8・新兵器
「病院へ行くつもり、六郎くん」
システマーが言葉をかけてくる。
「止まって。話があるから」
ぼくは躊躇した。今まさに、病院に向かっているところだ。後部座席に座っているシステマー、そして彼女に抱かれているキリコ。その隣にいる『カゲロウ』。いずれもが傷を負っている。脳天を叩かれたキリコが昏睡していて、最も危険だ。すぐに病院に行かなければならない、話を聞くのは後でもできるではないか。
「キリコを助けたいなら、お願い」
語気を強めるシステマー。ぼくはブレーキを踏んだ。システマーはキリコの姉である。キリコを助けたい気持ちは、きっとぼく以上にあるはずだ。その彼女がこうまで強く言うのならば、無視できない。
「手短に頼みます」
ぼくはそう促した。システマーは頷き、まずこう言った。
「ターンして。ホテルに戻るの」
「わかりました」
彼女を信用するしかない。ぼくは車を戻し、ハンドルをきってターンさせる。
「一度、彼らに拉致されたときに、私の頭の中は彼らに覗かれた。その結果が、あのウィンガーが着ていたメタルスーツだと思うのよ、六郎くん」
「大体、そのように予想していました。それで?」
ぼくの口調は荒くなる。だが、システマーは気にせずに話を続けた。
「敵の技術は生物を改造して有機的な兵器にすることに長けていたけれども、金属を主にしたバリアフレームやメタルスーツみたいな兵器を作ることは少し苦手だったのでしょう。それで、両者を併せた兵器を作るために私の知識を必要としたわけだと予想される。そのときに……」
「なんです?」
「敵の技術を覗いた」
「なんですって」
ぼくは狼狽した。敵の技術は異常なるオーバーテクノロジーだ。それを僅かでも覗くことが出来たのだという。これは大きなことだ。しかも、そこらの凡人が見たのではない。天才である山内霧亜が、だ。
「医療に生かせると、思う」
「その技術でキリコを治療するというのですか?」
しかし、キリコは頭を打って昏睡しているのだ。どのようなところが傷ついているのか、まるでわからない。検査が必要だ。その検査が出来るような設備はぼくの研究室にない。それなのに、病院に行くことを拒否し、ホテルに戻ることを指示するシステマー。本当に信用してもいいのか。
「彼らは規格外のテクノロジーを持っている。その片鱗を私は見た。今のキリコには、何ヶ月も病院で過ごすような悠長なことをしている暇はないはずよ。それなら、敵の技術を借りてでも治療期間を縮めなくては」
「自信がおありなのですか」
「でなければ、妹に試そうとは思わない」
システマーは笑っていない。彼女にもう余裕の笑みなどはなかった。
「ウィンガーはどうします。尾行されたりはしていませんか」
「そこは心配ないね。彼は一時撤退を決めたから」
ぼくはちらりとルームミラーを見た。『カゲロウ』を見たのだ。彼女は小さく頷く。本当に、ウィンガーは尾行してきていないらしい。ぼくは目線を戻し、ホテルに向けて車を飛ばした。
「医学というよりもほとんど生物学だったけれど。六郎くんだってわかっているでしょう、人間を基本にしながらも拒否反応を全く出さずにこれだけの外骨格を植えつけて、強化筋肉を装備することの難しさを」
「御託はいりません。ぼくは結果を信じることしかできません」
ホテルに着いて、キリコを一階のベッドに寝かせたとき、システマーとそんな会話をした。
「ただ、頭の怪我が心配なのです。レントゲンなどの設備がここにはなく、どのようにして彼女を検査すればいいのか」
「脳味噌を押しつぶされでもしていなければ、回復させられるよ。脳挫傷だったら、もうおしまい。でも、頭骨は割られていなさそう。これならなんとか、なりそう」
システマーに自信がありすぎるせいで、ぼくは逆に不安になる。なお、『カゲロウ』の傷は自然治癒に任せるということである。当人はそのためにさっさと休むと言い張り、もう寝ていた。
しかし、キリコの治療はもう任せるしかない。脳内に異常がなければいいのだが、と思う。
システマーに任せることにする。ぼくは脱がされたメタルスーツを持って、研究室に戻らなくてはならない。
「この部屋には、誰も入れないで。終ったら連絡するから、それまでは」
出て行く間際にそんなことを言われる。そこでぼくはドアを閉める前に言い返した。
「しかしシステマー、もし失敗したらぼくは貴方を恨まずにはいられませんよ」
「もしキリコが死んだら、この命はあげる。六郎くん、全力をつくすから」
その返答を聞き、ドアを閉める。ぼくは、信じた。
ぼくは地下の研究室へ入る。メタルスーツを修理しなくてはならないはずだ。メットはまるごと破壊されたし、外壁に叩きつけられたところもある。全体的にそれほどひどい損傷はみつからないが、メットがないのは痛い。作り直す必要があった。
それなのに、ぼくは動かない。やる気が起きない。当然だ。
義務感に追い立てられて、メットの設計図を机の中から掘り出してみるが、これを作り直すのは非常に面倒くさい。しかし、しなければならない。
ふとそのとき、扉が開いた。誰が戻ってきたのかと思ったが、『カゲロウ』だった。彼女もかなり痛めつけられたはずだ。大丈夫なのかと問うてみると、両手を広げて曖昧に笑うのだった。
「私、改造されたんだよ。そんなに痛いとも感じてないしね」
杖をついて片足で器用に歩き、ぼくのベッドに腰掛ける。居座るつもりなのだろうか。
どうせぼくも、そんなにやる気があるわけではない。『カゲロウ』と話をしていたほうが気が紛れるかもしれないと思いなおし、椅子に腰掛ける。
「それでも痛いんじゃないのかい」
訊ねてみると、右手の親指と人差し指を二つそろえて顔の高さに持ち上げた。少しだけ痛い、ということらしい。
「それより辻井くんテレビつけてみなよ。さっきのこと、ニュースでやってるよ」
言われてテレビをつけてみる。チャンネルを回すと、先ほどの工場が見えた。どうやら本格的なニュースになっているようだ。緊急報道に近い。死傷者も多数出たようだ。名前が出されていく。
ウィンガーの姿はもう、警察に目撃されているのでかなり正確な似顔絵、全身像がつくられている。何人かの工場の関係者によってグレイダーとシステマー、それに『カゲロウ』の姿も目撃されているが、こちらは以前から何度も人の目に触れている。よってもうほとんど完全な全身像が公開されている。間近で見たわけでもないので当然だが、女性らしさをほとんど感じない図なのが救いだ。システマーと『カゲロウ』は以前、ビデオ撮影されていたことがあるから余計だろう。
「もっと美人に描いてくれればいいのに、まるっきり男の子みたい」
それに対しての不満が『カゲロウ』からもれる。
「遠くから空に浮いてるのを見ただけじゃ、こんなもんだよ」
「ああ! そのほうがカッコイイかもね、私そんなにスタイルよくないしさ!」
