7・前哨戦
今回はあまりにも大事になりすぎた。月並高校での事件があったばかりでのことで、仕方がないこととも思えるが、警察官の数が尋常ではない。彼らから逃れるために、キリコと『カゲロウ』は数時間をかけた。早く帰りたいという思いを殺し、完全に足取りを消してからぼくのところに戻ってきてくれたのは素晴らしい。
戻ってきた彼女達はしばらくの間、研究室を独占した。浴室を使いたいから、というのがその理由である。ぼくは納得し、一階のロビーで新聞を読み、時間を潰した。
新聞を読んでいる、とはいえ内容が頭に入っているわけではない。研究室の中で何が起こっているのか気になる。何しろ一度は完全に死んだものだと思っていた自分の姉が、システマーの中から出てきたわけだ。キリコの心中は察することもできない。『カゲロウ』はシステマーが戻ってきたことを喜んでいるが、今頃どういう話をしているのだろうか。それよりも、三人とも負傷がひどい。キリコは至近距離からミサイルの暴発を食らって左肩を中心にガタガタだ。よくその怪我で動いていたな、と思うほどの傷ができている。システマーも『カノン』の直撃を受けて気絶したままだ。まだ意識が戻っていない。『カゲロウ』だけは元気だが、毒を受けた右足首を切断している。
この状態でウィンガーが来襲したら全くどうしようもないが、今のところその気配はない。システマーを奪い返したのだから、強襲を仕掛けてきてもおかしくないと思えるが、どうやら『アシナガバチ』の言ったとおり、彼らはシステマーにもう用がないのだろう。ではシステマーは何のために拉致されたのだろうか。そもそも、システマーはウィンガーと戦いに出向いただけであり、そのウィンガーの気まぐれで連れ去られたようにしか見えない。何があって、どういうわけで、彼女は用済みと判断されたのか不明だ。
考えをめぐらせていると、右手にステッキを持った『カゲロウ』が近づいてきた。偽装は施されていて、右足にギプスをしているように見える。
「もういいよ、辻井くん。行こう」
「わかった」
許可がおりたので、研究室に戻ることにした。エレベーターで地下に行く。
研究室の扉を開けると、静かだった。灯りはついているが、誰も立っていない。一つしかないベッドにはシステマーが寝かされて、キリコはあちこちに包帯を巻いた姿でいつものパイプ椅子に座っていた。
ぼくは奥へ歩いて、机に付属している椅子に座った。『カゲロウ』もシステマーの寝ているベッドの端に腰を下ろす。
「さて、何から話してくれる?」
とりあえず、ぼくがそう言った。身体を洗っている間に、少しでも何か会話があったことを期待してのことだ。しかし、キリコはため息をついただけで、何も言わない。『カゲロウ』も無言だった。
仕方がないので、ぼくは状況を訊ねた。
「まだ何も、話してないよ。とりあえず姉さんのこと、六郎は何か知ってたの?」
キリコが返答と同時に質問をしてくる。ぼくは頷き、話をすることにした。
「前にも言ったとおり、ある程度システマーが君の姉さんではないかということは予想していた。君は否定していたけど」
「うん、それで」
「実はその話をした日に、システマーからこちらに接触をかけてきたんだ。車に乗り込んできてね、話をしようと言って」
ぼくはそれから、喫茶店に言って話し込んだことと『カゲロウ』を紹介されたことも話してやった。話の落ちとして、そこを見たキリコが勘違いをして走り去って行ったということも付け加えておく。これは以前、メールでキリコに伝えたことと重複する部分もある。
「つまり、あの段階で知っていたんだ」
複雑な表情をしたキリコがそう言って、顔を伏せる。
「君から説明することは?」
ぼくは黙って聴いている『カゲロウ』に水を向けた。しかし、『カゲロウ』は首を振るだけだった。特に付け加えて説明するところはないらしい。
「とにかく、黙っていたことは悪かった」
「別にいいよ。私はどうせ信じなかっただろうし」
キリコは下を向いたまま答えた。本気で別にいいと思っているわけではなさそうだ。これは、完全に機嫌を直してもらうのに時間がかかりそうである。ぼくはため息をこらえて、ポットのお湯の残量を確かめた。コーヒーが欲しい。
「あ、私がやるよ」
察した『カゲロウ』がそう言ってくれた。しかし、ぼくはそれを制して、自分でやるからと合図した。自分ひとりだけならいいのだが、キリコにココアがいるだろう。例によって、ぬるめのものを。これは調整の加減が難しいので、『カゲロウ』に任せることはできない。それに、彼女に機嫌を直してもらうための布石にもなる。
ぼくは牛乳とポットのお湯で温度調節をしたミルクココアをキリコに渡してやる。ついでに、先ほど待たされている間に買って来たチョコチップクッキーも渡してやった。最初はいらないと言っていたキリコだが、しばらくカップを突きつけていると甘いにおいにつられたのか、自然にそれを受け取った。さらに、クッキーを見て顔を上げ、強張っていた顔をゆるめてくれる。
「食べ物で釣ろうって言うんだ、六郎は」
そういいながら苦笑し、キリコがクッキーの封を切る。ぼくは作戦がうまくいったので安堵し、『カゲロウ』にもコーヒーを淹れて差し出した。
「ありがとう、辻井くん」
「うん、ところでシステマーの容態はどうなんだい?」
自分のブラックコーヒーに口をつけながら、ぼくはそう訊ねた。ベッドに寝ているシステマーはぐったりとしたまま、起きそうにない。
「気絶しているだけだよ。頭はちょっと切っているけど……無理に起こすより、目が覚めるのを待ったほうがいいかな」
「そうか、君は?」
質問に答えてくれる『カゲロウ』も、傷を負っている。ぼくはそれについて訊ねる。
「私なら心配してくれなくていいよ。ステッキがあれば困らないし、このくらいなら一ヶ月、調子がよければ一週間で再生するから」
「大した再生力だな」
足首から先が千切れているのに、一週間で再生するとは驚きだ。それほどの回復力があるのなら、『カゲロウ』も心配いらない。やはり問題になるのは、キリコである。
ぼくはクッキーを口に入れるキリコを眺めた。頭にはシステマーの剣で切られた傷がある。左肩はミサイルの暴発で大打撃を受けている。派手に包帯が巻かれている。今も左手が肩より上に上がらないらしい。他にも右の太もものあたりにも包帯を巻いているし、あちこちにシステマーの銃弾を受けたらしい傷がある。ぼくは見ていないが、ウィンガーに切られた傷もあるらしい。
本人は大して痛みがあるように振舞っていないが、実際ガタガタのはずだ。このような状態を、重傷というのではないのだろうか。幸いにして骨折などはしておらず、クッキーを食べるにも人の手を借りるようなことはしていない。だが、戦闘となれば別だ。
「六郎、何を見てるの。クッキーならとって食べればいいじゃない。そんなジロジロ見なくたってあげるよ」
キリコの言葉で現実に引き戻される。ぼくはいつの間にか、見入っていたらしい。女の子の食べる姿をジロジロ眺め回すのは、あまりよいことではない。あわてて目をそらし、照れ隠しにクッキーをもらった。
「山内さん、辻井君はあなたのことが好きなのよ」
「んぐっ」
突然、『カゲロウ』がそんなことを言ったのでぼくは驚いた。少なくとも食べていたクッキーを飲んでしまうくらいに。キリコも同じだった。確かに意識しないではいられない相手だが、そのようにすっぱ抜かれてしまうとどう反応していいのかわからない。
「変なこと言わないでよ」
クッキーをココアで流し込んだキリコがそう言った。彼女のココアはぬるいのでいいが、ぼくのコーヒーは熱いので飲み込めない。ぼくは流しに駆け寄って蛇口をひねり、水で流し込んだ。
