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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第三幕 阿沙賀と御霊会と厄介大悪魔
70/115

70 人界魔王襲来仇討戦



「試胆会会長として命令する――隔断のグウェレンを打倒せよ!」


 迸るような遠凪の叫びに、まず発生したのは影。

 空を埋め尽くすように密集して降り来る――膨大な数の五寸釘の影。


「死ね!」


 猛烈な殺意を籠めたシトリーの全力が降り注ぐ。雨あられどころか壁がごとく敷き詰められた鋭い釘は。

 しかし。 


「……子爵ヴィゼグラーフ、話にならんな」


 回避の挙動も、防御の予兆もなし。

 無防備に立ち尽くしたまま釘に打たれ、グウェレンは無傷であった。

 ――『命短し恋せよ亡者(イドルム・モリ)』は釘が突き立ってくれないとその意味をなさない。

 

「ち!」


 シトリーは隠し立てもせず舌打ちし、しかし彼女の姿は見えない。

 声はすれども姿は見せず――


「誰ぞかの顕能……いや啓術だな」


 こことは別の、亜空間。

 そこから攻撃の瞬間だけ繋がり、即座に退避した。もはやこの結界内には影も形も存在しない。


 それを理解すればグウェレンは悠々と空間に干渉し、逃げたシトリーを捕えようとして。


 ――どぽん。


「!」

「右足、もーらい」


 なんの変哲もない硬い地面に、片足が足首まで沈む。まるで底なし沼に嵌ったように。人食い鮫にかぶりつかれたように。

 この結界ともまた違う亜空間に足だけもっていかれた。


 ――『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』。


 フルネウスによる妨害にグウェレンは虚を突かれ、バランスを崩し、移動が阻害される。

 だがこの程度すこし力を籠めれば――

 意識を割いたその瞬間に別の場所に空間転移が発生する。


フン!」


 遠くない。どころか直近。

 背後に振り返れば筋骨隆々の大男――バルダ=ゴウドが拳を振りかぶっている。


「特化の伯爵グラーフか……っ」


 反射で腕で防ぐ。

 体格の違いから襲い来る拳骨はグウェレンの腕よりも太く大きく雄々しい。だというのに衝撃は一切を受け止められ、ダメージは通らない。


 不意打ちで渾身だというのに、目立った成果なし。

 いや。


「ガードしたな」

「ち」


 このくらいの威力なら損傷可能――その情報だけで充分。

 唇の端を吊り上げると、バルダ=ゴウドの巨体は空間に溶け込むように消え去る。

 出現と同じく一瞬での退場。忌々しいことにその転送速度はグウェレンの反撃よりもわずかに速い。

 グウェレンの腕薙ぎは虚空を揺らして離れた校舎を粉砕するだけ。


「…………」


 転移によるヒットアンドアウェイ。

 こうして悪魔の転移を繰り返すことでダメージの蓄積を狙う気か。


「愚かだな。そんなつまらぬ小細工でこの俺が――いや」


 そう、倒せるわけがない

 魔力の総量において公爵ヘルツォークであるグウェレンに試胆会は束になっても敵いはしない。

 削り合いに挑めば先に枯渇するのは明白に試胆会、持久戦など自殺行為だろう。

 そんな程度の考えが回らないほどの愚劣でもないはず。

 ならばこの戦法の狙いは……


「本命の、目くらましか」


 それはグウェレンが――いや、人界の悪魔が最も警戒すべきこと。

 爵位も顕能も、強さも弱さも、一切合切無関係にこの世界より放逐せしめる人類の切り札。



 人魂啓術テウルギア終節デキムス――『降魔招来レメゲトン』。



 人界と魔界という異なる世界を繋げて行き来を可能とさせる召喚士の奥義である。

 基本の使い道が悪魔を召喚して契約を結ぶものであるのなら、表裏、その逆も可能。人界の悪魔を魔界に放逐し、契約を破棄させる裏芸である。

 たしかに『降魔招来レメゲトン』により作られた門を通過してしまえば、グウェレンといえども抵抗できずにこの場から一発退場。そして帰ってくることは叶わない。


 公爵でさえ、限られた者にしか世界を超えることはできない。そして異界超越の例外に、グウェレンは含まれない。

 つまり一度魔界に還してしまえば結果だけみれば打倒と同じ。ひ弱な人類どもであれば勝利条件としては文句ないだろう。


 試胆会の悪魔たちは削り役ではなく、その狙いを隠し不意打ちのタイミングを計るための囮役というわけだ。


「ふん」


 面白味のない順当すぎる作戦に、グウェレンは酷くつまらない。

 そんな当然の攻略法をこちらが気づかないとでも思っているのだろうか?