このハイテンションっぷりは、やはり『カゲロウ』である。コンバット・ハイでもあるまいし、なぜこのように常に高揚しているのかぼくには理解しかねる。改造の副作用と信じたいところだ。話題を変えたくなり、ぼくは訊ねる。
「それよりキリコの具合はどうなんだい」
「やっぱりそれ気になるんだね」
『カゲロウ』は眉を寄せた。少々気を悪くしたらしいが、何故なのかはわからない。
「霧亜が治るって言ってるんじゃない。あの人が治るって言ってるんだから、大丈夫だよ」
「しかし、あれだけ強く頭を打って、検査もしないというのは不安になる」
「私だって、振り回されてあっちこっちぶつけられたんだけど。痛かったんだよ、辻井くん痛いの得意じゃないよね。予防注射よりずっと痛いんだよ? この身体が勝手に痛みを減衰させているに違いないのに、それでもすっごい痛いの、動けないくらい」
何故か『カゲロウ』は力説しながらぼくに詰め寄らんばかりの勢いである。やや圧倒されたぼくは頷いてしまった。
「私だってそんだけ痛いんだから、思いっきり叩かれた山内さんは本当に痛かっただろうね。その痛みで多分、動けなくなってるんだと思う」
「それは、どういうこと?」
思わず、今度はぼくから詰め寄った。気絶していないというのはおかしなことだ。あのとき、頭を強く殴られたはずだ。
「落ち着きなよ。頭を殴られてもね、あんまり気絶とかしないもんだよ。その前に私がぶつかったから衝撃で意識が飛びかかってたんだと思う。そこへ叩かれたもんだから、力がうまく入らなくなったんじゃない? 近くで見てた私には、そう見えたけどね」
「そうか。あんまりにも、ぐったりしていたから心配だった。それなら少しは安心できる」
ぼくは息を吐き、椅子に座りなおした。それにしても、この『カゲロウ』から落ち着けと言われることがあるとは。
「なら、ウィンガーはどうしているんだろう」
腕を組み、ぼくは思ったことをそのまま口にした。ウィンガーはあれほどの力を持って工場を襲った。その目的は不明だが、彼がただ無差別にあちこちを破壊するだけの存在であるのならば、ぼくたちに邪魔されたからといって中断することはないはずだ。今も、間を置かずにどこかを破壊していて不思議ではない。むしろ、邪魔なぼくたちを撤退させたのだからすぐにでも。
「アレはね、馬鹿なんだよ」
「馬鹿?」
『カゲロウ』の突飛なセリフに、思わず訊き返した。
「無邪気な死神、乱暴者。もうなんていうか、馬鹿だよ。あっちこっちを無差別に破壊してまわる、ただの馬鹿。そう認識してもらってていいと思うよ。霧亜にも、そう言ってある」
「休息もとらずに? 予告と実行だけを繰り返してまわっているのかい」
「そのへんはわからない。けど、学校とか、工場とか。どうもよくわからないところばかりを襲うんだよ。共通点なんていったら『そこに人がいる』くらいのことしかないんだもの」
しかし、行動には必ず理由が付随するものだ。いかに改造されたにしても、あるいは『亡霊』によって生み出された存在であるとしても、全く無差別にあちこちを襲って殺戮と破壊を繰り返す。妙なことだ。それに、と考えたところでふと気付いた。
「システマーはあいつの居場所を知っていたね。どうしてだろう」
それはシステマーが敵に拉致される以前のことだ。システマーはどうしてあれの居場所を察知したのか。
「私が知っているからだよ。霧亜に教えたのも私だから」
「君が知っている? どうして」
その問いをぼくが投げると、『カゲロウ』は目を伏せた。何か言いたくない事情があるのか。
「いや、言いたくないなら言わなくてもいいんだ」
「別に言いたくないわけじゃないんだけど、あはは。身内の恥はちょっと私でも言いづらいわけで」
「何?」
身内の恥。どういう意味だろう。
「事実だけ言おうか。バイオウィンガーに改造されたのは、私のお父さん。お父さんって言うのもはばかられるくらいに最低の男だったけれども」
「君の? その、君のことを辱めたっていう」
「あれ、辻井くんそのこと知ってたっけ? まぁいいけど。そういう最悪の人を改造したんだからああいう性格なのも無理はないことなんだけど。とにかく馬鹿強い、私じゃ彼の相手をするのは無理なくらいに」
さすがに少し気落ちした様子で語る『カゲロウ』だが、まだぼくの質問には答えていない。
「それは別に、問題ない。君がそのことを引き摺っているのでなければね。それより彼の居場所はなぜわかるんだ」
「私の家にいたからだよ。彼は改造されてから戻ってきたんだもの、それでまず母さんが犠牲になって、私は必死になって逃げた。彼に追いつかれそうになったところで『誘い』を受けたから、それに乗った。だけどその後も彼は家に留まって、そこを拠点にしていた。そういうわけだよ」
ぼくは思いがけず、『カゲロウ』に同情した。この人は、かわいそうだ。そう思ったのだ。
「じゃあ君は、父親と戦っていたのか。そういうふうには、見えなかったけれども」
「あれはもう、父さんじゃないよ。おぞましい何かだね。人間だったなんてことも思いたくない。外道、悪そのもの」
「そうか」
割り切っている『カゲロウ』の心情は、ぼくには少しわからない。わかるわけがなかった。彼女にはきっと、頼れる人がいなかったのだろう。ぼくには夏子さんがいたので両親が少々こちらに対してかまってくれなかろうとも問題がなかった。だが彼女は一人きりだ。
「私たちの傷が治ったらさ、やっぱり攻撃を仕掛けるつもり?」
話題を変えたいのか、『カゲロウ』がそう訊いてきた。システマーのことだろうか。彼女は敵の基地の所在を知っているという。そこへ攻撃をかけるつもりでいるのだ。
「多分ね。でないと永久にこの戦いは終らないよ」
「さっき戦ったウィンガーみたいな化け物がぞろぞろ出てくるに違いないのに、よくそんなところへ行く気になるね。ピクニック気分で地獄に行くほどまだ私は達観しちゃいないよ」
「しかししなくてはいけないことだ」
「そうだね、私も霧亜が行くならついていくつもりだけど。生きて帰ってこれるかどうかは、自信ないね」
ぼくはつけっぱなしのテレビに目をやりながら、『カゲロウ』の自嘲気味な言葉を聞いた。
「キリコはとっくに命と引き換えにでも敵を滅ぼすという意志を固めているよ。多分、システマーもそうだと思う」
「人間が意志を固めたって無駄だよ。実力が伴わなくちゃ」
「だから天才であるこのぼくがいるんじゃないか。メタルスーツを強化して、敵を倒せるだけの力を作り出すのがぼくの仕事だ」
テレビを眺めながら、ぼくはそう言った。ニュースではやはり、お約束どおりにグレイダーやウィンガーが何故争っているのかについての推測がされていた。今はそれが終わり、彼らへの対抗策として警察が採用した新装備について特集をやっている。これは観ていて損はなさそうだ。
