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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第三幕 阿沙賀と御霊会と厄介大悪魔
75/115

75 人界魔王襲来雪辱戦


「……ね、ほんとに戦うの?」

「んァ?」


 メリッサは勤務時間外になると途端に砕けてダウナーになる。

 メイドであることをやめると彼女は随分と緩く、そして悲観的だ。


 いつも同じ話をしてくる。何度もその話を繰り返す。

 それは甘やかで退廃的で欲望をよく刺激する、悪魔の誘惑であった。


「やめたほうがいいって。逃げよ? 逃げちゃおうよ」

「ヤだね」


 あっさりと突っぱねると、むっとした風に後ろ向きな断言をされる。


「なんでさ。絶対死ぬだけじゃん」

「ほっとけ」

「ほっとけたらもう私いないって。最後の命令があんたにつけってのだから傍にいないと」

「ふぅん? じゃあ逃げンの促してんのはオメェ、このままだとおれに協力してグウェレンに挑まないとってことか?」


 図星をつけば口をとがらせ肯定を。


「そー。無理。絶対無理だって……だから逃げようよ」

「おれが勝てばいいだけだろ」


 阿沙賀にとっては当然至極の理屈なのだが、どうにも彼女には通じない。

 やれやれとばかりにため息を吐かれる。


「あのさ。いくらメアベリヒ様から魔力を得られるからって、勝てるわけないでしょ。前回のだって魔力を制御できずに動けなかったくせに」

「だから特訓してンだろうが」


 今まさに、彼女と駄弁りながらもニュギスと縁故を通じて魔力のキャッチボールの最中だ。

 時折メリッサからも疑似縁故を予告なしに繋いでもらって変則的な魔力移動にも対応している。


 義務的に特訓の補助をしていていながら、メリッサは後ろ向きに断ずる。


「特訓て……そんな簡単に魔力制御できるわけない」

「わかんねェだろ」

「わかるし」


 メリッサからすれば、阿沙賀の根拠のない自信のほうが信じられない。

 意味が分からない。ただの人間がどうしてこうも勝てるつもりになれるのか。

 意地を張るにしても、それは異常の域だろう。


「もし万が一、魔力制御ができたとしても、今度は経験とかセンスとか、それからなにより魔魂顕能レツァイゼンのぶんだけ絶対負けてる。勝てる要素を教えてほしいくらい」

「怒りに燃えるハートと握りしめた硬い拳がおれの武器だな」

「勝ち目なさすぎ」

「……」


 流石にこうも否定を並べられるとかちんとくる。

 たとえそれがほぼほぼ正解ではあったとしても、腹が立つのは腹が立つ。いつだって正論は嫌われているのだ。


「じゃあ賭けるか?」

「……え?」

「うちのギャンブル狂いがいないせいで口約束だが……そうだな、おれがグウェレンに負けたらおれの魂全部やるよ」

「負けたら死んで魂も粉々でしょ」

「それは……ニュギス、なんとかしろ」

「そこでわたくしに丸投げですの?」


 急に振られて嫌そうな顔のニュギスであったが、すこしだけ思案して仕方なしと肩を竦める。


「まぁ、構いませんの」

「え。メアベリヒ様は阿沙賀の魂、いらないの?」

「いえ? この世なにより希求してやみませんけど?」


 思いのほか圧が強い。

 餓死しかけの鬼みたいな欲望を感じさせる受け答えである。


 若干の恐怖を覚えつつ、メリッサは半笑い。


「……超欲しがってるわりには、簡単に了承するんだね」

「もちろん、契約者様は勝利なされますもの、ねぇ契約者様」

「あたりめェだ」

「ですの」

「…………」


 本当に、このふたりがわからない。

 既に半月以上も共に生活しているが、未だに全然理解できない。

 悪魔と人間は、こんなにも強く結びつくものなのか? 縁故なんて一度は切れたはずなのに、二度目の縁結びを成すなんて聞いたこともない。


 メリッサが茫然としている隙に仲良しふたりは勝手に話を進めている。


「それで契約者様が勝利した暁には、彼女からなにをもらうおつもりですの?」

