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1・霧子と六郎

 ぼくは天才である。紛れもなく、世の中で地べたを這い回って家族のために働く男たちや、その帰りを待つ女、そしてその庇護のもとでぬくぬくと暮らしているお子様、そのいずれもぼくに及ばない。非常に頭がいいのである、ぼくは。そしてその才能の使い道を今まで考えあぐねていた。なぜならぼくはまだ若いからだ。今からこの才能を用いればきっとどのような分野を目指しても超一流となってしまうことは間違いない。

 しかし、ぼくのすすむ道は決まった。機械工学だ。それも、学校に通って正確な知識を身につけようという暇はない。そのようなことならばぼく以外の者にだって可能だ。今、ぼくにしかできないことが存在するのだ。このぼくが彼らへの対抗策を考えなければならないようなのだから。ぼくはそれを求めて機械工学を学ぶ。そして完成させるのだ、人類の希望となる、最後の兵器を。

 ぼくは世界のこの状況を何とかするために、ぼくのこの溢れる才能を使うことにしたのであった。幸いにしてぼくの家は金持ちであるし、材料は十分なほど持っている。最強の兵器を作り上げるために、ぼくはぼくの研究室に閉じこもり、必死になって日夜研究を続けた。

 この天才、ぼくの名前は辻井六郎である。いずれは世界に轟くであろうこの名を、よく覚えておいて欲しい。

 月並高校に通う高校生でありながら、ぼくはすっかり学校に行かなくなり、地下室にこもっていた。もちろんそれは世界を救うためであるし、必要なことだ。いまさらぼくにとって学校での勉学など大して意味のあるものでもないし、世界の危機というときにのんきに勉強などできるはずもない。家族もそれは知っているから、ぼくが地下にある研究室に閉じこもってひたすらに試行錯誤と金属の加工を続けているのを見ても何も言わなかった。もっとも、前述したようにぼくの家は金持ちである。両親はそれぞれの世界で大活躍している大忙しの身だ。ぼくが不登校になろうが、別に気にしていないのかもしれないし、あるいはぼくが部屋から出ていないことにすら気がついていないのかもしれない。

 そういった両親に代わるように、ぼくの身を案じるのは一人の使用人だった。ぼくはこの使用人の本名を知らない。ただ、『夏子さん』とだけ呼んでいる。ひょっとするとぼくとも血の繋がりがあるのかもしれないが、そんなことを気にしたこともない。なお、夏子さんはメイド服など着ていない。ぼくが部屋に閉じこもっていると決まって食事を運んできてくれるのは夏子さんなのである。そして寝る間も惜しんで研究を続けるぼくが疲労しているのを見て、休んでくださいと言うわけである。他の人や母親に言われたのであるなら疎ましいと思うかもしれない。が、ぼくは幼いときから夏子さんに色々と世話になって育ってきた。ぼくの旺盛な好奇心に親切に対応してくれる夏子さんはぼくにとってはとてもあたたかな存在だった。今思い返してみると、そのときからすでに自分の仕事に熱中して半ば育児放棄していた母親に代わって、なにくれとなくぼくの面倒をみてくれる存在だったのだろう。夏子さんはすでにもう若いとはいえない年齢になっているが、それでもぼくにとっては大切な人である。その彼女に心配そうな目で言われるのだからぼくはしぶしぶと寝床に向かうことになる。

 さて、夏子さんに心配されながらもぼくの研究はすさまじい勢いですすんでいった。ぼくの実力からいえば当然の結果ではあるが、一ヶ月ほどの研究で、最強の兵器、そのプロトタイプはおおよそ完成しつつある。動作テストもまだだし、細かい調整もまだだが、とにかく完成に近づいている。ぼくはぼくの作った兵器を眺めながら、悦に入っていた。

 と、そこへ夏子さんが入ってきた。今日の夏子さんは髪を下ろしている。

「六郎さん、おはようございます」

 声をかけられたので、ぼくは面倒くさいと思いながらも返事をした。

「夏子さん、おはよう……何か用?」

 ぼくは後頭部を掻き毟りながらあくびをした。やっと今まで積み重ねてきた理屈が形になったのだ。これから動作テストをして、次のバージョンアップを目指すわけであるが、早く起動させてみたかった。

「何か用、じゃありません。今日は定期試験ですよ六郎さん。今日こそは学校に行ってもらいますから」

 ぼくは思わず夏子さんの顔を見てしまった。そんなに月日が経っていたとは思わなかったからだ。天才であるこのぼくも、やはりここまで研究を形にするにはそれだけの時間が要る。しかし、研究を続けるうちにどれほど時間が経過したか、そんな感覚はなくなっていたのだ。

 しかし定期試験などとはいうものの、世界の危機とどちらをとるかということを考えると、やはりぼくはこのまま学校にいかずに研究をしたい。

「六郎さん、制服はここに置いておきますから。すぐに着替えてきてくださいね」

「な、夏子さん。ぼくは……」

「試験は受けてもらいますよ。試験さえよければ、あとはどうだって、旦那様はお怒りにならないですので」

 ぼくが反論をする前に、夏子さんは研究室から出て行ってしまった。

 さすがにこうなってしまっては、出かけないわけにはいかない。ぼくは多分数日振りのシャワーを浴びて、制服に着替えた。ぼくのこの研究に打ち込みだすと他の事を顧みなくなる性格は、確実に両親からもらってしまったものだろう。

 夏子さんに見送られて、ぼくは家を出た。家は金持ちであるが、どこかの小説や漫画のようにリムジンでお出迎えということはしていない。そこまであざとく金持ちであることをアピールする必要性は皆無だからだ。したがって天才であるこのぼくも、愚民たちとともに徒歩で月並高校まで移動することになる。

 学校に着いた。教室に入って自分の机に座る。定期試験くらい、教科書を眺めておけば大丈夫だろう。なにしろぼくは天才である。教科書の内容くらい、買ったその日に目を通してある。

「あー、まずいなぁ。全然やってなかった、今回赤点だ、確定だよ」

 ぼくの後ろの席に座っている女子がそんな声をあげている。振り返ってみると、どうやら必死に教科書にかじりついているようだ。全く試験対策をしてこなかったのはぼくも同じだが、天才と違って一般人はそれではだめらしい。

「おいおい、大丈夫かぁ」

 後ろの女性との嘆きを聞いてか、彼女の友達らしき女子がやってきた。どうやらこちらのほうはある程度の余裕があるのだろう、それほど身を入れてはいない。

「大会が近いとか言って、運動ばっかしてるからそうなるの。文武両道って言葉知らない?」

「仕方ないじゃない、そのくらいやらないと上位に入れないの」

 やってきた女子の言葉をあしらいながら、彼女は教科書の文字を必死に追っている。次の試験科目は日本史だから、ある程度詰め込みでも覚えていれば点数は期待できる。しかし、天才であるこのぼくは今までの試験のパターンからおおよその出題傾向をつかんでいる。それによると、彼女のように重要語句だけを暗記していても解けない問題が出る可能性が高い。おそらく、彼女の努力は実を結ばないであろう。

 やがて教員がやってきて、後ろの席も静かになる。全然やっていなかったという彼女も、もはや諦めて教科書を仕舞いこんだ。

 解答用紙、問題用紙が配られてくる。やがて試験開始の合図があり、ぼくは裏返しになっていた問題用紙をひっくり返す。当然ではあるが、ぼくの出題傾向の予想はほとんど当たっていた。これはもうもらったも同然である。さらさらとシャープペンシルを走らせて試験を終了し、ぼくは机に突っ伏した。今ぼくがするべきことは特にないので、帰ってからの研究に備えて寝ておくのが一番有効とみたわけである。

 ぼくの意識は沈んでいく。さすがにぼくがいくら天才でも眠らずにいつまでも活動し続けることはできない。時を忘れて研究し続けていたせいで、睡眠時間が足りていないようだ。


 ぼくは幼い頃、いつも誰かと一緒だったような気がする。ぼくはいつでも好奇心旺盛で、あれはこれはと夏子さんや友達に訊いてまわったり、本で得た知識をひけらかしたりしていた。夏子さんはとても優しいけれども仕事があるので、友達のほうが話すことは多かった。そういえばその友達は今、どこにいったのだろうか。いや、そもそもどうしてぼくは閉じこもって、研究ばかりするようになったのだろう。自分が天才だと気付いたのは、いつからだっけ?

