97 追截の
追截のネイレギアの顕能を『鎌移截は逃さない』という。
それの概要は指定した座標を截つという、説明だけすれば簡素なもの。
だがシンプルな能力はシンプルに強い。
指定座標は視界内ならどこでもよく、また同時に幾太刀も現出させることが可能。
どこからでも予兆なしに無数の剣豪が斬りかかって来るようなもの――その截ちをしてネイレギアは「鎌移截」と呼んでいる。
鎌移截を回避するのは非常に困難で、殺傷力も高いので魔力量で劣る輩であれば出会い頭――それも百メートル離れていても――で一刀両断できる。
ネイレギア自身の油断も容赦もしない性格も相まって、敵対者は速やかに処理される。戦闘というほどのやり合いには、あまりならない。
――ところがどうだ、この現状は。
間違いなく座標を敵に定め、既に千にも上る鎌移截を放っている。
それがすべて敵の手前で空だけを截つばかり。敢えて座標を敵の背後に指定しても結果は同じ。
この女、廻逆のキルシュキンテには一太刀も届かない。
「おやおや、どうしたのかしら。もうお仕舞いなの?」
「抜かせ」
長丁場の戦闘ゆえ、既に互いに互いの顕能は推測され看破されている。
座標指定の鎌移截は露見し、故に巻き戻されて届かず。
巻き戻しの壁は理解され、故に打開策を練られている。
――時間を象徴とする顕能は稀有だ。
その使い手に巡り合うのも、ネイレギアをしてまだ二度目。
そもそも変幻なる顕能、そのぶつかり合いというだけで予測は難しいもの。特にこうした稀な能力ともなれば尚更で、単純にサンプルデータが少なくて考察しづらい。
今回だってそうだ、理屈が上手く飲み込めない。
座標を指定して、そこに撃ち込まれてはじめてこの空間に現れる截ち。それを巻き戻したからと、どうして手前の座標に移動されるという。
ただ巻き戻すだけなら発動の前、ネイレギアの発動の意志まで巻き戻り顕能は不発となるはずではないか。
しかし実際は発動できた上で座標だけがズレている。理屈が通っていない。
得てしてこういう直感的な思考と現実との差異は重要だ。そこに攻略の糸口があるかもしれない。
つまり、顕能同士のせめぎ合いが起こっている。
ぶつかり合った顕能が互いに干渉を起こし、その正しい成立を阻害している。
巻き戻しの壁は鎌移截を巻き戻し切れず不発に持ち込めず。
鎌移截は指定した座標に発生できずその位置をズラされた。
そうしてしのぎを削ったごく半端な結果として座標ズレとなっているのだ。
それは要するに、顕能同士の出力比べということではないか。
より強い力が相手の力を蹴散らして正しく能力を発揮できるという当たり前である。
ならば相手の巻き戻しに負けないほどの力で押し込めば、鎌移截は届く。それは確信だった。
考えた末がごく単純にして力押しであるのは彼の気質の反映か。
とはいえ思考に誤りがあるとも思わない。押し進めて勝利に向かうに否やはあらず。
「ふ」
普段が数で圧して鋭さで殺すスタンスであったためすこし調整に手間取ったが、一太刀に威力を集約することだって可能。
ネイレギアは自分の顕能理解において劣るとは思わない。
多少の焦りと驕りがあったことは認めるが、だからと打ち破れないとは思わない。
「!」
その時はじめて、ネイレギアは手を掲げた。鋭くキルシュキンテを刺すようにして手刀を伸ばす。
一点集中、一所懸命、一撃必殺――
「――『鎌移截は逃さない』」
音はない。
予兆もない。
ただ結果だけがそこに刻まれる。
キルシュキンテに鎌移截が届いた。
「く……っ」
「ち」
遂に攻撃があたり大きな損傷を与えた。
だがネイレギアにとっては不満のほうが大きい。
本来なら首を狙った。一撃での必殺を期した。
しかし実際に刻み込んだ傷は胸から腹にかけての袈裟懸け。座標を狂わされて即死を避けられた。
そして即死でないのなら――
「仕損じたな」
『け掛仕桜し廻逆』。
傷ついた我が身を巻き戻し、傷ひとつない万全の状態にする。
生半可な攻撃など無意味。攻撃などなかったかのようにキルシュキンテはたおやかに微笑んでいる。
ネイレギアは些かの動揺もなく次に移る。
これは巻き戻された徒労などではなく、次につながる布石。幾たびでも鎌移截は襲う。
「ふん、構わんさ。こうして貴様にも攻撃が届くことは証明された。後は時間の問題だ」
「時間の問題……ふふ、時間の問題か、この私を前に時間を語るか」
「……巻き戻ししかできない以上、貴様に攻め手はあるまい」
思いのほか力強い嘲笑の返しに、ネイレギアは訝しんで挑発に包んだ問いを投げる。
「そうね。私は戦闘に不向きな魂、これまでもそういう面においては支援に徹していたわ」
けれど。
「貴様自身の人生は、闘争に晒されてきたのでしょう?」
ネイレギアが巻き戻しの壁を突破するべく試行錯誤し、力を集約していたのと同じこと。