「そりゃ魂賭けたんだから魂賭けてもらわにゃな。おれのことをご主人様と呼べ」

「不潔ですの!」

「いや……一回だけ。一回だけでいいから。真なるメイドさんにご主人様呼びはロマンじゃん?」

「はー? クソ人間の下劣極まれりですの! ギロチンの音色が恋しいですわね! 首を落として反省してくださいまし!」

「首が落ちたら死ぬンだわ」

「死んでください」

「ストレートァ」


 いやほんと、わからないよ……。



    ◇



「お――らァ!!」

「死――ねィ!!」


 大規模な魔力を全身に満たして、際限なく己を高め、漲る破壊衝動に経路を示す。

 あふれ出る余剰を漏らさぬよう、無駄を排して極限の鋭さを追求する。注ぐ魔力が多いほどにそれは困難であり、今ぶちこんでいる魔力量では筆舌に尽くしがたい至難であろう。


 それでいてその制御は前提事項であり、できていないなら既にこの場から爪弾きにされている。

 前提を乗り越えた上、苦痛やダメージに集中力が途切れないように腹を括って、相手にミスを期待しない。ひた向きに勝利を目指して悲観せず、へこたれず、自己を信ずる。

 やっていることは高等なる難儀、だが発露されるそれはいかにもシンプル、どこまでも明快。


 阿沙賀とグウェレンの真っ向からの殴り合いであった。


 様子見の暇も惜しい。

 フェイントなんて無駄に過ぎる。

 回避さえもがじれったくて仕方がない。

 ただただ一刻も早く目の前のこいつを負かして跪かせて気分よく笑いたい。


 全力で拳を振り上げ、全力で振り下ろす。

 硬い肉にぶち当たり、破格の威力を敵に与えた。そういう手ごたえに頬を緩ませ、その頬を殴り返される。

 歪んだ頬は笑みに変わり、犬歯をむき出しにやり返す。やり返される。殴る殴る殴る。


 乱打の応酬。

 撃滅の意思を込めた拳が交互に打ち合い血に染まる。


「「ゥらァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアア――!!」」


 言葉にもならない咆哮ととも放たれた打撃一発が結界を震わせ、返す拳が大地を裂いて天を割る。

 尋常ならざる破壊力は台風、エネルギーは地震にも匹敵しかねない。単独での災害が如き破滅を振りまき、それがぶつかり合うというとんでもない異常事態。

 当然に観戦していた遠凪やニュギスとメリッサはすぐに避難、迷亭の教室へと逃げ込んでいる。

 既にこの場、大江戸学園には阿沙賀とグウェレンだけの一騎打ち。


 まさしく公爵ヘルツォークの悪魔が全力で殴り合っているのと、それは遜色なき熾烈なる死地であった。


「貴様、魔力制御を……!」


 ありえない。

 たった一か月、それだけの短期間でこうまで完璧に公爵ヘルツォークの膨大魔力を使いこなすなんて。

 以前はたしかに木偶だったのだ。溢れる力を身に留めるのがせいぜいでそれ以上の活用になどまるで及んでいなかった。

 それがどうした、今やグウェレンに匹敵するほどごく自然に洗練した魔力使用を見せて公爵ヘルツォークの悪魔そのものの威圧を振りまいている。


 悪魔以上に魔力を纏い、悪魔以上に魔力を駆使し、悪魔以上に悪魔を引き込む。

 なんでこいつは人間なんだ。こいつは本当に人間なのか。


 困惑するグウェレンに、阿沙賀はひたすら笑っている。


「修行の成果ってやつだよ、これで対等だなァおい!」

「貴様ごときがこの俺と対等だと? 思いあがるな慮外者!!」


 人間ごときが公爵ヘルツォークの膨大な魔力をすべて受け止め、そして一切の無駄なく運用している。

 目の前で巻き起こる尋常ならざる現実に、グウェレンは動揺していたのかもしれない。


 けれど、そんなことはどうでもいい。


「貴様のような奴輩どはいがいるから弱者は嫌いなのだ!」

「あー?」


 殴り合い、拳を受け、蹴りをかまされながらふたりは会話する。

 嵐の中で揺るがず主張できるのは妙に器用で、それほどぶつけたい言葉であるということ。


「いつもそうだ。弱者はなにもかもを遅れさせる! 先進の足を引っ張り、先鋭の足手まとい。邪魔者以外の何物でもない!