 いやその前に、この友達の、君の名前は? ぼくは目の前に立っていたその友達の顔も、名前も、まるで思い出せない。どうして思い出せないのか、わからない。わからない。

「君は誰?」

 ぼくは幼い姿で呼びかける。しかし、目の前にいるはずの友達の顔はぼやけて、見えない。その声も聞こえない。ぼくの記憶から消えている君は、一体誰なんだ。思い出せない。


 はっ、として目が覚めた。顔を上げると、解答用紙の回収が始まっていた。ぼくは額に手をやり、大きく息を吐いた。なんだかひどく懐かしい夢を見たような気がする。どんな夢だったのかは、思い出せない。天才であるこのぼくにも、わからないことはあるらしい。

 さあ早く帰って、例の兵器を完成させなくては。ぼくの予想ではもう近々、この近辺にも被害が出るはずなのである。

 世間を騒がす『奇怪な生物の出没情報』がある。ぼくが見たところ、あれは集団パニックの妄言などではなくて現実世界の出来事だ。曰く、まるで昆虫と人間のハーフのような奇怪な生物が町に出没し、人間に危害を加えているというものだ。通り魔がたまたま着ぐるみを着ていたということではない。

 『彼ら』は、現実に存在しており、人類の平和を脅かしている。そして、警察はそれに満足な対処ができていない。毎回取り逃がしており、彼らを逮捕できていないことが何よりの証拠だ。ならば、天才であるこのぼくが彼らをなんとかできるような兵器を開発し、彼らを駆逐しなければならないであろう。

 ぼくにしか、できないことがあるのだ。やらないわけにはいかない。

 しかし、そう思って立ち上がるぼくの耳に緊急放送を告げる効果音が届いた。教室の中でも目立つところにあるスピーカーに目を向ける。校内放送だ。

『ただいま、町内に不審者が出没したとの情報が寄せられました。本日は教員の指導に従い、集団下校を行ってください』

 おだやかではない放送である。ぼくは一度自分の椅子に座りなおした。教員の指導に従えとは言うが、教員はいない。それをいいことに、早く帰りたい生徒の何人かは、今の放送を聞かなかったことにして走り去っていく。ぼくもそうしたいところではあるが、奇怪な生物の情報と今の不審者情報が別個のものとは考えられない。ここは安全に、学校の指示に従いたかった。

 がたりと背後で音がする。振り返ると、先ほど絶望の表情で試験を受けていた女子生徒だった。意外にも彼女は素早く教室を脱出する選択をしなかったらしい。

 しばらくすると、担任教師が教室に戻ってきた。何人か足りないのを見て舌打ちをしたあと、彼は名簿らしきものを見ながら、誰と誰は一緒に帰れ、などという指示を出し始めた。恐らく、家が近いものを優先的に選んでいるのだろう。ぼくの家はというと方角的にかなり特異になるから、おそらく少人数で帰ることになるだろう。

「辻井は……山内と方角が同じだな。山内、辻井。二人で帰るように。気をつけてな」

 やはりか、とぼくは思った。それにしても集団下校をわざわざ指示しておいて二人で帰れ、はないだろう。学校の指示に従うということでは楽でいいが、安全を確保するという意味ではろくな指示ではない。

「山内、頼んだぞ。剣道部だろう」

 担任教師が声をかけたのは、ぼくのいる方向だった。山内というのは、誰だ? そう思っていると、すぐ後ろに座っていた女生徒が

「道端で竹刀を振り回す趣味はありません」

 と返答をしたのであった。ああ、この子が山内さんなのか。ぼくが目を向けると、山内さんはぼくをちらりと見て、それからため息をついたようであった。もちろんぼくは彼女が親しい友人と帰れなくて残念なのか、それともぼくが嫌いなのか、どちらでも別に構わないし、気にしようとも思わない。


 靴を履き替えて、ぼくは昇降口の前で山内さんを待っていた。一応学校の支持なので従わなくてはならない。本当は早く帰って例の実験をしたいのだが、仕方がないことだ。

 さて、ぼくの知る限りぼくのクラスには山内姓の女子は一人しかいない。山内霧子。他人教師の持っていた名簿をのぞいたが、どうやら剣道部の主将だったらしい。かなりの腕前であることがうかがえるが、それでどうやらぼくと二人だけでの下校となったようだ。

「待たせたね。行こうか」

 トイレにでも行っていたのか、少し遅れて山内さんがあらわれた。制服であるブレザーに黒いタイツを穿いている。どうやら、寒いらしい。ぼくはどうして女性が冬空の下にも平気で脚を露出するのかわからない気質の人間だが、どうやら山内さんはぼくの理解の範疇にいる存在らしい。

「家、どっち? 月並町から離れるの?」

「茶山町まで。そこまで歩いてる」

 ぼくは最小限のことだけを返答した。あまり親しく会話する義務もない。天才であるこのぼくも、クラスの人間とまんべんなく仲良くするだけの処世術は身につけていない。

「辻井君てさ、こないだまで休んでいたね。風邪か何か?」

「ぼくは元気だよ。病気もしていない」

「じゃ、どうして? 何かよくないこととか」

 山内さんは気さくに話してくる。これは意外だった。

 ぼくならそれほど親しくもない、しかも異性のクラスメイトと歩いていて、積極的に話しかけようなんてことは思わない。彼女にしてみれば、ぼくという人間を知る絶好の機会なのかもしれないが、ぼくはそういうことには興味がないからだ。とはいえ、折角話しかけてきてくれるのに、それを完全に無視するのもおかしいことだ。

「そんなことはなんだけど……ちょっと研究をしていてね」

 別に隠していても意味がない。ぼくは自分の研究のことを山内さんに話すことにした。もちろん、ぼくがいくら天才であるといっても、人の心の動きに全く鈍感というわけではない。自分の研究が荒唐無稽な一面をもっていることも知っている。この話をすることで、山内さんが凍りついてしまう可能性もあることも無論承知の上である。

 しかし、このくらいでぼくを見る目が変わるような人間とは、話す価値を感じない。ぼくは自分が何をしているのか、隠さずに山内さんに話した。

「そんな兵器の開発をしてる。極端に言うと、ものすごく強い痴漢撃退ツールみたいなものだけどね」

 最後は少しおふざけを入れて、話をしてみる。山内さんは少し驚いたようではあったが、それ以上の変化はなかった。

「すごいね、辻井くん。…………それってもう動かせる?」

「たぶんね。だけど、まだ一度も起動させていないんだ。しばらくは動かしては問題点を改良して、の繰り返しになるよ」

 多少なりとも、うわべだけであるとしても、理解を得られたことにぼくは満足し、研究のことを話す。

「だったら、今この町に来てるらしいけど、それを使って倒しに行くのは無理そうだね」

「急ぐと何もかも、失敗すると思う。ゆっくりやるよ」

 ぼくはそう言った。

「でもね、私も剣道やってるから、そんなツールがなくったってそう簡単にやられたりしないからね」

 腕に自信があるらしく、山内さんはそう言ってぼくを横目に見る。

「痴漢なら逃げ出すだろうね」

 ぼくはそう答えたが、山内さんは口元で笑っただけだった。本当によほどの自信があるらしい。

「小さい頃にお父さんにしごかれたから。痴漢なら叩きのめす自信があるよ」

 ぼくは背筋に寒いものを感じたが、あえて何も言わずにおいた。やはりそれだけの実力があるということだ。そういう人がとなりに立っているとなると、やはり少し怖いものがある。

