いた。もう目の前に迫っていた敵の腕を力任せに振り抜き、弾き返す。
ぼくは驚いた。もうその一撃だけで、二人とも死は免れないと思っていたのに。水口さんは、突如、活力を得たように動き出したのだ。素手で敵の腕を押し返す水口さんの腕は、両腕とも貫かれた。
体液が吹き出て、その激痛がぼくにもよくわかるほどに。だがその飛沫が顔にかかることも気にせず、ただ敵の攻撃を一時的にでも食い止めた水口さんは、壁を蹴り、羽を広げて飛んだ。向かう先は、部屋の中央。光り輝く敵の本体だ。
そこへ向かって何をしようというのだろうか、水口さんは熱を発生させるような武器を何か持っていたのだろうか。それよりも、その怪我はどうするつもりなのか。
「ごめんね」
飛び上がった水口さんは、そう呟いた。同時にぼくの身体が強く締め付けられる、と思ったとたんにふわりと浮遊感。ぶちぶちと音が聞こえた。
これは。
これはぼくと、水口さんの身体を固定していたロープが切れたのだろう。だからぼくは水口さんの身体の動く勢いについていけずに、空中に浮いたのだ。
それを察した瞬間、ぼくは自分が捨て駒にされたのだと知った。水口さんは自分が敵の本体のある場所にたどり着くまでの間、敵の攻撃を防ぐ盾が欲しかったに違いない。だからぼくと身体を固定するロープを切って、ぼくを捨てたのだ。
ぼくはそれでも構わないと思った。水口さんがそれで満足なら、問題ない。確かにここまでくれば、もうぼくの力は必要がない。あとはその何かの秘密兵器で、敵を焼き殺してくれればいい。水口さんがそれで生き延びることが出来るのなら。彼女の目的がそれで達成されるのなら。ぼくは喜んで敵の攻撃に打ち貫かれよう。ここで朽ち果てよう。どんな痛みも、苦痛も、今は喜んで受け入れることが出来る。
覚悟したぼくは目を閉じた。ただ敵の腕に貫かれる時を待つために。
ところがぼくを襲ったのは何かに引っ張られるような感覚と、その一瞬後の投げ出されるような浮遊感だった。間もなく全身に強い衝撃が走ったが、怪我をするほどのものではなかった。目を開けると、ぼくはキリコに抱きかかえられていた。
キリコが助けてくれたのだろうか、とぼくは推理した。しかし、それにしてはおかしい。身体に感じたことから考えても、ぼくは誰かに『投げ出されて、それを受け止められた』。キリコの顔を見上げる。その顔には血が流れ落ちて、顔の半分は赤く染まっていた。彼女はそれでも目をこじ開け、何かを見ている。
その目線を、ぼくも追ってみた。すぐにぼくの目も見開かれる。
「あっ」
言葉もでなかった。
全力で敵の本体に向かって飛ぶ水口さんに、正面から背後から敵の腕が伸びていく。
まるで避けようともせず、水口さんは何かを取り出して、それを本体に向けて投げつける。薬品の入った瓶のようだ。ぼくは咄嗟に、それが火炎瓶ではないかと思った。水口さんは敵が熱に弱いと聞いて、これが有効ではないかと思ったのではないか。ほとんど捨て身になって、彼女は瓶を投げつけていた。
瓶は敵に届く前に、敵の腕によって貫かれ、破壊された。途端、強烈な輝きがその場を襲った!
まともに注目していたぼくたちの目は、突然の閃光にくらむ。まるでストロボのような光が、薬品瓶から発生したのだ。あれはマグネシウムか何かだったに違いない! 瓶が割れることで燃えるような仕組みになっていたのだろう。
ぼくは目を両腕でおさえた。
しかし、その瞬間に肉を切り裂くような音が聞こえる。聞きたくなかったのに、音はぼくの鼓膜に容赦なく届いた。
ばりん、と再び瓶の割れる音が聞こえる。こんどは中に液体が入っていたようで、その液体がぶちまかれる音も聞こえた。一体何が起こっているのだろうか。水口さんは何をしようとしていたのだろうか。
その目的は達成されたのだろうか。そして彼女は無事なのだろうか。無事であってくれなければならない。
だが、ようやくぼくが目を開いたとき、何かの液体に濡れる『亡霊』の本体と、体液に濡れた水口さんの身体が見えた。水口さんは腹部から下の辺りに、敵の腕を生やしている。一本や二本ではきかない数の敵の腕に、貫かれていた。
ぶちぶちと彼女の身体が千切れる。あまりにもたくさんの腕に身体を貫かれたので、上半身が下半身を支えきれなくなっているのだ。右足のない下半身が、彼女の胸から落ちていく。
ぼくは恐怖にかられてそれを見守った。
「霧子、レーザー砲!」
システマーの声が響いた。あまりの光景に時が止まっていたぼくたちに、エネルギーを注入する声。何かを振り切った、強い声だった。
キリコは何も言わずに、右肩に手を当てた。ぼくを抱えたままで走り出し、狙いを定めて敵へレーザーを放った。
「ぬぅっ!」
瞬間、苦悶の声をあげて、『亡霊』本体は炎に包まれる!
