生きてる廃屋
「ねえ、翔太、どっかに行こうよ、退屈だよ」
「と言われても、なあ」
莉子に腕を引っ張られても急に思い浮かばなかった。元々今日の予定は晩ご飯を食べ、その後カラオケで終わる予定にしていたからだった。というのも翌朝からバイトが入っていたからだった。
莉子はそんな困った翔太の表情も気にせずに、
「だって、前期試験が終わった後はお互いバイトばかりしていたから全然会えないじゃん。たまにはもっと遊ぼうよ!」
嬉しそうに見詰めた。
確かに莉子の言う通りだった。そう思うと、たまには遊ぼう!と莉子に大きく頷いた。
「やったあ!で、どこに行く?」
車内のルームライトで嬉しそうに笑う莉子の顔がよく見えた。とはいえ、それが最大の難関だった。【はてさて、どこへ行こうか?】なかなか浮かばない。困ったと莉子の顔をジッと見ると逆に妙に嬉しそうに、
「ねえ……また心霊廃墟スポットに行かない?夜だし」
目力が凄かった。俺は思わず、
「え、また行くの?」
声を出してしまった。
元々莉子とは大学のダンスサークルで知り合い付き合ったが、時間とともに莉子が心霊廃墟マニアだとすぐに分かった。俺はそういうのが大の苦手だった。
「なあ、莉子、いつも廃墟とか行くけど何も起きないじゃん。だから、今回も」
「いや、違うのよ、翔太」
莉子はすぐさま話を切った。そして、真剣な顔をして俺を見つめた。
「何も起きないのは当たり前!でも!でもね、何か起きたら一生に一度の経験にならない?そんな体験したいと思わない?平凡な人生でいいの?」
「え、い、いや、俺は別に、平凡で……」
「ダメ!そんな小さい男じゃ駄目よ!人には無い経験を持ってこそ凄い男になるのよ!だから、凄い男になる為に……心霊スポット捜して、ね!」
単に探せって事かよ……俺は渋々スマホを開けた。
「とびっきりの廃墟、捜して!」
莉子は嬉しそうに横から俺のスマホを覗き込んできた。
「いや、そう言うけど……」
「あ、これ!これどう?」
莉子は横から見ていてすぐに俺の画面に触れた。画面がすぐに変わった。
「人が消える廃墟?」
二人とも画面のタイトルを見て同時に声を上げた。
「いや、いや、そんな事は」
俺は思わず顔がニヤついたが、逆に莉子の顔を見ると、莉子は画面にくいつき、
「これ面白そう!ここどこ?そうだ!私もその廃墟、もっと見てみよう!……あ、あれ?見つからない?どうして?私のスマホじゃあダメだ……まあ、いいか!翔太の見よ!」
俺のスマホを取り上げて言った。
「いつもこんなこと言って結局は何も無いんだから」
莉子は再びすぐさま言葉を遮ってきた。
「何十回、何百回に一度の経験を」
「わかった!分かりましたよ!」
そう言うと莉子はニッコリと俺を見つめた。
「ねえ、翔太。場所はどこか分かる?遠いかな、それとも近いかな?面白そうでも遠いと無理だしね」
「ちょっと貸してよ。ああ、地図が添付されているな。意外と近いな」
添付した地図を開けてみると、幸か不幸か……意外と近かった。
「あっ、近いじゃん!」
「……そうだなあ……近いなあ……」
莉子の踊るような声で、俺は半ば諦めた気分でボソッと呟いた。まあ、これで莉子が喜ぶのなら、と情報集めの為にこの書き込みを読んでみた。
「え~と、【この廃屋は小さいようだが中が迷路になっている。扉は開けにくいが鍵が開いているので玄関から入り、そして、二人で出口を見つけ脱出!注意がある!扉には甲と乙があり選択は甲!乙はダメ!ただ、もし、二人で脱出できなければ彼女だけ消える!まあ、単なるウワサですけどね。by健人】……だって」
莉子に読み聞かせてみたがあまり嬉しそうな顔をしていなかった。俺にしたら意外な言葉だった。あれほど喜んでいたのに。すると、莉子は、
「幽霊、出ないの?」
声のトーンが下がっていた。俺にすれば、『それも望んでいたのか!』と叫びたい気がした。何て気持ち悪い言葉を。
「いやいや、だって、最後に『単なるウワサですけど……』って、書き込んであるくらいだし」
「そう……これっていつの投稿?」
「え、え~と、先週、ちょうど1週間前……だな」
「あ、近いんだ。もっと書き込んでない?」
「そのひとつ前は……やはり同じような内容だな。あ、でも、この優司って人の書き込みを見ると『彼女が消えた?単なるウワサ?(笑)』ってあるな」
「それっていつの投稿?」
「そうだな、2週間ほど前だな」
急に莉子は少し俯き静かになった。ある意味、嫌な気がしてきた。大体、こんな静かな時はロクな事を考えていない!