「だって、そうじゃないの」
『カゲロウ』は悪びれる様子もなくそう言う。彼女がぼくを好いているのはわかっている。だが、ぼくは彼女の気持ちに完全に応えてはいない。恐らく、彼女はぼくの答えを欲しているのだ。受け入れるにしても、拒否するにしても、答えをくれと。
しかし、ぼくはまだ自分の気持ちが固まらない。今は、そんなことを考えられないという気持ちもある。
そしてぼくの中に、勇気を奮い起こして戦いに挑み続けるキリコを思う気持ちがあることも、自分で気付いている。だからこそ、『カゲロウ』に応えてしまうことができないのだ。
ぼくは卑怯にも、答えを保留している。そして本人の目の前では、一度も『カゲロウ』のことを、名前で呼んだことがない。
メタルスーツの改修を始めなくてはならない。研究室のベッドで寝ているシステマーにはその作業で発生する騒音が耳障りであろう。このため、システマーはキリコの隣の部屋のベッドに寝かせることになった。父親の勘違いによってホテルの一階の部屋が借り切られているが、あれは一部屋だけという意味でなく、一階全ての部屋が借り上げの対象となっている。今ままで、一階の部屋を使っているのはキリコただ一人だったのだ。これは彼女のトレーニングによる騒音対策ともなっていたのだが、システマーがその隣の部屋を使うくらいは問題ないだろう。そう思っていたのだが、そうするならば自分もその部屋に泊まると『カゲロウ』が言い出した。特に断る理由もないし、親友同士なのでぼくは承知した。ホテル側に事情を説明し、料金を上乗せしても構わないと告げる。父親の金で借り切っているのだが、ぼくの個人資産でもこの宿泊料くらいは向こう十年ほどならばどうにでもなる。
システマーは無事、一階のベッドへ移されていった。彼女に施された洗脳が解けていない可能性を考え、『カゲロウ』に傍についてもらっている。キリコは頼まれもしないのに一緒についている。姉の起きるところに立ち会いたいという気持ちもあるだろうが、それは洗脳が解けていなかったときの対策にもなる。メタルスーツはここにあるのだから、微々たるものであるが。
「さて、始めるか」
ぼくは前回の戦闘でボロボロになったメタルスーツを見た。まず左肩から修繕しなくてはならない。これを元に戻すにはかなりの労力が必要だ。システマーが目覚めていれば、手伝いを頼みたいくらいだ。しかし、ないものねだりをしても仕方がない。ぼくは黙って修復作業を行った。スーツのフレームもところどころがたがたになっているので、だめになっているものは交換しなければならない。そのまま使い続けていると空中であっさり分解することもありうる。
工具を持って、ただひたすら修復し続ける。時間の経過も気にならなくなるほど、集中して取り組んでいた。
ドアが開いた。
ぼくは気付いてはいたが、無視した。修復作業は終ったが、次は飛行ユニットを見なければならない。先送りになっていたが、システマーからもらった技術の導入を試すべきだ。成功すれば、飛行操作が楽になるだけでなく、時間制限もなくなる。
しかしそのとき、スーツの各部品を片付けて飛行ユニットを引っ張り出そうとしているぼくの肩に誰かの手が置かれた。
「六郎くん、お久しぶり」
そんな声が背後からかけられて、ぼくはやっと振り返る。その声に覚えがあったからだ。キリコと同じ声。しかし、六郎くんとぼくを呼ぶのはキリコではない。
予想通りの人物がそこにいた。システマーだった。
「システマー、目覚めたのですか」
「さっきね。キリコも『カゲロウ』も、えらく騒いでくれたけど、うるさいから眠ってもらっちゃった」
何か妙な方法を使ったのだろう。ぼくはあえてそこに突っ込まず、何をしにきたのかを訊ねた。
「手伝いにきたんだけど、お邪魔だった?」
「いいえ、ありがたいお話です。それよりも、身体のほうは?」
「もうなんともないよ。ホットケーキが食べたいなってくらいで」
システマーは微笑をぼくに向けた。ぼくは疲れていたが、その微笑に苦笑を返すくらいのことはできた。
「ホットケーキは無理ですが、ミルクティーならごちそうしましょう」
ぼくはそう言って立ち上がり、紅茶を淹れて彼女に差し出した。ミルクは牛乳しかないが、システマーはそれで満足らしい。たっぷりと牛乳を入れて、冷め気味になったそれを飲む。
「六郎くん、設計図ある?」
「机に放り出してあるものがそうです」
ぼくは作業に戻りながらそう言った。ユニットを引っ張り出してきて、これから分解しようというところなのだ。システマーが相手でも、構っている場合ではない。外装をはがし、内部機構が露出したところで、手帳を取り出す。既に、どういう改造をするかは決まっている。設計図は入念に書き込み、頭の中に入っている。あとはそれを実行に移すだけだ。
「改造するんだね、そっちを」
「ええ」
システマーの言葉を、適当にかわしながらぼくは作業を続けた。
「ちょっと、秘密を教えてあげようか」
「なんです?」
「六郎くん、君は秀才タイプなんだね。吸収能力のとても高い努力家。君なら、才能に溺れないで使ってくれそうだから」
「どういうことですか」
もったいぶるシステマーに、ぼくは背を向けたまま言った。手はもちろん、作業を続けている。工具が唸り、分解と組み立てが勧められていく。
「あのね、人間の意識とか、インナー・スペースからエネルギーを引っ張り出す研究って知ってた?」
「精神エネルギー理論ってことですか?」
「そう」
何を言い出したのか、とぼくは思う。今はそんなことを言っている場合ではない。
「そういう、いわゆるサイコエネルギーの取り出しに成功したとでもおっしゃる? ぼく自身もそうした研究をしなかったわけではないですが、取り出せるエネルギーのあまりの少なさに投げました。今、そのエネルギーがどのように役立つとおっしゃるのです」
「それは取り出しの方法が悪かったのよ。もっと効率よくエネルギーに還元する方法があるとするなら、話は違ってくるでしょう。例えば太陽のエネルギーだってものすごいけど、太陽電池で電気にするのと、直接水に太陽光を注いで暖めようとするんじゃ、違いすぎるじゃない。それと同じ」
「では、あなたはその太陽電池にあたるものを開発したと?」
「そのとおり」
ぼくは振り返った。作業は中断した。
「今ここにそれを?」
「設計図ならあるけど、見る?」
システマーから設計図を受け取り、眺めた。しかし、ぼくには理解できない。これが太陽電池にあたるものとは、思えなかった。まるで地球外生命や、超古代の機械の設計図を見ているようだ。
「どう、すごいと思わない?」
「いえ、ぼくにはこの設計図が理解できません。これでどれほどのエネルギーを取り出せるのですか?」
「フルパワーで、最適条件下なら……」
少し考えてからシステマーが口にした数字は明らかに天文学的なものだった。それほどのエネルギーを使用すれば日本列島そのものが吹き飛ぶほどの数字だ。
「ありえません、システマー。それほどのエネルギーを個人の意識下から取り出せるなどということはありえない」
「計算上の数値なら、ね。それに最適条件下ならの話で、百パーセント攻撃エネルギーとして変換できたら、じゃない。いくらかは割り引いてみなければならないでしょう、恐らくまともに変換できる割合はほんの僅か」
「それでも、可笑しい話です。本気なのですか」
ぼくは疑っていた。当然であるが、一個人の意識からそれだけのエネルギーが取り出せるのであれば、その原理を使った兵器が量産されてしまった場合、地球そのものまで危うくなってしまう。
