【第4話】スパダリには屈しないが関係は変わるものだ
ホームルームが終わり担任の先生が教室から出ていくと、一気に熱が戻ってきた。教室内は、善通寺晴の存在によって引き起こされた熱狂と嫉妬が入り混じったカオスだ。
「やばい、総代が幼馴染ってどういうこと? しかも、名前呼び……」 「しかも、見てよ。あの松山さんって子身長高いよね、お似合いじゃん」 「いや、逆にあの高身長を『守る』って、どれだけ余裕あるのよ……」
クラスメイトの視線は、先ほどまで「高身長で目立つ子」に向けられていたものから、「総代という完璧な貴公子に守られているヒロイン」に向けられたものへと、明確に変わっていた。それは七年間私が最も恐れていた「目立つこと」だが、同時に「嘲笑の対象」からは外れるという、今までの経験にない奇妙な平和をもたらしていた。
「瞳ちゃん、やったね!」
隣に座る美湖が私の体を揺さぶった。美湖は完全に目をハートにし、興奮で顔が赤くなっている。
「どういうこと?久しぶりの再会でいきなり神対応だよ!? ねぇ、さっきの囁き何て言われたの!? 秘密の愛のメッセージ!??」
「ちがっ…大したこと言われてないよ……」
私は動揺を悟られないように声を絞り出した。晴の「僕が守るからね」という言葉は、愛のメッセージなどではない。むしろ、それは七年前の過ちを二度と繰り返さないための、彼自身への絶対的な誓い、そして私への歪んだ保護の宣言だ。その完璧な優しさには、私をもう二度と手放さないという、冷たい執着がにじみ出ている。
「瞳ちゃん、顔が赤いよ。照れちゃってさ! あたしは最高のラブコメの観客だねぇ」
美湖の無邪気な擁護はありがたい。彼女の存在のおかげで、私はクラスの視線から完全に孤立せずに済んでいる。しかし、美湖が期待する「ラブコメ」などではない。これは、七年前の罪を償うために後天的に作り上げられた、偽りのスパダリという仮面との戦いなのだ。私はあんな後天的なスパダリには絶対に屈しない。
担任の先生が戻り、第一回目のホームルームのメインイベントである委員会決めが始まった。
「さて皆さん。この春青学園ではクラス運営を円滑に進めるため、各委員会に代表を立ててもらいます。まずは学級委員から。誰か立候補はいますか?」
一瞬の静寂。
私は猫背になって、さらに自分の存在を消そうと必死だった。目立たない。それが私の絶対的なルールだ。
その沈黙を破ったのは、教壇のすぐ前に座る完璧な貴公子、善通寺晴だった。
「はい、先生。学級委員長に立候補します」
彼の声は低く落ち着いていて、それでいて誰にも文句を言わせないだけの「カリスマ性」を最初から確立していた。クラスからどよめきが起こる。「やっぱり総代だ!」「これでクラスは安泰じゃん!」
晴は、優雅な動作で立ち上がると、そのまま私の方を振り返った。その視線が、正確に、後方に座る私を射抜く。
「そして、副委員長には、松山瞳さんを推薦します」
「……え?」
私の思考が一瞬で停止した。クラス全員の視線が、再び私に集中する。
(嘘でしょ!? 最も目立つ役職じゃない! なんで私を!?)
「ちょっと待って、善通寺くん。なぜ松山さんを推薦するんだ?」先生が尋ねる。
晴は、まったく動じることなく、優雅な微笑みを保ったまま、一言で、その理由を言い切った。
「彼女は、僕の幼馴染です。そして、この新しい環境で、僕が最も安心できる場所にいてほしい。――ただ、それだけです。彼女が隣にいるなら、僕は完璧な仕事ができる。彼女は、僕にとって欠かせないパートナーです」
クラスから、先ほどとは違う熱烈なロマンスの波動によりざわめきが起こる。 「えー!めっちゃストレートじゃん!」「おもっくそ私情挟んでるぞ総代!」「松山さん、愛されすぎでは!?」
私は羞恥と怒りで全身が震えた。彼は私の過去のコンプレックスを人質に取るだけでなく、今度はクラスの熱を利用しようとしている!