しかし、『カゲロウ』はふと気付いたようにぼくに声をかけてくる。ハイテンションないつもの声色から、少し落ち着いた声になっていた。
「辻井くん。そういえば将来の夢って、科学者になることなんだったっけ」
なぜそんなことを『カゲロウ』が知っているのだろうか。しかしどうでもいいことなので、ぼくは曖昧に返事をした。
「今でもまだ、そう思っているの?」
「そうだよ。こんなことになってなければ、いや」
ぼくは少し言葉を濁した。思い出すのは、遠い日の約束だ。
あの子と交わした、とも言えない。ぼくだけが勝手に言っていた約束。天才になって、科学者になる。それを夏子さんの「いい子にしていればまた会える」という言葉に重ねて、実行しようとしていた。しかし考えてみれば今ぼくは、科学者だ。職業としてはそう言えないが、研究室にこもって機械をいじっているからには、そう言えなくもない。
謎の怪人が街を襲っているという異常な事態が、ぼくを科学者にしたといえる。
そんなことを考えて、ぼくは言葉を濁した。
「その夢は、なんだかよくわからなくなった」
「それって決めたの、随分昔のことじゃない。十年以上も前のことでしょうに。どうしてそんな夢を、今まで守ってきたの」
どうもしつこく『カゲロウ』が突っ込んでくる。別に隠すようなことでもないから、話してもいいかと思った。ぼくはかいつまんで、幼い日の思い出を話した。
「ねえ辻井くん、その友達の名前は覚えてないのかな」
『カゲロウ』が目を閉じ、そう訊ねてきた。しかし、ぼくはその子の名前がどうしても思い出せない。どう呼んでいたのかも。そう答えると、彼女はすっと立ち上がり、人差し指を一本立てて、それをぼくの顔に近づけてくる。
何をするつもりなのか、と思った。
「その子を君は、『みっちゃん』って呼んでいたよ。思い出さない?」
ぼくは『カゲロウ』の指を見つめる。
「みっちゃん、ね……。みっちゃん」
何度か口に出してみる。確かにそう言われればそう呼んでいたような気もする。そもそもぼくとその子はどこで知り合ったのか、どうして別れたのか。覚えがない。ただ仲がよくて、手前勝手な約束をぼくだけがして、そして別れた。それだけの記憶だ。細かな部分は時間の流れによってぼくの頭から押し流されている。
「そう、私はずっと、貴方を見てた。何度か言ったけれど、君の事を好きなんだよ、あれからずっと。図書室で出会う、その前からずっと」
『カゲロウ』が指を引いた。その指で、自分を指し示す。
「水口、影子。あなたがみっちゃんって呼んでくれた。そう、そう思わない?」
「水口さんが、ぼくが約束したあの女の子だって……」
ぼくは『カゲロウ』の顔を見た。じっと見た。立ち上がって、彼女の両肩を掴んで、その顔を見た。似ている。似ている、と思った。記憶の中で、もうぼんやりとしか思いだせない顔に、それでも似ている。
「どうして、どうしてあのときぼくの前からいなくなったんです」
認めざるを得ない。もうここまで一致していては。ぼくは彼女の両肩を掴んだまま問いただした。
「私が孤児だったからだよ。それと養護施設に出資していたのが辻井くんのお父さんだったから。たまたまついてきた辻井くんと話しこんで、気が合ったからちょくちょく会うようになったんだよ。子供だから毎日、顔を突き合わせて遊び歩いてさ。辻井くんは忘れてたみたいだけど、私は結構覚えてるよ。本当に最初に会った日のこととか、よく遊びにいった河川敷とか、夏子さんに二人で叱られたことも」
ゆっくりと、『カゲロウ』が語る。いや、ここにいるのは『カゲロウ』じゃない。水口さんだ。
あの女の子が成長した姿なんだ。ぼくはおぼろげに、色々なことを思い出す。そうだった、そんなこともあったと、彼女の語る思い出に、ぼくも埋もれた記憶を掘り起こされていく。
「じゃあ、あのときどうしてぼくの前からいなくなって、会えなくなったのかは」
「私を引き取りたいっていう夫婦がいたからだよ。さっきの腐れ外道だけど、最初のうちは優しくていい両親だったんだ。それでね、あんまり辻井くんと頻繁に会ってると新しい環境に慣れなくなるからっていう名目で、そうなったの」
「ぼくがどれだけ泣いたか、水口さんは知らないだろうな」
「別れるとき、ずっと泣いて私にしがみついていたね。夏子さんが来るまでずっと……」
水口さんは、感慨深そうに話をする。ハイテンションな『カゲロウ』はどこにいってしまったのかと思うほどだ。
「そしてまた会えたのに、まだ辻井くんは私にしがみついてるのかな」
そんな冗談を言う彼女は笑っている。その笑みに、昔の面影が強く出た。ぼくは無意識に、彼女の両肩から手を離していた。そして距離を離すことなく、彼女を抱き寄せた。
「ほら、やっぱり……」
「ああ、ぼくはまだ子供だよ。でも、夏子さんの言ったとおりだった」
一度失ったものを、取り戻した気がする。ぼくは力を込めて、水口さんを抱きしめた。
「いい子にしていたから、また会えた」
「そうかもしれないね。馬鹿にできない効果があったんだ」
されるがままになっている水口さんだが、少し鼻声になっている。どうしてなのかわからない。ぼくの頬に、何か冷たいものが流れ落ちる。
ぼくたちはそのまま、しばらく抱き合っていた。もう少し早く出会っていれば、彼女は『誘いに乗った』りしなかったかもしれない。ぼくが彼女に気付いていさえすればよかったのだ。今さら言ってももう仕方がないとはわかっている。
だが今は、ただまた会えたという事実だけで、ぼくの心が熱くなるには十分だった。
ぼくの携帯電話が鳴ったのは、それからかなり時間が経ってからのことだ。予想通り、システマーだった。キリコと二人で一階の部屋に閉じこもってから何時間経っただろう。計算すると、もう八時間も過ぎていた。
『六郎くん、終ったよ』
「お疲れ様ですシステマー。キリコは?」
『傷は塞がって、今は寝てるよ。このまま寝かせておこうと思うんだけど。疲れてるだろうしね』
さすがのシステマーも疲れているようだった。すぐにキリコの様子を見に行きたい気持ちはあるのだが、ここはシステマーも休ませなければならない。すでに時刻は夜中になっている。
「そうですね、ぼくも彼女の顔を見るのは明日にします。システマー、あなたももう休んだほうがいいと思います」
『言われなくても、そうするつもりよ。それじゃ六郎くん、また明日ね』
「はい、おやすみなさい」
携帯電話を閉じて、充電器に差し込む。ぼくは椅子に座って、飲みかけのぬるいコーヒーを一口飲んだ。ベッドには水口さんが寝ている。あれから彼女とはいろいろな話をした。別れている間の時間を埋めるように、いくら話しても話したりないことばかりだ、と彼女は言って、あれこれと愚にもつかないことから重要なことまで、何もかもをぼくに話した。そのうちに眠気がさしてきた彼女を寝かしつけて、ぼくはメタルスーツの修理を行っている。水口さんの寝顔は穏やかで、幼さが残っているように見える。それはぼくが幼き日の彼女の面影を無意識に求めているからなのか、本当に幼さを残した顔立ちなのか、どちらなのか判断はつかない。少なくともぼくには。
