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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第四幕 阿沙賀と迷子と姉妹喧嘩
79/115

79 怪奇! 七不思議失踪事件!



 本日は三学期初日、始業式の長話さえ終わってしまえばあとは連絡事項の通達くらいのもの。

 昼になるより早くホームルームを終えて帰宅が許される。


 今日一日の学園で過ごす時間は終わった、ということである。


 あとは空いた午後の時間に友人と遊んだり、ひとりで過ごしたり、自由にして誰も咎めない。

 それらは休み明けの鈍った感覚を平常運転に戻す――馴染ませる作業とも思え、言い換えれば自分の中にある違和感を見つけ出し、正しく処理するということ。


 だから阿沙賀は、今朝からずっと感じていた違和を処理するために、ひとりで空き教室にまで足を運んでいた。


 内心では不思議に思っていたことがあるのだが、それより一か月伏せっていた――ということになっていた――ことに対する学友たちへの対応に追われて今の今まで後回しにしていた。

 けれど、そろそろ放置しておくのも限界だろう。


 その教室になにかあるわけでも、なにかいるわけでもない。

 何の変哲もない、ただの教室。

 阿沙賀はひとりで、無人の教室で適当な椅子に座る。


 本当なら遠凪のやつも連れて来たかったのだが、あいつもまたどこかへ消えていた。今朝いっていた杞憂というのの確認作業、だろうか。

 その杞憂とやらが阿沙賀の抱く違和感と接地しているような気もするが、探し出すのも面倒だ。学園は広いし、現在あいつとは縁故も繋がっていない。


「…………」


 無言で五分、そのまま待ってみたがなにも起こらない。

 苛立ったように足先でもって床を叩いて音を鳴らす。やはり、なにも起こらない。


「おい」


 今度は声を発し、明瞭にこちらからコンタクトをとる。

 それでも、なにも起こりはしなかった。


「?」


 こんなことはなかった。

 こんなことははじめてだ。


 部屋から出ても圧の強い視線を感じ取れない。

 独り言に乗っかって話しはじめる流暢な声もない。

 廊下はさざ波も立てず、妙に馴れ馴れしい友人もやって来ない。


 こんな静かでなにごともない学園生活は、あの夜以来はじめてだ。


 今朝からずっと……試胆会七不思議どもがその気配を感じさせない。

 一体全体これはどうしたことか。

 あの出しゃばりどもがこうも沈黙しているなんて信じられない。なんなら昨夜の時点で押しかけてくるのではと警戒していたというのに。


「……」


 阿沙賀と遠凪は冬休み期間、学園から離れていた。野暮用があって帰って来たのは本当に昨夜であり、だから。


 もしも冬休み中に学園でなにかあったのだとしても、それに気づくことはできない。

 

 いや、心配しすぎであろうか。

 天が落ち地が崩れると不安がるような、これこそまさしく杞憂か。

 単にかくれんぼで遊んでいるだけかもしれない。無反応に苛立つ阿沙賀を見て陰でほくそ笑んでいるのかもしれない。

 冬休み中ほったらかしにされたことに不満を抱いて小さな意趣返しでもしているのかもしれない。


 悪魔ども悪趣味は今に始まったことでは――


「……いやねェな」


 ここで楽観することなどありえない。なにごともないという違和感を無視して通り過ぎてはいけない。

 直感した、これはなにかが起こった。もしくは、今もなにかが続いている。


「おれのいない間に舐めやがって」 


 阿沙賀は事の次第を追求することと決め、とりあえずまずは遠凪を見つけ出して話を聞くことにした。

 口に出すと事実になりかねない――既に事態が動いているなら、その懸念は無意味だろう。

 もったいぶって口を噤んでいては、裏で口封じに遭うのはサスペンスの常道。できるだけ早く見つけ出さないと、万が一もありうる。


 決断すれば早い。

 阿沙賀は空き教室から出て、廊下に一歩踏み出し――


 どぼんと。


 廊下の水底に落ちていく。



    ◇

 