「決めた!」
突然、満面の笑みで俺を見た!やっぱりか!
「何を決めたんだよ?」
分かっているのに聞いた自分が嫌になった。
「ここに行こう!もしかしたら彼女が消えるという事は心霊現象化も!それについ最近のようで旬の話だし!」
「やっぱり行くの?気持ち悪いけど……」
「大丈夫よ!大体、いつもこう行っても結局は何も無いんだから!それに、ほら、書き込みにもあるように『単なるウワサ』なんでしょ?」
もはや、莉子の決意は確固たるものがあった。やれやれと、諦めると地図を開けナビを開始した。
「あ、ちょっと待って!」
「あ、ビビッて気が変わった?」
「じゃなくてジュース!だって、廃屋に自販機無いし。翔太もいる?」
俺は首を横に振ると莉子は自販機に走って行った。やる気満々だな……。
いつも単なるウワサで実際は何も起きない。まあ、いいか、これで莉子が喜ぶのなら。そう思うようにした。
莉子が戻り、俺は車を走らした。
暫くして走ると、ふと気が付いた。
「俺、この道時々走るけど、あの廃屋らしき建物なんてあったかなあ?よく考えても学校の奴らもこの廃屋の事、誰も言わないよな。不思議だよなあ」
何気なく莉子に声を掛けると、すぐさま、低い声で笑いながら、
「翔太、私を喜ばしている?」
言葉が返ってきた。初めて気が付いた。幽霊よりもこいつの方が怖いんじゃないか?そんな気がしたので、これ以上喜ばさないように言葉を選ぶよう気を付けた。
しばらく走って行くとナビが左に行くよう指示をした。
「え、こんな所に道?この道路に横に行く道は無かったと思うけどなあ」
「でもナビが言うんだから間違いないでしょ」
「まあ、確かに、そう……だけど」
自分自身納得がいかなかった。いかに夜の暗さとはいえ、この道に枝道はなかった筈だった。それが納得できない理由だった。
「やっぱ、おかしいよ、この道。だってこの道は一本道で横道は無い筈だから。やっぱ、やめた方が」
不意にそう莉子に振り向いて言うと、車の微かなパネルの光で反射する嬉しそうな莉子の顔があった。
俺は、再び、不意に喜ばしてしまった事に気が付いた!犬に例えるなら、尻尾が飛んでしまいそうなほど振り回している、そんな感じだった。
もはや、行くしかなかった……。
横道に入り直ぐに走れば、例の廃屋が見えた。実際、この廃屋はあったんだ!俺の思い違いか……?車のヘッドライトに照らした建物は思った以上の不気味さがあった。
虫が鳴く草むらの中、拓けた所に車を止め、俺たちは下りた。一斉に虫が更に鳴いた。
「間近で見るとかなり不気味よね……」
莉子が懐中電灯で漆黒の闇の中、周りを照らし、少し傾いた建物をくまなく照らしていた。この莉子が不気味さを感じたのだから、俺にはその百倍の不気味さがあった!