コーヒーを飲み干し、設計図を机の中に仕舞いこんだ。
そのとき、ふと机の中にあるものに目が留まる。システマーがぼくに見せたものだ。設計図。ぼくはそれを手に取った。
あらためて見てみても、やはりこれの意味するものがわからない。装置の構造はわかるが、ぼくの目にはこれが動くようには見えないのである。どこからどうやってエネルギーを取り出してくるのかがまるでわからない。燃料も、電池もないのだ。
だが、あの天才は動くと言っていた。それも、とてつもないエネルギーを取り出せると。
「それがもし本当なら、ウィンガーを始末することも容易いはずだけどね」
ぼくは設計図を睨んだ。作ることはそれほど難しくはない。作って、動かなくともそれほど支障にはならない。どのみち、みんなの傷はそう簡単には癒えないのだ。これを作っておくことも、そう悪い選択ではないと思える。
もしシステマーの言うことが本当であるならば、人間の精神力をエネルギーとしてとりだし、破壊力に変える兵器になる。しかし、その精神力。それをとりだす部分はどうするか。脳髄に直接端子を埋め込むというような手間はかからないらしいが、脳波を測定できる程度には人間の精神に近くなくてはならない、らしい。ならばその端子は、ヘルメットに埋め込むのが手っ取り早そうだ。ちょうどメットは破壊されたところで、作り直す必要があった。材料はあるが、加工が非常に面倒だ。硬いのものは加工に手間がかかるものなのだ。
しかし、これをしなくてはいつまでも作業が終らない。ぼくは覚悟を決めて作業に入った。集中し、ひたすら作業にいそしんだ。プレス機がないので自分でメタルスーツを腕だけつけて無理やりに押し込むような、そんな作業もする。ぼくは肉体労働をしているわけである。実際、物を作るということはこういうことだ。工場で大掛かりな作業機械に乗せるのでもなければ、手で作るしかない。そして金属に穴を開けたり、引き伸ばしたりする作業は力を使う。だからぼくは疲労する。当たり前のことだ。
ハッと気がついて、ぼくは目を開けた。いつのまに眠り込んでしまったのだろうか、とにかく起きださなくては。そしてすぐに作業を再開しなければならない。起き上がろうとして気がついたが、そこはベッドの上だった。ここには水口さんを寝かせていたはずなのに、どうしてぼくが寝ているのだろうか。
上半身を起こし、周囲を見回す。何か作業をしている音がする。誰かが何かをしているのだ。
「おはよう、六郎」
「うん……」
誰かに挨拶をされて、ぼくは声のした方向を見やった。誰かがぼくの椅子に座っている。この茶色の制服は、キリコか。
「おはよう」
キリコの顔を見ながら、挨拶をする。まだ少し疲労が残ってはいるが元気そうな顔を見せ、キリコは微笑を見せる。
「ありがとうね六郎、姉さんから聞いたけど私達を助けるためにウィンガーに突撃したんだって?」
「いや、冷静を欠いたね。あまりよくないことをしたと思ってるよ」
ぼくは照れ隠しにそう言い、立ち上がった。部屋の中にはぼくとキリコ以外に、システマーがいた。水口さんはどこにいったのか姿が見えない。
システマーはどうやらバリアフレームの修復作業をしているようだ。手伝いましょうかと声をかけたが、お構いなくと返される。きっと彼女にしか理解できない作業をしているに違いない。下手に手を出さないほうがいいのだろう。ぼくは時計を確認した。午前十一時だ。もう朝食はとっくに下げられているに違いない。
ため息をついてベッドに腰を下ろすと、キリコが何かを突きつけてきた。コンビニの袋だ。中にはサンドイッチとコーヒー牛乳が入っている。
「お腹すいてるんでしょ、欲しい?」
キリコは悪戯っぽく笑ってみせている。ぼくは苦笑し、頷いた。もうすぐ昼食の時間だとはいえ、一刻も早く作業を始めたいぼくとしては、早々に栄養補給をすませたいところなのだ。
「ああ、欲しいね。でもその前にキリコ、身体の具合はどうなんだい。システマーが処置をしたと言っていたけれど」
ぼくはキリコの顔を見て、まずそれを訊いた。キリコは少し驚いた顔をして、それから表情を和らげる。どうやら、ぼくが心配していたことをよい方向にとってくれたらしい。
「うん、もう問題ないよ。調子も悪くない、ちょっとだけ気分はすぐれないけど」
「そうか。なら、万全になるまでゆっくり休むといい。本来なら即入院というところだったんだ、今無理して大変なことになったらコトだ」
「六郎は心配性だね、そこまでおおげさになることじゃないよ。トレーニングは自重するけど、ベッドでごろごろするほどじゃないと思うからね」
そう言って、キリコはぼくに袋を押し付けた。受け取ったぼくは、彼女に礼を言う。
「別にいいよ、買ってきたのは水口さんだしね」
「その水口さんはどこに?」
「自分の部屋にいるよ、なんか勉強するんだってさ」
「わかった」
袋の中身を取り出しながら、答える。サンドイッチはハムと玉子のいたって普通なものだ。コーヒー牛乳は少し甘みがくどいが、これも普通の範疇に入るだろう。部屋の端から小さなゴミ箱を持ってきて、そこへゴミを捨てながら食べる。
キリコは自分でココアを入れながら、何かを探している。
「六郎、ビスケットの買い置きどこ?」
「引き出しの三番目だよ」
質問に答えると、キリコはその通りの場所を探し、目的のものを摘み上げた。
「あったあった」
バニラのクリームを二つのクッキーでサンドしてあるタイプのお菓子だ。これをキリコは気に入っているらしい。
「少しにしなよ、一応怪我人なんだから」
「わかってるよ、子供じゃないんだからそんな注意しないで」
袋を開けようとしているが、封が固いのかなかなか開かない。キリコは時々意地っ張りな面を見せるが、このときもそうだった。縦に破けばいいものを、無理やりにでも上部の封を引き開けようと力を込めている。以前それで勢いよく開いてしまって、床にお菓子をこぼしたことも忘れているようである。
「キリコ、引き出しの一番上にハサミが入っているよ」
「早く言ってよ」
疲れたのか、早く中身を食べたくなったのか、キリコはぼくの助言をあっさりと受け入れ、袋をハサミで切り開いた。
「そういえばさ、このお菓子の新しいのが出るんだってさ。テレビつけてよ六郎、CMやってるかもしれないよ」
「どういうのさ」
「クッキーのところがチョコ味になってカロリー半分なんだってさ」
なんだかどこかで見たようなお菓子になるのではないか、とぼくは思ったがあえて触れないことにした。クリームをサンドしたクッキーなんて珍しくもないのだ。
テレビをつけてみたが、どういうわけか砂嵐だった。
「あれ?」