「もちろん、本気。火力がありすぎることだけが弱点だけど、うまく使えばこれ以上ない最強の武器。その設計図は、君にあげる」
「こんなものをもたされても、使いこなす自信はありません」
「使うかどうかは、君次第ということにしておくわ」
システマーはそう言ってしまうと、ぼくのほうへ歩いてきた。手伝うつもりなのだろうか。
「まだ寝ていたほうがよろしいのでは」
「身体を動かしていたほうが気が休まるの」
声をかけるが、無視してシステマーは工具をとった。細い腕だが、意外にも慣れた様子で設計図どおりに分解、組み立てをしていってくれる。
「ありがとうございます」
ぼくは礼を言った。システマーは笑った。
「あとでバリアフレームの修理を手伝ってくれることを、期待してのことだから」
彼女はそう言った。ぼくは望むところですと答えたが、メタルスーツを一人で修理するよりは手間がかからなそうだった。
それからしばらくの間は、何事もなかった。
特に怪異も起きず、改造戦士による事件がおきた様子もない。テレビをつけると先日のキリコたちの活躍について触れられて、あれこれと勝手な想像をして特集を組んでいるのが目に入る。月並高校を襲ったウィンガーに対抗するための正義の戦士なんだとかいう好意的な解釈もあったが、それは少数派だった。他国の研究機関から逃げ出した生物兵器が月並高校を襲い、機密保持のためにそれの抹殺の任務を受けた同じ生物兵器なのだという解釈など、微妙なラインのものが多い。ひどいところまでいくと、ただのテロリスト同士の諍い、暴力団の縄張り争いなどという過激な妄想まで繰り広げられている。
「みんな勝手なことばっかり言って。少しは感謝ってものをしてくれてもいいんじゃないかしら」
その話題を朝食の席で出したとき、システマーはトーストにバターを塗りながらそう言った。
「ま、感謝云々はともかくとして、みんな何かしら不安なんだよ。不安だから答えが欲しくなるんだよね。それが仮説であってもさ」
システマーの隣にいる『カゲロウ』がそう応じる。右足首が徐々に再生されていて、もうステッキがなくとも歩けるらしい。
「それは一理あるね。けど、好き勝手言われちゃ私たちはあまりいい気しないよ」
「霧亜、そんなに心配しないでも、全部終ったら私がちゃんとあんたを英雄にしてあげるよ。救国の英雄! 引く手数多のヒロインに」
「余計なことしないでよ……、平穏に暮らせなくなるから」
『カゲロウ』とシステマーの二人は仲良くそんな会話をし、じゃれあっている。そこへ、キリコが戻ってきた。ぼくの隣に腰掛けた彼女の皿には、例によってたくさんの食べ物が積まれている。健啖家なのは変わらないようだ。
「何話してたの?」
そう問われて、ぼくは今しがたの会話を説明する。するとキリコはこう言った。
「これ以上変な話にされる前に、カタをつけたいよね。姉さん、あいつらに拉致されたんだから、その場所くらい覚えてないの?」
「覚えてるよ」
この回答に、ぼくは目を見開いた。覚えているのだ。彼女は。
「なぜ、その場所へ行こうと思わないのです」
思わずそう訊ねた。
「私や、キリコの怪我が回復してからでも遅くはないと思っているから」
「なるほど」
しかし、知っているのなら教えていてほしかった。だが、キリコは納得しない。
「どうして! 私ならもういいよ。今すぐにでも彼らを倒して、安寧を取り戻したっていいじゃない。他に理由は?」
「あんたが落ち着かないから」
わかりやすい返答をされて、キリコは口を噤む。システマーが奴らの場所を知っているのであれば、全員が回復するのを待ってから、そこへ乗り込むという行動方針が決まる。
彼らが何もことを起こさないのであれば、今度はこっちから攻め込む番だ。
ぼくが研究室に戻ると、システマーもついてきた。キリコと『カゲロウ』はそれぞれの部屋に戻っている。研究室には、二人きりだ。
「少しだけ、メタルスーツの改修を手伝うつもりだけど」
何か用事かと訊ねるとそのような返答があった。そこでぼくはシステマーにメタルスーツの設計図を全て公開することにする。この天才の目から見れば、おそらく欠陥だらけの兵器に違いない。その問題点を克服するだけでも、今後かなり違ってくるだろう。
「全体的に、ちょっとエネルギーが無駄になってる感じがするよ。多分、そこをちょっと改善するだけで出力がかなり違ってくるんじゃない?」
「さすがは天才さんですね。その改修の手ほどきをお願いしたいのですが」
ぼくはそう言った。システマーの才能はぼくより上である。同年齢であるが、敬語を使ってしまうほどの存在なのだ。システマーはぼくの引き出しからスケッチブックを引っ張り出し、そこへフリーハンドでさらさらと設計図を描き始めた。驚くほどに精密な設計図で、脳内に定規やコンパスを埋め込んでいるのではないかと疑ってしまうほどだった。円も片手でするすると綺麗に描いてしまう。ぼくの知る限り、数学教師でもこんな真似ができる人間は非常に希少だ。
「こんな感じかな」
設計図を描き終わったシステマーが振り返って笑った。整った微笑だった。ぼくは少しどきりとしたが何とか表情に出るのは押さえ込み、設計図を見た。確かに、ぼくの作った物とほぼ同じだが、エネルギーの減摩を削減することに成功している。さらに無駄な部分へのエネルギー供給をカットし、効率のいいところへ回しこむ手法で大幅な出力上昇を見込んである。なるほど、こんな方法があったのかと思わせる設計図だった。
「流石ですね」
「そう? わかってくれる人がいるって幸せだわ」
両腕を腰にあて、少し自身ありげに胸をそらすシステマー。ぼくはその原理で行くのならまだ切り詰められる部分を発見し、そこを検討する。さらにそうした部分をまだ見つけられないかと設計図を睨んでみる。
システマーと相談してみると、ついつい談義が白熱する。実際作ってみるまではなんともいえない部分があるのだが、それで本当に負担が軽くなるのか、出力は体感でどのくらい上がるのか、エネルギー変換にロスが生じたりはしないのかという部分について、それぞれに思うところが違うらしく、時折言い争いに近い談義となる。この段階ではぼくもシステマーに遠慮はしない。自分の計算で譲れない部分はあるのだ。
このときは激しく言い争うぼくとシステマーの声に、昼食の時間を告げにきたキリコが一瞬すくんでしまったほど談義が燃えていた。もちろんこれは仲が悪いからではなく、逆に彼女との仲がいいことを証明するものである。だから問題はない。
「いいお友達になれそうね」
くつくつと笑いながら、システマーがそう言った。この意見にぼくも同意する。
「全く、退屈しないという点で同意します。それに、貴方の才覚には驚くばかりです」
「それをわかってくれるからナイス」
言い争いながらも、ぼくたちは楽しかった。結果、メタルスーツとバリアフレームは大幅なグレードアップをすることになる。グレイダーは強力にパワーアップをするのだ。恐らく、以前に比べてかなり動きよくなっているはずだ。この作業に五日ほどかけたが、まだ敵は特に動きを見せていない。
ひとまず完成した新たなメタルスーツを、キリコに着てもらうことにする。
そこへ、『カゲロウ』がやってきた。
「辻井くん、霧亜。ウィンガーからの警告を察知したよ」
研究室にはそのとき、ぼくも、システマーもキリコもいた。全員がウィンガーからの警告の意味を知っている。『次にそこを襲うから逃げろ』だ。逆に言えば、そこで待っていればウィンガーがやってくるということである。
ぼくはその報告に、システマーの顔を見た。彼女の意見を聞きたかったからだ。