「――七不思議の悪魔どもが行方不明になった」


 新年明けましておめでとうございます――そういえばそんな定型の挨拶も忘れていたな、と阿沙賀はどこかでぼんやりと思った。

 顔をだせばまず無事をよろこばれ、そうした無事であることを前提にした後の挨拶が抜けてしまったのだろう。

 別段、そこまで礼儀に拘るタチでもなし。ただ藪から棒に告げられた言葉に、前置きもなしかと感想を抱いた時に思い出してしまっただけのこと。

 自分が無礼をしてきたのに、ここで無礼を指摘するのは違う気がする。


 それはフルネウスの顕能『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』。


 先刻まで学園の廊下にいたはずなのに、今では水底。

 ぐいぐいと引っ張られるようにして沈みながらも、阿沙賀はごく冷静に目線を横に向ける。そこには動転した様子の遠凪の姿もあった。別の場所で同じく引き込まれたらしい。


 そして正面にはやっと現れた試胆会の悪魔、嘆溺タンデキのフルネウス。

 静寂を破るような急襲に、むしろ阿沙賀は安堵したものだが……そう安堵できるわけではないらしい。

 思いのほか、フルネウスの顔色が険しい。


 阿沙賀は可能な限りいつも通りに茶化して言う。


「行方不明って、なんだそれ、新手のゲームか? そいか嫌がらせ」

「そーかもしれんけど、そうじゃないかもしれねぇ……」

「あー?」


 話すフルネウスの側でも困惑があるらしい。

 どこか投げやりで、確信めいたものがない。


 ただ気づいた時にはそうなっていた。

 どうしてとかどうやってとか、そういう部分が一切不明であり、今日まで解明できていない。

 不明を棚上げにして、ともかく身を隠し息を潜めて好機を待っていた。

 阿沙賀と遠凪がやって来る今日、隙を見てふたりを巻き込めるこの好機を。


 フルネウスは自分の空間で沈みながら。


「冬休み、なんか会えてねぇ奴らがいる」

「広い学園だ、そういうこともあるだろ」

「そうだな。最初は当然オレもそう思った」


 試胆会はひとつのグループであり、囲いの中の共同体。

 とはいえ常に互いを感知しているわけでもないし、その行動を把握しているわけでもない。

 巨大な学園校舎のどこかにいて、もしくは自分で作成した異相、亜空間に潜んでいて、基本的には遭遇もしない。


 ただ、会いにいこうと思えば会える。

 おおよその縄張りみたいなものがあって、大抵はここにいるという場所がある。たとえそこにいなくても、試胆会の縁故を伝っていけば確実に会うことができる。

 ――はずなのだが。


「縁故を頼って探しても会えないのはおかしいだろ」

「……遠凪?」

「いや、うん、それは変だ」


 専門家に投げれば、遠凪は神妙に頷いた。

 その賛同の仕方は、事前から予測して自分でもそのように考えたが故にできる確信に彩られている。

 つまり。


「今朝の杞憂は、杞憂で済まなかったってわけだ」

「マジで困った……」

「オメェはなにを心配してたんだ?」


 今朝、不安視して確認をすると言っていた。

 あれはどんな警戒をしてなにをしにどこへ行っていたのか。


 阿沙賀の問いに、遠凪は今回はあっさりと答える。


「同じだよ、縁故を手繰ってみても、居場所がわからない奴らがいた」


 学園内にはいる。それは確実で、生存もしている。わかる。

 けれど現在位置が掴み取れない。

 縁故を手繰って探してもみたが、やはり見つからないで困惑していた。

 それはフルネウスとまったく同じ困惑であっただろう。


 いやもしかしたらフルネウス以上。

 なにせ学園結界を仕切る遠凪が、その内部の情報で読み取れないものがある――それは明白に異常事態。


 着々と嫌な予感が現実と化していくのを感じながら、阿沙賀は情報の整理を急ぐ。


「フルネウス、いねェのはどいつで、いるのは誰だ」

「まず異相空間をつくれないシトリー(根暗)とコワントのおっさんは最初にいなくなった。次に異相が下手なバルダ=ゴウドのおっさんと、ちょこまかとしてたアルルスタも見えない」