 ふと、山内さんは空を見上げた。

 何か見えるのかと思い、ぼくも空を見やる。すると、何かが空を横切って飛んでいくのが見えた。ぼくたちの向かう方向にとんでいく。

 それは飛行機ではなく、また虫でもなかった。人くらいの大きさの、虫のようなシルエットの、何かだ。通り過ぎていくときに大きな羽音をたてて、過ぎ去っていった。一匹だけの単独で、明らかに『この世界にいてはいけない存在』というオーラを放ちながら飛んでいったのだ。

 ぼくは動けなかった。山内さんの自信をうかがったときと、比ではないくらいの悪寒が走った。

 天才であるぼくが知る限り、あのような生物はこの地上に存在していない。いや、それよりもあのように大きな生物が空を飛ぶなどと! ぼくには信じられない。海外で目撃されているというUMA、それも伝承に近い存在である『モスマン』がいるとしたならば、ああいうかたちをしていたのだろうか。

 少しぼくはそれに気を取られていた。その間に、隣にいた山内さんは走り出していた。

 どこへ行くのか! ぼくは彼女を追わねばならない義務を感じた。ぼくが知るところによると男性は女性を守らなくてはならない。いかなるときもである。それでぼくは彼女を追おうとしたのだが、いかんせん彼女の足はすさまじく速かった。天才ではあるが、運動性能はそれほど高くないぼくの脚では追いつけない。

 どうやら山内さんはあのモスマンを追っているようだ。つまり、あの空とぶ怪物が校内放送で危険を報じられていた『奇怪な生物』に違いない。あれは間違いなく危険生物なのだ。彼女はアレを駆除するつもりなのだろう。

 山内さんが強いのは先ほど聞かされて知っているが、当然にしてそれは人間のレベルでの話だ。天才であるぼくにはわかることだが、あのモスマンは、そういう人間の強さの次元を超えている。だから、彼女を止めなくては危険だ。


 山内さんはどこへ行こうとしているのか?

 ぼくは必死に追いかけるのだが、なかなか追いつけない。天才であるぼくは息を切らし、痛む脇腹をおさえながら考える。すぐに結論は出た。山内さんは自分の家に戻ろうとしている可能性が高い。この状況下で、あれを倒しに行こうということを考えるわけがないではないか。人間はいざというとき、自分の身を守ろうとすることはあっても、他人を傷つけようとはなかなか思えない。躊躇するものだ。彼女はあのモスマンから、自分の家族を護ろうとしているに違いない。

 しかしぼくはインドア派の人間だ。ふだんから鍛えている山内さんのようなスポーツマンと一緒にしては困る。追いつけないどころの話ではない、息切れして、力尽きてしまいそうだ。ぼくは恥も外聞もなく、上を向いて口を開き、ぜえぜえと息を吐きながら走っている。こんな情けないところ、夏子さんに見られたら困る。

 とはいえ今はそんなことを考えている場合ではない。明らかに緊急事態なのだ。

 必死に走るぼくの隣を、パトカーがサイレンを鳴らしながら通り過ぎていくのが見えた。やはり、この先の例のアレを追いかけているのだろうか。

 肩で息をしながら、ふらふらになって歩いているぼくの前に、ふとその小さな背中が現れた。

 その後姿は、どうやら山内さんのようである。学校のブレザー、黒のタイツ、そして短い黒髪ということでやはり山内さんに違いないだろう。彼女はびくとも動かないで、崩れ落ちた廃墟を見つめていた。一体何があったのか、その山内さんの見つめている廃墟は、無残なまでに破壊されており、すでに生活感を完全に喪失している。

「山内さんっ」

 ぼくは乾いて裂傷を負いそうな咽喉の奥から声を絞って、山内さんを呼んだ。かすれた声であるが、とどいたと思う。だが、山内さんは反応しない。

 息を整えながら、ぼくは山内さんが振り向くのを待った。声は届いたはずであり、彼女はぼくがここにいることを知ったはずである。ならば、あとは待つだけだ。彼女が彼女自身の気持ちに、整理をつけるのを待つ。それでいい。何か慰めの言葉をかけようなどということも、ぼくは思わなかった。

「辻井……くん。君は、デリカシーがないね」

 山内さんは振り返らないままで、そう言った。声は震えていないし、また何の抑揚もなかった。

 彼女はゆっくりと振り返る。剣呑なほどの無表情が、その顔面に張り付いていた。そこからぼくは恐ろしいほどの怒りと、喪失感と、悔悟を読み取る。何があったのか、ぼくは訊かない。

 ぼくは黙ったままだった。

「私の……家族はどこに行ったのか知らない? このくらいで死ぬような人じゃないと思っているのだけれど。私の姉さんは」

「お姉さんがそこにいた?」

 問われて、ぼくは廃墟に近づいた。半壊したその家は、巨大なハンマーで叩かれたように外壁が吹き飛び、生活感を奪い去られている。いったいどのような未知の力がここに作用したのか、全く想像もできない。天才であるぼくの理解の範疇を超えたパワーだ。壁が壊れたことでリビングがむき出しになり、中の様子は丸見えだが、そこに黒いセーラー服が落ちている。黒いのでわかりにくいが、血みどろだった。

 びりびりに破れて、血みどろのセーラー服。ぼくはそれを拾い上げようとした。ぐっしょりと濡れた服は重たい。そのポケットに何か重いものが入っている。携帯電話と財布だ。

 それを拾って、山内さんを見た。彼女は唇を真一文字に結び、ぼくを見つめている。

「姉さんの制服」

 絞るような声で言う。ぼくは何もかけるべき言葉を思いつかなかった。死体が見つからないのが希望をもてるところだが、儚い希望はもたないほうがいい。

「ここから離れよう、ここにいるのは危険だ」

 ぼくに言えるのはそれだけだった。遠ざかっていくパトカーのサイレンが聞こえる。

 ゆっくりと山内さんは下を向いた。それから歩き出して、廃墟の中に入った。まっすぐにリビングに向かっていき、瓦礫の中から何かを拾い上げる。どうやら、木刀らしかった。

「辻井くん……」

 こちらを向かないままで、彼女はぼくの名を呼んだ。走り去るつもりであることはすぐにわかった。それを許してはいけない、ぼくは音を立てずに彼女に近寄り、その手を掴んだ。

「山内さんっ」

 行ってはいけない、とぼくは思う。

 彼女はびっくりした表情でぼくの顔を見た。

「放して」

 ぼくは手を放さなかった。この手が、彼女を押しとどめる最後の手錠だ。これが引きちぎられれば山内さんはモスマンを探して飛び出していってしまう。そして二度と戻らない、ぼくにはそれがわかる。だから、この手を放すわけにはいかない。