「誘っているのでしょうね。あちらも早めに決着をつけたい、のでは?」
「となると、罠ですか」
「それも含めて」
肩をすくめたシステマーが立ち上がる。ぼくたちを誘い出しているとしか思えないウィンガーの警告。当然、卑劣なトラップがそこに仕掛けられていても何も不自然ではない。
「しかし、彼らにしても我々が手傷を負っていることはわかっているはず。もし決着をつけるのなら、早い時期に挑んできても不思議ではありません。我々の傷が癒えようとする時期を狙ってきた理由が何かあるのでしょうか」
「それはわからないよ。どんな深慮遠謀があるのか、あるいはないのか。そんなこと、わかりっこないね。行ってみなくちゃ。敵から挑んできているんだから、乗ってみないと」
それに反論しようとしたとき、鋭い声が飛んだ。キリコだ。
「どんな罠が待っていても、出向かざるを得ないよ。あいつは、みんなのカタキなんだから」
ぼくとシステマーが話しているのを、今までキリコは黙って聞いていた。しかし、今彼女は宣言を下した。流れに乗って、ぼくやシステマーが行くから行くのではなく、自分の意志で戦いに出向くということを宣言したのだ。
「ま、そう熱くなってもしょうがないでしょ、キリコ。まずは彼らの罠を無効化する手立てを考えないと」
「想像がついているのですか、システマー」
敵の罠がどのようなものなのか、考えられるのだろうか。ぼくはそれを問うたが、その問いは一言で切り捨てられる。
「想像できないよ」
「さすがの霧亜も、そこまで予言しないんだねえ」
『カゲロウ』がその言葉にけらけらと笑い声をたてた。だが、予想もたてられないのにそれを無効化する手立てを考えるとはどういうことだろう。
「考えられるだけの手に対する策は練っていっても、損はないでしょう。爆薬、伏兵、偽情報あたりにはとりあえず対策をたてておきましょう。それから出撃しても、遅くはないよ」
「じゃ、出撃までは頭脳派のお二人に任せるよ」
システマーの言葉に、キリコは肩をすくめた。システマーは自信ありげに微笑む。
「お任せ、あれ」
準備は半日ほどの時間を要した。ぼくはできるだけシステマーに協力したが、それでも簡単に終るものではない。それに、対策案はぼくが出すわけではなかった。システマーは敵の攻撃を次々と予想し、それに対する打開策を練って、準備を進めたのだ。そのパワーは大したもので、実にエネルギッシュである。しかも、完成したと思ったら休憩も取らず、そのまま現地に出向いていく。
「まぁ、パワーアップした私たちの敵じゃないと思うけど、一応ね」
そう言って笑い、完成した武器を持ってシステマーは飛び立っていった。ぼくは無論、止めようとした。しかし、何故かシステマーはそれを聞き入れず、疲れている暇なんてないからと即座に出発してしまったのである。キリコも後を追うが、メタルスーツを着込むのに手間取っている。『カゲロウ』は着込む手間をとらないのですぐにシステマーを追った。
出発はキリコが一番遅れた。彼女はまさか即座に出発するとは思っておらず、あわてふためいている。
「なんで姉さんはあんなにせっかちに出発するんだか」
せかせかとスーツを着込みつつ、キリコがそう言った。
「ぼくに訊かれても困る。とにかく、すぐに追うんだ」
手伝っているぼくは適当に返答をしつつ、キリコを急がせる。
着込み終わったキリコは、ホテルの地下駐車場に出ると即座に飛行ユニットに火を入れた。同時に今までのものよりも若干大きくなった翼が展開する。以前の翼は揚力をわずかでも稼ぐためのものだったが、今回の翼はその先端から飛行するためのエネルギーを発現している。折られても一応は飛べるようになっているが、機動性が下がる。尾翼も兼ねているからだ。キリコの身体はふわりと浮き上がり、滑るように空中を移動していく。キリコはその操作感覚にもすぐに慣れて、ぼくに一度だけ手を振るとすぐにシステマーたちを追って外へ飛び出していった。
残されたぼくも部屋でぬくぬくとしているわけにはいかない。すぐに車に乗り込み、彼らを追う。システマーは自信満々だったが、敵はバイオウィンガーだ。キリコにとっては逃がすことのできない決定的な敵であり、システマーにしても一度は敗れている相手である。あれから大幅なパワーアップを果たしたキリコとシステマーであるが、油断はできない。
『カゲロウ』がウィンガーからの警告音を聞いたという場所は、工場地帯だった。下手に重火器を撃つと悲惨な事故を招く可能性が高い。しかし、何もしないままではウィンガーによってほぼ確実にそれがされる。妨害しなくてはならない。ホテルから工業地帯までは三十分ほどかかる。キリコたちは空を飛んでいくからいいが、ぼくはそういうわけにいかない。できるだけ信号の少ない道をとばし、なんとか二十分ほどで工業地帯にたどり着く。
高炉を持っている鉄鋼業の関連の工場だ。他にも色々な工場が軒を連ねているが、ぼくが見たところ、キリコたちは鉄鋼業関連の工場の真上に待機している。どうやら工場の関係者には見つかっていないらしく、特に警告を受けている様子はない。
多分にもれず、この工業地域もすぐ近くに海がある。
大きな球形のガスタンクがいくつか近くに見える。もくもくと煙を吐く、先端に炎を燃やした煙突もある。広い敷地の中に大きな建物を建てて、中では今も工業製品を作成するために機械がフル作動しているはずだった。
ぼくはすぐに、人数が足りないことに気がついた。工場の真上に待機しているのはキリコと『カゲロウ』だけなのだ。システマーは一番最初に飛び出して行ったはずなのに、一体どこに行ったのだろう。ぼくはダッシュボードからインカムを取り出し、キリコと連絡をとった。
「ぼくも今、現場に着いた。キリコ、システマーはどうした?」
『姿が見えないよ。違う場所にいるのかもしれないけど』
探したがちょっと発見できなかった、とキリコが続ける。それで仕方なく、『カゲロウ』の案内によりここに待機しているのだという。システマーには何か考えがあるのかもしれない。集まっていて、まとめてやられるという事態を避けるためかもしれない。ぼくはシステマーを信頼しているので、特に何も言わなかった。キリコたちもそうだろう。
ぼくはわかったと言って、一応周囲に気をつけるように付け加えた。キリコはわかっていると応じる。
『水口さん、ウィンガーの警告は?』
キリコがそう訊ねると、『カゲロウ』は答える。
『心配ないよ。もう警告は終ってるから』
『終ってるって、どういうこと』
『そろそろ来るってこと』
キリコは周囲への警戒を強めた。本当に、間もなく来るのだろうか。また、大幅なパワーアップを果たしたメタルスーツが、彼に通用するのだろうか。
しばらくすると、確かにウィンガーはやってきた。ぼくもそれを見た。
もちろん、すぐにキリコたちも気がついた。やってきた者の正体にもすぐに思い当たった。
「何だあれは!」
しかし、ぼくはそんな声をあげた。確かにウィンガーだが、ウィンガーでない。未知のものがそこに降りてきたのだ。どれほど上空から警告音を出していたのかはわからないが、そこに降りてきたウィンガーは、以前の姿ではなくなっていた。バイオウィンガーという名前の通り、生物的な翼と爪を持った戦士だったはずだが、今のウィンガーは追加装甲と言わんばかりに金属の鎧を纏って、さらに武装を追加していた。禍々しい兜を被ったその姿は、異様だった。
ウィンガーはキリコたちに気付いているはずだが、何も言わずに背中から何かを取り出し、遠くに見えるガスタンクに向けて一撃を放った。馬鹿な!