「どうなってるのさ、まだ十一時だよ。もう放送終了したなんてことないでしょうに。アンテナ折れたんじゃないの」
「そんな馬鹿な。ホテル側でもアンテナが折れたなんてことはないだろう」
ぼくはフロントに電話をしてみることにした。携帯電話をとってみる。圏外だ。
「地下だからね、当然じゃない」
「いや、ここは圏外ではないはずだよ。アンテナの真下に近い電波状態になるように調整したんだから」
「じゃあなんで圏外なの」
言葉に詰まる。こんなはずはないのだが、と首を傾げてしまう。
すると今まで黙って作業をしていたシステマーが立ち上がり、伸びをしながらこう言った。
「敵が本気を出してきたってことでしょう」
「敵?」
「『亡霊』たちが、そういう風にしちゃったんでしょうね。範囲がどこまで及んでいるのかはわからないけど、フロントへの電話は固定電話なら使えるよ。でも、電波は一切使えない。無線もね」
「電波が? 携帯電話も、無線も、テレビもラジオも、無線LANも全く使えないと?」
ぼくは訊ねた。今、状況をもっとも把握しているのは間違いなくシステマーだろうと思ったからだ。
「ごく近い距離なら使えるよ。でも、そろそろまずい。今朝からずっとこの調子だから」
「携帯電話が使えないのなら、もうニュースになっているのでは」
「なっているよ、実際に。夕刊は一面を飾るでしょうね。ケーブルテレビと有線のネットなら使えるけれども」
「それも時間の問題かと?」
「さすがにそこまでは」
システマーが肩をすくめる。電線を片端から切断するような敵でも出現しなければ、それらをも殺されることはないだろう。
「あ、確かにネットは見れるね。電話線だからかな」
パソコンをつけたキリコがそんな声をあげる。早速あちこちのニュースサイトを巡っているようだ。比較的更新が早いところではもうこの現象を取り上げている。それによるとどうやら被害に遭っているのはこのあたりの地域一帯だけで、他は正常に電波が届いているらしい。
「奇妙ですね、妨害電波でしょうか」
ぼくは自分の顎先に手をやって、考える。システマーがぼくの隣に立って、パソコンの画面を覗いた。
「そこまで強烈な妨害電波を発信するだけのエネルギーが、もったいない。敵の目的は何なのか、まずそれだよ」
「情報的に孤立させることが目的、としか考えられません」
「本当にこれが『亡霊』の仕業だとしたら、そうだね」
「しかしそう考えたからこそ、今何か作っておられたのでしょう」
「まぁね」
悪びれずにシステマーは頷く。
「対策ですか」
「違うね、残念ながら。何を作っているかは内緒で」
「いいでしょう、システマー。それより訊きたいことがあります」
「質問の受付は一つだけにして」
彼女は横を向いて、髪を払いながらそう言った。この状況下にも慌てたり焦ったりしている様子はない。そこはさすが天才だというしかないが、秘密が少し多い気がする。ぼくは一つだけに絞って、質問をした。
「昨日の戦闘のとき、先行したはずですが、どうして遅れたのです」
「伏兵を新兵器で抹殺していたからよ」
「嘘ですね」
「質問は一つだけ、でしょう」
システマーはそう言い捨てて作業に戻ろうと歩き出す。ぼくはその肩を掴もうとしたが、寸前で手を止めた。今のシステマーの回答は明らかな虚言だったが、言い咎める必要が今、あるのか。
それをするよりも、今は共に対策を考えるべきではないのだろうか。ぼくは手を下ろした。
「それにしても六郎、ニュースが見れないってことはさ、ラジオも聴けないって事はつまり」
キリコの声に振り返る。彼女の言いたいことはわかる。ぼくはその続きを言ってやった。
「ウィンガーがこの近くで暴れていても、全くわからないということだね」
「それじゃダメじゃない、後手後手だよ」
焦った様子でキリコがぼくに食ってかかる。
「なんとかしないと」
「わかってるよ。なに、電波が使えないくらいなんだって言うんだ。そのくらいはなんとかしてみせる」
まずは原因を究明しなければどうにもならない。しかし、それさえわかれば対策の立てようはあるはずだ。
地下ではこの事態に対応するのに具合が悪いので、一階の部屋に出なければなるまい。ぼくは幾つかの機械を手に持って、研究室のドアを開けた。
「システマー、独断専行はなしですからね。一階の部屋にいますから、ちゃんと連絡をください」
その言葉に彼女が頷くのを見て、ぼくは研究室を出た。キリコもついてくる。
記憶では、一応メタルスーツの修復作業は終っていたはずだ。例のものの埋め込みは不完全だが、メットも作り直している。今からはこの謎の電波妨害に対処することを考えてもいい。
エレベーターに乗り、一階のロビーへ出る。ホテルの中は少しばたばたした空気はあるものの、平穏を保っている。それを横目にしながら、ぼくはキリコの使っている部屋へ歩んだ。
「開けるよ」
キリコが前に進み出て、カードキーを差し込む。ドアは開いた。
どうやらカードリーダーは使えるらしい。それを確認して、ぼくは部屋の中に入った。すでにベッドメイクもされていて、部屋の中は綺麗だ。
ぼくは寝台の近くにある椅子に腰掛ける。キリコはベッドに腰を沈めた。
さて、考えてみるとしよう。
『電波』が一切使えない状況であるのならば、探知機の類やトランシーバーも使えないのだろう。アナログ生活だ。ぼくは被害がどの程度なのか、まず調べてみなければならない。
カードリーダー、テレビのリモコンは使える。しかし、リモコンは少し距離を離すともう使えない。常識的な距離、五メートル程度しか離れていないのにもうリモコンは通用しなくなる。どうやら距離に問題があるらしい。
「なんだか効きづらいね。でも、こんなことをして敵はどうしようっていうんだろう」
キリコはしつこくリモコンをいじっている。テレビがついたり消えたりしているが、ぼくはそれを見ながら考えを進めている。
「さっきも言ったけど、テレビやラジオを封殺するってことさ。正確で早い情報を入手する手段を断ってきた」
「新聞もあるし、ネットだってあるじゃない。ケーブルテレビも」
「今の情報化社会に、電波が封じられるってのは致命的だよ。それにただでさえ、妙な奴らが街の中で大暴れして人命を奪っているという話だろ。そこへきて、これだ。どうなると思う」
「不安はつのるばかりだね。怖くなるよ、私だったら」
素直に、キリコはそう言った。茶色のブレザーを着込んだままだ。
「まぁ普通怖いだろうね。それまで何気なく受信していた情報がなくなったら」
「うん」
「人間の疑心暗鬼を誘っている、ということも考えられる。人間はこういう状況になると嫌な方向に想像を膨らませることが多いからね」
「あぁ、それはわかる話。確かに私だってあいつらと戦ってなければ、怖くなって家から出られなくなってたと思う」
「うん、そういう話なんだ。今の段階では想像にすぎないけれどもね」