「来るんだ……」

 ぼくは計算していた。彼女のような直情型の人間を引きとめ、避難させるにはどうすればいい。考えていた。ぼくは天才だから、そのようなことはすぐに考え付くはずなのだが、ぼく自身も焦っているので普段のようにはいかない。いずれにしても、ぼくがこの右手に握る彼女の左手が、彼女の命綱だ。

 しかし山内さんは動かない。強情だ。

 ぐずぐずしているとモスマンがここに戻ってくる。さすがのぼくも苛立ってきた。ぼくの兵器が完成すれば、あんな奴ら、束になったって簡単に片付けられるんだ。それも完成しないまま、こんなところであたら若い命を散らしてどうなるっていうんだ。いい加減にしてもらいたい。

「来るんだっ!」

 ぼくは渾身の力で右手を握り締め、怒鳴り声を上げた。

 山内さんはそれでハッとした表情になり、しばらくしてから頷いた。強張っていた彼女の身体から、力が抜けていくのがわかる。

 くそ、とぼくは咽喉の奥で毒づいた。今度はぼくが走り出そうとする番だ。

 山内さんを引っ張り、ぼくは走った。家に戻らなくてはならない。

 ぼくより圧倒的に早く走れるはずの山内さんは、ぼくに引っ張られるままに脚を動かしている。


 山内さんの姉のものだという血みどろのセーラー服は、ぼくが左手に持っている。ぼくの身体も血に濡れてきた。しかしそのようなことには構っていられない。必死になってぼくは走る。

「つ、辻井くん!」

 山内さんが声を上げた。ぼくはその声に気付いて顔を上げる。目の前に何が降り立つのが見えた。

 うっ、と呻いて、ぼくは急ブレーキをかける。

「……ああ」

 立ち止まると、目の前に何がいるのか、はっきりと見える。ぼくよりも遥かに背が高い。2メートルくらいはあるだろう、そいつはぼくらを見下ろしている。まるで昆虫のような外骨格に全身を覆われ、背中に蝶のような羽を背負った化け物。

 顔は蝶の顔面をそのまま巨大化したようで、ストローのような口吻がぐるぐるに巻かれてくっついている。

 『蝶』? 蝶は花の蜜を吸って生きている平和な虫じゃないか。ぼくたちに何の用事なんだ。

「下がってッ!」

 山内さんはぼくをかばうように前に出た。手に木刀を持っている。

 彼女は『蝶』から敵意を感じ取ったらしい。中段に木刀を構え、敵を睨みつけている。さすがに剣道部、その構えは本格派でかなりの腕前であることがわかる。しかし、それが異形の存在に通用するものか?

「辻井くん逃げて! こいつは私が!」

 山内さんが叫ぶ。だがぼくは逃げなかった。女の子一人置いて、天才であるこのぼくが逃げたらいい笑いものだ。それに、目下の『敵』であるこの『蝶』の戦闘力を分析するためにも、ここにとどまることは悪くない。自分の命を最優先にして逃げていいのは、弱きものだけだ。ぼくは敵と戦うことを選んだ天才なのだ。退くわけにはいかない。

 『蝶』は、いきなり右腕を振り払った。

 山内さんはそれを木刀で防ごうとするが、意味がない。敵の一撃を食らった木刀はあっさりと山内さんの手から飛び、左隣の壁にぶつかった。

「うっ……」

 多分両腕がしびれたのであろう、山内さんは顔をしかめつつも後ろに下がる。

 彼女はまだ戦うつもりのようだが、ぼくにはもう敵の力がわかった。これ以上彼女を戦わせる意味はない。今の一撃を生き延びたこともすでに幸運の領域である。

 ぼくは飛び出し、後ろから彼女の襟元をつかんで引っ張った。

「逃げろっ!」

 今度は山内さんも素直に従ってくれる。彼女が走り出したのを見て、ぼくも手を放した。

 『蝶』はぼくたちを追いかけてくる。非常に速い。

 そこでぼくたちは次の交差点で右に曲がった。そこは非常に細い路地だ。敵の巨体では追ってこれない。

 小さいながらもビルとビルの間の隙間だ。どうやったってあいつの身体では入れない。山内さんとぼくは路地の中で敵の様子を窺った。視界の両側を切断するビルの壁の間から、奴は大きな体をその間にねじ込ませようとするが、無駄だ。ぼくたちはもがく『蝶』を尻目に、奥へと逃げ込む。

「辻井くん、どこへ行くつもり?」

「とりあえずぼくの家だ。ぼくの研究室に逃げ込めば大丈夫。100メートル先で核爆発が起きても壊れないくらい頑丈なシェルターになってる」

 これは嘘だが、とりあえずぼくは山内さんを安心させる必要性を感じたので、そう言ったのだ。方便である。それに今は緊急事態だ。このくらいは許されるだろう。

 ぼくと山内さんはできるだけ狭い道を選びながら、ぼくの家に急いだ。

 太陽はもう、真南にさしかかろうとしている。降り注ぐ日差しはぼくらには暑いだけだ。肌寒い冬の季節のはずなのに、ぼくたちは走り回って息切れしている。

 ようやくぼくの家が見えてきて、ぼくは安心した。山内さんもさすがに疲れがみえる。もう少しだ。

 門の前に誰かがいる。夏子さんだ。

「六郎さん! 早くおうちの中へ入ってください」

 今朝見たままの夏子さんが、ぼくを心配している。

「わかってる、夏子さんも」

 やっと戻ってきたな、という安心感。ぼくは夏子さんに挨拶するのもそこそこに、山内さんを連れてさっさと門をくぐる。

 その瞬間、背後に何かを感じた。

 何かが、やってくる。悪寒だった。逃げなくてはという本能的な直感と、夏子さんや山内さんを置いていけないという思いがぶつかりあった。

 振り返る。ぼくがそれを視界にとらえるのと、それがそこに着地するのは同時であった。地響きが鳴る。

「夏子さん! 山内さん!」

 ぼくは手を伸ばした。二人を何としても守らなくてはならないという使命感に燃えたぼくは、二人を引っつかんででも後ろに逃げさせなくてはならなかったのだ。だが、そのぼくの動きよりも、目の前に着地した『蝶』よりも、そこにいる誰よりも、夏子さんの行動が早かった。

「六郎さん!」

 彼女は信じられないほどの力とスピードで、ぼくと山内さんを突き飛ばしたのだ。あまりにも強引で、すごい力だった。

「夏子さん!」

 ぼくは声を絞って、夏子さんを呼んだ。

 山内さんとぼくは、門の前から家の玄関まで、たちまちのうちに吹っ飛んでいる。

「……六郎さん、早く中へ……」

 夏子さんはそう言うと同時に、『蝶』へと向き直った。ぼくの目には何もかもがゆっくりと見える。だが、夏子さん。

 ぼくが今すべきことはわかっている。扉を閉めて、研究室へ逃げ込むことだ。扉を閉めて。山内さんを連れて。

 しかしそうすると、夏子さんはどうなる? だがそうしなければ、夏子さんの行動の意味がなくなる。

 何もかも、わかっている。自分がどうするべきかなんてこと、ぼくが天才でなくったってきっとわかる。それなのに、ぼくは扉を閉められない。

「……なつこさん…………」

 ぼくは見てしまった。

 扉を閉めなかったその罪に対する罰としてか。最も残酷な光景がぼくの目に入った。ぼくの大切な人が赤くなる瞬間。

 人間の体がありえない方向にぐにゃりと曲がり、破れた水風船のように血を吐いていくさまを。ぼくの大切な夏子さんは、『蝶』に打ち据えられたのだ。ただの一撃で、彼女は息絶えた。

 そこに倒れた夏子さんは、もう夏子さんではない。夏子さんの死体だ。

 死体、という言葉の響きに自分でぞっとした。ぼくもそうなる。あいつに挑みかかったら!