キリコたちはそれを見てその場を離れる。できるだけ遠くへ逃げなくてはならない。ぼくは十分に離れているが、キリコとの通話を切って、耳を塞ごうとした。これ以上は無理というほどに、耳を閉じていなければ。何度か爆音が響き渡った後、強烈な破裂音がぼくの鼓膜を貫いた。
同時に光が工場の向こうに見える。閃光のように一瞬輝き、そしてやや鈍くなった光が続いた。割れるような音も来る。最も強烈な音は、一番最後にやってきた。一通りの騒ぎが終ると、サイレンが響いた。工場の中で、事故が起こったことを警告しているのだろう。非常ベルも鳴っているようだ。
しかし、上空からウィンガーが重火器を放つ。地上の設備が次々と爆破されていく。
これは、戦争か。空襲か。
ぼくは何一つ言うべき言葉を思いつかない。
キリコたちも同じだったらしい。今、目の前で地上にいる人や資産が焼き払われていくが、あまりの出来事に呆然としてしまっている。人間の想像の限界を超えた出来事が起こっている。破壊されていく設備、そして人。
『ウィンガー!』
最初に声を発したのは『カゲロウ』だった。爆音が鳴り響く中に、突然鋭い声をあげた。
彼女はウィンガーに接近し、その凶行を止めようとする。
『何をしてるの? これじゃ誰も生き残れない!』
ウィンガーは無言で、武器を『カゲロウ』に向ける。即座に重火器が火を噴き、弾丸が容赦なく『カゲロウ』の身体に食い込んだ。吹き飛ばされた彼女の身体を、後ろからやってきたキリコが抱える。
『バイオウィンガー! もうあんたの好きにはさせないから!』
ようやく、自分がやるべきことを見つけ出したらしい。キリコは背中からショットガンを引き抜き、ウィンガーに狙いをつける。ウィンガーはマシンガンのような重火器を乱射しながらキリコへ突進してくる。
狙いも、重火器自体の精度もあまり正確ではないのだろう、キリコは少し身体を動かすだけで弾丸を大半、回避することが出来た。迫ってくるウィンガーに向けてショットガンを放つ。だが、金属で覆われた今のウィンガーの身体は、散弾を簡単に弾いた。
突進をかけてくるウィンガーは、そのままの勢いで頭突きを食らわせる。キリコはそれを受けて、背後に吹き飛ばされた。制御を失ったキリコへ、重火器を向けるウィンガー。引き金を押し込む。しかし、キリコのメタルスーツは弾丸を弾いた。以前までの装甲なら貫通されていたが、今のメタルスーツはかなり防御力も高まっている。そのおかげだ。それを見たウィンガーは、重火器をあっさりと手放し、自分の爪をもってキリコに迫る。体勢を整えたキリコは急いでブレードを抜き、ウィンガーの攻撃に備えた。
上から迫るウィンガーの爪に、キリコはブレードを振り上げて応じた。強い衝撃とともに、爪とブレードがかち合う。ウィンガーの爪は鋭くブレードに食い込んだが、寸断はされない。キリコはブレードをもってなんとか爪を食い止めている。下から押しのけようと必死だが、力はぎりぎりで拮抗しているようだった。押しつぶそうとするウィンガーと、押し上げようとするキリコ。互いに全力を振り絞り、力比べをしている。
だが、ウィンガーの爪は二本で、キリコのブレードは一本だった。ウィンガーはもう一本の爪を振り上げ、キリコの脇腹を狙っている。これはまずい。
そのピンチを救ったのは、『カゲロウ』だった。ウィンガーの動きを察した彼女は、その左手にとりつき、キリコに向かって振り下ろされるのを食い止める。ウィンガー一人に、キリコと『カゲロウ』が二人がかりである。
この状況は、長く続かなかった。ウィンガーはすぐに右の爪を引いたのだ。押し上げようとしていたところを引かれて、キリコは前のめりになる。そこへウィンガーは右足を振り上げた。ただの蹴りではない。
キリコはよく反応し、左へ逃げた。瞬間、ウィンガーの右足が火を噴き、足首の辺りから強烈な衝撃波が生み出される。システマーと同じものを装備しているらしい。
『カゲロウ』もすぐにその場を離れた。直後に、ウィンガーが爪で周囲を切り払う。うまく二対一であることを利用している感がある。このままいけばなんとか倒せるかもしれない。とはいえウィンガーの攻撃力は尋常ではない。どちらか一人が倒れれば、かなり厳しくなる。システマーはどうしたのだろうか。
『カゲロウ』はすぐさま攻撃を仕掛けた。彼女は、パワーアップしたメタルスーツと比べると自分の戦力が劣ることを知っている。ゆえに、自分から攻撃を積極的に仕掛けることでウィンガーの注意を引こうとしているのだろう。そうして敵の隙をキリコが突けるようにはからっているのだ。しかし、『カゲロウ』は飛び道具を持たない。飛び掛る『カゲロウ』を、ウィンガーは爪で振り払った。その爪をかいくぐって、何とかウィンガーに接近しようとする『カゲロウ』。だが、装甲をまとい、メタルウィンガーとも言うべき姿になっているウィンガーの素早さに追随できていない。まずいと判断したキリコがブレードを持ってウィンガーに斬りかかった。
接近してくるキリコを見て、ウィンガーは背後に下がる。『カゲロウ』はそれを追おうとしたがウィンガーの後退のほうが速い。
ある程度距離をとり、再び飛び道具を使うのかと思ったが、彼は下に降りた。地上に降りるつもりか。
地上にある工場では、未だに警告音とサイレンが鳴っている。ばたばたとあわただしく、現状把握に作業員が動き回り、避難命令もそろそろ出始めようという頃だ。サイレンと爆発音の段階で察しのいい作業員は工場から避難しているに違いないが、まだ残っている人間も多いだろう。これ以上殺戮を許すわけにはいかない。
『あちこち燃えてる……、またいつ爆発が起きるかわからないのに』
「いや、それよりもこれ以上人間を殺させるわけにはいかないだろう」
不安がるキリコだが、そんなことを気にしている余裕はない。ぼくはウィンガーを追うように促した。
『わかってるよ、そんなことは。あいつの好き勝手をこれ以上は許せない』
すぐさま、キリコも工場内に降りていく。そこから先はぼくの視界にないわけである。工場の大きな塀にさえぎられて、全く見えない。いくらか不安であるが、これは仕方がない。これ以上接近するわけにもいかないからだ。
銃声らしい破裂音と、激しくぶつかり合う音が何度か聞こえた。キリコとウィンガーが戦っているのだろう。もちろん、『カゲロウ』も助力しているはずだ。しかし、不安になる。何が起こっているのか、わからないのは不安だ。
工場の中から何度目かの爆発音が聞こえて、何かが飛び上がった。よく目をこらすと、ウィンガーだった。戦闘で劣勢に追い込まれて飛び上がったというわけではない。飛び上がったその手に、キリコの右足を掴んでいる。
