エピローグ
移動要塞での出来事から、一ヶ月が経過していた。
ぼくとキリコは月並高校の制服を着て、大通り沿いのビルの二階にある喫茶店にいる。窓際の席に座っているぼくは左腕を白布で肩から吊り下げた格好、その向かいに座っているキリコもあちこちに包帯を巻いている。これでもかなり包帯は少なくなったほうだ。顔をおおっていたガーゼや絆創膏はもうほとんどとれている。外は晴れ、眼下に見える大通りを歩く人々も、それなりに多いようだ。
やがてぼくの前にミルクティーが運ばれてくる。最近ぼくはミルクティーを飲むことが多くなった。どこかの誰かを忘れたくないからかもしれない。キリコの前にはミルクココアが置かれた。部屋に戻ればいくらでも置いてあるというのに、なぜか彼女はこれを好む。もちろん注文として「ぬるくしてください」というのも忘れていない。
「で、結局学校に戻れるの?」
キリコが訊ねてくる。月並高校はあまりにも生徒数が減少してしまったため、授業を続けていくことは難しくなってしまった。特にぼくたちのクラスなどは、残っているのがぼくとキリコだけという始末なのだ。このため、出席日数の危ないぼくなどは卒業するためにあちこちに足を運ぶはめになってしまった。なお、月並高校は教員の数も減っていることを付け加えておく。
「月並高校で授業をすることはないそうだ。月並北高校で受け入れてくれると言っているけど」
「ふーん、それで私はどうなるの」
「君も一緒だよ」
ぼくは淡々と説明した。死んだ扱いになったキリコであるが、もう『亡霊』がいなくなった以上、死んだふりをする意味はない。キリコの行方不明扱いをさっさと取り消させるために、キリコには警察に出頭してもらった。気がついたら月並市の隣である襟糸市で倒れていた、という設定だ。何しろ彼女は大量殺人事件の現場にいたのだから、多少おかしな行動をしたとしても不思議ではないし、犯人によって拉致されて連れまわされた挙句に解放されたというのも有り得ない話ではない。そういうわけでキリコの戸籍は当然のように存在している。
ぼくは現在時刻を確認した。現在日曜日の午後一時。ぼくたちは夏子さんたちの墓参りをして、その帰り道なのである。夏子さん「たち」というのにはもちろん理由がある。戦いの中で亡くなってしまった水口さん、そしてシステマーの墓もぼくたちは作ったのだ。遺体は海の底に沈んでしまったが、遺品は持ち帰ってある。水口さんは砕けた外骨格の一部を、システマーは遺髪を持ってきた。それぞれ夏子さんの墓の近くに埋めてある。
「まぁあと三ヶ月くらいなんだけどね、学校生活なんて」
キリコが力なく笑った。卒業するためとはいえ、残り三ヶ月を新しい環境で過ごすというのは、やはりつらいのかもしれない。それとも、死んでしまったクラスメートのことを思い出してしまったのだろうか。
「ああ、そうだね。君は進路が決まっていたね」
ぼくは話題を変えようとする。少々わざとらしい気もするが仕方がない。
「内定はもらってるよ。この前電話してみたけど、私が生きてるって聞いてびっくりしてた。電話じゃまだ採用は取り消してないからって言ってたけど、そのうち直接行ってちゃんと足があるって見せておかないといけないかもね」
「ああ、それはそうしたほうがいい。でないと塩を撒かれそうだ」
「ありうるよ、六郎は進学だったね。推薦だっけ?」
「まぁね」
ミルクティーに口をつけながら返答する。キリコが少し笑っているので安堵した。やはり彼女に沈んだ顔は似合わない。
「でもちょっと今、断ろうかと考え中。就職もいいかもしれないって思ってる」
「へ、なんで?」
「海の底に、行かなくてすんだからさ」
一ヶ月前の最終決戦後、移動要塞の動力が落ちたときは本当に諦めた。ここで自分は死ぬものだと思っていた。しかし、抱き寄せていたキリコの身体が突然浮いたのだ。大層驚いたが、そのまま身を任せて要塞を脱出した。外に出て、やっとなぜ浮いたのかわかったのだが、彼女はバイオウィンガーの持っていた飛行ユニットを操作したのだ。
すぐ目の前にあったのに、気付かなかった。危うくそのために無駄死にをするところだったのである。
ぼくは飛行ユニットを操作するキリコとともに空に浮きながら、移動要塞が海に沈むところを見てきた。大きな飛沫と音を立てて着水し、あっけなく沈んでいく球体を見て、何かが終ったことを感じていた。外を叩いていた雨に打たれながら、波の中に沈んだ移動要塞を、そしてそれが消えていった海面をしばらく眺めていたものだった。
余談としては、雨に打たれて帰ったぼくたちが二人とも風邪をひいたということがあげられる。
「まあそうだね、あれ本当に気付いてなかったの? 天才のはずなのに、抜けてるよ」
「そうかもしれない。ぼくは本当は、天才じゃないのかもしれない」