「夏子さん、夏子さん、夏子さん!」

 不思議なことに涙が出なかった。

 ぼくは下唇を噛んだ。ぶちっと端が千切れて、血が流れ出る。ぼくは扉を閉め、山内さんを引っ張って走り出した。どん、と扉に何かが体当たりする音が聞こえた。あいつが戸を破ろうとしている。

 それにしたって、なんだってぼくたちをしつこく狙ってくるのだ、あいつは! ぼくはそう思ったが、逆に好都合だとも思った。この奥には、ぼくの研究室がある。そして、ぼくが作っている史上最強の兵器もある!

 メタルスーツ。それがぼくのつくった兵器の名だ。

 あいつらの、わけのわからない生物の、殺人鬼どもの、『蝶』のような奴らの、そいつらのためだけの、対抗兵器だ。あいつらを殺すためだけの!

「殺してやる……、殺してやるっ!」

 ぼくは背後から迫ってくる破壊音を聞きながら、研究室に向かって急いだ。多分、山内さんの家のように、廃墟にされようとしているに違いない。ぼくがこの家の中で愛着があるのは自分の研究室だけだから、他がどれだけ破壊されようが気にならない。だが、あいつらはぼくがこの世で一番大切に思っていたものを奪った。

 絶対に許すことはできない。


 研究室は地下に作ってある。

 ぼくは階段を転げ落ちるようにして下り、研究室の扉にかじりついた。大急ぎで開き、中に入ってカギを閉めた。この扉は頑丈に作ってある。山内さんに話した核攻撃に耐えうるというのはちょっと眉唾ではあるが、とにかく頑丈に作られていることは間違いないのだ。というのも、ぼくの研究や実験によって何らかの爆発が起こった場合でも、家が壊れることのないようにという意味で頑丈にしたのであるが。こういった形で役に立つとは思わなかった。

 カギをかけたあと、ぼくはやっと息を吐いて、腰を下ろした。あまりにも疲れていたからだ。脚ががたがただ。

 しかし、憎むべき敵はやってきたらしい。階段を強引に下りてきて、この扉にも体当たりを仕掛け始めた。がつん、がつんと外から激しいノックが聞こえてくる。

 だが、その程度ではこの扉は破れない。ぼくは部屋の隅へ歩き、冷蔵庫からアップルジュースを取り出して飲み干した。ようやく人心地がついた。ぼくは山内さんにも缶のアップルジュースを渡した。彼女はそれを受け取るとほとんど一息で飲み干してしまう。

「……ここが、辻井君の研究室?」

 山内さんはぼくにそう訊いてくる。ぼくは頷いて答えた。そう簡単に扉が壊されることはないということと、三か月分の食糧が常に備蓄されていることも伝えた。

「それと……ぼくの研究しているものの全てがここにある。もちろん、通信設備もある。助けを呼ぶことも可能だよ」

「そう」

 山内さんは、腰を下ろした。土足のままだが、何しろ緊急事態だから仕方がない。ぼくは咎めなかった。

 それに、今はそのようなことよりもしなくてはいけないことがある。メタルスーツを使うときがきているのだ。ぼくは朝に作っていたメタルスーツのプロトタイプへ近づいた。まだ一度も起動していない。新品だ。

 だが、どのような不具合があるのかぼくにもまだわからない。いきなり実戦というのは危険だった。

「……辻井くん……研究してた兵器って、それのこと?」

「そうだよ」

 隠す必要もないので、ぼくは返答した。

「メタルスーツと名づけた。金属フレームで人間の動きを徹底サポートさせるものなんだ。簡単に言うと、人間の運動性能を大幅に上昇させる外付けユニットみたいなもの。もちろん、いくつかの武器は内蔵させているけど」

「装着するだけで、ものすごく強くなれるヨロイって感じ?」

「……」

 ぼくは山内さんを見た。あまりよくわかっていなさそうな顔である。たぶん、彼女はあまり頭のいいほうではないのだろう。

「おそろしく端的に言うとそうだね。ただ、作ったばかりで動かしたことがない。だけど……これを使えば多分、扉の外にいるあいつを倒すことはできる。ぼくはこれを使って、夏子さんのカタキをとってみせるつもりだ」

「今から起動実験をして、それから?」

「うん」

 当たり前だ。

 悲しむ暇もなく、夏子さんを奪い取られて。ぼくは怒りも感じられないくらいに突き抜けた感情を持っていた。涙の一つもでない。噛み切った唇から流れる血だけが、ぼくの心を表してくれている。

「……辻井くん、辻井六郎くん」

「どうしたの」

 何か決心したらしい様子で、山内さんはぼくの肩に手を触れてくる。

「六郎君は、あまり運動が得意じゃない、よね」

「…………まぁね。でも、金属フレームでサポートしてくれるから元の筋力はあまり問題にならないよ」

「それでもさ、六郎君は、頭脳戦のほうが得意なんじゃない?」

 ぼくを下の名前で呼びながら、彼女はそう言う。ぼくは彼女が何を言いたいのか、察した。だからぼくは、彼女の次の言葉を待った。予想したとおりの言葉を、彼女はぼくに告げる。

「そのメタルスーツ……、私が着るわけにはいかないの?」

 まっすぐに立つ山内さんの目は、悲壮な決意に満ちていた。


 メタルスーツを山内さんが着る。その申し出は、研究者としてはありがたいものではあるが、承諾はできない。あまりにも危険すぎるからだ。

「それは無理。このメタルスーツはぼくが着る。山内さんがいくら強くても、あんな化け物と戦わせることなんて、できない」

「わかってる。六郎くんもあの夏子さんて人のカタキをとりたいものね」

「それもあるけど、それだけじゃない」

 わかったように言う山内さんの言葉に、ぼくは反論しようとした。だが、山内さんはもっと早く論を重ねて、ぼくの言葉を打ち消した。

「だけど! 私もたった一人の家族、たった一人の姉さんをとられたんだから」

 それはわかる。けれども、そんな感情的な理由だけでメタルスーツを委ねられはしない。開発者としての責任もあるし、メタルスーツはぼくが着ていかなくてはいけないのだ。

「感情論でこの兵器を君に委ねたりはできない」

「…………六郎くんも、私も、今、冷静だっていえるの?」

「……」

 ぼくはそれには反論できなかったが、反論する必要性も感じなかった。

「今扉を叩いているあいつを、ここで閉じこもってやりすごすのもいいけど。そのあとここから無事に出て、あいつにもう一度会えるなんて保証はないよ。今ここであいつを倒すしか、私たちに手はないんじゃないの?」

 山内さんはそんな理論を出した。そんなことは言われなくてもわかっている。ぼくは頷くだけで答えた。

 しかし、次の山内さんの一言はぼくの自信を揺るがしてしまう。

「六郎くん、足が震えているよ」

「…………うっ」

 思わず、ぼくは両腕で膝を押さえた。確かにぼくの膝は震えている。いけない。自分の足を叱咤するためにぼくは膝を握りこぶしで叩いた。だがそれくらいで震えは止まらないようであった。

「人にはね、得意分野ってのがあるんじゃないかな。ね、六郎くん。私がそれを使うよ。……もしそれで勝てたら、なんでも言うこと聞くからさ」

「……」

 ぼくは口をつぐんだ。ぼくは確かに夏子さんを喪ったことで強い感情を抱いているが、夏子さんの死を見た瞬間の、震えが残っている。何もかも振り捨てて死地に赴く覚悟もできているつもりだが、生理的な死への恐怖は克服されていないのだ。つまり、勇気が足りない。足が震える。