ウィンガーの飛び上がった先には、工場内にそびえる高い、窓のない建物が見える。恐らく中は金属工場になっているはずだ。その外壁に向かってキリコを掴んだまま、向かっていく。
まさか、キリコをその外壁に叩きつけるつもりなのか。そう思った瞬間、そのまさかが再現された。ウィンガーは右腕だけでキリコを振り回し、建物の外壁にハンマーで釘を打ち付けるように叩き込んだ。外壁はひび割れ、キリコは背中から壁にめり込む。さらに、壁にめりこんだキリコに休む間も与えず、ウィンガーは爪を振り上げた。頭か、胸を刺されれば終わりだ。
だが、その瞬間に爆発音が鳴り響いた。キリコがショットガンを撃ち込んだのだ。かなりの勢いで叩きつけられたはずだが、それでも意識を失わずにウィンガーの追撃を防いだらしい。インカムからはつらそうなキリコの荒い息づかいが聞こえてくる。メタルスーツを着ていなければ、今の一撃で全身の骨が砕けていたに違いない。
キリコはショットガンを連発し、ウィンガーの追撃を妨げながら自分の身体を外壁から抜こうと試みる。半分ほど抜けたところでショットガンの弾丸が尽き、ウィンガーが襲い掛かってくる。今度は両腕を振るっている。ブレードでは防げない。『カゲロウ』はウィンガーを追って空に飛び上がったところで、間に合いそうになかった。
防げないのであれば、回避するしかない。キリコは無理やりに上半身を引き抜き、深くお辞儀をするようにしてウィンガーの爪を避けた。避けた先から飛行ユニットを全開にし、逆に地面に向けて加速する。今、ウィンガーから逃げるには落下速度の力をも借りねばならなかった。ウィンガーもキリコを追って地面に向かうが、ちょうど上昇してきていた『カゲロウ』が、彼に向けて膝蹴りを繰り出していた。ピンポイントでこれがウィンガーの頭部をとらえる。
しかし、ウィンガーは問題にしない。全く今の攻撃が効いていない様子で、ぶつかってきた『カゲロウ』を掴みあげた。やはり敵も鎧を纏っているだけあるようだ。
その様子を見て思うが、あれはまさか、というよりもやはり、システマーを拉致した成果なのだろうか。
ウィンガーや『カゲロウ』、さらに『モスキート』のような生物的な改造をすることには長けていたが、システマーやぼくのような機械的な強化を施す技術はさほど高くなかったのだろう。『亡霊』という存在は。そこに気がついた彼らは、システマーを拉致してその技術を吸収したのだ。そしてその二者を合体させ、今ここにメタルウィンガーというべき、恐るべき存在がいる。
想像に過ぎないが、大きくはずれてはいるまい。
しかし、その通りであるならばキリコたちに勝ち目は薄い。システマーはどこにいるのだろうか。早く出てきて、加勢してもらいたい。でなければキリコたちは危ういのだ。
『カゲロウ』の足をつかんだウィンガーが、キリコにしたように彼女を壁に叩きつけようと振り上げている。まずい、あれに耐え切れるだけの防御力を『カゲロウ』が有しているとは思いにくい。しかし、キリコは先ほど一撃を食らったばかりで、即反撃というわけにはいかないだろう。
そう思った瞬間、『カゲロウ』の足が千切れた。自分で切断したのかと思ったが、その様子はないし、振り回されている最中にそのような器用なことができるほど、余裕があったとも思えない。何があったのか。答えはすぐに出た。
「システマー!」
銃器を構えたシステマーが空から降りてきたのだ。特にどこも負傷してはおらず、今までどこで何をしていたのかという疑問は残るが、今はそのようなことを気にしているような余裕がない。とにかく、すぐさま加勢してもらわねばならない。ぼくの心を読んだように、システマーは銃器を無茶苦茶に乱射した。鎧を纏っているとはいえ、ウィンガーも平然とはしていられない。何度も重い攻撃を受け、彼は何度かよろめいていく。システマーはかなりの上空から落下するような速度でウィンガーに迫っている。その速度を落とすことなく、よろめく彼に蹴りを打ち込んだ。
さすがにウィンガーもこれに耐え切ることはできなかったらしく、地面に向かって落下する。
しかし、目の前に現れた親友に『カゲロウ』が声をあげる。
――友達の足を撃つなんてひどいじゃないの、助けてくれるならあいつの腕のほうを撃ってくれればよかったのに!
千切れた右足を指差しながらシステマーに詰め寄る『カゲロウ』は恐らくそんなことを言っているのだろう。だが、システマーはあまり罪悪感を感じていないらしい。確かに頑丈そうなウィンガーの腕を撃つよりも、それよりは楽に千切れそうな『カゲロウ』の足を撃つ方が確実である。そもそも、いかにシステマーの作った銃が正確無比な精度を持っていたとしてもあの距離から、それもすさまじい速度で振り回されているウィンガーの腕と『カゲロウ』の足を撃ち分けられたとも思えない。闇雲に撃った弾丸が、偶然システマーの親友の足を千切っただけ、というのが真相だろうと思う。
ぼくはこの間に、警察や消防へ連絡を入れていた。確かに警察はぼくたちにとって見つかりたくない存在だが、この工場にいる人たちのことを考えれば、間違いなく彼らの手を借りるべきであった。それに銃器がある程度ウィンガーなど改造戦士たちにも通用することを考えれば、警察とて彼らに対し無力ではない。
匿名でさっさと通報を終えて、ぼくは戦いを再び見つめた。システマーが加わったことで少しは戦いが楽になるかと思ったのだが、そうでもないようだ。キリコは下からウィンガーを見上げ、システマーと『カゲロウ』は上からウィンガーを見下ろしている。挟み撃ちになる形だが、ウィンガーは空中に留まり、それほどの危機感を持っていないらしい。
「キリコ、大丈夫か」
ぼくは壁に叩きつけられたキリコの身体を気遣った。
『平気だよ』
平気なはずがない。肩の傷も全快したとは言えなかったのだ。しかしキリコは気丈にもブレードを抜き、ウィンガーを睨みつける。
『私は大丈夫だから』
その声は優しかった。ぼくはどきりとする。キリコのことを今心配した、その心を見透かされたような気がしたのだ。明らかに今、キリコは嘘を吐いた。天才であるぼくがそれを見抜けないはずはないが、もしかするとぼくはかなり冷酷なことをしているのではないだろうかという念がこみ上げてくる。ただの、一般人であるキリコに兵器を持たせて規格外の兵装をしている連中にぶつからせている。ひどい話ではないのだろうか。何よりも、それをぼくがしていて、今までずっと黙認してきているということが冷酷だ。残忍だ。ぼくは、彼女を殺しただけに飽き足らずに、その神経と心を削っている。まるで、かんなで木材を削るように、ヤスリで石材を磨くようにだ。この戦いが終ったところで、死んだ彼女に居場所はない。よくもそんなむごい仕打ちができたものだ、天才であるこのぼくが!