 弱者で徒党を組んで、勝手に滅ぶ。強者におもねり、弱さをばら撒く! 存在自体が不要なのだ、いいから全員消えてくれ! この世に弱者なぞいらぬ!」

「はっ。バカかオメェ。オメェのいう弱者が全員いなくなったら、その次にはまた別の弱者がでてくんだろうが。強さってのは、どうしても相対的なんだからよ」


 百人グループの最下位を足切りする。

 すると次には九十九人のグループができあがり、そしてまたその中の最下位が必ず存在する。

 順位付けする以上、首位がいれば末位がいる。

 そして頂点からすれば、未満はすべて弱者と呼んでしまえるのだ。


「その結果は天井限界以外の全滅だ。クソみてェな終末だけだ」

「それのなにが悪い!」

「だからオメェも消える側だろうが! 偉そうに吹いてンじゃねェよ、似非魔王!」


 公爵ヘルツォークだとて魔王の格下。

 人界でいくらイキリ散らしたところで井の中の蛙である。


 だがグウェレンは否定する。明確に明白に、断じて否と告げる。


「いいや違う。俺は魔王に届く、門一郎さえいれば――俺は魔王にも勝利しうる!」

「はァ? ダブルスタンダードもいい加減にしろよ、群れる時点で雑魚じゃねェのか!」

「強者と強者が並ぶことと雑魚の群れを一緒にするな! 魂の結びつき、人と魔の契約は一心同体の進化だ!」

「自分都合の理屈ばっかペラ回しやがって、じゃあおれとニュギスもそれじゃねェのかよ!?」

「貴様は醜悪極まる弱者の極みであろうが!! 強者の足を引っ張り、そのおこぼれに預かるだけの最も唾棄すべき存在!!」

「手前勝手な決めつけしてンじゃねェよ! オメェ結局、自分の理屈でしか他人を見れてねェじゃねェか!」 


 支離滅裂極まれり――己の見たいようにしか世界を見ない。

 自らを肯定し他者を否定することばかりに専心し、細かい部分で粗が出ているのに無視して圧し通ろうとする。

 いくら外野が吠えてもなじっても聞く耳もたず、大音声で穴だらけの理論を披露して押し付けてくる。


「強い言葉で否定しすぎなんだよ! そんなに否定をしてないと自分を肯定できねェか?」

「!」


 自らを肯定させるための経緯にわざわざ否定を挟む。

 そのやり口からして気にくわない。


 そういう自分勝手さは阿沙賀の嫌うところ。寛容のない唯我独尊などガキの駄々と同じ。


「他の全部を否定して回って虱潰し。残った自分の回答だけが正解だって? おいおい、それ他を否定する必要あんのかよ。べつに他なんてほっぽっといて自分だけ肯定すりゃいいだろ!