「なあ、莉子、引き返した方が……」
「いや!これくらいじゃないとワクワクしないわ!」
そう言うとライトを照らして玄関を捜していた。こいつは常に憑りつかれているのか?そう思いながら莉子の背中を見つめた。
「莉子、ちょっと待てよ!危ないから」
俺は足元を気にしながら歩いて莉子に近づいて行った。
「あったわ……これが玄関よ」
莉子は囁くように声を出した。確かに玄関と思しき扉があって少し開いている感じがした。その扉をガタガタと動かしていると急に扉が開いたようだった。
莉子はソッと扉を開けた。俺も莉子の後ろから付いて入った。と、突然、
「うわっ!だ、誰か、いる!」
莉子が大声で叫んで固まった!丸いライトの光の中に人がいた!思わず、その声で俺は腰が抜けてしまい壁にもたれてしまった。
「あ、こんばんは。急に脅かしてごめんなさい。君たちも廃墟探索?」
優しい声が返ってきた。再度、二人ともライトで照らすと俺たちと同じくらいの大学生ぽかった。
「何だあ、人かよ……でも良かったあ」
壁を伝って立ち上がった。
「あ、あなたも廃墟?」
莉子の言葉に大きく頷き、
「僕も驚いたけどね」
ライトに照らされた顔が笑っていた。
「君は一人で来たの?」
俺は周りをキョロキョロして声を掛けた。
「まさか。彼女と来たんだけど、ちょっとはぐれてしまって」
「ええ!大変じゃない!探さないと!」
莉子も人間だと分かると冷静になっていた。
「そうなんだよ。でも、ここは迷路ぽいって書いてあったから」
「そうよね、迷路って書いてあったしね。翔太、ちょうどいいから一緒に探してあげようよ!」
「そ、そうだな」
そう言いながらその男に近づいて行った時、嫌な感じがしてきた。もちろん、理由も分からない。単なる直感?それとも共通の何かで繋がっているような?変に感じたが、それ以上は声にしなかった。
「ここは二人で脱出をするのがエンド、みたいなゲーム感覚で来たんだが、君たちもそう?」
「ああ。書き込みがそうなっていたから。まあ、暇つぶしみたいな感じで」
そう、莉子と顔を合わせて頷いた。
「じゃあ、彼女を離さないようにしないとね」
微かなライトの光に映った、その男の顔が妙に微笑んで見えた。
「じゃあ、進もうか。結構廊下が散らかっているから気を付けて。それに、所々腐っていて気を付けた方がいいよ」
男は足で探るようにユックリと廊下の端を歩いて見せた。3人になってライトを点け進むが、廊下の突き当りは必ず左右に分かれていた。つまり、右か左か、どっちかになっていた。
「ここが分からなくなるんだよ。どの壁を見ても似たようなもので右か左を続けて歩いていると段々とどっちに行っているのかが分からなくなって来てね」
この時、俺は不思議に感じた。彼女が行方不明になっているにも拘らず、この男の声は冷静そのものに感じた。何故、焦っていないのか、とても不思議だった。
もう30分ほど歩いたが一向に分からず迷い込んだ感じがしてきた。さすがに莉子も焦り始めていた。
「ねえ、翔太、全然出られないんだけど、どうなってるの?」
「俺も一緒だよ!どうなっているんだよ」
それを聞いた男が、
「もう、分かるよ」
振り向いて笑った。初めて、背筋がゾッとした。
「ど、どういう事」
俺の声は震えていた。
「ほら!」
そう言ってライトを照らすと、そこに扉が見えた。
「あ、あったあ!扉だ!」
俺と莉子は抱き付いて喜んだ。
「あ、でも、扉が二つ……ある……それに出口って書いてある!甲、乙も書いてあるぞ」
扉の上にペンキで【出口甲】と【出口乙】と書かれていた。
「そ、そうか!書き込みで健人っていう奴が書いてたな、確か……甲だ!甲の扉だ!」
俺は嬉しくて男の顔に振り向くと、その男も嬉しそうにニッコリと頷いた。
「よかったあ!けど、君の彼女がまだ見つからないけど……」
「いや。彼女は見つかりました」
俺は莉子と顔を合わせて首を傾げた。周りを見ても彼女など見えもしない。
「え?どこにいるの?」
男は静かに乙の扉に指を差した。
「あの、乙の出口の向こう?乙ってダメな奴だろ?その向こうにいるの?」
莉子の言葉に男は黙って頷くと言葉を続けた。
「甲の扉、実は男性では開かなくて女性しか開けられないんですよ」
