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【第3話】スパダリは堂々と外堀を埋める

体育館の熱狂と、善通寺晴の最後の唇の動きが残した衝撃から逃れるように、私は美湖の手を掴み、そそくさと入学式会場を後にした。


「瞳ちゃん、すごいよ!善通寺くん、まさに神様が作ったイケメンだよ!あの顔であの身長でA組って、もう漫画の主人公じゃん!ねぇ、瞳ちゃん、どこ行くの!?」


美湖は興奮のあまり、全身を使って表現する鳥の雛のようになっている。彼女は全身からポジティブな光を放ち、その光が逆に私の暗い心情を強調しているように感じた。


「とりあえず、クラス……。早く席について、誰もいないところで息を整えたい」


私の声は、自分の鼓動の音にかき消されそうだった。逃げたい。今すぐこの春青学園から。七年間逃げ続けたのに、この最高のスタート地点で、最悪の幼馴染に捕まった。しかも彼は、私を傷つけたあの時とは違い、私の理想そのものとして目の前に現れた。


(衝撃過ぎて変な気分になってきた...)


思わずため息がこぼれた。


教室棟に着くと、クラス発表の掲示板が目に飛び込んできた。


「えーと、松山瞳は……あった!一年A組!美湖は?」


「わー!あたしもA組だ!やったね、瞳ちゃん、一緒だよ!」


美湖は、運命的なクラス分けに心底喜んでいるが、ある事に気づいた私の心は真逆に落ち込んでいく。A組は、新入生総代の善通寺晴と同じクラスだ。つまり、これから一年間、私は毎日トラウマであり理想である彼の完璧な「スーパーダーリン」の姿を見せつけられながら過ごすことになる。


教室に向かう足取りは重い鉛のようだ。教室の扉を開ける前、美湖が「よし、頑張ろうね!」と無邪気に私を見上げた。その屈託のない笑顔が、私を現実から引き戻す唯一の綱だった。




一年A組の教室は、自由な校風を反映してか、早くも生徒たちがざわつき、自己紹介を始めていた。私は、なるべく後方の、窓際から一番遠い、壁際に近い席を選びたかった。目立たない、静かな、安心できる場所。


しかし、美湖がそれを許さなかった。


「瞳ちゃん、いくよ!席は早い者勝ちだもん!」


美湖は、私の長い腕を引っ張り、教室の空気を切り裂くように中央へ突進した。教室にいた生徒たちの視線が、一瞬、私たち二人に集中する。特に、私の高身長に。


(ヤバい、ヤバい、ヤバい!見られてる!縮め、私!存在を消せ!)


私は無意識に背中を丸め、顔を伏せた。しかし、美湖はそんな私の動揺に気づかず、むしろその視線を楽しんでいるかのように、空席を見つける天才的な能力を発揮した。


「ここ!私たち、ここにしよ!前から二列目の、窓側とその隣で隣同士になろーよ!」


美湖が指差したのは、前から二番目の席。そして、その席の前、つまり一番前の列の窓際には、すでに一人の男子生徒が、まるで教室の主のように優雅に座っていた。


善通寺 晴だ。


彼は、教壇の先生を待っているのか、背筋を伸ばし、組んだ指先に顎を乗せている。彼の茶髪は、窓から差し込む春の柔らかな光を受けて、まるで琥珀のように輝いていた。その姿は、周囲の生徒たちの間で囁かれている「噂のイケメン」そのものだった。


美湖は、その晴の姿を一目見るなり、目を輝かせ、吸い込まれるように席に着くやいなや、先ほどとは打って変わって小さい声で古書古書と話しかけてきた。


「わあ!善通寺くん、本当にいるんだね!同じクラスとか、超ラッキーだよ、瞳ちゃん!」


(……ラッキー、じゃない。最悪だ)


私は心の声が漏れないように、唇を噛み締めた。そして、彼の真後ろの窓際席にそっと腰を下ろした。美湖はその隣だ。彼の後ろの席で本当に良かった。しかし、この距離感は、あまりにも近すぎる。私は、自分の存在感を最大限に消すため、必要以上に小さく、小さく、縮こまろうとアタフタした。


(呼吸を浅く!動くな!目を閉じるな!でも、視線を感じる!見られてんのかな?刺さってくる視線が痛い!)