「つまり残ってンのは――」

『遠凪くんについていたキルシュキンテくんと空間能力の特別高いフルネウスくん、そして最後に僕さ』

「! 迷亭、やっぱ生きてやがったか!」


 声を挟むのはこんな時にも軽く飄々とした風情を崩さない女、大江戸学園の嘘吐き先生、迷亭である。

 いつものように姿は見せず声だけでこちらの会話に混ざってくる。 


『いや、ごめんねぇ阿沙賀くん。君からの呼びかけを無視するなんて不覚の至りなんだけど、今はちょっと危なくてね』

「オメェでも危ねェのか」

『うん』


 声を発すれば、その声の出どころを探られる。

 それは道理であるが、そこらへんを誤魔化して煙に巻くのが得意なのが迷亭という女。

 その迷亭が黙り込んでいたこと、フルネウスの領域内でようやく声を出せていること。そしてこの即答。


 それほど強く警戒している。しかし一体なにを、誰を?


『とてもまずい状況だよ、学園結界崩壊の危機と言っていい』

「なんだと!」


 溜まらず姿を現したのは上等な着物を着飾る黒髪の乙女、最後の試胆会七不思議、廻逆カイギャクのキルシュキンテであった。

 彼女は特例で学園結界の外に出ることができるため、常に遠凪の傍らにいた。そのため無事であったとも言えるが、そのぶんだけ情報に遅れ事態を今知った側だ。

 聞き捨てならない言葉を吐かれ、思わず飛び出してしまったようだ。


 キルシュキンテは刺すような目つきでどことも知れない迷亭を睨む。


「そこまでのことなのか、私がいない間になにがあったという!」

『だから、それが最大の問題でね――わからないのさ』

「!」

『今なにが起こっていて、それは誰の仕業なのか、一切が不明。僕にさえ説明ができない』


 まるで神隠しのように、と迷亭は茶化しているのか本気でいるのかわからない喩えをだす。


『ともあれ現実として知らない間に試胆会の悪魔が消えているのは確かさ。居場所もわからない。そして封印の柱である彼らがこの学園から不在となれば――境界門が開く』

「いや……むしろなんでまだ閉じてンだ?」


 阿沙賀は素朴に疑問する。

 自発的に隠れ潜んだ、というわけではないのなら第三者の手が入ったのはまず間違いないだろう。

 その誰は今は置いておくとして。

 では、どうして殺さずに生かして捕縛しているのか。


「たしかに、なんで生かしてるんだ? 生きてるのは、うん、確実だぞ」


 遠凪の通ずる縁故から感じ取れる最低限の情報、生存だけはやはり間違いないのだ。

 悪魔を生け捕りにする、という時点で敵は手練れと想定できるが……なぜ、わざわざ殺さずにいるのか。

 殺害よりも生け捕りのほうが難しく、そして生きたまま捕えておくのはさらに面倒であろう。


『生け捕りに理由があるとすれば、まあ考えられるのは四つくらいかな』


 迷亭がすらすらと疑問へのありえる可能性を挙げる。


『ひとつ、人質。身柄を返して欲しければという脅しのために生かしてある。なんらかの要求を通すために捕まえたってことだね』

「常套手段だな」


 とはいえ身代金要求はされていないし、そもそも人質にしては数が多い気もする。それに、悪魔を人質にしても見殺しにすると考えないだろうか。


『ふたつ、不殺。そういう契約か、そういう魔魂顕能レツァイゼンか、ともかく殺害ができない事由が敵側に存在するから結果的に生かしてある』

「いや……うーん? なんかピンと来ねェな」


 顕能で殺せずとも他で殺すことはできるだろう。

 そうなると契約ということになるが、契約というのならば契約者がいるはずで、その契約者がやればいい。

 双方が不殺を禁じているという線はありうるが、非常に稀有で、そんな契約をする奴が誘拐などするものだろうか。


『みっつ、怨恨。生かさず殺さず、苦しめたくて痛めつけたくて生かしてある。なんらかの恨みをもって捕まえた……とはいえ』

「それはないだろ」

「あの面子全員に恨みがあるっていうのは考えづらいな」


 魔界にいたころでは他人であったし、学園に来てからは大抵が隠れ潜んでいただけ。恨みを買うような真似があったとしても、それは個々人の問題であってわざわざ四名を生かして捕えていることに疑問符がつく。