 奥義というだけあって『降魔招来レメゲトン』の使用には膨大な魔力と集中力が必要不可欠だし、発動に際して溜めがある。術者を見ていれば予兆は感じ取ることができる。もし見落としていても世界が開く感覚は独特で察せられないわけがない。

 そしてひとりの例外を除いて連発も不可能。

 一度、見極め回避さえできればそれで打ち止め。二度目は絶対にない。


 いや、そんな警戒に気を揉まなくてもさっさと術者を叩けばいいだけのこと。

 伯爵悪魔《バルダ=ゴウド》とやりあっている間に遠凪にはさらに距離を置かれているが……踏み込んで届かない距離ではない。


 グウェレンの眼光が離れた位置で隠密に術を練っていた遠凪を貫く。術者を葬ればそれで仕舞い。他を捨て置いても即刻で屠るのみ。

 無論、見る者がいれば見られていることに気づくもの。


「おっと、バレた?」

「はじめからな、間抜け」


 グウェレンは完全に遠凪にターゲットを定め、手早く始末するべく駆け出す。

 一瞬だけ右足をとられるが、即座に粉砕。足下の水中世界を踏み砕いて前へ出る。


「ち!」


 遠凪は啓術・二節の『無形出力アストラ』を弾丸のようにばら撒いて牽制、そのまま後退して距離をとる。

 無論、そんなチャチな技で止まるグウェレンではない。多少なりダメージを覚悟して突っ切る。

 速度に乗ってしまえばこの程度の間合い、一足で埋めることが可能。


 だから出足を潰す。


「お――らぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁぁああ……!」

「! 邪魔を……!」


 再びの転移。

 バルダ=ゴウドが右側面から殴りかかって来る。


 無視するにはタイミングが噛み合いすぎている。回避するには前傾になりすぎている。

 バルダ=ゴウドの天性のバトルセンスによる最適の阻害。

 停止して受け止める他にない。グウェレンは右腕一本でミサイルのような拳撃を防御する。


 バルダ=ゴウドの一撃はグウェレンのガードの上からでもグラウンドにクレーターを刻むほどの威力を発揮するも、それは全ての威力を流されたということ。ダメージにはなっていない。


 グウェレンとしてはさっさとバルダ=ゴウドをどけて遠凪のもとへ踏み込みたいのだが、噛みつくような拳が押しとどめんと剛力を発揮している。

 足止めの意図を読み取れば、グウェレンは即断。

 残る左手でバルダ=ゴウドを確実に仕留めんと――


「ははは――!」

「!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 馬鹿な。どういうことだ。今もバルダ=ゴウドはグウェレンと肉の鍔競り合いの最中だ。

 完全なる同一人物が両面から同時に襲い来るなんて、ありえない。


「幻影……ちがう、完全に同一。分身か……?」


 一刹那での推論では答えはでない。

 ともかく左でこちらの攻撃も防がねばならない。殴りかかろうとした腕をそのまま持ち上げ防御を――


「ぐ……っ」

 