「松山さん、どうですか? 善通寺くんの推薦、受けてもらえますか?」
先生に促され、私は立ち上がらざるを得なかった。
「い、いえ、私は辞退させていだきます!人前に出るのが得意じゃありませんし、委員会の仕事は……」
私の拒否の言葉に、晴はわずかに目を細め、拒否を許さない明確なトーンで告げた。
「瞳がこのクラスの平和な高校生活を望んでいるなら、僕の隣にいるのが一番だよ。」
彼の言葉は、私の心の奥底にある「平和への渇望」を人質に取った、完璧な誘導だった。
「そうだよ、瞳ちゃん!総代のそばなら絶対安心だよ!」「断るなんて可哀想だよ、総代がこんなにストレートなのに!」
(お...終わった...)
周囲の期待と、面白がっている視線、そして善通寺晴の持つ謎スキル『スパダリの権威』が、私を断崖絶壁に追い詰める。私は、屈辱に唇を噛み締めながら、絞り出すように答えた。
「……わかり、ました。善通寺くんのサポートとして、努めさせていただきます」
「ありがとう、瞳」
晴は、私の承諾に、心底満足したように、目を細めて微笑んだ。その微笑みは私に向けられた感謝ではなく、まるで「僕の計画通りだ」と囁いているように感じられた。
その日から私の高校生活は、善通寺晴という名の「支配者」と共に始まった。最初の仕事は、委員会で使う資料の整理とクラスの目標を掲示するための準備だ。
放課後の教室で私たちは二人きりで残っていた。私は、出来る限り晴から距離を取り資料整理に没頭しようとする。
「松山さん、その資料古い年度のものと新しい年度のものが混在しているね。僕が年度順にソートするから、君は必要な部分だけマーキングしてくれないかな?」
晴は、私の席の隣ではなく、少し離れた教卓に座り、まるで無機質なロボットのようにテキパキと仕事をこなしていく。彼の動作には無駄がなく、指示は的確で分かりやすい。私は、彼の優秀さを嫌でも認めざるを得なかった。
(くそっ、コイツ、本当に完璧でスキがない。昔は泣き虫小僧のくせに…)
私が背伸びをして棚の上にあるファイルを取ろうとしたときに事件は起こった。高身長の私でも背伸びが必要な高い棚だ。私はバランスを崩しそうになり、体がグラッと揺れた。
次の瞬間、私の背中に硬く温かい壁が触れた。
「危ないよ、瞳」
晴はいつの間に移動したのか私のすぐ後ろに立ち、私を支えていた。そして、手が届かなかったファイルに何事もないかのように手を伸ばし、何の苦もなく取ってしまった。
その動作は、一連の流れの中で行われ、私が「背が高すぎてバランスを崩した」という事実を誰にも見られずに処理してしまった。
「ありがとう…」
私は、彼の完璧な気配りに不覚にも少し心が溶かされるのを感じた。
彼は、ファイルを手渡すとすぐに一歩距離を取った。
「ごめんね、つい。君の背の高さを最大限に活かすなら僕がサポートした方がいいでしょ?」
彼は、私のコンプレックスを「弱点」として扱わず、それをサポートするのが「当然の役割」だと言い切った。その言葉の力強さと、彼の背の高さがもたらす安心感に、私の心の防壁に、微かな亀裂が入る。
(この人の優しさは、計算だ。でも、その計算が、私を誰よりも安心させているのかも……)
彼の完璧な「スーパーダーリン」な振る舞いは、私が七年間望み続けてきた「盾」そのものだった。
資料整理が終わり、夕焼けが教室を赤く染める頃。
私は、もう逃げられないことを悟っていた。彼の完璧な優しさが、私を彼の隣に縛り付けている。
「善通寺晴!一体、何をしたいのよ!? 委員長と副委員長なんて、私をあなたの隣に縛り付けるための、ただの口実でしょう!」
私の怒りの言葉に、晴は静かに私の方を向いた。
「縛り付ける? そう聞こえるなら、仕方ないね」
彼は、教卓から降り、私に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。彼は、私が抵抗する間もなく、机の角を掴んで立ち止まる。その距離は、息がかかるほど近く、しかし触れられないほど遠い距離感だ。