先ほど水口さんが撒いた液体は、可燃性のものだったのだ。ガソリンか何かに違いない。明らかに敵の腕の動きは鈍った。
鈍った、というよりも。
ぼくは何度かこの現象を目の当たりにしている。熱にさらされた敵の動きが鈍るということ。鈍っているのではなく、元が熱で変質しているために動きづらくなっているのではないか。
つまり、硬化している。熱にさらされたあの光る泥は、固まるのだ。固まっているということは。
どんな身体にでももぐりこみ、支配できると言っていたあの亡霊の『思念体』そのものも、そこに閉じ込められている可能性があるということ。この本体を四散させられれば、いかに『思念体』といえども何のダメージも受けないということはないはずだ!
その「当て」がはずれる可能性も低くはなかった。だが、今それをしなければ何もかもが無駄になる。とにかく今は、自分達にできることをするしかない。
「キリコ! とどめだ!」
「わかった、姉さん!」
ぼくの声が届くと同時に、キリコはぼくを下ろし、敵に向かって駆け出した。
「むう、幼き者どもめ! 泣いて暴れるのもいい加減にせぬか!」
燃え上がる『亡霊』の本体は残っている腕を無茶苦茶に振り回し始めた。動きが鈍っているとはいえ、ただの人間であるぼくの運動神経で避けられるとは思えない。しまった、とぼくは思った。
しかしすんでのところでシステマーが横から飛んできて、ぼくの身体を抱えた。彼女は周囲に両腕のバルカン砲をばら撒き、牽制をしてくれる。
キリコは炎に包まれる本体に向かって全力で走っていた。真正面から、突進だった。
「やめぬか、止まれ!」
表面を硬質化させられながらも、亡霊が正面に腕を作り、キリコを串刺しにしようとする。だが、動きが鈍すぎる。ぼくならともかく、今のキリコを止めるには不十分すぎた。
軽く飛び上がってその攻撃をかわしたキリコは、突き出された腕を蹴りつけ、さらに空中で飛行ユニットを全開にして加速した。その状態で背中から抜いたのは、マインドブラスターではなく、『カノン』だった。
そうだ、この状態の敵に加える一撃は熱ではなく、衝撃なのだ。これで敵を四散させることで、勝利の可能性はある!
「いけ、キリコ!」
ぼくはシステマーに抱きかかえられながら、そう叫んでいた。
「ハードストライクカノン!」
『カノン』の砲身が、突進の勢いそのままに『亡霊』の本体に突き込まれる。しかも、それで止まらなかった。
飛行ユニットが唸り、キリコの身体は勢いを失わない。突き込んだ『カノン』の砲身も、キリコも、そして存外に小さくなっていた敵の本体も、大きくそのまま突き動かされる。一直線に、たちどころにして半球状になっている壁へ、叩きつけられようとするその瞬間、
「……ハンマーフォール!」
キリコがトリガーを押し込む。
壁との僅かな隙間に貫通力最大重視の『カノン』が炸裂した。輝きと衝撃の余波がぼくたちにも届く。壁際で放ったことによる轟音も、今は頼もしい。噴出するマズルフラッシュも、高熱のガスも、弾丸も、余すところなく『亡霊』の本体に衝撃として打ちこまれる。
強烈なガスの圧力だけでも十分すぎるほどに敵を押しつぶし、四散させるに十分すぎた。加えて熱で硬質化し、脆くなっていた敵に耐えうる術などない。
光る泥は、完膚なきまでに粉砕されたのだ。
キリコはまるで霧のように細かくなった光る泥がそこらじゅうにぶちまけられて壁や床にへばりついていくことにも気をとられず、すばやく後退して『カノン』を背中に戻した。床に下り、そして両膝をついた。さすがにかなり疲れているようだった。だがよくやってくれたと言いたい。彼女は、月並市を襲っていた元凶を破壊したのだ。
ぼくを抱えていたシステマーは、すぐに床に下りてぼくを放し、駆け出した。どこへいくのかはわかっている。ぼくも後を追った。
二つに分割されてしまった水口さんの身体が、彼女自身の体液の中に倒れている。
「影子!」
システマーがかけよって、その場に屈みこんだ。水口さんの顔に触れている。