だがぼくに思い悩む暇はない。事態は進行している。キリコは戦っている。死を賭してだ。どこにもいられない彼女が、ただ怨嗟だけをもって、強大な敵に挑んでいるのだ。ぼくがうじうじと悩んでいても、彼女が死ぬだけだ。
キリコは強い。ブレードを構えて、ウィンガーに向かって飛ぶ。自分のことなど心配するなとぼくに言って。
『ウィンガー!』
下から切り上げる一撃を、ウィンガーはひょいとかわしてみせる。キリコは、敵の反撃に備える必要がなかった。
キリコに続いて、『カゲロウ』が飛び掛って、飛び蹴りを見舞ったからだ。続けざまの攻撃に、ウィンガーは後退せざるを得ない。そこへ、さらに一撃を加える者がいる。当然、システマーだ。
『とらえた!』
敵の背後から蹴りを見舞うシステマー。かわしようもない攻撃のはずだった。当然にして、がつんとウィンガーの背中の真ん中へ蹴り足が食い込む。瞬間、轟音が鳴り響いて蹴り足が火を噴いた。脚から弾丸を発射するのではなく、爆風と圧力で攻撃する兵器だ。
これを食らったならば、ウィンガーとてひるむだろう。システマーはそう思っていただろうし、キリコも同じ考えだった。今のシステマーの一撃で作られたスキを突いて、キリコは『カゲロウ』の背中を飛び越え、『カノン』を引き抜いて砲口をウィンガーの頭部に合わせる。引き金を引くだけで、ウィンガーには安息が、キリコたちには勝利が訪れるはずだ。
しかしそうはならなかった。ウィンガーはほとんどひるまず、『カノン』の砲身を掴み、それを引っ張ったのだ。キリコは撃てない。今撃てばウィンガーの背後にいるシステマーを殺すことになる。馬鹿な、システマーの攻撃は効果がなかったのか。そのような疑問を口にする余裕もなく、『カノン』ごと振り回されたキリコはシステマーに直撃した。
グレイダーは圧倒的な膂力で振り回されて、味方に激突を果たしたのだ。メタルスーツとバリアフレームが衝突する金属音が鳴り、システマーは弾き飛ばされていく。
『うぐっ!』
さすがにこの衝撃に、キリコも『カノン』から手を離してしまう。結果的にシステマーと一緒に吹っ飛んでいく。キリコは工場の外壁にぶつかったあたりで何とか体勢を戻したが、システマーは復帰できない。外壁にはぶつからずに落下していき、建物から突き出している、元は天井だったらしいむき出しになった鉄骨にひっかかる。宙吊りだ。
いかにバリアフレームを着込んでいるとはいえ、また中身が天才である山内霧亜であるとはいえ、肉体的にはただの女の子である。衝撃に気絶してしまったとしても無理のないことであった。
一人残った『カゲロウ』がウィンガーを叩いているが、まるで効果がない。あっさりと振り払われて、吹き飛ばされる。敵のあまりの防御力に、彼女はもう攻撃役にはなりえないらしい。キリコがすぐさま戻ってくるが、システマーは気絶したままだ。
三対一だというのに、ウィンガーは全くダメージを受けたように見えない。引き換え、こちらは被害が甚大な状況である。数で優位に立っていても、敵が圧倒的過ぎる。
『あっ』
キリコがそんな声を漏らした。ウィンガーの元へと向かうキリコに、『カノン』が向けられたのだ。いかにメタルスーツが頑強だとは言っても、『カノン』で撃たれれば危険だ。ぼくは呻いた。避けろ、と口にする余裕もない。キリコから奪い取った『カノン』を持ち主に向け、ウィンガーは引き金を引いた。
発射音が響き、キリコの身体が衝撃に震えた。踏ん張る地面もない空中で『カノン』の一撃を食らったキリコだが、地面に落下したりはしなかった。キリコは一瞬の判断でブレードを構えたらしい。本来、真正面から受ければブレードといえども『カノン』の前には打ち砕かれるのだが、今回は着弾の角度の絶妙ゆえに折れなかったようだ。
それでも貫通力最大重視の『カノン』を受けて、両腕はしびれているはずだ。キリコはまだブレードを構えたままで、次のウィンガーの攻撃に備えている。敵の攻撃はまだ終了してはいないのだろう。ぼくはウィンガーを見上げた。彼は、まだ『カノン』を下ろしていない。もう一発、お見舞いするつもりなのか。
キリコはブレードを慎重に持ち直した。少し膝を曲げる。耐えるつもりだ。だが、そのしびれた腕で、『カノン』の一撃を耐えられるのか。インカムから伝わってくるキリコの息は荒い。大丈夫なのか、と何度も思ったことをまた思う。
次の一瞬、再び『カノン』が火を噴いた。同時にばきん、と何かが砕け散る音がぼくの耳に届いた。ブレードが折れたのか、それとも何か違う事態が起こったのか。ぼくは目をこらす。
キリコの持っているブレードは折れていない。彼女はすぐさま防御を解いて、ウィンガーに向かって上昇していっている。しびれたはずの両腕を握り締め、思い切り振り回す。
金属同士がぶつかり合う、鈍い音が響いた。ウィンガーは『カノン』の砲身でキリコの攻撃を防いだようだが、キリコは気迫の連続攻撃を仕掛けていく。それらをひょいひょいとよけつつ、ウィンガーは後ろに下がっていく。その背後には、『カゲロウ』が体勢を整えていた。奇襲ならば彼の不意を突き、体勢を崩させることくらいはできるかもしれないのだ。
これはうまい、そのままいけば一撃は食らわせられるかもしれない。ぼくは期待を込めて、ウィンガーの背後に控える『カゲロウ』を見つめた。キリコが必死になってブレードを振るい、ウィンガーを追い詰めていく。彼がもう二歩も下がれば、『カゲロウ』が飛び出して渾身の一撃を食らわせるだろう。
横薙ぎの一撃を、一歩後ろに退いてかわす。もう一歩だ。『カゲロウ』がタイミングを見て、飛び掛っていく。
キリコも『カゲロウ』には気がついている。彼女に攻撃をさせるため、ウィンガーを下がらせなければならない。袈裟懸けに振り下ろす一撃を、キリコは見舞った。必死の形相だ。そしてついに、彼は後ろに下がった。時が来た!
渾身を気合と力を込めた一撃を、『カゲロウ』が繰り出す。全体重を込めた右拳が突き出される。ウィンガーの背後から飛び出したこの攻撃を、避ける術はない。
しかしウィンガーは後ろにも目がついているかのような動きをとった。背後に下がると同時に背中に手をやったかと思うとそれをもって、『カゲロウ』の右拳を掴み取ってしまったのだ。まるで最初から打ち合わせがされていたかのような、自然な動きで『カゲロウ』はウィンガーの右手によって振り出された。ウィンガーの右手は『カゲロウ』の右手を掴んだまま、キリコに向けて繰り出された。先ほどキリコがそうされたように、『カゲロウ』が振り回されて、キリコに激突した。
インカムに短い呻き声が届く。生々しい苦痛の声だ。
「キリコ!」
ぼくは思わずそう言った。聞こえるとは思えない。しかしここからでも見えるほどに、彼女が何か液体を吐いたのだ。メタルスーツを着けているのにだ。
キリコと『カゲロウ』を同時に攻撃したウィンガーだが、追撃を仕掛ける体勢である。今の一撃でキリコは半分意識が飛んだかもしれない。『カゲロウ』は腕を掴まれていたので、意識があったとしても体勢が戻せていない。そこへウィンガーは持っていた『カノン』の砲身を振り上げる。打撃武器にするつもりだ。
避けろ!
