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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第四幕 阿沙賀と迷子と姉妹喧嘩
88/115

88 理不尽と納得


「正直、水入りは勘弁して欲しかった……」


 開口一番で、まずは遠凪がぼやいた。


 アティスの世界から追い出され通常空間の屋上に戻ったふたりは、兎にも角にも急いで学園を出た。


 今回の件から、敵方は学園内に潜んでいることが判明。

 そして同時に結界を経由してこちらの情報を得ていることも発覚し、学園にいては会話もなにも筒抜けとなってしまう。

 そのため情報漏洩を警戒して、不本意ながら阿沙賀らは学園――学園結界の外へと抜けだしたのだ。


 これまでずっとこちらのホームグラウンドであったはずの学園が、いつの間にか敵に掌握されていたという事実は非常に腹立たしく、また心もとない。

 

 安住の地を失ったような不安感を押し殺し、ふたりは出発。

 すぐに学園近くの行きつけの喫茶店に入り、阿沙賀は紅茶を、遠凪はココアを注文。

 ついでに時間も昼近くなっていたので軽食も頼んで、それから遠凪は席に人除けの結界を張り外に会話が漏れないように処置をする。


 学業を休んででも話し合わねばならない緊急の事態。

 試胆会の面子がもはや遠凪とその契約悪魔キルシュキンテだけになった逆境。

 今まで住まい、通い、自陣として頼りにしてきた場所から逃げ出さざるを得なくなった屈辱。

 そして目の当たりにした戦力差。


 割と重いムードになりそうなところ、できるだけふたりはいつも通りに軽口っぽく言葉を交わす。


 遠凪の情けない発言に、阿沙賀は鬱陶しそうに返す。


「おれはまだやれた。ニュギスが勝手にお開きにしやがった」

「いや、あの状況では正解だろ。あのままじゃ全滅だったぞ」

「オメェどっちなんだよ!」


 中断に文句を言ったり褒めたり。

 心の内を定めてから話し始めてくれないか。


「どっちも本音なんだよなぁ」

「ってもオメェ、なに、もう勝てそうだったのか? じゃあいいじゃねェか、次もその調子で」


 水入りがなければ勝てそうだったからこそ、そこで勝ってしまいたかったということだろう。

 ならば別に再戦となっても構わないのではないか。一度勝てたなら二度目も勝てる道理ではないか。


 そうもいかないのが遊紗や――阿沙賀のような逸脱の才覚者。


「いちおう優勢には進めてたけど……それってたぶん今だけなんだ。今だから優勢だったんだ」

「あ?」


 どういう意味だという顔に、遠凪は自覚がないのかと呆れながら。

 

「いいか、遊紗ちゃんの才能ははっきり言ってぶっ飛んてる。たった一か月足らずであの練度なのは冗談過ぎてもはやホラーだよ。たぶん若いころのじいさんとか、あんな感じだったのかもな……」


 妙な感慨に耽けるように遠い目をしてから、遠凪はすぐに現実に戻ってため息を。


「で、その遊紗ちゃんに唯一足りないのは経験だけなんだよ。それの差だけでオレは今日、有利に立てた。けど、明日にはわからない。今日の経験を経て、遊紗ちゃんは絶対に強くなる。なんなら次に戦うときには『亜空展象ムンドゥス』を会得しててもオレは驚かない」


 男子三日会わざれば刮目して見よ――ならば女子とて同じだろう。

 遊紗の成長性を脅威に思って、この四十八時間でさえさらに強くなりかねないと遠凪は深刻に告げている。


 阿沙賀はあっけらかんと。


「じゃああれだ、オメェ遊紗から外れていいぞ」

「ん、それは。他にあたれってことか」


 敵は遊紗ひとりではない。

 どころか最初に想定した遊紗と唆した悪魔の二名ですらない。

 急に降って湧いて出た六名の侯爵がいる――敵勢は合計八名。


「勝てる自信がねェんだろ? 勝てるところに行っていいぜ」

「……じゃあ遊紗ちゃんはどうするんだ」

「おれがやるさ。最初から指名されてたンだ」

「正直、もうオレがなにを言っても聞かなさそうってのはそうなんだよな……」


 今の遊紗に言葉で相対することができるのは、本当に阿沙賀だけなのかもしれない。

 それでも自分でなんとかしたいという思いはあって、遠凪は遊紗についての結論をまだ迷っていた。アティスという最大の脅威もいる、阿沙賀にばかり背負わせるわけにはいかない。