 なんて意気地なし、天才であるはずなのに、ぼくは勇ましさの全くない、男らしさのかけらもない人間だ。同年代の女の子が死地に行き、姉のカタキをとると言っているのに、ぼくの足は震えているなんて。

「なんでも言うこと聞くなんて、女の子が簡単に言うものじゃないよ」

 ぼくはメタルスーツを見下ろしながら、情けなさを誤魔化すためにそう言った。しかし、それに対する山内さんの返答はかなり勇ましかった。

「簡単に言ったんじゃない。私、それだけ何もかもを懸けて戦いに行くから。後悔しないよ」

「…………そう。それじゃあ、メタルスーツは君に預けるよ。夏子さんのカタキを、とってくれると嬉しい」

 ついにぼくはそう言ってしまった。

 ぼくの命運も、彼女の命運も、メタルスーツも、さっきまでよく知らなかったただの女の子の双肩に任せることになる。それがいいなんて当然思っていないのだが、ここではそれ以外の選択肢はない。だが正直なところ悔しい! ぼくにもっと力があれば、勇気があれば!

 けれどもできるだけのことはしてあげたい。メタルスーツを着ないことになったぼくは、通信によって彼女をサポートすることにした。スーツのヘルメット部分にマイクとイヤホンを取り付ける。

 メタルスーツはある程度小柄な体格でも着込めるようにしてある。山内さんが着てもブカブカだということはない。金属フレームの他に、金属繊維を編みこんだ布地で作られたマントも用意してある。合わせてがっちり着込んでみると、ロボットのような外見になる。しかし、予想以上に関節に自由が利かなかった。

「これ……動けないんだけど」

 ブレザーの上から重ねるように着てもらっているが、どうもダメらしい。仕方がないので二の腕の部分と腿の部分のアーマーフレームは撤去し、その部分の防御はマントと同じ布地で作ったスーツに任せることになった。アーマーが白で、マントの布地が青なのでまるっきり、テレビの中の特撮ヒーローのように見える。

 着込み終わった後に、ヘルメットをかぶってもらって完成である。ヘルメットはフルフェイスにしたかったのだが、色々と装置をつけるのに不都合なのと、首関節の自由を考えて口元は露出するタイプになった。左耳のあたりにアンテナが立ったり、バイザー部分をディスプレイにして情報を流したかったのでそのための装置をつけたりするうちに、ヘルメットもなんだか特撮ヒーロー然とした形になっている。本当はちょっと意識したのだが、山内さんには秘密にし、必要な装置をつけたらこうなったと説明した。むき出しになってしまった口元は、例のマントの布地を使ったマフラーで覆ってもらう。ないよりマシという程度であるが。

 もちろん、二の腕や腿のアーマーフレームを撤去しても筋力のサポートは変わらない。メタルスーツを装着した状態で、軽く歩き回ってもらったり、動作テストをしていく。

 大した不具合はもう見つからないようだ。

「……もう不具合はないね? 大丈夫かい、ジャンプしてみても」

「うん、もう問題ないみたい。ところで何でもいうこと聞くって言ったけど、六郎くん、何かある? できたら先に聞いておきたいのだけど」

 山内さんはメットについているバイザーを上げて、ぼくを見た。髪はメットの中に入れてあるが、後れ毛が幾つか額にかかっているのが見える。ありていに言って、彼女の顔はきれいなほうだ。彼女を自由にできるとなれば、誰でも心ときめくだろう。しかし残念ながら彼女と同様、今のぼくは冷静であるとはいえない。そのようなことより、夏子さんのカタキである、ドアをノックするモスマンを引き裂くことのほうが重要なのだ。

「どうでもいいのだけど……ああ、じゃあ一つだけ頼んでもいいだろうか、山内さん」

「うん」

 覚悟しているのか、気にしていられる精神状態でないのか、山内さんは頷くだけだった。ぼくはぼくの願いを告げる。

「次から、君の事を名前で呼び捨てにしていいだろうか」

「は?」

 突飛な願いだったのか、山内さんは目を見開く。だが、願いは変更しない。

「今後、通信で君をサポートしていくつもりだ。その度にいちいち『山内さん』なんて呼んでいられないから。キリコってだけなら三文字だけですむし」

「そ、それは別に……構わないけど、うん」

「ではキリコ、よろしく」

「………………」

 山内さん、いやキリコは非常に複雑そうな表情を浮かべた。だが不満は言ってこない。結構なことだ。ぼくだってついさっきまで名前と顔も一致しなかったような人間から呼び捨てにされたら嫌である。しかし自分で何でも言うことを聞くと言ったのだからしたがってもらおう。

「わかったよ、『六郎』。それで、どうやってあいつを倒せばいいの? メタルスーツには武装があるって言ってたよね」

 ついにぼくも呼び捨てにされた。相手が呼び捨てにするといったのだから別にかまわないだろうと思ったのか、不公平だと思ったのか、それは別にどちらでもいい。

「今メタルスーツに内蔵してある武器は、背中のブレードと、両腕のバルカン砲が基本的なところだよ」

「ブレード? 背中の……六郎、手が届かないんだけど」

 忍者のようにカタナを背負った格好になっているが、そのままでは抜けないように作ってあるのだ。ぼくはヘルメットの右耳のあたりのスイッチをひねるように言った。彼女がそれに従うとブレードの固定が解除されて少し浮き、抜けるようになる。

 背中からブレードを抜いたキリコは軽く振り回してみる。本来かなり重いのだが、メタルスーツのアシストもあってか、簡単に扱っているようだ。それを見る限り、金属フレームのサポートはかなり効いているらしい。

「…………これなら、あいつにも確かに勝てるかもしれない」

 何度かブレードを振り回した後、キリコはそれを背中に戻し、そう言った。彼らへの対抗兵器として作成したものだから当然そのくらいの働きはしてもらわないと困る。

「それから、両腕にバルカン砲がついてるって? どうやって使うの」

「安全装置をかけてある。左耳のスイッチでON、OFFを切り替えられる」

 キリコは何度か、左耳に手をやった。スイッチの位置を確認しているらしい。納得がいったところでぼくは次の説明をする。

「親指を中に入れて強く握ると、発射する。弾丸は20発しか入っていないから乱射するとすぐに弾丸が切れると思う」

「ちょっと撃ってみていい?」

「ダメ」

 安全装置に手をかけながら試しうちしたがるキリコの願いを、ぼくは蹴った。当然である。こんな部屋の中で撃ったら跳ね返った弾丸に殺されそうだ。

「それより、もしジャムが起こったら二度と撃たないでくれ。怖いから」

「ジャムって?」

「弾詰まりのこと。ぼくが一生懸命作ったけど、実際使われてる銃でもよく起こることだから、起こらないとは限らないよ。もしうまく弾が送られてこなくなったら撃つのはやめてくれ。ぼくが整備するまで」

「了解。説明は終り?」

「ああ」

 ぼくは頷いた。アームバルカンとブレードの説明だけ終れば、大体戦える。本当はあと二つだけ武器は積んでいるが、その二つは一発だけしか使えない必殺武器だ。今説明してもあまり意味がない。

「20発しかバルカンが使えないんじゃ、ブレードで戦うしかないんじゃない?」

「うん。本当は専用の装備が幾つかあるんだけど、まだ作っていないんだ。メタルフレーム本体の完成が重要だったから」

 ぼくは部屋の隅に置かれた雑多な金属類を見ながら答えた。実際に幾つかのプランがあり、追加武器が設計の段階にある。中でも貫通力のある必殺武器『カノン』は完成を急ぎたいところだ。奴らの外骨格がどれだけ頑丈でも、『カノン』で貫けないはずがない。