ただただ時間が過ぎるのを待つことにした。




「ねぇ、善通寺くん、だよ……ね?」


美湖は、躊躇という言葉を知らない。彼女は、席に着くやいなや、私たちの斜め前に座る晴に、まるで旧知の友人に話しかけるかのように、弾んだ声で声をかけた。


晴は、静かに振り返った。その動作すら、訓練された優雅さがあり、まるで映画のスローモーションを見ているようだ。その美しい茶髪の貴公子然とした彼と、小動物のように愛らしい美湖。完璧に絵になる光景だった。


「はい、善通寺晴です」


彼の声は体育館で聞いた通りの、低く落ち着いた、包容力のあるトーンだった。


「わー!やっぱり本物だ!あたし、阿波美湖です!隣の席の子は松山瞳ちゃん!私たち、隣同士で、早速仲良くなったんだ!よろしくね!」


美湖は、私の手を勝手に掴んで持ち上げ、晴に握手を求めた。私は反射的に手を引っ込めようとしたが、美湖の力が強すぎて間に合わない。


(美湖!バカ!余計なことしないで!!)


晴は、差し出された美湖の小さな手を、一瞬も迷うことなく、丁寧に握った。


「阿波さん、よろしく。そして、瞳、久しぶり」


「……っ」


私の名前を呼んだ。しかも「松山さん」ではなく「瞳」。七年前と同じ、親密な呼び方で。


私の全身に、電流が走ったような衝撃が走る。 その瞬間、美湖の興奮した声が、一瞬で固まった。


「え、ちょっと待って!善通寺くん、なんで瞳ちゃんだけ名前呼びなの!?さっきあたしのことは『阿波さん』って言ったのに!」


美湖は目を丸くし、私と晴を交互に見る。教室の周囲で、さらに小さなざわめきが大きくなるのが分かった。皆が私たちの席に注目している。


晴は、まったく動じることなく、握手している右手の甲に手を重ねながら、美湖の質問に穏やかな微笑みで答えた。


「ああ、ごめんね、阿波さん。彼女とは七年間、庭続きの家で育った幼馴染なんだ。つい、昔の呼び方が出ちゃったんだ」


(う、幼馴染!?そんなこと、周りに言うな!)


その言葉で、教室のざわめきは、さっきまでの「噂のイケメン」への好奇心とは違う、嫉妬と興奮が混ざった明確な「騒ぎ」へと変わった。彼と私の関係性が、全クラスメイトに一瞬で伝わってしまった。


美湖は、晴の顔の良さと手の温かさに、完全に魂を抜かれていた。


「瞳ちゃん、見て、見て!あの神対応!顔が良いだけじゃなくて、性格も完璧だよ!ああ、もうこの学校選んで良かった……!」



美湖は「スーパーダーリン」のいる世界へ、唐突に放り込まれてしまったのだ。




===スパダリの世界へようこそ。===





ホームルームが始まり、担任の先生がプリントを配り始めた。その先生もまた、生徒の自主性を重んじる春青学園の教員らしく、穏やかで柔和な笑顔の女性だった。


クラスメイトが後ろからプリントを回していく。A4用紙の束は、私の手が大きいせいか、いつも扱いが雑になってしまう。


(慎重に、慎重に……)


そう思っていた矢先、晴から受け取ったプリントの束が、私の指先からツルッと滑った。滑った先は、美湖の教科書の上。そこには、担任が配布したばかりの、重要事項が書かれたプリントが広げられている。


「あっ……!」


私はパニックになった。私の手が大きいせいで、すぐにプリントの角を掴んでしまうせいで、プリントの束を地面に落としてしまった。


(また、やってしまった。デカい手が、またトラブルを起こした……)


全身の血の気が引くのを感じた。クラスメイトの視線が、再び私に集まる。その中には、少しの軽蔑、少しの嘲笑、そして「またか」という冷たい目が混じっているように感じた。


「大丈夫だよ、瞳」


突然、耳元で、静かで低い声が響いた。反射的に、体が硬直する。


善通寺晴だ。彼は、いつの間に振り返ったのか、私のすぐ隣に立っていた。彼のスラリとした体躯は、狭い通路を遮断するように立ち、私を、完全にクラスメイトの視線から隠していた。


その動作は、まるで、私が彼の隣にいることで、誰も私の「失敗」を観察できないように、巨大な壁を築いたかのようだった。


そして、彼は地面に落ちたプリントを拾うため、かがむ。


「……僕が拾うから、瞳はそのまま座ってて」


彼は、私に向かって手を差し伸べることなく、床や美湖の机に散らばったプリントを、まるで貴重な資料を扱うかのように、一枚一枚丁寧に拾い上げた。その仕草には、焦りも、苛立ちも、一切ない。ただ、「君の失敗は、僕が処理するべき瑣末なことだ」という、「大人の包容力」が滲んでいた。




プリントの束を拾い終えた晴は、静かに立ち上がり、美湖に微笑んで束を渡した。


「みんな騒がしくしてごめんね。僕が急に振り返ったせいで、瞳が驚いたみたいだ」


彼は、私の失敗を、自分のせいにした。 誰もが納得する、完璧な大人の振る舞いだった。教室のざわめきが一瞬静まり、「さすが総代、優しいな」、「完璧すぎない?」と声が聞こえてくる。


不覚にもドキッとしてしまった。


(不覚...なんか負けた気持ちになった、悔しい...)