いや、そうなんだろう。ぼくは天才じゃない。
ただ、天才になりたくて努力をしてきただけの。努力をしてきたつもりになっていただけの、ただの無力な人間だ。夏子さんと、水口さんとの約束を護りたくて一生懸命になってきたんだ。二人を救えなかったぼくは、天才とは言えない。
「あらら、認めちゃったよ。まぁ頭がいいのは確かなんだから、別に落ち込まなくてもいいんだけど」
ぼくは軽くため息を吐いた。キリコはそれを見て笑う。
「別にさ、誰かと約束したりしなくったって六郎はすごい才能を持ってたじゃない。メタルスーツだってもうちょっとパワーを弱くして武装をなくしたらさ、お年寄りとかの動きを補助させるのとかに使えそうじゃない。ああいうの売れると思うんだけどなあ」
「誰かとの約束で、頑張ってきたわけじゃない」
茶化すような言葉に、思わず突っ張った言葉を吐いてしまう。しかしメタルスーツをそういう風に使うとは、思いつかなかった。なかなか着眼点と発想は面白い。
ぼくはポケットの中のものを右手でいじりながらそう思う。これの出番はいつ来るのだろうか。
そう思っていると、指摘された。
「六郎さ、そのポケットに入ってるもの何なの? お供えするものかと思ったらお墓の前じゃ出さなかったし」
「これ? これは……」
ぼくは言葉に困った。大したものではない、とは言えない。仕方ないので事実だけを言う。
「これはいずれ、君に渡そうと思っているものだよ」
「何それ。もしかして結婚指輪?」
いきなりずばりと正解を突かれて、ぼくは心底動揺した。キリコはもしかしたら探偵になれるのではないかと思ったほどだ。しかし嘘は吐けない。まだ夏子さんとの約束は生きている。
「実はそうなんだ。キリコ、気の早い話なんだが、卒業したら結婚しよう」
仕方がないので正面きってそう言ったら、キリコは飲みかけていたミルクココアを盛大に噴出した。
ぼくを睨みながらテーブルに飛び散ったココアの飛沫をナプキンで拭き取り、口元を拭った後、キリコは努めて冷静な声で訊ねてくる。
「六郎、本気?」
「うん」
頷くしかなかった。キリコは腕を組み、椅子に深く腰掛けた。
「就職したほうがいいかもってそういう理由……」
「ああ、まぁね」
「というか、私たちってそういう関係だっけ? 付き合ってもいないし、告白もまだ聞いてないよ」
もちろん、そうだ。キリコの指摘は正しい。ぼくたちは別に恋人同士でもないし、デートもしたことがない。
「しかし、ものごとの順番を守らないというのも結構楽しいものだと思うが」
「またそういう無茶苦茶を言う」
キリコは困り顔で、額に手をやった。
「私だって別に六郎のこと、嫌いじゃないけどさ」
「ああ」
ぼくは頷いて、黙った。余計なことは言わないほうがいいような気がした。相手の言葉を待とう。
「あのね六郎、そういう話は出かけるときにしておいて欲しかったなぁ。なんていうか……また夏子さんたちに報告に行かなきゃいけないじゃない」
少し待っていると、キリコは見当違いなことを言った。
「それは、子供が生まれたときでいいんじゃないか」
そう応えると、キリコの顔から、気力が抜けてしまった。張り詰めて考え事をしていたのが、一気に萎えたらしい。何故かはわからない。
「六郎……。あんた、ものすごいマイペースというか」
半分あきれたような声で、彼女はそう言う。そして、残り少なくなったココアを飲み干して立ち上がった。
「でも、いいよ」
ため息を吐いたように、あきれたように笑って。
「順番無茶苦茶だけどそのプロポーズ、とりあえず受けてあげる。浮気したら死刑だからね」
後半部分を口にしたときの笑顔を、ぼくは生涯忘れられそうにない。思わずぼくも立ち上がって彼女を抱きしめようとしたが、テーブルを間にはさんでいるのでできなかった。
そのときのぼくの寂しげな顔を、キリコは生涯忘れないだろう、と後になってからぼくに語るのだった。
『グレイダー』は、二度と現れることはないだろう。
ぼくがキリコを大切に思う限り、メタルスーツを着せることはないからだ。それにメタルスーツは、もう海の底だ。最後に残ったブーツも、帰るときに捨ててきた。その必要がなくなった兵器は、地上に置いていてはいけない気がしたのだ。飛行ユニットも廃棄してある。
機工兵器は、もう必要がない。この平和が続く限り。
キリコはぼくから強引に奪った結婚指輪をもちながら、通りを歩いていく。見失いそうだ。ぼくは喫茶店の会計をカードですませて、キリコの姿を追った。
ブレザーにコートをかけた格好で、早歩きで家路をたどるキリコを発見する。彼女は追いかけるぼくを見つけると、悪戯っぽく笑って、さらにスピードを上げた。
おいていかれると、まずい。肩から吊り下げた左腕をかばいながらも、急ぐ。
彼女の姿を追って、ぼくは駆け出した。