今はとにかく、推測を重ねることしかできない。しかしシステマーは恐らくこれが敵の仕業だと断定して、そしてその対策のために地下で何かをしているのだ。
となると、敵の目的とは何なのか。勿論、こうして人間達の情報源を乱して疑心暗鬼を誘うことが目的だろうとは思う。しかし、それは一時的なことだ。最終的に彼らが何をしようとしているのかは、まだわからない。
ぼくは椅子に座りなおし、考えることにした。敵である『亡霊』は、様々に強い感情を持つ人間達に『誘い』をかけてきた。この『誘い』とは“自分達と一緒に世の中に混乱をふりまこう”というものだ。これに乗った者は改造されて、生物兵器となってしまう。水口さんも
、バイオウィンガーも、『モスキート』も、『モスマン』も、皆この誘いに乗って改造されたのだ。
今回の電波封殺は、“世の中を混乱させる”という『亡霊』の誘いに沿うものだ。ウィンガーか、それに似た敵が『亡霊』の技術を利用して強烈な妨害電波を発する装置を開発し、それをこの月並市に向けて放射しているという可能性も考えられる。あるいはまた、『亡霊』か、彼の上司あるいは部下が自分達の『誘った』連中が仕事をしやすいようにこうした処置をしたとも考えられる。
ぼくは考えをまとめるためにもそれを口に出して、キリコに聞かせていた。
「全部推測だよね、まったく当てがはずれてるかもしれない」
「それは仕方がないね」
身も蓋もないキリコの言葉に、ぼくは肩をすくめる。
「しかし、『誘い』の内容が“混乱をふりまく”ことなのは確実だ。何といっても実際にその誘いを受けた水口さんが味方にいるし、彼らの行動もその内容に沿うものだった」
「混乱させるのはいいけど、そのあとをどう始末つけるんだろうね。彼らは」
「幾つか候補があるね、推測に過ぎないけれども」
ぼくはホテルで部屋に備え付けられているメモ帳と、それにくっついているボールペンを手に取った。
しかし、ぼくがそこに筆記するよりも先にキリコは回答を一つ口にした。
「混乱した世界をそのまま、暴力で押しつぶして荒野にする」
「それも一つの回答だね」
頷き、ぼくはそれをメモ帳に書いてみせる。
「まず、人類をそのまま片端から滅亡させていくという選択肢だ。かなり悪いほうの想定だけど、これでもまだ最悪じゃない」
「もっと悪い想定があるの?」
キリコは訝しげな表情を浮かべ、行儀悪くベッドの上に胡坐をかき、両手を組む。
「ああ、あるね」
ぼくはペンで自分のこめかみを軽く叩き、
「ちょっと考えてみようか」
と言った。
敵の最終的な目的が何なのか。ぼくはそれを少し考えてみることにする。
「仮に、『アシナガバチ』や『モスキート』と言った連中が退治されることもなく、警察をも撃退して思うままに暴れまわって世の中を混乱させることに成功した、と仮定しよう。みんながもう疑心暗鬼、外に出ていると殺される、そう思ってしまって何もできない……隣人がいつ変身して襲い掛かってくるかわからないような、そんな秩序も失われた状態になったと。じゃあ、そこからさらに一体、何をしでかそうと言うのか」
キリコは頷き、話の続きを促した。ぼくはそれに応えて話を続ける。
「まずさっき君が言った、暴力で押しつぶす。つまり、そのまま秩序を失った人間を全滅させるってこと。これも一つの案だ。次に考えられるのは、そのままの状態で放置されることだ。秩序のない状態で放置された人々は自然に荒廃して、暴力的な組織を組み、互いに争いあうことが考えられる。わざわざ力で押しつぶさなくても、勝手に自滅していくことを想定して、放置される。これも一つの案だ」
「えげつないね」
顔をしかめるキリコ。ぼくはそれに頷いて答え、さらに話を続けた。
「さらにもう一つ、そうした状態になった街に偽装して降り立ち、積極的に介入してくるってことも考えられる。つまり、武装して人々を暴力でおさえつけようとするような集団を自ら排除し、混乱を鎮めること。これも一つの案だ」
「それはおかしいよ六郎。どうして折角混乱を起こしたのに、自分でそれを鎮めにいくのさ」
「残るものがあるからさ、敵がそれを手にしたいのだとすれば、簡単だ」
「人口が減るってこと?」
組んでいた腕を解き、キリコはこめかみに手をやった。やはりまだ調子がもどっていないらしい。
「それもあるかもしれないが、違うものだよ。キリコ、頭でも痛いのか? 横になるかい」
「ん、大丈夫だよ」
「無理しないで、寝てなよ」
「心配性だね、わかったよ」
キリコはぼくの言葉にやれやれといった調子で頷き、ベッドの上に身を横たえた。
「それで、何が残るって」
「ああ、それはもう人望が残る。街の困った奴らを排除してくれるような強い人間が現れれば、人は誰でもそいつに頼るようになると思わないか」
「私たちみたいなコソコソしたヒーローじゃなくて、堂々と正体を現したヒーローがいれば、みんなそっちを信じるし、頼りにするということかな」
「そういうことだね」
「でも、そんなことしてどうするのさ、『彼ら』は。それってつまり折角『誘い』をかけた連中を自分達で殺すってことでしょう」
「そうだ」
ぼくは頷いた。
「それでも人望が残るということが彼らにとってそれだけのメリットならば、問題ない。何しろどこから何しにきたのかもわからないような連中だ。人々の記憶に英雄として残らないとお話にならない。安直な話だが、敵がもし『世界征服』を真面目にやろうとしているのであれば、そうした状況を作り出すのはおかしな話ではない」
「世界征服。そんなお子様向けのアニメみたいなこと、どうして今さら」
「一つの案だ。今のところとくに信憑性のあるものでもない。が、つまりそのまま武力で世界を制圧するよりも、人々のほうから彼らに統治して欲しいと思わせるように仕向けたほうが色々とやりやすい。その手段として、まず混乱させ、次にそれを鎮めることで人々からの信頼と人望を得る」
「遠回りだね」
「そう思う」
ぼくは立ち上がり、窓へ寄った。空を見上げてみると、東の空から厚く黒い雲がやってきているところだ。
「雨が降りそうだね」
「そう、どうせ今の状態じゃ出かけられないからいいよ」
キリコはため息を吐いて、額に手をやる。ぼくは振り返ってそれを見ながら持ってきた機械を手にとった。キリコを休ませようと思うならこの部屋を空けてやったほうがいい。
「どこ行くの、六郎」
「キリコ、君は休んでいたほうがいい。作業は他の部屋でするよ」
「病人扱いするね、本当に。ここにいてよ、一人だと退屈だからさ。テレビもつかないし」
「しかし」
本人が平気だとはいうものの、ぼくはここに留まる気にはなれない。だがキリコはぼくを引き止める。一人にはなりたくないと言うように。
「何か本でも持ってこようか」
「いいよ、そこにいてくれれば」
「話し相手が欲しいんだね、君は」
ぼくは機械類を床に置き、部屋にあるポットとティーセットをとった。紅茶が備え付けてある。