美湖は目をハートにし、興奮した様子で「全然、全然!ありがとう、善通寺くん!」と受け取った。


そして、晴は再び私の方に向き直る。体躯の大きな彼が、私の席の隣に立つと、私は本当に「華奢な少女」になったかのような錯覚に陥った。彼の全身から放たれる、訓練された安心感。


彼は、誰にも聞こえないように、その低い声で、私の耳元にそっと囁いた。


「大丈夫だよ、瞳。僕が君の隣にいる限り、君の外見を笑う人はいないよ。僕が守るからね」


その言葉は、七年間私が求め続けた「理想のスーパーダーリン」の言葉そのものだった。私の最大のコンプレックスを、真正面から否定せず、今まで受けたことのない「守るべきもの」として肯定し、私の心臓を射抜く。


私は、彼の完璧な優しさと、その裏に潜む確固たる「所有欲」のようなものに、息が詰まるのを感じた。全身の力が抜け、座席から動けなくなる。


(嘘……。なんで、あの晴が、こんなにスパダリに……!)


憎むべき幼馴染が、私の求める理想を完全に具現化し、その座に収まってしまった。


私の高校生活は、始まったばかりだが、すでにこの「完璧な敵」によって、支配され始めていた。




隣で瞳が完全にフリーズしているのを見て、美湖はニヤニヤした。


(やばい、やばい、やばい!なにこれ、美味しすぎる!!)


プリントが落ちた瞬間、美湖は内心で「あーあ、また瞳ちゃん、やっちゃったよ」と思っていた。瞳が手先の不器用さで物を落とすたびに、一瞬フリーズして落ち込むことを、美湖はもう知っていた。


でも、善通寺くんの対応は、予想の斜め上をいく神対応だった。


まず、あの高身長で、かがんでプリントを丁寧に拾う姿。まるで王子様がお姫様の落としたガラスの靴を探しているみたいだ。しかも、「僕が急に振り返ったせいだ」って、瞳の失敗を自分の非にするなんて!


(完璧なヒーロームーブ!さすが、善通寺晴さま!瞳ちゃんのこと、大事にしすぎだよ〜!)


美湖自身は、晴を「推し」として崇拝している。むしろ、推しと親友が絡んでいる状況が尊くて仕方がない。


特に、晴が瞳だけに「瞳」って名前を呼んだり、「幼馴染なんだ」って公言したりしたこと。あれは、ただの幼馴染ムーヴじゃない。あれは、「これは僕のだ。誰にも渡さない」とクラス全員に宣戦布告しているみたいに見えた。


そして、極めつけは最後の囁きだ。


内容は聞こえなかったけど、あの真剣な表情と、瞳が目をぐるぐるしながら完全に溶けちゃった反応を見れば、わかる。


美湖はあごに手を当てて考える。


(あの二人は、会えなかった期間を吹き飛ばすくらいの、過去の何かがあるんだ。瞳ちゃんはなんか避けてるけど、その態度の裏には、彼の優しさに動揺しちゃってる乙女がいる……これぞ、最高のラブコメの導入やんけ!)【指パッチン】


美湖は、自分の勘に確信を持った。瞳ちゃんは今、善通寺くんに一番動揺させられているし、一番心をかき乱されている。離れた期間が愛情を深くなる、ということを漫画で学んでいた。


美湖は、頬杖をつき、うっとりと二人を見る。


(瞳ちゃん、頑張れ!もうちょっと素直になれば、この恋は動き出すのに!うーん、じれったい!)


美湖は、目の前で繰り広げられる「久しぶりに会った幼馴染と、理想のヒーローの二重奏」という、あまりにも美味しすぎる展開を、ポップコーンを食べながら見守る観客のように楽しむことを決意した。


「ふふ、高校生活、最高に楽しくなりそうだね、瞳ちゃん」


美湖は、隣の動かない瞳の背中をそっと撫でた。その心は、二人の恋の発展への期待で満ちていた。

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