 今この場に『カノン』があればどれほど心強いことか。だが、まだ紙の中にしかそれは存在していない。結局キリコはアームバルカンとブレードだけで『蝶』に挑まざるを得ない。ぼくとしてはもう少し強い武器を持たせてあげたいが、かなわない話だ。まだ彼女には話していない、二つの必殺武器が頼みの綱である。

 まだ扉はしつこくノックされている。あまりにも執拗である。いくらぼくたちが彼にちょっと挑んでみたからといって、ここまで執拗に狙ってくる意味を、ぼくは感じなかった。わからないのだ。どうしてこんなに狙われているのだろう。

 ぼくはキリコに訊ねてみた。狙われる覚えがあるかどうか。

「……狙われているのは、もしかして私かな」

 あまり元気のない声で答える。

 キリコが狙われていたのだとしたら、夏子さんは彼女のとばっちりで死んだことになるからだろう。

「何か狙われるような覚えがあるのかい」

「私よりむしろ、姉さん。姉さんはすっごい頭のいい人だから。六郎もかなりすごいけどね、こんなスーツを作っちゃうくらいだから。でも姉さんもすごいんだよ。なんか新しいエネルギーを見つけたとか言ってたし」

「……」

 ぼくはその新しいエネルギー、というのがすごく気になった。同時にキリコの姉だという人も気になる。思わず血みどろのセーラー服を凝視してしまったくらいだ。

「だから、多分姉さんの研究を狙っているんだと思う。私も知ってると思って。それか、私を姉さんと勘違いしてるのかもしれないけれど」

「君と姉さんは似てるんだ?」

「双子だからね、似てるよ」

 これほど性格が違う双子もないだろうな、とぼくは思ったが、口には出さない。つまり姉は相当に頭のいい、天才だったに違いない。対するはあまり頭のよくない、そのかわりにスポーツ万能な妹、というわけだ。

「さて……もういいよ六郎。その姉さんの痛みを、彼に思い知らせてやらなくちゃ。ドアを開けて」

「まださ。彼が疲れるのを待つんだ」

 ぼくはじっと待っていた。彼が扉を叩くのはそれなりに重労働のはずだ。疲れて弱ったところを叩けば楽に倒せる。だから、ぼくはノックが止むのを待っているのである。ノックが止まったとき、一挙にドアを開いて畳み掛けていけば楽勝のはずなのだ。

 キリコは納得したらしく、メタルスーツを着たままノックされ続ける扉を見つめている。待っているのだ。

 しばらく経って、唐突にノックが止まった。引き返していくらしい足音もする。ついに彼は諦めたのだ。疲労をもって!

 ぼくは扉を開いた。そこからキリコが飛び出していく。部屋から飛び出し、右腕のバルカンを放つ。心地よい破裂音が鳴り響き、弾丸が発射される。フルオートになっているので、マシンガンのような連発となる。10発くらいは発射されたはずだ。

 バルカンが撃たれた瞬間、ぼくは慌てて身を縮めていた。どこに跳ね返るかわからないバルカン砲だ。とばっちりを食いたくない。しかし、どうやらはずれた弾は壁に食い込んでくれたらしく、跳ね返って飛び回る気配はない。

「うあっ……ああぅ……」

 バルカン砲を食らった敵は、背中から体液を吐き出している。やはり効いている! いかに外骨格に覆われた正体不明のモスマンといえども、この天才の作った武器の敵ではないのだ。

「待てッ!」

 モスマンは階段を上り、逃げていく。キリコもそれを追う。

 ぼくは深追いしないようには言わなかった。キリコもぼくも、ここで奴を倒すことが望みだからだ。夏子さんと、キリコの姉さんを殺した相手を、逃がしてたまるものか!

 地下から一階へ上る階段を抜けて、ぼくたちは家の廊下に出た。なんと、窓側の壁が破壊されていて青空が直接拝める。どれだけ派手に破壊しながら地下へやってきたのだ、この化け物は。

 警察はどこにいるのだろう、何をやっているのだろう。あれほど長い間この化け物はノックをし続けていたというのに。まだここを見つけられないのか、とそこまで考えて、ぼくは家の外にパトカーが何台か並んでいるのを見つけた。そのパトカーが、どれもまるで崖から転落したかのようにべこべこに傷つき、窓ガラスもヒビだらけになっている。そのうちの一台は窓ガラスにべっとりと赤い液体をぶちまけていて、なにかとてつもなくいやなにおいがする。血の臭い、というものではない。動物の内臓のにおいというのが一番正確な気がする。

 こいつ、モスマンは駆けつけた警察官を殺したのか。そう思って彼を見てみると、夏子さんのものとは違う血液がその手を染めている。それも、べっとりと。

 ぼくは気分が悪くなった。解剖実験でそういった内臓とか人間の体の中身とかは見慣れていると思ったが、やはり医学的なものを含んで見るものと、昨日まで笑っていたはずの人間の中身をただぶちまけられているすがたを突然見るのでは、違いすぎる。だが、キリコはそうした様子もなく、ただモスマンを見つめている。『蝶』を見ている。

 モスマンは一階にでると庭に飛び出し、そこに踏みとどまった。金持ちの家らしく、ぼくの家の庭は広い。大体20畳くらいの広さはあるだろう。すでにモスマンによってかなり踏み荒らされ、血のついた人間の体があちこちに落ちている。

 つまり彼は、バルカン砲を避けることのできる広い空間にキリコを誘い出した、といえる。だが、アームバルカンだけがメタルスーツの武装なのではない。キリコは右耳のスイッチに手をかけ、背中からブレードを抜いた。

「……くっ」

 スーツが邪魔になるのだろうか、キリコは正眼に構えられない。ブレードは日本刀とは違うのだが、剣道部であるキリコは同じように扱いたいのだろう。

 ぼくはアドバイスをいれることにした。すでにぼくはインカムをつけている。手元のスイッチをいれれば、メタルスーツのヘルメットに仕込んだイヤホンとマイクにつながり、会話が可能になる。なお、ぼくは一階へ続く階段の途中で、顔だけ地上に出して周囲を見ている状況だ。もっとキリコたちに近づきたいが、怖いので遠慮している。

「キリコ、ブレードはカタナとは違う。そのブレードはかなりの重みがある上に、刃の部分には特殊な加工がしてある。普通の人間の指くらいなら、触るだけで千切れとぶくらいの破壊力。剣道のように気合を入れて踏み込みと同時に繰り出す、なんていう必要性は皆無だからな」

『……わかったよ』

 キリコの返答が、インカムから聞こえる。ちなみにこの通話のON、OFFはぼくが操作することになっている。つまり、ぼくからキリコを呼ぶことは可能だが、キリコからぼくを呼ぶことはできない。常時通話状態にしているので特に問題はないが、ぼくだけが都合の悪いキリコの言葉を聞かずにすむということだ。

「がんばれ、キリコ」

『わかってる。黙ってて』

 キリコはそれっきり、黙ってしまった。どうやら集中しているらしい。ぼくは通話を切って、オペラグラスを取り出した。キリコの戦いぶりを見届けなくてはならないからだ。

 ブレードを構えるキリコと、圧倒的な破壊力を持つモスマンが対峙している。

 仕掛けたのはモスマンが先だった。彼は自信があるのか、右腕を振り上げて、いっきにキリコを振り払おうとした。夏子さんはこれをくらって、ひしゃげるように体がへし折れてしまったのだ。キリコはこの攻撃を回避した。ブレードで受けることも出来たはずだが、避けることを選んだらしい。

 モスマンは連続で攻撃を仕掛けてくる。一気に畳み掛けるつもりのようだ。しかし、ブレードをもったままのキリコも、それを食らってしまうほど気を抜いてはいない。器用にステップを踏み、後ろに下がりながらではあるが、ひょいひょいと攻撃をかわしていく。

 だが、キリコは地面を見る余裕がなかった。彼女は死体を踏み、バランスを崩してしまったのだ。

「うっ」

 突然やわらかくなった地面に戸惑う。その瞬間、ブレードがはじかれた。取り落としはしなかったが、右手が大きく開いてしまう。

 あわててぼくは「下がれっ!」と叫んでしまったが、通話がOFFのままだった。空しくぼくの声がカラ回る。キリコはバランスを崩し、尻餅をつくように地面に倒れこむ。そこに飛び掛るモスマンが見える。絶好のチャンスと見たのか!