「六郎ってばさ、いっつも研究しっぱなしで全然構ってくれないもの」
「それが義務だからさ。君こそトレーニングをするからと部屋にこもりっきりじゃないか」
「研究室にいても手持ち無沙汰なんだよ」
「ミルクココアとビスケットがあるじゃないか」
「そればっかりじゃね。それに、話し相手は少ないんだよ、六郎は気にしてないかもしれないけど」
「システマーも、水口さんもいるじゃないか」
「そうだね」
ふっ、とキリコは息を吐いた。ぼくはそれを訝しげに思いながらもカップにお湯を注ぎ、紅茶を作った。なかなかいいにおいがする。口をつけるが、まだ少し熱い。
外では光がさえぎられ、まだ昼間だというのに薄暗くなりつつある。厚い雲は空を覆うように次々と途切れることなくやってくる。もうしばらくすれば雨になるだろう。それも、長雨になりそうだ。
「雨のときくらい、変な奴らが出てこないといいけどね。濡れるのは嫌だし」
ベッドで寝返りをうちながらキリコが窓の外を見ている。ぼくは椅子を彼女のベッドの傍へ寄せ、そこに腰掛けた。雨は濡れるのもあるが、それ以上に嫌なことがある。
「確かに鬱陶しいよ。それにレーザーが使えなくなる」
「レーザーが? どうしてさ」
「水に弱いんだよ、レーザー兵器は。水が光を拡散させるから、本来の威力がでなくなる。もっともメタルスーツ、グレイダーの装備はほとんど実弾だからそれほど影響はないけど」
「肩のレーザー砲くらいかな?」
「そうだね、しかし」
ぼくはそこまで言って気がついた。昨日作っていた大出力の破壊兵器、精神力を糧にして破壊力に変える兵器。あれも最終的にはレーザーだ。雨だとあれが使えなくなる。金属外装を纏ったウィンガーもあれなら一撃で確実に倒せるのだが、雨の場合かなりの至近距離から打ち当てねばならない。
「しかし、何?」
「いや、なんでもない」
ぼくは首を振って、その考えを頭から追い払った。今しなくてはならないことは他にある。それを今考えていても仕方がないのだ。
「まぁ確かに今敵に暴れて欲しくはないね。彼らだって雨に濡れながら暴れまわるのは気持ちいいとは思わないだろうに」
そう言って再び紅茶に口をつけようとしたが、内線の電話が鳴る。ぼくは歩いてそれをとった。
『ちょっと降りてきてもらえるかな』
やはりシステマーだった。
「何かいいものができましたか」
『あなたにとってはね』
「武器ですか。それとも通信機器ですか」
『両方だよ』
そう応えたところでがちりと受話器は置かれた。
とにかく行ってみなければなるまい。ぼくは振り返って、キリコに今の会話の内容を伝えた。
「さすが姉さんと言いたいところだけど、何を作ったんだろう?」
「まぁとにかく行ってくる。キリコ、君は寝ててもいいよ」
すぐに戻ってくるつもりなので、機械類は置いていくことにした。
「またそうやって病人扱いする。もういいよ、行ってきなよ」
キリコは不機嫌にそう言って、顔を背けてしまう。ぼくは肩をすくめて、すぐに戻ってくるからと言って部屋を出た。すぐにロビーを通り過ぎて、エレベーターに向かう。ドアを開いたその鉄の箱に乗り込んだ途端、ぼくの足元が揺れた。
連日の疲れが出たのかと思ったが、違う。地面が揺れているのだ。
地の底から響くような地鳴りがした。ぼくは立っていられなくなって、エレベーターの扉を掴んだ。中腰になりながら、足を踏ん張る。しかし、地震は強くなる。初期微動が終ったのかな、などとのんきに構えていたぼくも、揺れの強さに少し驚いた。
ガタガタとロビーのテーブルが揺れて、フロントにおいてある電話が落ちた。
ぼくももう、立つことはあきらめて、床に手をついた。エレベーターの中は狭いのでむしろ安心だ。閉じ込められさえしなければ。
揺れは長く続いた。一分以上も揺れている。
ぼくは周囲を見回そうとしたが、その余裕がない。が、やがて揺れはおさまった。
立ち上がって見ると、ホテルはかなり耐震性の高いつくりだったのか、揺れによる影響はほとんどない。多少フロントの中が乱れたが、それだけだ。エレベーターも壊れてはいないようである。
「すごい揺れだったね、辻井くん」
いつのまにか、ぼくのすぐ背後に水口さんが立っていた。少し驚いたが、ぼくは悲鳴をあげるのをすんでのところで抑える。このくらいはどうということはない、と思いたい。
「ああ、まぁね」
そう応じつつ、システマーに呼ばれていたのだということを思い出したが、今の揺れでキリコが無事なのかどうかが気になる。彼女はベッドで寝ていたはずなのだ。まず、彼女の無事を確かめてからでも地下へいくのは遅くない。
ぼくは来た道を戻ろうとした。どうかしたのと訊ねてくる水口さんにキリコの様子が気になると説明しながら、走った。
部屋の前についたぼくはドアを開こうとしたが、オートロックである。非常時だ。ぼくはマスターキーを取り出し、カードリーダーへ突っ込んだ。かしゃりと音がして開錠される。ドアを開いた。中に飛び込む。
キリコはベッドの上から消えていた。
「キリコ!」
ぼくは叫んだ。が、すぐにキリコの姿は見つかった。床の上にいた。
「大声出さなくったっていいよ。ちょっと背中を打っただけ」
どうやら寝そべったままで揺さぶられたので、そのままの姿勢でベッドから落ちたらしい。別段、大した怪我をしたわけでもないらしく、立ち上がってくる。
「すごい揺れだったね、研究室とか散らかってるんじゃないの?」
「そんなに物は置いていなかったから大丈夫だと思う。システマーもこれくらいで怪我をするような人じゃない」
ぼくは研究室の物が大体壁などに固定されていることを思い出した。メタルスーツなどもしっかり固定していればこのくらいの揺れでは転がったりしないはずである。
「無理しないで、寝ていてもいいんだよ」
水口さんがキリコにそんな言葉をかける。
「大丈夫だよ、ちょっとまだ気分がすぐれないけど。それだけだから」
「ちょっとのことでも用心するにこしたことはないと思うよ。頭の中っていうのは、体感よりもずっとデリケートなものだしね」
「うん、でも本当に平気だからさ」
キリコは苦笑を浮かべた。
「それより、姉さんが呼んでいたんでしょう。行ってみたの」
「まだだね。地震があったから戻ってきた」
「まるきり子ども扱いだね」
ぼくの返答に、キリコが拗ねたような声を出す。やれやれと思いながら、ぼくはドアを開けた。
「なら、一緒においで」
ため息を吐きながら、キリコの部屋を出る。水口さんも、キリコもついてくる。
だが、すぐに地下へ降りる必要はなくなった。
部屋のすぐ前に、システマーがいたからだ。地震があってからこちらへ向かってくれていたらしい。
「六郎くん、今の地震」
システマーはすぐに話しかけてきた。どうやらキリコの様子を見にきたのではなく、ぼくに用事があったらしい。
「何か影響があったのですか」
「それどころじゃない、この地震、多分」
