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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第四幕 阿沙賀と迷子と姉妹喧嘩
78/115

78 なにごともなく静か


 我レ思う――無知は罪だと誰かが言った。


 ならば無知を強いるのもまた罪となるのだろうか。

 そして無知を強いられた者は罪になるのだろうか。


 知らねば悲しむこともなしと、優しさをこめた沈黙すらも罰せられるべきと言うのなら……それは甘んじて受け入れよう。

 もとより秘密に隠したことは申し訳なく思っている。いずれ知れた日にはどんな怒りも受け入れる覚悟でもって秘している。


 だが。


 周囲に無知であることを願われ、幸せであることを願われ、なにも知らずに純粋に笑うことが罪だと言うのなら――そんな理不尽はクソ喰らえ。

 無垢なる子らに罪などあるわけがない。原罪なんて知ったことか。

 

 知ろうにも知りようもないことだってある。

 知れることにも限度がある。

 知らなければいいことだって、あるのだ。


 君にはなにも知らないでほしいと願う――この気持ちこそが罪であっても、彼女に罪などないのだから。



    ◇



『ええ、こちらももうだいぶ落ち着いてきています。おばあ様も復帰されまして、お礼を言っていましたよ』

「おう、そりゃよかったな」


 なにごともなくいつも通り平凡な早朝――ではなく。

 ゴタついた冬休みもようやく終わり、本日は冬休み明けの始業式の日。学生にとっては割と特別な、来ては欲しくなかった登校日である。


 ついに終わってしまった休みを儚み、最後の安全圏である布団から抜け出せない。

 長期休暇の終わり定番の無駄な抵抗は、しかし今回阿沙賀に限り存在しなかった。


 なにせ冬休みこそ面倒事に追われて、学園に帰って来たのは昨夜という大忙し。

 まるで休暇の実感もなく駆け抜けた二週間は、気を緩ませることもなく過ぎ去って今日に至る。

 阿沙賀はむしろやっと学園という大義名分で通常運行に戻れることに安堵さえしていた。


 そのためテキパキと登校すべく制服に着替えながら、布団の上に置いたスマホに向けて声を送る。

 