彼の高い身長が、夕焼けの光を遮り、私の視界には彼の顔の輪郭が影になって落ちる。七年ぶりにこんなに近くにいる彼の視線は、熱を帯びていた。
「瞳。僕は君を縛り付けたいわけじゃない。ただ、七年前君にひどいことをしたことを後悔してるんだ。あと、どうしても君に伝えたいことがあるんだ」
彼の瞳は、真剣で、微塵も嘘を宿していなかった。
「君のコンプレックスを『弱点』じゃなくて『魅力』なんだよ。それを知って欲しいんだ。君が僕の隣にいる限り誰も君を傷つけられない。僕が君の高校生活の盾になるよ」
彼は私の頬の横に手を伸ばし、その大きな手のひらで私と彼の間の空間をゆっくりと覆う。まるで、私を外の世界から隔てるガラスの壁を作ったかのように。
そして、彼は声を一段と低く、静かな確信を込めて告げた。
「瞳。僕は、七年前に瞳が好きって言ってた『スーパーダーリン』に成れたと思うんだよね。この七年間、君のことだけを考えて生きてきた。――だから」
彼は、一瞬、ためらった。その一瞬が、彼の完璧な仮面を崩す、人間的な感情の揺れを見せた。
「僕は、瞳のことが、好きだ」
私の思考回路は、彼のストレートな告白によって完全にオーバーヒートした。これまでの憎しみ、動揺、そして、私の理想になるために努力し続けてきた事実、彼の優しさへの安心感。全ての感情が、目の前の「好き」という言葉で一つに収束し、私の中で爆発した。
「……ま、待って!」
私は、反射的に彼の胸に手を当て、それ以上近づくのを制した。私の手のひらが触れた彼の制服の下の胸板は、七年前の頼りない彼からは想像もつかないほど、硬く分厚い。
「唐突すぎるよ晴!私はまだ、七年前のあなたの最低な言葉と、今のあなたの完璧すぎる優しさの、どちらを信じたらいいのか、何も考えられない…!」
私の言葉は震えていた。これは拒絶ではない。ただ、目の前のあまりにも強すぎる感情の波に溺れることを恐れた、切実な叫びだ。
晴は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな微笑みに戻った。
「わかった。じゃあ、返事は保留でいいよ。でも、君が僕の隣にいるという事実は変わらない。僕が君の盾になることもね」
彼は、私の頭にそっと触れるか触れないかの優しい手つきで触れ、すぐに引いた。その触れられない距離がかえって私の心をざわつかせる。
私は、彼の優しさが作り出すガラスの壁の中に閉じ込められたまま動けずにいた。
(好き?この人が、私を……? 嘘だ。七年間憎み続けた相手が、突然私の最も望む形で現れて告白するなんて、そんなのおかしい)
しかし、彼の視線には、切実な後悔と私を失いたくないという純粋な執着が混ざっているように見えた。その告白は、私の心の防壁に決定的な亀裂を入れた。
憎しみと、彼に守られている安心感。そして、新たに加わった「恋」の感情。私は、この激しい葛藤に息苦しくなる。
私は、彼の肩を、静かに突き放した。
「わかったわ。返事は保留。私の高校生活をあなたの都合で決めるなら勝手にすればいい。委員会の仕事も、あなたの隣にいることも全部受け入れる」
私は彼を真っ直ぐ睨みつけた。憎悪の炎ではなく、迷いと動揺、そして「新しい関係の始まり」を恐れる感情が瞳の中で揺らめく。
「でも、覚えておいて晴。私は決して、七年前のあなたを許したわけじゃないから」
晴は、私の激しい拒絶を聞いても、動じることなく、ただ満足そうに微笑んだ。
「ありがとう、瞳。それだけで十分だ」
彼は、私に背を向け、静かに教室のドアに向かった。その去り際、彼は立ち止まり、私の方を振り返った。
「返事、ゆっくりでいいからね。僕はずっと待っているよ」
私は、彼の背中を見つめながら、全身の震えが止まらないのを感じた。
(憎いって思うんだけどな...でも彼の隣にいた時の安心感は嘘じゃない。七年かけて彼は本当に私の理想をなぞってきたんだ……。私は、どうすればいいんだろ?)