 複雑な感情を抱きつつ、遠凪は冷静に順序だててほんのり話を逸らす。


「まぁマッチアップについて考える前に話しておくことがある」

「ん。タマゴサンドならやらねェぞ」

「誰がサンドイッチの話をしたよ……」


 この喫茶店のタマゴサンドは絶品で、阿沙賀などは注文しない遠凪に不信感を抱いたほど。

 いや平素のようにと心掛けてはいるものの、そこまで気の抜けた発言ができるのは流石だと思う。

 遠凪のほうもすこしだけ綻ぶように笑ってから、折れた腰を修正する。


「ひとつだけいい情報がある」

「そりゃ珍しいな」

「まったくだ」


 皮肉のようでいて単なる事実であり、遠凪としても苦笑で肯定しかできない。


「あの時、阿沙賀がたぶん亜空間内の部屋を全部壊してひとつに整理しただろ」

「おう。なんか何重にもなってるのを感じたからな、逃げ場をなくすために壊した」

「暴言過ぎて信じがたいけど、まぁ阿沙賀ならやりかねないか……」


 丁寧なんだか大雑把なんだかわからない手管はまさしく阿沙賀の所業である。


「で、オレたちが一斉に顔合わせになっただろ? あの時オレは外の世界を感じたんだよな」

「外? なんだよ、まだ部屋でも残ってたのか? 根こそぎいったはずだけどな」

「ないよ。あの空間にはな。だから外だ」


 アパートメントの喩えで言えば、隣の家。

 いや敷地内でもっと小さいから、物置小屋といったほうが正しいだろうか。


「ん。亜空間自体をもうひとつ用意してあったってことか?」

「それも、信じがたいレベルの話なんだけどな」


 つまり啓術で言えば『亜空展象ムンドゥス』を同時にふたつ別の空域に展開しているようなもの。

 ひとつだけでも世界を染め上げるのは困難であり、限られた存在にしかできない所業。それもあの時の亜空間は精度で言えば『亜空展象ムンドゥス』以上の強力無比なるものだった。