「え、女性だけ?俺ではだめなの?そんなの書き込みに無かったけどな。でも書き込みは甲を開けることになっているからな」
男は返事をしなかった。不思議な事を言う男だと思った。
「まあいいや。とりあえずここから出よう。莉子、甲の扉を開けてきてよ」
「うん。分かった」
莉子は扉に近づいて行った。俺たちも莉子の後ろをついて歩いていた時、突然、
「うわっ!」
声と共に俺とその男二人、廊下が割れて下へ落下した。床が腐っていたようだった。
「翔太、大丈夫?」
上からライトで俺たちを照らし心配していた。3メートルほど落ちた感じだった。
「痛―っ!あ、足が折れたかも……」
俺は足を摩りながら、
「君は大丈夫?足は折れてない?」
心配して男に声を掛けたが、全く冷静に、
「ええ。僕は大丈夫です」
キッパリと言い切った。
この高さに落ちても全く大丈夫という事が信じられなかった。
「ねえ、莉子さん!甲の出口の向こうに梯子があると思うので持ってきてくれませんか?」
下から莉子を見上げて叫んだ。
「わ、分かりました。ちょっと待っててね、翔太」
莉子の足音が出口に向かって行き扉を開け、そして閉まった音が聞こえた。
「君、どうして梯子があるのを知っているの?それにどうしてこの高さで大丈夫なの?」
「ええ、ちょうど一週間前に来ましたから」
「え、2回目なの?その時彼女は?」
「ええ。一週間前に彼女が消えたんで、それから、ずっと待っていたんです」
うっすらと笑う顔がたまらず恐ろしくなった。
「待つ?じょ、冗談はやめようぜ、こんな所で」
男は無言で首を横に振った。
「まさか……だって一週間も?怖がらせるのは止めろよ!」
この状況での冗談にムッとしてしまった。
しかし、男は全く動じずに続けた。
「冗談ではないです。だって、僕、この高さで落ちても大丈夫でしょ?不思議じゃないですか?」
「どういう事だよ!お前、誰なんだよ!」
恐怖よりも怒りが勝ってきた。
「僕、柔らかい上に落ちて来たので大丈夫なんです。その柔らかいものはね」
男は足の下ある瓦礫を退けてライトで照らして見せた。あまりの光景に声が出なくなった。
「そ、それ!死体?死体か、それは!」
足元には人間の死体が埋まっていた。
「失礼な。これは死体ではありません。これは僕の抜け殻です」
何のことか全く理解できなかった。男はそんなことも気にせずに話を続けた。
「これは僕の体なんですよ」
確かに言われてみれば、その男の姿、服装そのものだった。
「一週間前に彼女と一緒にここへ来たんです。前の人の書き込みを見て。所詮はウワサだと思ったし……面白そうだったんで……でも、違ったんです!」
初めて感情が露になった。逆にこっちが驚いてしまった。
「ここは二人では絶対出られないんですよ。彼女が捕まってしまうんです!」
「捕まる?誰が捕まえるんだ?」
「この建物です。ここは魂を抜いてしまう所なんです!そして、10日間の間に別の女の魂を渡さないと彼女も僕も消えてしまいます!」
「ふざけるな!確かにお前はそっくりだが……そうか、単にお前は人殺しか!」
そう言うと掴みかかった。が、掴めなかった……まるで、霧のような煙のような感じだった。
俺は信じられないまま無言で両手をジッと見つめて固まってしまった。男は残念そうに首を振った。
「まだ信じられないですか?この状況を判断しても」
そう言われて、グッと言葉に詰まった。どう見ても状況的にはその男の言う事の方が分かる気がしていた。
「じゃあ、お前は幽霊なの……か?」
自然と声が震えていた。
「厳密にいえば魂そのものです!でも、ようやくこれで彼女も僕も一緒に戻れますから!」
「どういう事だ!」
そう叫ぶと同時に上から聞いた事が無い声が聞こえて来た。
「健人!健人!どこ?」
女の声が聞こえた。その声を聴き、男がすぐさま声を出した。
「美羽!ここだ!僕はここにいるよ!」
俺は上を見上げた。すると、そこには見た事がない若い女性が梯子を持っていた。その女は莉子では……なかった……。
「ああ、梯子は必要ないよ。この人の彼女に甲の扉を開けてもらう為の理由だから」
男はそう言うとフワッと床に飛び上がった。
「え?」
俺は思わず目を見開いたまま上に行った男の背中を見ていた。