彼の優しさが本物か偽物か。そして、私が彼の「好き」をどう受け止めるのか。激しい葛藤が私の心の中で渦巻いていた。
帰宅後、私は自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。夕焼けの教室での晴とのやり取りが、エンドレスリピートで頭の中を駆け巡る。
「唐突すぎるよ晴!私はまだ、何も考えられない…!」
彼の告白と、保留した返事。そして、彼の「待っている」という静かな声。
私はスマホを取り出し、美湖の名前を探し、迷わず発信ボタンを押した。今は、この混乱を言葉にして、誰かに聞いてもらう必要があった。
プルルル……プルルル……
「もしもし、瞳ちゃん?どうしたの、こんな時間に!?」
美湖は少し眠そうな声だったが、すぐにハッとしたように声のトーンを上げた。
「も、もしかして、善通寺くんとのことでしょ!?今日ずっとソワソワしてたじゃん!」
「美湖……聞いて」
私は、深呼吸をして教室で起こったことを一つ一つ美湖に話した。晴が告白してきたこと、彼のこれまでの努力、そして私が返事を保留したこと。
美湖は、私の話を一言一句聞き逃すまいと、時々「ひぃ!」「うそでしょ!?」と奇声を発しながら、最後まで黙って聞いてくれた。
「……で、私は今、どうしたらいいのか、全然わからないの。憎く思っているのに、彼のそばにいると誰にも馬鹿にされない気がするの。彼の優しさが本物みたいで…」
美湖は電話の向こうで深く息を吸い込んだ。
「ねえ、瞳ちゃん。まず一つ、はっきり言ってもいい?」
「うん……」
「それって、最高のラブコメじゃん!」
「ラブコメって、そういう問題じゃなくて!」
拍子抜けな答えが返ってきて少し冷静になってくる。
「まあまあ、聞いて。ねぇ、瞳ちゃんはさ、善通寺くんを『憎い幼馴染』として見てたけど、その『憎い幼馴染』が瞳ちゃんが理想とする『スーパーダーリン』を七年もかけて実際に成って、瞳ちゃんにまっすぐ『好き』って言ったんだよ?」
美湖の言葉は、単純なのに、私に決定的な何かを気づかせた。
「あの時、瞳ちゃんを傷つけた昔の晴は、もういないんだよ。今、瞳ちゃんの前にいるのは、瞳ちゃんに裏切った罪を償うために生まれてきた新しい晴、つまり、瞳ちゃんの理想の男ってことじゃん」
美湖は続けた。
「瞳ちゃんが、彼の告白を『唐突すぎる』って思ったってことは、瞳ちゃんの中にも、彼がもう嫌な幼馴染ではないっていう感情が芽生え始めてるってことだよ。だって、本当に嫌いな相手なら、返事なんか保留しないで即座に拒絶するもん」
私は、言葉を失った。美湖の言葉は、私の心の最も奥深くにあった真実を、正確に言い当てていた。
憎しみに凝り固まっていたはずなのに、彼の優しさに触れたとき、私の心は動いた。彼を拒絶する「憎悪」ではなく、彼の優しさを信じるべきか迷う「動揺」が勝ったのだ。
「……私、もう七年前の彼の言葉に縛られるのはやめる」
私は、美湖の言葉に背中を押され決意を口にした。
「彼が七年かけて作り上げた仮面が、偽りでも本物でも、関係ない。彼はもう、私を傷つけた嫌な幼馴染ではない。私は、この『新しい晴』との、新しい関係を始めるんだ」
「その意気だよ、瞳ちゃん!応援してる!あたしが特等席で見守るから!」
美湖の明るい声を聞いて、私の心の中にあった激しい嵐が、ゆっくりと鎮静していくのを感じた。
私は、彼の背中を見つめながら感じた全身の震えが、憎しみから始まる恋の予感だったことを悟った。
(晴。返事は保留だけど、もう私はあなたをただの幼馴染として憎み続けることはできない。私たちは、もう変わったんだね)
私の高校生活は、憎むべき過去を持つ彼とのじれったく歪んだ新しい関係の始まりを告げた。