 個別の事案ではなく、試胆会というグループ単位での事件であると、阿沙賀らは思っている。

 ならば最後と迷亭は言う。


『よっつ、理解』

「?」


 これまでと毛色の違うワードに、阿沙賀は首を傾げる。

 そう反応することをわかっていたのか、迷亭はわざと焦らすようにすこし間を置いてから説明を続ける。


『なんらかの理由で試胆会を排除しようとしているが、相手が学園結界とその意味を理解していて、だから結界維持のために生かしてある』

「待て、いや! ありえないだろうそれは!」


 その想定には遠凪が声を荒げる。 

 それは裏切りを示唆する想定であったからだ。


「学園結界のことを理解していて今この時に敵対する奴なんかいないはずだ!」


 それは信頼からくる言葉。

 結界維持は門の封鎖のために絶対必須――現在それを知っている者は皆、信頼のおける相手だけ。もしくは契約で縛ってある悪魔。

 捕虜から伝わることも契約上ありえない。


 ならば信頼の裏切りを意味しており。

 甲斐田のふたりか、阿沙賀か遠凪。その誰かが口を割ったとでも言うつもりか。ありえないだろう、そんなことは!


 いや、とあっさり迷亭は否定を置く。

 ただし意見を翻したわけではない。別の抜け道を、彼女は懸念している。


『知らなかったけど、理解できたってこともありうるんじゃないのかなぁ』

「なっ……!?」


 虚を突かれて一瞬言葉を失うも、すぐさま落とした言葉を拾い集めて放つ。


「この、複雑な結界の情報を読み取って解き明かしたとでも? そんな馬鹿な。そんなことオレにだって、いや迷亭、あんたにだってできないだろう」

『いやぁどうかな、時間をかければ、あるいはって思うけど』

「っ」


 大江戸学園を包む結界は大江戸・門一郎渾身の強力なる術。

 ただ堅固であるというだけでなく認識阻害、気配遮断、操作権固定、継承制度、その他幾つもの機能を搭載している多機能結界である。

 術式自体にも迷彩がかけられており、術の意を読み取ることすら基本はできない。


 なんのための結界で、どうした供給路をもっていて、どれくらいの範囲を覆い、なにを最重要としているのか。 

 遠凪でさえ試胆会と契約して結界の権利を取得するまで理解できていなかった。いや、継承した今でさえブラックボックスが存在し、不明が残っている。

 機能のすべてを把握することなど、施術者たる門一郎くらいにしか不可能である。


 とはいえ継承以前の遠凪にもおおよその推測、漠然と意味をくみ取る程度まではできていたことも事実。門一郎本人の説明もあったせいでそれ以上真剣に読み取る努力をしてはいなかった。

 あの推測を詰めていき漠然たるを明確にしようと取り組んだ時、果ての最重要機能である境界門封鎖まで解読できただろうか……?


 もしかしたら、理屈の上では不可能ではないのかもしれない。


 迷亭の発言が嘘か本当かはわからない、阿沙賀に目配せしても肩を竦められるのみ。

 結局、明白な結論には至らず危険性だけが胸のしこりとなって残存する。

 遠凪が黙れば阿沙賀が継ぐ。


「あー。で」


 とはいえここまでの会話、阿沙賀は全て飲み込めたわけでもない。飛び交う専門的なワードを瞬時に処理するにはまだ経験が浅い。

 なので掻い摘んで頷くべき場所を見つけ出す。


「とりあえず今回の敵はこれまでと違って正面から向かってこねェ小心者だってのはわかった」

「……まぁ、間違ってはいない」


 小心者とは言いようで、隠れ潜んだ影なる襲撃者と捉えれば相当に厄介だろう。

 目立たないように立ち回って事の次第に気づかせないやり口は卑怯にも思えるが、同時に最大限に効率よい手際である。


 ここまでの対話で敵から既に攻撃を受けているという事実は把握できている。

 なのに、攻撃をされているという実感には至っていない。

 回りくどく、遠回りで、掴みどころがない。


 そのくせひとりずつ戦力を奪っていく合理性を有し、真正面から向き合わないで搦め手を躊躇わない。

 そしてなによりも――もしかしたらとんでもない技巧を有し、遠凪以上の空間使いの可能性さえある。

 