 それと並行してもうひとつなんて、ありえない。難易度は加算ならぬ乗算的に上昇しているはず。


 いやそもそもの話、自分の魂で染めた自分だけの空間を、並列して固定しておくことなどできるものなのか。

 あれは唯一であるからこそ可能な荒業ではなかったのか。

 同空間内のレイヤー分けですら戦慄したのに、同時にふたつだなんて考えられない。


 できていたのだから事実として認める他にないが……遠凪もまだまだ常識側の人間だったということか。


 すくなくともそんな無茶は遠凪にはできないし、そもそも聞いたことがない。門一郎に教わった遠凪が、聞いたことすらないのだ。


「で、オレたちがいたほうの亜空間が阿沙賀にぶっ壊されてその力を大きく弱めたお陰で外を感じ取れた――試胆会の連中がいる亜空間をな」

「あっ」


 なにか阿沙賀は随分と驚いた顔をして、それから額に手をあてて気まずそうに漏らす。


「そういやいたな、誘拐されてたんだったな。もうなんか忘れてたわ」

「阿沙賀ってほんと、目の前のことしか見えてないよな……」


 いちおう事の発端だったはずで、彼らを助け出すのが目的だったろう。

 すっかり忘れ去っていた――きっと阿沙賀の助けを待っているはずの彼らにちょっとだけ申し訳ない気分のようだ。


 遠凪は咳払いひとつで話を進める。


「とにかく。場所はわかったし、また戦うのがさっきの亜空間だっていうのなら、隣接したそっちにオレは干渉できるかもしれない」

「つまりあいつらを助け出して戦力にカウントできそうだ、って話だな?」

「まぁ要約するとそう」


 なるほどマッチアップの前に伝えるべき話である。

 阿沙賀は指折り数えながら。


「じゃァ数的には割とどっこいか?」


 捕まっている試胆会六名。それに阿沙賀と遠凪。

 相手は六名の臣下と主アティスと遊紗。


「いいえ」


 ふとそこではじめて口を開いたのはニュギスであった。

 この場でアティスとその臣下について知るのは彼女だけ。ここは伝えておくべきだろう。


「お姉さまの臣下で戦いに参加するのは五名だけですの」

「あ? 六人なのに?」

汰奉タイホウのジュガー……彼は戦闘要員ではございませんの」

「じゃあなんだよ。執事か?」

「その通りですの」

「見たまンまァ」


 たしかにちらっと見ただけでももしや執事かと疑念してはいたけれど。

 以前にメイドを傍に置いていたために従者の立ち居振る舞いについて多少の造詣ある阿沙賀であった。


「実際、彼だけは最初からこちらにいましたでしょう? あれはお姉さまの身の回りの雑事全般を請け負うためでしてよ」

「まァオメェと同じでお姫様だもんなァ」


 本来なら世話係は必須な気がする。

 それがいなかったために、ニュギスは自由に振舞うことができていたのでそれはそれでよかったのだけど。


 遠凪は細かい部分を省いて頷く。


「とりあえず戦力が減ったっていうのは助かるな。……メアベリヒ、他には? なにかあの面子について情報をもってないか? 彼らの顕能とか……」

「それはわたくしも知りませんの。お姉さまのは知っていますが……」

「それはもう阿沙賀に聞いたな」


 まあ自分のならともかく、姉の部下のことなんて深くは知らないか。

 では他に共有しておきたいことはなさそうだ。

 前提は今ある情報で完結し、そこからさて戦いについて思考していく。


「それでもまだ戦力差がでかいな」

「やっぱ爵位の差がでけェか」

「だいぶな」


 大江戸学園試胆会――そこに属する悪魔は七名。

 その爵位内訳は子爵三名、伯爵三名、そして侯爵一名。

 人間界で見れば随分と強大であり、おそらく平均値で見れば組織として世界最高峰と言える。


 けれどそれは所詮、人間界という異界での話。

 魔界においてはもっと恐るべき集団が幾らでも存在し、そのなかでもアティスの六の臣下。


 国に仕え、姫に仕え、公爵に仕える。

 魔界においても有数の立場であり、確固たる意志で従属を選んだ有力戦力。魔界中を見渡しても比肩できる対象は指折り数える程度しかいまい。


 人界においては過剰すぎるほどの悪魔集団である。


「たぶん、キルシュキンテ以外が全員でぶつかってようやくひとりを倒せるくらいだと思う」

「キルシュキンテはひとりで一殺か?」

「いやそれもたぶん厳しいけど」


 ジュガーが戦闘員ではないという情報は、逆を言えば他の五名は戦闘員であるということでもある。

 戦闘に特化しないキルシュキンテではサシでは荷が重いだろう。かつての収握シュウアクのデオドキアの時と、それは同じ。


「勝ち目ねェー。どうすんだよ」

「……なんとか全員、オレの『亜空展象ムンドゥス』に引き入れて時間稼ぎしてるうちに阿沙賀が遊紗ちゃんの説得とアティスの撃破をするとか」

「無茶ぶりァ」

「多々一様」


 阿沙賀が自分への割り当ての多さに文句を言っている横で、キルシュキンテが妙に強めに切り込む。


「敵性の悪魔を五柱も亜空間に含めて持続するのは大変至難のはず。亜空間の能力を完璧に維持しておけるのですか?」

「いや……それは……がんばるし……」

「却下です」


 阿沙賀には知れないが、どうやら遠凪が危ない作戦だったらしい。

 しれっとリスクある作戦を打ち出してくるな。


「でも時間稼ぎってのはいい線いってる気がする。キルシュキンテとか大得意だろ」

「貴様に言われるまでもない」

「遠凪もできそうで、他のやつら……フルネウスとかもあれ、逃げに徹すると面倒そうだろ」