ぼくはそう言おうとした。ウィンガーの膂力で振り下ろされた『カノン』を頭に食らったら、どのようなことになるか想像もつかない。だがぼくが咽喉をふるわせるより早く、『カノン』は振り下ろされた。
瞬間、インカムが嫌な音を短く発し、その機能を失った。
キリコの頭部の辺りから、何か破片が細かく散っていく。彼女は、地面に墜落していくところだった。メットがずるりと脱げ落ち、幾つかの破片となって振りまかれる。
先ほどの『カノン』の二発目の弾丸は、ブレードだけではなくメットをかすめていたのだろう。そうでなければ、このように砕けるということはありえない。
勇敢に戦ったキリコは、意識を失っていた。上空からゆっくりと、しかし確実に重力加速度に引かれながら地面に落ちていく。メットが破損している今、地面にぶつかれば死は免れない。
「キリコ! キリ……」
叫んでみたが、メットが壊れたのでその声はキリコに届くわけもない。ぼくにできることは何もない。
いや、既に今の一撃でキリコは死んだ、かもしれない。メットが破損するほどの衝撃を受けたのだ。おかしくはない。おかしくはないが、そのようなことは信じたくない。
「キリ……」
ぼくは放心した。天才である、このぼくが。
力が抜けていくのを感じた。オペラグラスを取り落とし、膝をついた。
ぼくは今まで、何をしてきたのだろうか。世の中を守るために、この天才たる頭脳を用いようとしたのでは、なかったのだろうか。それなのに、ウィンガーにまるで敵わない。ぼくだけではなく、希代の天才たる山内霧亜の案も用いたし、敵の技術で改造を受けた『カゲロウ』の力も借りた。だが、このざまだ。メタルスーツを預けた山内霧子は昏睡させられ、今、死を迎えようとしている。
何かを突き破るような音が聞こえた。そして、インカムに何か音声が入った。
ハッとして、ぼくは自分の両手を見る。すぐに耳に手をやった。聞こえてくる声。これは、キリコの声。あちらがわのメットは壊れたはずなのに、何故聞こえるのだろう。
『ぼさっ、としないでよ。退却する準備を、手はずを整えてくれないと困るじゃない』
その声に、ぼくは呻いた。この声は、誰の声なのかももうわからない。ああ、と少し考えて思い当たった。この声は霧亜。システマーの声なのだ。天才たる彼女ならば、ぼくとキリコの通信回線に割り込むことなど造作もないのだろう。
「システマー?」
『勿論。ご不満でも?』
確認すると、少しだけ強がったような声が聞こえてくる。相当につらいダメージを受けているはずなのに、気丈に振舞っているのだ。山内姉妹はどうやら、多少の怪我をしても気丈に振舞う性質があるらしい。
「キリコは?」
『突き出しのトタン屋根を突き破って落ちてきたところをナイスキャッチ。急いで逃げるよ』
「わかってる」
そう答えると同時に、遠くからサイレンが聞こえてくる。ぼくが通報した警察と消防だ。面倒なことになったものである。ぼくはすぐさま、車に乗り込んだ。エンジンに火を入れ、車で工場内に突っ込むことにした。
「すぐそっちに向かう!」
『急いで、いつまでももたない!』
システマーの声には焦りがあった。ウィンガーの相手を務めているのだろう。『カゲロウ』がどうなったのかはわからないが、元気でぴんぴんしているとは考えられない。ぼくはアクセルをぐっと踏み込み、工場の入り口に突っ込んだ。
キリコたちの戦っていた場所へは、すぐに着いた。ウィンガーの空爆によって施設の大半が穴だらけになり見通しがよかったので簡単に見つけることが可能だったのだ。
システマーがキリコを抱えて、ウィンガーの攻撃をさばいている。その隣に、フラフラになりながらもなんとか立っている『カゲロウ』がいた。
しかし、ぼくの乗った車を確認したウィンガーは、どうやら攻撃対象をぼくにしたらしい。こちらに向かって、襲い掛かってくる。
ぼくは逆にアクセルを踏み込んだ。この車も防弾処理くらいはしてある。そう簡単に破壊されることはない、そう念じながら体当たりを仕掛ける。それはもう怖いが、ここではそのようなことを言って尻込みしている余裕がない。
「くそ!」
間近に見るウィンガーの身長は高く、外骨格は威圧を与えてくる。何よりもその眼光はぼくを臆病にさせるようだ。だが、ぼくは震えそうになる足を突っ張った。キリコの命のほうがぼくの命よりも大切なものだと、ぼくはこのときそう思っていた。天才であるぼくは、死んでしまえば代わりになるものなどいないというのに。
アクセルを踏まれた車はウィンガーに向けて突っ込む。ぼくはシートベルトを締めているが、まともにウィンガーの攻撃を受けて無事でいられるとは思えない。
衝撃がぼくと車を襲った。エアバッグは作動しなかったが、うまくウィンガーにぶつかったようだ。彼は『カノン』をぼくの車に投げつけようとしていたらしいが、それよりもぼくの車が彼に衝突するほうが早かったのだ。
追撃するように、システマーが左足をウィンガーの顔面にめり込ませた。瞬間に左足に仕込まれた弾薬が炸裂し、ウィンガーを吹き飛ばした。顔面を焼かれてはさしもののウィンガーもたまらないらしい。
「食らえ!」
フラフラだった『カゲロウ』も、この勢いに乗じてウィンガーから『カノン』をもぎとり、彼がキリコにしたようにそれでもって、彼の脳天をぶっ叩いた。
「よし、乗るんだ!」
ぼくはすぐに車のドアを開いた。システマーがキリコを連れてすぐに飛び乗ってくる。
サレインは近づいてきている。もう、目の前だ。
『カノン』を持ったまま『カゲロウ』が飛び上がる。彼女はドアを使わず、ぼくの車の上に乗った。もう彼女がドアを開いて乗ってくるのを待つ余裕はない。ぼくはギアをRに叩き込んで、アクセルを限界まで蹴りこんだ。エンジンが唸りを上げ、車は工場の入り口に向けてバックで突っ込んでいく、後方確認などしていない。
ウィンガーは、近づいてくるサイレンの音とその量に舌打ちをしている。
『カノン』の一撃が多少なりとも効いているらしい。恐らく彼は、退却するだろう。あとは警察に任せて問題なさそうだ。
「よし、すぐに病院に直行だ。警察から逃げられたらの話だがね」
工場から出るや、すぐさまギアを戻し、ぼくは車を急発進させる。道路にタイヤの跡がべっとりとついた。
「心配ないよ、六郎くん。ギリギリで間に合ったみたい。警察は中のウィンガーへと向かってる、多分逃げ出した工場の人だと思ってくれているよ」
屋根の上にいた『カゲロウ』も、窓から車の中に入り込んできている。彼女は偽装で工場内の作業服を着込んでいた。ふらふらであるのに、なかなか知恵の回ることだとぼくは思った。
「それにしてもシステマー」
ぼくは一般道路をぶっ飛ばしながら後部座席に座るシステマーをルームミラー越しに見やる。
「話は、後にしてくれないかな」
恐らくぼくの訊きたいことがなんなのかわかっているであろうシステマーは、そう言って深く息を吐き、目を閉じてしまった。そうなってしまうとぼくもそれ以上言えない。
もう一度ルームミラーに目をやり、システマーの抱えるキリコの顔色を見る。彼女はぐったりとして、動かない。ぼくは唇の端を噛み、病院へ急ぐ。