「ようやく会えたね、健人!助かったね!よかったね!体は元に戻った?」
男は廊下にあがって直ぐに彼女と抱き合うと、
「どうやら僕たち、今、体が戻ったみたいだ!もう霊体じゃないよ!帰れるよ!」
叫ぶと、女は直ぐに梯子を廊下の床に落とした。
梯子が床に落ちた音を聞いて思わず、
「お、おい!何するんだ!俺には梯子をくれ!」
そう叫ぶと上から男が、
「もう今の君には梯子は必要ないよ。今、僕たちと入れ替わったから!」
あっさりと言った。
「何を言ってるんだ!俺を殺す気か!」
「わからない?一気にこの廊下まで飛び上がってごらん」
「はあ?こんな高さに飛び上がれるなんて」
そう言うと、どういう訳か、自分がフワッと飛び上がり廊下に辿り着いた。
「ど、どういう事?」
理解ができなかった。自分の足元を不思議に見ていた。
男は頷くとユックリと話をし始めた。
「残念だが、もう君は、いや、君と君の彼女はもう霊体になっているんだ。二人とも体から魂が抜かれているんだよ。今の君は魂そのもの!だから、浮くんだよ」
「まさか……そんな……や、やっぱり信じられない!」
何度も何度も首を振っていた。
「そう思うなら、さっきの僕の体があった所へ行ってみれば分かると思うよ。もう君は簡単に行けるはずだから」
そう言われて勇気を振絞り穴の下に飛び降りた。不思議と軽くフワッと降りた感じがした。そして、男の体があった所を見て驚いてしまった。
「え?この体は……俺だ……」
さっきまではその男の体だったが、いつの間にか俺の体に替わって寝転がっていた。
「ど、どういう事だ、これは……お、教えてくれよ!」
もはや頭が混乱してきて理解ができないでいた。自然と俺は上にフワッと上がっていた。
「ああ、全てを話すよ。でも、まず、謝らないとな」
そう言って男とその彼女が俺に頭を下げた。何故、頭を下げたのか?
「さっきも言ったが、ここは魂が抜かれるところだ。でも、元に戻る方法がある!それは」
俺はその言葉を待っていた!
「別の女の魂を持って来ることだ!」
「魂?持って来るとはどういう事だ?」
男は彼女と顔を合わせて一回頷くと話を続けた。
「扉だよ。莉子さんは甲の扉を開け入って行ったんだよ。でも、本当は【甲】ではなく【乙】の扉を開けて出ていくのが正解だったんだ。甲の扉を開けて入った事で莉子さんの魂、そして、君の魂も共に抜かれたんだよ」
「でも、甲の扉は正解で乙の扉はダメだ、と書き込みが……」
「それは何を見て甲の扉を選んだ?」
「え、だって、それは書き込み、そう、確か、健人っていう奴が……?」
俺はそう言って急に、その男の顔をジッと見つめてしまった。その男の顔がニヤッとしたように見えた。
「……健人?……健人?……ま、まさか、健人って……お前の事?」
男は黙って大きく頷いた。俺は口を開けたままになっていた。
「そうなんです。その書き込み、僕なんです」
「どうして?なぜ?」
今の俺にはこれしか言えなかった。
「それは、美羽と僕が助かる方法だったからです。さっきも言った通り、僕たちが助かるには別の女の魂が必要だった。その為にこの書き込みをして、新しいカップルがここに来るように仕組んだんだよ」
「でも、なんでこんな事をお前たちは知ってるんだよ?書き込み以上の事を」
「僕たちだって知らなかったよ。全部知ってたら、こんな所へは来なかった!」
悔しそうに男の唇が微かに震えていた。
「そして、僕達も書き込みを見て来て、君たちと同じようになって、その時、そこに居た優司さんに教えて貰ったんだよ、全てを」
初めて聞いた名前だった。
「そこに居た?誰なんだ、その優司って人は?聞いた事が無い」
男は静かに首を横に振った。
「いや、君は知っているよ。そう、僕の書き込みの前に書き込んだ人だよ」
「え?」
俺はスマホを取り出し、この廃墟の書き込み欄を開けた。
「確かに、言われてみれば、健人の前に優司って名前あったなあ……」
俺はスマホを見て納得するのと同時にもう一つ気が付いた。
「そうだ!このスマホで警察に連絡を」
そこまで言うや否や、男がすぐに、
「それは無駄です!」
キッパリと言い切った。
「だって、こうして、ほら!スマホが見えてるし使えてるじゃないか!だったら」