「あっちと意思疎通ができないからなぁ。こっちで作戦決めても伝える暇があるかはわからん」

「オメェ縁故繋がってンだろ、それで手早く伝達しろ」

「あいつら久しぶりに阿沙賀を見つけたらオレの話なんか聞かないだろ」

「…………」


 こういう時、阿沙賀と試胆会の縁故が切れているのが嘆かれる。振り返るだにグウェレンはマジクソ悪魔。


 というか捕えられたメンバーを開放できるというのも、割と希望的観測ではある。

 もしも試胆会の助力なしとなれば数的不利は言うまでもなく、それ以上に。


「でもどうにかして分散させねェとたぶんまずいぞ。あいつら連携プレイ絶対上手いし、見るからに」

「見ただけでなんでわかるんだよ」

「勘」

「あぁそう」


 そしてこういう阿沙賀の勘が外れたことはない。

 それを肯定するようにニュギスが思い出したように。


「お姉さまの臣下は個々人が強壮で、揃えば手の付けられないと聞いたことがございますの」

「また面倒な」


 阿沙賀の勘とニュギスの情報を加味すれば、おそらくそれは真実。各個撃破しなければまずいほど、五名揃って戦う相乗効果があるのだろう。

 数的不利を背負えば彼らの分散すら叶わない。相手に有利な条件で戦いを挑むなどもってのほか。

 ではどうしたものか。


「てことはやっぱ。出たとこ勝負か?」

「いちおう、オレや阿沙賀があたる相手は決めておけるぞ」

「…………」

「…………」


 話が振り出しに戻っている。

 つまり、誰が誰と戦うか。

 遊紗を――遠凪と阿沙賀、どちらで迎え撃つか。


 ふと、阿沙賀は珍しく気落ちした様子でぼやく。


「遊紗のやつ、あいつおれの言葉を信じてくれねェんだ」

「あぁ、わかるよ。全部気遣いで、強がりで、本音を隠してるって思われるんだろ?」

「ンなわけねェじゃん。おれは常々本音で喋ってるぞ」

「…………」

「なんだよ」


 意味深に不満げに見つめてくるなよ。

 遠凪はもうしばらく無言で阿沙賀を見続けていたが、ふと背もたれに倒れ込む。椅子に体重を預けて脱力した様子で目を伏せる。


「遊紗ちゃんの言うこともわかるんだよな」

「あ?」

「ほら、阿沙賀ってカッコつけたがりじゃん?」

「男は全員そうだろ」

「そうだけどさ。それ以上にってこと。九桜も言ってたぞ、阿沙賀は辛い時ほど笑うって」

「みんなそういう認識なのかよ」

「だから遊紗ちゃんが不安に思うのも、わかるんだよ。特に彼女はオレと違って、面と向かって阿沙賀に否定してもらえてないから……」

「…………」


 阿沙賀は思案げに眉を寄せ、腕を組み、すぐに投げ出して思いのままに言う。


「遠凪、いいかおれは、おれはな」


 テーブルに手をついてずいと顔を寄せる。

 その瞳の輝きを、遠凪は逃れることなく見つめることになる。いや、吸い寄せられていたのかもしれない。

 こいつの瞳は、出会った時からなにも変わらない。


「言いっぱなしは好きじゃねェし、言われっぱなしも腹が立つ。

 相手の言葉を受け止めた上で言い返したいし、おれの言葉に文句があるなら言ってこいと思う。そういうやり取りがあって会話だろうが。おれは独り言を漏らしてるわけじゃねェし、誰かの愚痴をただ聞き入ってるだけでもねェ」


 自論だけまくし立てて後は聞く耳もたずと塞いでいるなんて許さない。

 おれの言葉を聞け。お前の言葉もしっかり聞く。それで言い合って果てに理解に一歩近づけるというものだろう。

 そして理解に近づけばいつか。


「そうしてこそ納得ができるってもんだろうが――納得は、大事だろ」


 きっと他者の理解などできはしない。

 自分は自分。他人は他人。その線引きはどうしたって取りされなくて、真実のところ理解までは届かない。

 だからこそ、その手前にある自己の納得こそが大事なのだろう。


「おれはまだ遊紗の言葉と行動に納得してねェ。おれは納得したいんだよ。

 遊紗はまだおれの言葉と行動に納得してねェ。おれは納得してほしいんだよ。

 それだけだ……それだけなんだよ」

「……そう、だな。そうだよな」


 遊紗の言い分もわかる。

 阿沙賀の言いたいこともわかる。

 遠凪は真ん中で両者の言葉も思いも受け取っている。

 けれど、それの折り合いはついていないだろう。阿沙賀の言うところの納得を、きっと遊紗もできていないというのは同意できる。


「納得できないことは、理不尽だもんな……」


 噛み締める様に呟いて、遠凪は様々な逡巡を振り切った。

 遠凪自身でなんとかしたかったとか、妹のような遊紗ちゃんを預けることになることとか。

 戦力比についてとか、試胆会の悪魔どもの開放についてだとか。

 諸々飲み込んでいつもの下手くそな笑顔を浮かべて言う。


「となると、まあここはオレがぐっと堪えるとするよ。遊紗ちゃんを説得するのは、やっぱり阿沙賀に任せる」

「おう。任された」


 そこに宿る思いを汲んで、阿沙賀にしては神妙に頷いた。

 そこで終わりではなかった。遠凪はさらに指を一本立てる。


「それともうひとり」

「あ?」


 びしりと遠凪が指さすのは阿沙賀の後ろ、ふわふわと儚げに浮遊する悪魔の姫君。


「そっちのお姫様ともしっかり納得いくまで話し合えよな」

「……わかってらァ」


 迷いを振り切って突き進む遊紗も困るが、惑い続けて蹲るこいつもまた面倒。

 せめてニュギスのほうだけでも片付けてから決戦に赴きたいものだ。


 とはいえ、こいつもこいつで頑固だからなァ。


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