「しかし流石に元気なばあさんだな、若いおれらでもダルいってのにもう復帰か」


 スピーカーフォンにして話しているのは甲斐田・リア。

 冬休みのゴタゴタについて遅まきながらあれこれと教えてもらったところだ。

 無論、阿沙賀としては細かい報告については流し聞きしていたが。そこらへんは遠凪のほうが把握しておけばいいだろうと投げている。

 それはリアのほうもわかっていて、だから本題は報告よりも謝意の表明。


『グウェレンのことも含めて、ぜんぶ阿沙賀くんと遠凪くんのお陰ですよ、本当にありがとうございます』

「……」


 受け流した言葉を再度念押しのように言われ、阿沙賀は押し黙ってしまう。

 あまり、お礼とか謝罪とかを向けられるのは得意ではない。どう対応すればいいのか、未だによくわからない。

 リアは無言からでさえそうした阿沙賀の心境を読み取り、


『阿沙賀くんはお礼を受け取るのが下手なようなので、繰り返すことにしました。しっかり感謝をしてますので聞いててくださいよ? 返事は、べつに構いませんので』

「……どういたしまして」


 不貞腐れたように吐いた言葉に電話口でリアの笑声が聞こえた。なにが楽しいのだか。

 無言でいればやがて笑みがやんで、リアは続ける。


『それと、これはお礼というわけではありませんが、メリッサのことはこちらで請け負います。というか、わたしと仮契約を結ぶことにしました』

「おー、そうか。そりゃまた見栄えのしそうな……」


 巫女の主に悪魔のメイド。

 片方だけでも眼福であったが、ふたり並べばもはや平伏すべき神々しさを発揮するのではないか。

 ドワあたりが昇天しそうだ。いやしてしまえ。自らの業によって滅ぶのならば本望だろうよ。


 リア当人からすればよくわかっていないのか、一拍おいてとりあえず『はあ』と誉め言葉を受け取るだけに留める。

 リアにとって巫女服はいつもの着こなしで、メイド悪魔に思うところはあまりないようだ。


 そんなことより、視界に入った現在時刻のほうが大事。


『あぁ、もうそろそろいい時間ですね、報告も終わりましたし切ります。朝早くからすみませんでした』

「ん、待てよ。聞いてねェことがあるぞ」

『え、なんでしょう』


 思いのほか強めの待ったに、リアは電話の向こうで首を傾げる。

 なにか言い忘れていたことでもあったか。


「リアはいつ学園に戻れンだ?」

『あっ……。はは』


 酷く、間の抜けた声を出してしまった。

 すぐに誤魔化すように笑って、その分だけ次に発する声が不要に大きくなってしまう。


『それはちょっとわかりませんが、できるだけ! できるだけ早く、その。もどります……』


 戻る、という言葉を使うことには多少の勇気を要したのだが。


「おう、待ってるぜ。またな」


 阿沙賀はまるで気負うことなくまたと言ってくれて。

 リアは、やっぱり笑顔で返すことができた。


『ええ、また』


 どうせこちらが通話を切るまで待つであろうことを予測し、阿沙賀のほうから通話を終える。終了画面を確認してからスマホをポケットへ仕舞う。


 さて制服も着替え終えたしカバンの準備も完了。

 時計を見遣れば多少早いが、遅れたりなんかしたら時間を気にしてくれたリアに申し訳が立たない。


「行くかァ」



    ◇



「お」

「あ」


 玄関を出たところでばったり、隣部屋の遠凪もまたちょうど顔をだしたところであった。

 一瞬驚いて互いに沈黙するが、すぐに気を取り直してとりあえずは挨拶。


「よォ遠凪、はよさん」

「あー……うん、おはよう。早いな、阿沙賀」


 いつもの挨拶が、どこかぎこちないように聞こえたのは気のせいか。笑みがいつも以上に下手なのは間違いないが。

 まぁ追及はせず、普通に会話を続ける。


「一か月休んだ挙句に冬休み開けだからな、先生にはよ来いって言われてンだ。朝っぱらから職員室だぜ」

「それでか」

「というか、オメェこそ早いンじゃねェの?」

「オレは……ちょっと野暮用」


 明らかに言いよどむ。

 気にしないつもりだったのに、そういう反応をされては興味が湧くではないか。

 阿沙賀は目を細め、貫くように遠凪の泳ぐ瞳を見据える。


「聞かれたくねェなら聞かねェからそんなうろたえるな」

「いや聞かれたくないわけじゃないんだけど、杞憂だと思うし、杞憂であって欲しいし……」


 口に出すと悪い意味で叶ってしまいそうだと、遠凪は言う。

 妙な縁起を気にする奴である。

 とまれ、そうであるなら無理に吐かせても杞憂でなくなった時に恨まれそうだし、というか阿沙賀が関わるとなぜか悪化しそうだし。

 結論。

 