「何です」
「敵が出たんだよ」
ぼくはキリコを見た。まだ調子が戻ってはいなさそうである。敵が出たのなら出撃しなければならないが、不調なら延期するべきだ。
「どういう意味です。また新しい改造戦士が出現したというのですか」
「『敵』だよ、六郎くん。最後の敵。『亡霊』の本拠」
システマーは腕を組んだ。
「順を追って説明しようか。私、敵の居場所を知っているって言ったよね。その場所、地下なんだよ。地下」
「今の地震は敵が引き起こしたものだと?」
「最後まで聞いて。敵の基地は地下にある、それは間違いない。だけどどうして地下にあるのか不思議だった。どう見てもそれは移動できるだけの大きさで、船だったから。私は人目を避けるためにわざわざ移動できるという利点を殺してまで、地下に埋め込んだんだとばかり睨んでいたけれども、実際は違っていたんだ。そう考えると先ほどの地震にも説明がつくね」
ぼくは敵の要塞が地下にあるということと、その構造からその要塞が『船』だと思われるということを合わせて考えてみる。結果的に、地震が引き起こされるようなことは一つしか思い当たらない。
「つまり、システマー。その要塞が浮上したと考えられるわけですか?」
「他に説明ができるなら、聞かせてもらいたいけれど」
システマーは窓の外を見た。ぽつぽつと雨が降り始めている。
「ただの地震なら、それでいいのだけれどもね」
「いいえシステマー、敵の本拠が移動したというのなら問題です。すぐに探させましょう、今の地震で、地表あるいは空中に何か出現したものはないか」
事態が急速に悪い方向に向かっていることを察知したぼくは、そう提案した。だが、システマーは聞き入れない。
「電波が使えない上に、視界の悪いこの状況では期待できそうにないから、それはしなくていいと思う。それより、研究室に戻りましょう……、ケーブルテレビでニュースでも見ていればそのうち状況がわかると思うから、それまでに私の作ったものの説明をしたいしね」
「わかりました」
そう言われては従うしかない。ぼくたちはシステマーについて、研究室に下りることにした。
ロビーを抜けて、エレベーターに入る。ぼくがエレベーターの操作パネルの前に立つと、水口さんはぼくのすぐ隣にくっついてくる。キリコは入り口をはさんでぼくの向かい側に腕組みをして立った。
「六郎、多分次の出撃が最後になるんじゃない?」
キリコにそう問われて、少し考えてしまう。
「その可能性はある。勝っても、負けてもだ。もし敵の移動要塞が見つかったのなら、そこへ出撃することになるだろうね。危険度は今までの比じゃない。そんなところへ君を送り出したくはないのだけども」
「でも、勝てば全部終わりじゃない。勝てば」
「気楽に言うね」
実際に戦うのはキリコなのだが、ぼくは実際、不安で仕方がない。メタルスーツは非常にすぐれた個人兵器だが、敵の要塞に直接襲撃をかけて生き残るには辛い。戦闘機一機で、空母を沈めることなど不可能ごとだ。
「それじゃ、自衛隊や軍が動くのを待つ? 無駄に被害を増やすこともないと思うけどね」
真ん中に立っていたシステマーが笑った。ぼくの思考を読んだかのようだ。その言葉にキリコが応じた。
「なら、私たちが出かけて悪い子の頭をぱかん、と叩いてあげなきゃいけないでしょう」
「よろしい」
システマーは納得したらしい。丁度地下についたエレベーターから降りていく。続いてキリコも降りたので、ぼくは水口さんに先に下りるように促し、エレベーターの『開』ボタンを押していた。
水口さんはぼくの隣を通り過ぎてエレベーターから降り、こう言った。
「辻井くん、君は不安なんだね。でも大丈夫だよ」
「何がさ」
ぼくもエレベーターから降り、歩き出す。
「君はね、私がずっとずっと守ってあげる。私が死ぬまで、君は何も心配しなくていいよ」
「それは心強い」
そう言って頷くと、水口さんは少しだけ真剣な目をした。
「心配することないよ、何も。私が死んだって、君には山内さんがいるしね」
「死ぬつもりがある?」
「死ぬのは嫌だよ。死にたくない、けど。辻井くんを守るためなら仕方ないね」
「仕方ないなんて、そんな。ぼくだって水口さんには死んでほしくないよ」
慌ててフォローすると、途端に水口さんは明るい声を出した。
「あはは、そうだろうね! じゃあ死なないよ、また辻井くんが泣いちゃうかもしれないしね」
いつもどおりのハイテンション。水口さんの笑顔に安堵し、ぼくは研究室のドアの前に急いだ。
「六郎、あんたたちやけに仲いいね」
研究室の前で待っていたキリコが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。ぼくは咳払いで誤魔化し、研究室の中に入った。
中ではシステマーが待っている。部屋の中央に仁王立ちだ。
「ま、話は長くなるから適当に座って」
早々に話が長くなることを宣言される。ぼくは椅子に座り、キリコはベッドに腰掛けた。水口さんはそれならということで飲み物を用意しに立った。
部屋についていたテレビはすでにつけられて、ケーブルテレビになっている。先ほどの地震の震度が発表されるまでにはまだ間があるだろうし、緊急特番が組まれるほどの事態でもない。よって、いまだテレビでは通常通りの番組が放送されている。
「さて」
システマーがパイプ椅子に座り、何かの装置を手にとった。
「ここにあるのは通信機器。この電波障害の中でも問題なく使える通信装置。電波の代わりに変換音波を使って、送受信時に通常音波に戻してる。だからちょっと雑音が多くなるし、音質も相当悪いけど、緊急用ならやむなしと思ってもらいたいね」
ぼくは黙って最後まで話を聞くことにした。システマーの持っている機器はトランシーバーくらいの大きさだ。だが、音波でやりとりをするということは、かなり難しい。音が聞こえなければ変換もできないからだ。つまり、両者がそれなりに近くにいないと効果はない。
「交信可能距離は、まぁ大体五百メートル程度かな。防音壁でもない限りはそのくらい届くよ、多分」
実験する余裕はなかっただろうから、予測になるのは仕方がない。
システマーはそれを言った後、その装置をぼくに向かって差し出した。
「じゃ、これは六郎くんにも一つあげる、予備はないから失くさないでね。そしてあと二つあるけど、これは私と霧子に一つずつ」
言いながらシステマーが通信機器を配る。配られなかった水口さんが、口を開く。
「ずるいじゃない霧亜。私にはないの?」
するとシステマーは即座に返答をした。
「あんたは六郎くんにくっついて、彼を守ってあげる役目。そうでないと、数が足らないから」
「あぁ、それいいね。剣術がからきしダメな王子さまを守る暴れん坊姫様って感じで」
それのどこに憧れるのかぼくには理解できないが、とにかく水口さんにはぼくの守護が任せられたらしい。