 それができないのは、要は自信がねェんだろ。否定することはできても肯定することができない。雑魚丸出しだオメェ!!」


 こみ上げる激怒を速度に。沸騰した熱を拳に。

 思い切り力任せに感情的に拳打を放つ。

 激甚なる衝撃がグウェレンの腹にクリーンヒットし――


「否定することができるのならばそれで構わん――貴様を否定し尽くすことができるのならなぁ!!」


 ぱん、と。

 阿沙賀の、殴ったその手が切断された。


「――あ?」


 殴り合いの最中さなか、突然の出来事だった。まるで考慮の外の突発的な負傷。

 しかしそれのなぜは即座に看破できる。


「隔ち断つ、か……!」


 阿沙賀の腕と手とを隔て、断ち切った。グウェレンの顕能によって。

 切るだの裂くだのという次元ではない。

 元からそうであったかのようにその切断面は綺麗で、吹き出す血飛沫さえ美しい。


「おいニュギス、欠損に関しては魔力で再生は――」

『えっ。ちょ……えっ!? 契約者様、だいじょうぶなのですか!?』


 無論、言葉の間にもグウェレンの攻撃は苛烈。

 腕を失い勢いに欠けた今こそ攻め時なのは自明のこと。

 阿沙賀は仕方なしに防御と回避に転換しつつ、状況改善のためにニュギスへ。


「死ぬほどイテェよ。はよ答えろ」

『無理ですの! 魔力でできるのは治癒力の向上であって失った部位を再生するのはそういう顕能でなければ……』

「じゃあそういう顕能使えばいいな。キルシュキンテ」


 試胆会との縁故は途切れていても、声は聞こえる。なぜなら彼らは学園に潜む七不思議。この結界内であれば迷亭を通して疎通ができる。

 けれど返答は明るくない。


『……私は魔力が』

「それは()()から、はよ」

『なに? ……っ!? これは。……ち、つくづく嫌な男だ』


 ――『け掛仕桜し廻逆クロックロックワークス』。

 阿沙賀の欠損したはずの右手は巻き戻って再生している。


 これに動揺するのは切断した当人。


「な……っ!? なんだ、貴様、今なにを……!?」

「おら、隙だらけェ!」


 治った右拳が再びグウェレンに突き刺さる。

 幻影や一時的なものではない。

 確かに切断されたはずの阿沙賀の右手は再生――巻き戻っていた。


 さらに阿沙賀は初見殺しへの対策をしておく。


「ニュギス、魔力注視」

『はっ、はいですの!』


 ニュギスの眼力は不可視のはずの顕能さえ視認できる。その性質さえ読み解ける。顕能にも近しい特異にして特殊な顕能派生技能。

 グウェレンの顕能でさえ――


「ん」


 突如として阿沙賀の足首の空間座標になにかが発生する、その予兆を感じる。


「あー。隔て断つ、だもんな。隔てって一瞬の間があくわけだ」


 ただ断つだけの顕能に比して、一瞬以上に短いタイムラグがいるということ。ただしそういう事前の用意は発揮される威力の向上につながっているためどちらのほうが優れるもない。

 ただこの場、この時、ニュギスほどの観察眼をもつ相手には、そのラグは命取り。


「これなら躱せるな」


 ひょいとその場を離れ、見えない隔てを回避。

 すぐさま連続で予兆はなだれ込んでくるが、それも冷静にひとつずつ丁寧に避ける。

 デオドキアの時にこの手の座標指定型の攻撃は体験している。観察を終えている。


 その動きのまま、阿沙賀は顕能の乱舞へ真正面から向かい合う。


「あたんねェぞ下手くそ!」

「っ!? 貴様はなんだ……! なんなのだ……!?」

「阿沙賀・功刀だ馬鹿野郎!」


 名乗り上げとともに拳を連打する。腹に鉄拳を打ち込んで打ち込んで猛攻。

 このまま殴り倒すつもりで暴力の限りを尽くすのだが、沈まない。揺るがない。

 公爵ヘルツォークの悪魔は阿沙賀の全身全霊を受け止めてまだ倒れない。


「!」


 不意にグウェレンと阿沙賀の間、なにもないはずの空間に顕能予兆を検知。なぜ。

 そんなところを隔て断っても――いや。


「ち――ィ」


 両者間の空間が、広がる。

 間合いが遠のく。離れていく。隔たっていく。


「隔てただけ。断つを省略することで速度が増す。器用だな」

「貴様如き、俺に触れることはおろか近寄ることさえできんのだ!」


 それは遠凪の『亜空展象ムンドゥス遠のく凪の瀬ロゥワン・アキュティシマ』から着想を得た能力運用であることを、阿沙賀は知らない。

 けれど、この手のやり口は以前も経験している。その時の対処はどうであったか――期せずして最適解に辿りつく。


「こういう時はあれだな。遠凪ー! オメェの領分だぞー!」

『えっ、いや。だからオレももう生命力が……』

「だから、それは()()って言ってんだろ? メリッサ、繋げろ」

『畏まりました』

『え』


 キルシュキンテの時と同じだ。

 阿沙賀からは見えないが、向こうの教室にはメリッサもいる。ならば、それができる。

 阿沙賀と疑似的な縁故でもって繋がることが、可能である。


 メリッサの顕能『糸おしく糸わしく(ストリングラフィ)』があれば!