キルシュキンテもまた、ネイレギアを打倒するために手順を踏んで精査を続けていた。
彼女の顕能は物質の時を巻き戻す。
傷ついた肉体を無傷の状態まで巻き戻して回復の代わりをしたり、その逆もまた可能。
「真新しい古傷を晒せ、『け掛仕桜し廻逆』」
「――!」
――瞬間、ネイレギアは全身から血を噴出した。
「く、は……っ!? これ、は……そうか。かつて俺が受けた傷を癒える以前に巻き戻した、か……!」
身体中微細な生傷、左手は指を二本失い、なによりもどてっ腹に深い重症が戻る。どこからも血が流れ、命がすり減る感覚を訴える。
ネイレギアは覚えている。これは二年前に死闘を繰り広げた際の傷。辛勝の末、数日の療養を要した最近では一番死に瀕した状態である。
「この技は貴様のように戦いに明け暮れ、死をも恐れぬ馬鹿者にこそより効果的になる」
キルシュキンテの調べていたのは、ネイレギアの身体に刻まれた現在に至るまで――すなわち過去。
気づかれないようほんの微かな巻き戻しをネイレギアに仕掛け、その逆行の最中で近年で最も損傷の多い状態を探っていた。
既に治って完調、もはや当人さえ忘却したような痛みが怪我が――今この時に再び現れる。
「くっ!」
急激な反撃に、ネイレギアは片膝をつくも意志は折れない。再び集中して鎌移截を研ぐ――
「だがそれでは死なん。俺は死なんぞ」
「ふん、武骨で野蛮な輩はこれだから嫌になる。けれど、そういう意地で立ち向かう馬鹿にはもう懲り懲りでな」
過去に受けた傷。
しかしその時、死んでいないからこそ今こうして生きている。
ならば魔力による自己治癒を全力で回しておけばとりあえず死にはしない。まだ戦える。
と、そのような理屈、キルシュキンテは既に体験している。
一度はその根性論に辛酸を飲まされたが、二度はない。
次こそは引導を渡してやると心に決めていた――そのための方策を練っておいた。
「――枯れ果てろ」
再度の『け掛仕桜し廻逆』。
そして再び、ネイレギアは全身から血を噴出した。
「!」
いやおかしい。止血は真っ先に施したはず。どうしてまた流血する。塞いだはずの傷口が、どうして開いている。
無論、キルシュキンテの巻き戻しだ。だがなにか妙だ。
最初のそれと比して加わった影響が弱く、出力が低く感じる。それなのに血の噴出は近似していて。
低出力で近い結果を招く――魔力による治癒を巻き戻したのだ。
傷はこれ以上、新たに付け加えることはできない。この状態が最大の損害状況であり、キルシュキンテには他の干渉はできない。
そしてまた同じく全身をまとめて重症に巻き戻すことはかかる手間と魔力は膨大となる。
だから狙いはネイレギアの身体ではなく、治癒という事象。
身体を巻き戻すのではなく、その後にネイレギアの行った治癒行為を巻き戻しているのだ――するとどうなるか。
流血により衣服は汚れ、周囲に血が振りまかれ、血なまぐさい臭気が立ち込める。
ネイレギアは治癒のために魔力行使をして――
そこでまた『け掛仕桜し廻逆』。
自己治癒による再生した事実を巻き戻す。
止血はなされず、痛みは継続、傷口からは血が零れ落ち……怪我が一向に治らない。自己治癒を否定されている。
なんのためにそんなことを。
このまま繰り返し治癒を否定されても、ネイレギアが死ぬことはないはず。
それでいい。それで充分だ。
「死に掛けの身を生かすための自己治癒力強化、急速な造血、そして痛みを耐えることそのもの――それらすべては集中力を乱し、貴様の鎌は壁を截つほどの力となるまい」
「魔力比べでもするつもりか」
生存と反撃のために魔力を濫用するネイレギアと。
それらを抑え込むために顕能を乱発するキルシュキンテ。
状況は一進一退、随分と不毛な千日手。そのまま膠着して時が止まったかのよう――侯爵の莫大な魔力が尽きるその時まで。
その状況を作り出したキルシュキンテは艶やかに笑う。最初から狙いはそれなのだから。
「なに、もとより私は勝利する必要はないでな。貴様をここで足止めしておけば、最低限の用はなす」
「戦いも、せんのか……卑怯な!」
血を噴出しながらもネイレギアの戦意は衰えず叫ぶ。そこには戦うことへの誇りがあった。
しかし、キルシュキンテはまるで取り合わない。着物の袖で口元を隠す。
「貴様ら男児と一緒にするでない。こちらはか弱き手弱女、戦場に駆り出されるだけでも億劫だというのに……その美意識まで弁えろなどと、そんな阿呆を抜かすでないわ」
「ぐ、ぐぐぐ……くそぁ――!!」
「そうだな。男児は威勢がよくなければな。無駄な努力と知ってなお、挫けてはいかんぞ。ほれ、頑張ってみよ、私の首はここだぞ」
「舐めるな女狐! この程度の円環、貴様の首ごと截ち切ってやる!」
――しかし結局、すべては徒労。
此度の姉妹喧嘩の終結までの間、ネイレギアはこの巻き戻しの円環を截つことができずに終わってしまったのだった。