「ま、ともかく行くかァ」

「そーだな」


 ふたりは並んで寮の廊下を進み、エントランスを抜けて学園の並木道へ。

 外気が身体中にしみ込むようにして体温を奪って、吐く息が白い。近いからと横着してコートを羽織ってこなかったことをすこしだけ後悔する。


 しっかりと着込む遠凪に物欲しそうな視線を向けるも、完璧に無視された。

 そのままなんともなしに空を見上げれば、陽の光を忘れたような曇り空だった。

 雪でも降ってきそうな空模様に、阿沙賀はおやと周囲を見遣る。

 流石に早い時間のため登校する生徒たちはまばらで、その誰もが傘をもってはいない。雪は降らなさそうだ。

 その視線の意味合いを把握して、遠凪は呆れたように。


「天気予報くらい見とけよな」

「空のご機嫌なんざ目で見りゃわかるだろ」

「今日は最低気温更新したぞ」

「うそァ」


 通りで寒いわけだ。

 というか情報として寒いものと知らされると、肌感覚以上に冷める心地だ。思い込みの力だろうか。

 心なしか速足になる阿沙賀に、遠凪は苦笑しつつも横に並んで稚気をこめて声とだす。


「パンツがないと、やっぱ寒いのか?」

「あー、いま言っちゃいけないこと言ったなオメェ! 誰がノーパンの阿沙賀だボケ!」

「まだそこまで言ってないぞ、被害妄想ひどくない?」

「つまり言うつもりだったじゃねェか! どこが妄想だ、加害者の無頓着こっわ」

「で、やっぱ寒いのか?」

「無頓着こっわ!」


 なにそのイエスと言わなきゃ進まないフラグ進行みたいな繰り返しは。

 せめてこちらの言い分に反応を示してくれよ、ぶん殴ってやるからさァ。


 かなり無意味なことを駄弁っている内に校舎に辿り着く。

 下駄箱で靴を履き替えたらそこで遠凪はさっさと職員室とは別方向に去ってしまう。最後に一声文句を投げてももやついた怒りは解消されず、持て余す。


 釈然としない心地で阿沙賀はとぼとぼと歩き始め、廊下を渡って職員室へ。

 まず保険医の先生と担任に繰り返しもう大丈夫かと心配の小言を渡され、迷亭が偽造した書類を盾に無事であることを辛抱強く訴えた。

 保険医は後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら保健室にまで帰っていき、担任は今後のことについてを話し始める。

 休日と放課後の補講、特別課題、ただし体調を考慮して――なんだかどんどん申し訳なくなってくる。


 ぶっちゃけ阿沙賀は学園祭から二学期終了までの間は元気に修行に取り組んでいたわけで、体調不良と言えば冬休み初日に死闘を繰り広げたことによる困憊くらいのもの。それも時間経過で回復したので、今やすっかり健康優良児。

 こうも心配を賜るのは筋違いな気がして、居心地が悪い。


 いや。

 大悪魔と殴り合い何度も生死の境を彷徨って精も根も尽き果てた状態を体調不良ていどの言葉で括るのはどうかと思うし、一か月間の危篤状態にも匹敵しかねないのではないかと。

 ……そういう常識的なツッコみが、今日は入らない。


「…………」


 先生の話を聞きつつも、阿沙賀はちらと傍らを見遣る。

 そこには麗しき姫君、人ならざる美貌と瞳孔と魔威を誇る悪魔、ニュギスが浮遊している。

 酷く、上の空で。


 今朝からずっとこの調子だ。

 話しかけても聞いてない。繰り返してやっと気づくもすぐにまたどこかに沈む。傍から離れることはないが、浮遊の操作がいい加減で何度か阿沙賀にぶつかっている。

 集中していない。胡乱に揺れている。どこか、別の場所に心がある。


 明らかになにかある風情であった。


 まさかとは思うが、ニュギスもまた縁起を気にして言霊にできず悶々と思案しているのだろうか。

 それであるならもしかして、遠凪の感じる杞憂とニュギスの感じるなにかは、同じものなのか。


 誰もまともに話してくれないものだから、阿沙賀ばかりが嫌な予感に震えてしまう。



    ◇



 長かった担任の話も終わって、ようやく自分のクラスのドアに手をかける頃には廊下は生徒で溢れていた。

 時間も時間、大抵の者は既に机にカバンを置いて遅刻の恐怖から逃れている。

 あとはチャイムを待つばかりで、無論その間を黙って席に着席して待機するような者は少なく、皆が思い思いに自由に過ごして賑やかだ。


 だから、阿沙賀ががらりとドアを開けたところで、それほど目立つはずはない。


「はよさーん」

『!』


 ――わけがない。 


 それはもうえらい勢いで囲われた。

 クラスの全員が阿沙賀の姿を見た、声を聞いた瞬間に集まってきてその無事に安堵する。


 口々によかった、大丈夫か? 元気そう、心配した、と真っ直ぐに思いのたけをぶつけてくれる。

 さしもの阿沙賀もぎょっとしたが、すぐに相好を崩していつも通りに笑った。

 問題ねェ、寝てただけだ、オメェらより元気だと言ってのける。


 そのいつもの強気な発言に、楽しそうな笑顔に、クラスメイトたちは本当に阿沙賀が帰って来たのだと実感できる。

 ほとんど二か月間の不在は、彼らの年頃にはあまりにも長かった。

 その長い間をずっと、心配していたのだ。


 そういう情緒もまた理解できて、阿沙賀はやっぱりこそばゆい。面映ゆい。

 ここまで熱烈に生存をよろこばれることに、多大な戸惑いを覚えてしまう。阿沙賀本人よりも、彼らのほうがよろこんでいるんじゃないかと思えるほど。

 大袈裟じゃないかと思うし、一方でただありがたいことだとも思う。


 そのままわちゃわちゃと、チャイムが鳴るまで阿沙賀はクラスメイトたちに揉みくちゃにされたのだった。


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