「これまでにない敵だな、これは」

「ふゥん?」


 ようやく事件が表立ってきて、遠凪は遅まきながらも焦りを生じさせる。

 どうにか対処を考えなければならない。

 だがなにもかも不明の敵に、どういった方策を用意すればいいのだろうか。

 これまでの推論が必ずしも正しいわけでもなく、どこかに含まれた誤った認識による行動が地雷とならない保証もない。

 

 思索に行動をとれずにいる遠凪であったが、阿沙賀はこういう時こそ踏み込んでいく。


「迷亭」

『なんだい阿沙賀くん』


 声に動揺も焦燥もない。

 いつも通りで変わりない。

 いつも通り、嘘吐きの語り口である。


「オメェ、下手人に心当たりはねェのか?」

『ないよぉ、あったらすぐにも言ってるだろう?』

「オメェの目ざとさと執念深さと面倒くささでも、わかンねェのか?」

『知らない。僕は、知らないよ』

「……」

「…………」


 なんとなしその場で迷亭以外の者が目を合わせると、同意のように頷きあった。


「「「「嘘だな」」」」

『えぇ!? みんな揃って!?』


 実際は未だニュギスは上の空であったが、気にかけている余裕もなく。


 やはりというか、迷亭は此度の七不思議失踪事件、その犯人を既に特定していた。

 キルシュキンテは激怒した。


「迷亭、貴様! この期に及んで嘘をばら撒くか! どれだけ迷惑をかけるこの痴れ者め!」

「どこの誰なんだ、教えてくれ迷亭!」


 続けて遠凪は懇願をする。

 怒ってもどうせ暖簾に腕押し、素行を叱りつけるよりもともかく今は情報をいただきたい。

 二者の異なる色の発言に、大して聞いた風もなく迷亭はやれやれとのたまう。


『知らないのになぁ。無茶を言うよね。みんなで僕を誤解してるよ、こんななにもわからない暗闇の中で松明の在り処を隠すような真似するわけないじゃないか』

「むしろそれがオメェの得意分野だろうが」


 別室に松明を隠して暗視ゴーグルで慌てふためく姿を眺めるような、そういう悪趣味な女である。

 この静かに切迫し、不明に彩られて敵を捕捉できず、焦りばかりが助長される状況下でもなお嘘っぱちで場をかき乱す。

 怒るキルシュキンテも焦る遠凪も等しく愉悦でしかなく、とはいえ阿沙賀の低温の対応にはちょっと笑っていられない。


 お得意の嘘八百、それを阿沙賀に見抜かれるのは快感であるが、その他大勢に看破されてしまうのは不服の至り。

 阿沙賀だけが迷亭の嘘を見破れるように、迷亭だけが阿沙賀以外を騙しおおせる――そうでなければ対等でない。

 嘘だらけでまともに取り合わない迷亭であっても、彼に落胆されるのは本気で嫌なのだ。


『まぁ冗談はこの辺りにしてだね。ほんとのことを言うと、言っても信じてもらえないから嘘を吐いていたのさ』

「オメェの信頼度は逆の意味で満点だもんな」

『あはは、そういう意味じゃなくてね』


 笑っている。

 迷亭は笑っているはずだ。

 なのに、まるで楽し気ではない。

 今回、秘めた嘘の裏は、どうやら楽しいそれではないらしい。


『犯人が彼もしくは彼女だと言っても、信じがたいような名前なんだよ。最初から真実を告げたところで、それこそ嘘だと断言される。そういう相手さ』

「それは」


 阿沙賀は意味深な言葉に目を細める。

  