「貴様、先ほどからなにをしている?」

「あ? だから魔力をあげてンだろ。そうすりゃカラっけつのあいつらもまだ戦えるじゃねェか」

「そうではない! 魔力を与えるだと!? そんな出鱈目、できるはずがない!」

「なんで」


 純粋にその否定の理屈がわからず、阿沙賀は随分不思議そうに首を傾げる。


「おれはあいつらから魔力をもらったぜ? じゃあその逆ができない道理はねェだろ。まァおれと違って魔力の……なんだ、性質? とかが自分と違うと痛いらしいけど、じゃあ痛くねェおれがあいつらに見合うように変えればいいだけだろ」


 ニュギスから魔力をもらい、阿沙賀にとどまり、それを阿沙賀が以前に経験したパターンに変換して縁故伝いに遠凪に渡す。

 まるで変圧器を通過する電気のように、遠凪に適応した生命力が届くことになる。


 こともなげに語るそれは理解不能の理屈である。

 人間が魔力を悪魔以上に自在に使いこなし作り替え、あまつさえそれを他者の属性に精密に仕立て上げるなど――そんな話聞いたこともない。ありえない!


『すげぇ……はは! ほんとに、すげぇ! なんだこれ意味わからんぞ! はははははは――!』


 遠凪は驚きのあまり笑ってしまう。


 疑似的縁故が開通し、()()()()()()()()()が流れ込んでくる。

 多少の苦痛はある。粗も目立つし口が裂けても自分で練り上げたものと同じとは言い難い。

 けれど充分。

 充分、遠凪が啓術を使うに足るエネルギーである。


『これだけあれば――任せろ阿沙賀!』


 ただの顕能をどうこうする術はない。だがそれが空間的な術技であるのなら遠凪が干渉できる。

 使う術は無論にあの時と同じ。

 隔ての空域を染め直し、直通の経路を用意するべく啓術を発動させる。


人魂啓術ジンコンケイジュツ・七節――『領域変性カンセラリウス』!』


 阿沙賀とグウェレンの二者間に広がる無理やりに隔てられたその空間に、一挙に清浄な力が流れ込んで干渉する。あまりの急激な空間の塗り替えは夜であるのに星々と月明りをも霞ませる輝きとなる。

 空間に溶け込む隔てという顕能のみを浮き上がらせ否定し、代わりに正常を押し付ける。異物を排泄して揮発させる。

 それは言うなれば深海が急に陸上へと変質したような大規模な変貌であり、劇的な変化である。


 二者間の距離が、瞬く間で縮んで間合いが戻る。


「次から次に他人頼り! 軟弱千万、恥を知れ!」

「さっきも言っただろうが、ハナからおれはひとりで戦っちゃいねェ!」

「くっ……そがァ!」


 一足で間合いを踏み越え、阿沙賀はぶん殴る。

 顕能を踏破しての一撃は精神的に大きくグウェレンに響いたか、ほんのわずかに停滞する。


 そこを狙い目と阿沙賀はさらに煽り倒す。殴り込む。


「羨ましいかよボッチ野郎。オメェはひとりだ、寂しいなァ!」

「違う、俺はひとりではない! 俺は、俺には、門一郎が……!」

「いねェだろうが。大江戸・門一郎は死んだって言ってンだろうが、いい加減に理解しろボケ!」


 露悪的なほど抉るような罵倒と殴打の連続。


「嘘だ! 門一郎が死ぬはずがない! あいつはこの俺が唯一契約した無二なる最強! 俺が生きている以上、門一郎は死なんのだ!!」

「無関係の他人のくせになに言ってやがる! いいかオメェにとって門一郎は唯一無二なのかもしれねェけどな、門一郎にとっちゃオメェなんざ数ある契約悪魔のひとつに過ぎねェんだ、わかってンのか!?」