だがもう、生きているはずもない。その仇はキリコが討ってくれたが、どうにもならない。それで彼女が生き返るわけでもなかった。ぼくは悲しいと思っている。取り乱し、彼女の身体を抱えて泣き伏したい。だが、システマーが水口さんの身体を独占するように抱いているため、それができなかった。だからというわけではないが、ぼくは自分の心を必死になっておさえつけている。
「う、き、きりあ……」
弱々しい声が聞こえて、ぼくは身を乗り出した。
その声は、まさか。
「影子、生きてるの」
システマーが水口さんを抱き起こす。お腹から下と、右腕が千切られてなくなっている姿の水口さんは、何度か体液を口から吐いたが、それでも言葉を発した。
「大丈夫じゃないけど、生きてはいるよ、辻井、くん、ごめんね」
ぼくには彼女に謝られるような覚えがなかった。むしろ、このような目に遭わせてしまって、ぼくのほうこそ謝らなければならないはずだ。
「最後まで、まもる、って、言ったのに」
その言葉に、ぼくは心臓を鷲掴みにされたような気がした。胸が絞られるように苦しい。ぼくは両手で自分の胸をつかんだ、それから強引に手を伸ばし、システマーから水口さんの身体を奪った。驚くほどにその身体は軽かった。小さくなってしまったその姿は奇異だったが、それでも彼女は生きている。ぼくを心配して、その保護を途中で放棄したことを謝罪しているのだ。
「六郎くん」
システマーは少しだけ咎めるような口調でぼくの名を呼んだが、すぐに諦めたような目を見せ、かぶりを振った。
「君を助けたい」
ぼくはそう言った。この小さな水口さんを救う手立てが、きっとどこかにあるはずだ。
「無理、だよ。私はもう、捨てていって、はやく、まだ。この、船は、動いている」
「それでも」
決意を固めていた。こんなことは、もうない。助けられなかった夏子さんのことが、ぼくの心に思い出された。あのとき、夏子さんがぼくたちを突き飛ばして、何も出来ずに彼女は目の前で死んでいった。水口さんを今また、目の前で失うわけにはいくものか。
絶対に助けてみせる。
ぼくは水口さんの身体を抱き上げて、立ち上がった。彼女の体液で服が汚れるが、そのようなことには構わない。
「六郎くん、急いで」
システマーが壁際に進み、扉らしきところを蹴りつけた。瞬間、その足に仕込まれた爆薬が火を噴き、扉は極めて乱暴な方法でこじ開けられた。
「どこかに彼女を治療できる部屋があるかもしれない。万が一それが見つかれば、私もその可能性にかけてあげる」
「だけど、きり、あ、ウィンガーが、くる、よ」
最後の力を振り絞っているのだろう。小さくなる声で、水口さんがそう言った。
「ウィンガーが? 警告だね、水口さん」
訊ねると、水口さんは頷いた。そうだった。バイオウィンガーはまだ生きているのだ。彼がここにいるとしたならば、非常に邪魔だ。キリコも、システマーもボロボロになっているのだから。
息を整えたキリコもこちらに歩いて来たが、険しい表情を崩そうともしない。
「それに加えて、この船も撃墜しなくちゃいけないでしょう。敵は思念体だって言っていたんだから。要塞ごと粉砕しないと、どんな復活の手段を講じているか知れたものじゃないと思うよ」
「そうね霧子。その通り」
キリコの言葉に、システマーが頷く。だが、すぐにこう言った。
「だけど中枢だったここに鎮座していた『亡霊』を倒しても何も起こらない。ということは、機関部は別にあるのでしょうね。いずれにしても、この移動要塞の中を探し回らなきゃいけない」
システマーは言い終えると自分が蹴り開けたドアから、部屋の外へ出て行った。拉致されたときに、ここの構造をある程度知ったのかもしれない。キリコは水口さんを抱えるぼくの顔を一瞬見てから頷き、システマーの後を追っていく。
ぼくも彼女達に続いて、この大きな部屋を出た。
「水口さん、もう少しの辛抱だ。きっと助けてみせる」
「重要器官が、いくつ、も、持っていかれてる、な、何分も、もたないよ」
諦めて打ち捨ててくれたほうがいいんだと言わんばかりの水口さんの返答だが、何といわれても彼女を見捨てる気はない。絶対に助けなくてはならないのだ。
ぼくとシステマーという、天才が二人揃っていて、できないことなんてない。
そう思う、そう信じる。どんな邪魔が入っても、しなくてはならないことはある。ぼくは目の前を走る二人を追いながら、両目をこじ開ける。