 思わずぼくは目を閉じた。が、おかげで大切な瞬間を見逃した。

 後悔した。視界を黒に閉ざしたぼくの耳に届いたのは、連続する破裂音だったのだから。銃声だった。それも、ぼくの作った!

 モスマンの右腕が、千切れて空中に彷徨い、そして落ちた。妖しい色の体液を吐きながら、腕が転がっていく。

 もちろん、今腕を失ったその怪我人の前にはメタルスーツを着込んだキリコがいる。左腕をモスマンに突きつけた格好のままで。

 彼女の唇が動いているのを見たぼくは、あわてて通話をONに切り替えた。

『……そう、聞こえる? 20発しか弾丸がないなんていうから、確実にぶち当てる方法を考えてたの』

「誘ったのか」

 敵の直進的な動きを誘って、そこに弾丸を撃ち込むという作戦だったらしい。彼女が笑った。うまく作戦が決まったからであろう。

 狼狽しているのはモスマンだ。いきなりの反撃をもらって、右腕を失い、羽もかなり傷つけられている。

「ぐっ、ぉっ、おお……」

 わけのわからない呻き声をあげながら、モスマンは左腕を振り上げた。最後の一撃を見舞うつもりか。が、キリコはすでに冷静になっている。ブレードの切っ先を下げて下段に構え、モスマンの動きを見つめていた。

「しゃああ――っ!!」

 道連れにしようとするような、鋭い攻撃だ。モスマンは最後の振り下ろしの攻撃をキリコに打ち込んだ。

 その重い一撃を、キリコは横からとらえる。メタルスーツの援護もあるのだろうが、さすがの判断力。下から振り上げたブレードで、あっさりと敵の左手も切断した。直後のスキをも見逃さず、振り上げたブレードをすぐさま攻撃に持ち直す。同時に吹っ飛ぶように前進。強烈な踏み込みと共に薙ぎ払うような一撃を見舞う。

「逆胴――ッ!!」

 両腕を切断され、何もできないモスマンは胴体にブレードを食らった。左側面からバックリと切られ、深く傷ついている。今度は彼自身が、自分の体液に濡れる番だ。彼は呻きながら大暴れをしたが長く続くはずもない。大量の体液を失い、ふらふらにゆれながら膝をついてしまう。

 ブレードを振りながら駆け抜けたキリコはきっちりと残心を決めている。もう一度敵に向かってきっちりと構えなおし、闘争心が残っていることをみせているのだ。剣道の試合ではもちろん大切なことだが、実戦でもその心構えはさすがというか。こうしてみると自分がメタルスーツを着なくてよかったと思うことのほうが多い。悔しい話ではあるが、餅は餅屋ということか。

「キリコ、とどめを刺そう。両肩にそれぞれ一撃必殺の武器を内蔵してある。どちらでも好きなほうを使うといい」

『なんで最初から使わせないの』

 やっとフィニッシュの武器が使える、ということを説明するとキリコは不満そうになった。だがそれぞれ一発ずつしか使えないということがわかると、その不満も少しやわらいだようだ。使い方を簡単に説明すると、キリコは無言で血振りをし、ブレードを背中に仕舞いこんだ。そして、『両肩』に手をやる。

「ちょっと待て! 両方一気に使う気か!!」

 ぼくは思わず叫んでしまったが、キリコは聞く耳をもってくれない。

『姉さんのカタキ!!』

 マントに隠れていた両肩の発射口が持ち上がる。まず左の肩から光が放たれた。ビーム砲だ。超大出力レーザーで、敵を熱線で焼き殺すことが可能である。これに当たったモスマンの体が激しい炎に包まれる。

 そこまで見届けたところでぼくは通話を切って階段を下りた。なぜなら右の肩に仕込まれている武器は小型ミサイルだからだ。これはただ破壊力のあるミサイルというだけで特に変わった点はない。だが、爆発に巻き込まれるのはごめんだ。そう思った瞬間、頭上を爆風が通り過ぎていった。ぼくはインカムの上から耳を塞いでいたが、それでもすごい爆音が轟いている。

 爆発がおさまったところで、ぼくは階段を上り、再びオペラグラスでキリコの様子を窺った。通話をONに戻し、呼びかける。応答がなかった。

 だが、キリコはメタルスーツを着たままで、そこに立っていた。メタルスーツの重みと筋力補助で、あの爆風の中を立っているのはさほど苦ではなかったのか。ぼくの家と塀は半分くらい傷つき、ぼろぼろだがもはやそのようところは誰も気にしない。

 そして憎むべき敵はというと、熱線の炎とミサイルの爆発で原形をとどめないほどに吹っ飛んでいた。それを見とどけて、キリコが自分でヘルメットを外す。その表情を見る余裕もない。キリコはぼくに向かってつかつかと歩いてくる。無表情そのもの。カタキがうてて嬉しくないのか、と思ったが、ぼくも実はあまり嬉しく思っていない。汗にまみれた顔で、彼女はぼくにメットを押し付けた。それからスタスタと階段を下りて、行ってしまう。

 ぼくも後に続こうと思ったが、一言だけ下から声が聞こえた。

「六郎、ちょっとだけ一人にしてくれる?」

 その一言はぼくの足を止めるのに十分だった。

 ぼくはヘルメットを抱えて、一階に戻る。彼女が何をしたいのかぼくにはわかるからだ。

 父さんにこの状況を説明しなくてはならないし、警察への対応もしなくてはならない。ぼくは腰を下ろして、携帯電話を取り出した。父さんへ電話するなんて久しぶりのことだ。呼び出し音が鳴る。

 血の臭いと火薬の臭いがたちこめている。ぼくは深呼吸をする気分になれない。

 父さんとぼくが話している間、地下から女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。

『六郎、泣いているのか? 安心しろ、父さんもすぐにそっちに戻るから。母さんにも俺から連絡する』

「大丈夫、ぼくは泣いてない。一緒に逃げてきた女の子がちょっとね」

 どうやら電波の向こう側にまで、キリコの声は聞こえてしまったらしい。ぼくは慌てて説明した。

『夏子さんはどうした? そこにいないのか?』

「ああ、夏子さんは……、夏子さんはぼくを逃がそうとして……」

『泣くな、男の子だろう。いつまでも閉じこもって機械をいじっているからそうなるんだ。お前はその女の子を護ることを考えるべきだろう、泣くんじゃない』

「泣いてないよ」

 ぼくは父さんの言葉にそう答えた。泣いてないさ。ぼくは泣いていない。

 頬に冷たいものがつたっていくのを、ぼくは錯覚だと思いたかった。

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