「そんなこと――!」


 怒り。

 それはグウェレンの本質。

 圧倒的な魔力とともに憤怒を叫ぶ。



「わかっておるわ!」



「!」

「俺はずっとひとりだった! 誰も俺に近寄れん! 雑魚ばかりで共にあるなど不可能だった!」


 公爵ヘルツォークの悪魔は魔界でも希少なほど強力な存在、強さゆえの孤独があったのだろう。

 強すぎるが故に並び立つものがいない。

 強すぎるが故に弱者に恐れられ、強者に警戒される。


 魔界においてグウェレンはひとりだった。


 しかし、そんな彼をび出して、手を差し伸べてくれた人間がいた。


「門一郎は俺を倒した、その上で契約をしようと言ってくれた。俺と対等だったのだ!」


 その瞬間のよろこびは、言葉では言い表せない。

 共に歩めた短いひと時の幸福は、未だ色褪せずにグウェレンの行動原理。

 世界に明かりが灯り、見るもの聞くもの全てが色づいて、グウェレンはきっとその時はじめて産声をあげたのだ。


 そしてだから、グウェレンは間違えた。


「だがそれは、無数の悪魔つれあいのひとりにすぎなかった……俺は……俺はあいつの唯一無二になりたかったのだ!」


 だから一度、試したのだ。

 許せないはずの悪業をなした時、それでも許してくれると信じて。



 グウェレンは門一郎とはじめて契約しずっと傍にいた悪魔を――殺した。



「!」


 なんて馬鹿なことを。

 友の一番になるために、自分よりも仲の良い相手を殺す。

 許してくれるはずと信じて、友の親友を殺す。

 五十年も昔から支離滅裂――というか発想がメンヘラである。


 当然に門一郎はグウェレンとの契約を解除し、魔界に帰還させようとした。

 契約の解除は一方的な破棄であり防げなかった。しかし帰還にだけはグウェレンは猛烈に抵抗し、なんとか逃げ延びて人間界に留まったのだ。


 それがグウェレンと大江戸・門一郎の最後だった。


「だから俺は再び門一郎に会わねばならん。奴はこの五十年で自らの行いを過ちと気づいたはず。俺はそれを許そう。二度と離れない!!」

「…………」


 阿沙賀はあまりの気色悪さに言葉を失う。ドン引きであった。

 なんなら関わり合いになりたくないし、できれば視界から消えてくれないかと神頼みしたくなる。


 しかし断ずる顔に引け目も負い目も見当たらず、彼は自己の正当を欠片も疑っていない。

 悪いのはあの時、感情に逸り判断を誤った門一郎で、自分はそれを許してやる側であると心の底から信じている。


 哀れが過ぎて愚かが過ぎて、ともかく否定せねばと義務感にかられて口を開く。

 その馬鹿げた発言になにか言い返そうとした。

 率直一言、キモイと言ってやりたかった。


 しかし。


「あぁ……そうか」


 ただの感想よりも思い浮かんだのは得心だった。


 そのほの暗い愉悦から。

 薄汚い笑顔から。

 腑に落ちる。


 悪魔は楽しいことを求め彷徨うサガをもつ――いつだったか聞いた言葉。

 それに則って言えばつまり。


「怒りの形相で、嘆きの言葉を吐いて……けど」


 その感情に嘘はない。門一郎への執着に間違いはない。

 あるがままの魂そのものであり、そうであるがこそ――


「オメェにとっては、それが楽しくて仕方ないんだな」


 キルシュキンテのような悲観は感じ取れない、九頭竜どもの嫌気のさした勤労とも無論違う。

 これは試胆会――大江戸・門一郎の召喚、契約した悪魔どもと同じ。

 楽しいことを楽しめる、そういう根っこを共通している。


「迷妄に耽って、現実を顧みず。

 ただそいつだけを追求し狭窄し、追いかけ続けることこそオメェの楽しみ」


 敬虔な信者が偶像を崇拝するように。

 ひたむきな若者が夢を掲げて邁進するように。


 グウェレンは大江戸・門一郎を追いかけ直走ひたはしることを愉悦としている。


 結果よりも過程に重きを置く、独りよがりに相応しいネジくれた感性であった。

 そしてその呟きの直後。


「っ!!」


 なおこれまで以上に膨れ上がり、際限なく膨張する破滅の如き魔力に別の意味で言葉を失う。

 本能が泣き叫び、魂が金切り声で警報を発している。

 これはヤバイ。

 死が形をもって迫ってくるあの感覚。手触りさえ感じる終わりの予感。


「――――」


 阿沙賀などに本心を見抜かれたという至上の屈辱に――グウェレンがキレた。


 隔断のグウェレンには自身の怒りに呼応して魔力を際限なく発散して暴威を見せつける悪癖がある――


 それはつまり。

 怒りによって撃ち放たれた魔力的な破壊は、超過剰の出力になるということ。


 振り回したような激怒の一撃を、阿沙賀は回避できなかった。

 なんとか防御だけは間に合わせ。

 しかし。


「ぐ……ゥ……っ!!?」


 防御ごと打ち破られて貫かれ、その両腕が粉砕した。

 無論それで衝撃は留まることはなく、肉が潰れ骨は砕け内蔵は破裂。

 致命的なほどの損傷をくらい、阿沙賀は学園の果てまで殴り飛ばされた。


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