俺は男の顔を見つめた。男は冷静に俺の眼を見つめた。
「僕たちもそのくらいはやりました。でも無駄だった!優司さんに言われました、無駄だって」
男の言うことなど信じずに、今あるこのスマホで警察に電話を掛けた。しかし、何の呼出音もしなかった……どこに電話を掛けても繋がらなかった。では、ラインを、と友達に何度も送ろうとしたがやはり送信は出来なかった。俺は力が抜けて膝から落ちた。
「分ったでしょ。もしかしたら、莉子さんがこの廃墟を捜したりはしなかったですか?この書き込み、見つけられましたか?」
そう言われて、ハッとした。確かに、車の中で莉子が検索をしたけど見つからなかった、と言っていたことを思い出したからだ。
「ここでスマホが使えないのはどうして?電波なのか?」
「いえ、波動です。優司さん曰く霊波動だそうです。霊波動が合った人しか見つけられない。そう、そして、僕も君も霊波動が合っていたんですよ!残念ながら!だからここに来たんです!お互い感じたものが合っていたんですよ!」
俺は残念だが納得するしかなかった。そう思うと諦めてゆっくりと立ち上がった。
「さっき、脱出する方法はある、と言ったな」
「ええ。優司さん達が僕たちと入れ替わりに助かり、同じように、今、君たちと入れ替わりに僕たちが助かった。つまり、助かるには、これを繰り返していくしか方法が無いんです。この廃屋は魂を弄んでいる!この廃屋は人の魂を吸って生きているんですよ!」
男の眼が吊り上がった形相で話を続けた。
「もし、10日間の間に別のカップルを見つけられず、別の女の魂も持って来れない時、初めてこの廃屋が死に、そして、君たちは永遠に戻れない、という結末になります。優司さんからこう聞きました」
男はそう言い終わると大きく深呼吸をしていた。額にもキラキラと光るものがあった。
「わ、分かった。じゃあ、先ずどうしたらいい?」
男は小さく頷いた。
「スマホで書き込みをするんです。君たちが見たように」
「で、でも、スマホは使えないんじゃ……」
「さっきも言ったけど、霊波動が合う人には届くようです。そして、来るのはカップル一組だけでいいんです。僕たち、君たち、のように!」
俺は少し震える手でスマホを握っていた。
すると、突然、
「僕たちはここまでです。君たちを犠牲にして助かり申し訳ありません」
男が頭を下げると、横の彼女も
「私たちも助かりたかったんで……ごめんなさい!」
深く頭を下げた。
「僕が言うのも変だけど、莉子さん共々助かって下さい!ポイントは全て本当の事は書かない。そして、少し興味をそそるようにゲーム感覚で書くのがいいと思います。恐怖など無いように、あくまで楽しそうに」
そう言うと、男は言い去って乙の扉を開けて出て行った。
急に俺はポツンと一人になった。でも助かるには……気持ちを切り替えた!
「そうか!まずは10日の間にカップルを見つけないと。でなきゃあ、莉子が……。待ってろよ、莉子!必ず、いや、俺も含めて助けるからな!」
俺は気合を入れスマホを睨むように見つめ健人の次に書き込みを始めた。
【この廃屋は小さいようだが中が迷路になっている。扉が開いているので玄関から入り、そして、二人で出口を見つけ脱出、これでゴール!でも注意!扉には甲と乙があり選択は甲!乙は恐ろしい事が(笑)!ただ、もし、二人で脱出できなければ彼女だけ消える!?なんてね。By翔太】
書き込みを確認して自分なりに納得した文面になった気がした。
「さあ、これで送信を……ん?」
肝心な単語を忘れていた事に気が付いた。
「危ないところだったな、よかった、気が付いて!これを入れることで廃墟マニアには来易くなるよな!きっと!」
本当は怖い、でも、実は大丈夫!そんなことがある訳が無い!と確信をしている、だからどこかで安心して廃墟探索に行くんだと俺はそう思っている。その『安心をさせる』には……俺は、今度は追記する文を納得し大きく頷くと、
「さあ、あとは10日間の間にカップルが来ますように!俺と莉子が助かりますように!」
両手を合わせて乙の扉に向けて頭を下げた。そして、先程の文面の後ろに次の一文を継ぎ足し、ニッコリと送信ボタンを押した。
【まあ、所詮は単なるウワサですけどね】
了