「……その言い方だと、もしかして、知った顔か?」

「え」


 迷亭の顔には動揺の一滴もない。澄んだ水面のようにニヤニヤ笑顔のまま。いや阿沙賀には直接見えるわけではないが、そうであることを知っている。

 代わって遠凪が驚いてしまう。彼は、信じる相手を信じているから。


「いや、そんな……誰だって言うんだ? オレや阿沙賀はありえない。リアさんも、おそらく技術的に無理がある」


 消去法では。


「甲斐田・志津……さん、だと? まさか」


 大江戸・門一郎が認め信じた相手である、ここに来ての裏切りは考えられない。

 もしも裏切るのならもっと早い段階でできたはずで、もっとスマートに為せたはず。なんなら試胆会の儀式に横やりをいれることもできたのだから。


 そもそも裏切って、一体なにをしようというのか。動機もわからず、また本当に可能であるのかもわからない。

 遠凪は志津の実力も人格も、ほんの一端しか知らない。


 知らないからこそ疑えるということでもあるが、やはり信じがたい。

 むしろ、遠凪は自らの手を見つめて自虐的に。


「もしくはオレが何者かの顕能で無意識的にやらされてるとか……?」

「ねェよバカ。というか冬休み中に失踪が起こってンだからおれもオメェもリアもばあさんもアリバイあるだろ、ちょっと冷静になれボケ」


 どうも変に没頭して迷走する悪癖のある遠凪に、阿沙賀は一発軽めに殴っておく。

 今回は、遠凪も殴り返してはこなかった。殴られた頭をさすって息を吐く。落ち着こうと努力している。 


「でも阿沙賀、これまでの情報を整理しても犯人像は輪郭もでてこない、本当に知ってる相手なのか?」

「たぶん、間違いない」


 迷亭の解読にかけては第一人者、阿沙賀は言う。


「なぜって、知り合いでもないなら隠しても意味がねェ。そいつが犯人だってわかって衝撃を受けるから、その時のリアクションが楽しみだから、だから隠すンだろうが」

『いやぁ阿沙賀くんは僕のことをよくわかってくれていてうれしいねぇ。え? 僕のこと大好きすぎじゃない? もしかして愛の告白だったの?』

「黙れボケ」


 一言でねじ伏せて。


「遠凪、オメェの言う通りだよ、これまでにない敵ってやつだ――知り合いかもしれない」

「!」


 遠凪はその事実以上に、告げる阿沙賀の態度のほうに面食らう。

 彼にしては酷く落ち込んだような、絞り出すような物言いであったから。


 それから阿沙賀はすぐに繕い直して軽く笑う。 


「竜木のボケの逆襲とか……だったらいいんだけどな」

「はは、そうだな。そうだよな……」


 そういう殴っても心痛まないような、根っからの敵対者であれば、どれだけ気楽だろうか。

 けれど迷亭が喜ぶとなれば、きっとそんな単純なものではないのだろう。


 心当たりはないけれど――いや、本当にそうか?


『あ』


 ふと、迷亭がそれに気づいた。


「え」

「お」


 遠凪とフルネウスが続けて気取り。


「ん?」


 阿沙賀は最後まで気づきはしない。

 なにせ五感で知覚できるような現象ではない。もっと大きな視点であり、もっと小さな余韻。

 

 それはこの亜空間への他者からの干渉であった。

 

「嘘だろ、俺の空間が気取られたってのか!」


 フルネウスが驚くのも無理はない。

 彼の亜空間は現在、迷亭によって秘匿されている。それはこの世界から迷亭の世界へ直通路を開いたことが幾度かあるせいで、もしかしたら履歴参照のように迷亭の居場所まで暴かれる恐れがあると警戒したからだ。


 その上で、さらにもうひとつ見つけにくい理由がある。

 それは『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』、その顕能特性に依るものだ。

 このフルネウスの顕能『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』は、非常に珍しい移動式の亜空間である。


 廊下中をサメのごとく、亜空間が泳いで移動しているのである。


 当然にまず亜空間の発見は困難で、それが移動するとなれば難易度は増す。

 そこに大江戸学園の結界と迷亭の術理も合わされば、まず見つけられないはずなのだ。


 なのに。


「どうして……!?」


 フルネウスの声とともに阿沙賀は弾かれるような感覚とともに視界を失う。

 沈む浮遊感は地に足のついたいつもの感覚に戻り、気が付けばどこか廊下にニュギスとふたりで突っ立っていた。

 どうやらフルネウスによって領域から逃してもらえたようだ。

 だが、では。


「あいつ……! おい、フルネウス! 無事なんだろうな!?」


 だん、だん、と。

 何度か床を踏み叩くも、そこが波立つことはない。ただ硬い感触だけが足裏に返っては静寂を際立たせるのみ。


「迷亭、聞こえるか、返事はいらねェ! 隙を見つけたらおれを呼べ、いいな!」


 負け惜しみのように叫ぶしか、阿沙賀にはできなかった。

 敵はやはりその影すら見せず、けれど確実に不安と困惑を植え付けていった。



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