 わずかに間に合わない。だが振り上げた腕が掠めて攻撃軌道をズらす。

 クリーンヒットは叶わなくとも、グウェレンの横っ腹に一撃いれることに成功。

 やはり破滅的な威力は右からのそれと同じ。見掛け倒しではない。


 ――余計に混乱を深めるグウェレンの正面に、いつのまにやら遠凪がいる。


「ナイスだアルルスタ!」

「転移!?」


 そしてがら空きのどてっぱらに、遠凪の全力の拳が叩き込まれた。



    ◇



「……なんだかやっぱり、届いていないね」

「うん?」


 そこは亜空の教室、迷亭の領域。

 黒板をスクリーンとして学園結界グラウンド内で戦う遠凪たちを映し出して観戦している。

 その面子は迷亭とコワント、それにシトリーの三柱。

 前線にでて戦うには心もとなく、別の準備に勤しみつつも戦況をリアルタイムで把握して機を見計らっている。


 そのさなかでぽつりと呟かれた迷亭の言葉にコワントは反応するも、問いかける前に別の声が割り込んできた。


「うぎゃ!」


 ゴロゴロガッシャン。

 教室天井から脈絡もなしに降ってわいたのはフルネウス。

 受け身もとれずに机や椅子を巻き込んで床に落下し数秒停止、くわわと目を見開いて叫ぶ。


「死ぬかと思った!」

「おやおやフルネウスくん、無事だったかい」

「間一髪な。ハナからこっちに逃げ道接続しといてよかったぜ」


 水中世界から文字通り敵の足を引っ張る役目を負っていたフルネウスであったが、あまり貢献できずに終わってしまった。

 まさかあぁもあっさりとフルネウスの『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』を破壊するとは。

 むしろその領域破壊に巻き込まれてフルネウスが空間の狭間に圧し潰されるところであった。間一髪というのは誇張でもなんでもなく、本当に死を垣間見た。


 そして水中世界を破壊された以上、フルネウスにはこの戦いの間での再展開はできない。

 大人しくこの教室で居残り組に合流する他になかった。


 フルネウスはゆっくりと立ち上がり、汚れを払ってから空いている席に座る。


「クソサメ、ほっ、ほら」

「ち、わーってるよ根暗」


 ひょいとシトリーから投げ渡されたのは彼女の作った五寸釘。

 フルネウスも手筈は理解している。受け取ってその五寸釘に魔力を注入しておく。

 この場の全員が、観戦しながらもその手には同じように五寸釘が握られており、なんらかの下準備をしている。


「それで、迷亭?」


 観戦は敵の観察でもある。

 迷亭の零した言葉に、コワントは改めて説明を要求。

 なにかわかったのなら情報を共有の上、全員で知恵を集めて考えるべきだろう。


「ん? あぁ聞こえていたかな」


 迷亭はわざとらしく肩を竦めると未だ続く戦闘を指さす。


「ほら、なんだかさっきからグウェレンくんに顕能が届いていないようじゃないかい?」

「そりゃ……そうだろ」


 フルネウスが呆れたようにいう。今更過ぎる話ではあった。

 実際に足一本さえ捕えきれずに逆撃された身からすれば面白い話ではない。


 迷亭はやはり大仰に両手を挙げて。


「いやいや位階をも超えて通じるのが顕能じゃないか。ああも一切効かないっていうのは妙だとも」

「それは……」

「そっ、そうなのか……?」


 揃って首を傾げる悪魔ども。彼らは自らの揮う能力にあまり頓着がない。

 むしろ第三者だからこそ理解しようとするもの。悪魔と対峙する人間のひとりとして、迷亭は先生ぶって。


「確認だ。シトリーくんの『命短し恋せよ亡者(イドルム・モリ)』もフルネウスくんの『溺れる藁は嘆くばかり(アクラット・ピェレ)』も届いていなかった。そうだねふたりとも?」

「そっ、それはそう、だ」

「そーかも?」


 釘が刺さらないのは強度に対する威力不足かもしれないが、触れたには触れたのだ。片足とはいえ世界に引き込んで捕まえたのだ。

 なのに魔力を探ることさえできなかった、深みに沈ませることができなかった。

 一切の影響なくすべてが弾かれた――それはおかしいだろう。

 だって魔魂顕能レツァイゼンは位階を超えうる力のはずなのだから。


「これは流石にネタがあるべきだろう」


 ちなみに迷亭は顕能を使っていない。いや、使えないというのが本音だろう。

 啓術によるサポートで皆を転移したり隠したり、戦線維持のための尽力と。

 グウェレンへの転移も試みて、当然のようにレジストされるが多少の集中力を削いでいる。そういう邪魔立ても並行して、ともかく戦況に合わせて茶々入れをし続けている。今この瞬間にもだ。


 そうした迷亭の支援が一手でも指し間違えるだけで試胆会は全滅するだろう。顕能を行使している余力はない。

 余裕そうな顔をして語っているが、彼女もまた全霊を傾けて戦っているのだった。


 その迷亭と前衛のふたりを指折り除外し、フルネウスは不足を覚えて最後に残った名を挙げる。


「キルシュキンテは? あいつは顕能を使ってないのかよ?」

「あの子も頑固だからねぇ」


 遠凪との契約――キルシュキンテが遠凪・多々一を契約者として真に認めない限り損傷逆行以外の補助は与えず、また戦闘行為の加担もしない。

 

「使っていないね。まぁ誰かが怪我すれば流石にそこは戻すだろうけど」

「攻撃にも妨害にも回らないってことか、めんどくせぇ奴」


 流石に侯爵フュルストの顕能ともなれば効果はありそうなものだが、その実証もできないときた。


「そっ、それがあいつなりの信仰対象アイドルへの接し方、なんだろ……ゆ、許してやれ」


 意外にも若干の擁護がシトリーから発せられる。

 仰ぐ者は違えども、その信仰する姿勢……ファンとしての心意気は買っているシトリーであった。


 この場で彼女のしみじみとした言葉に共感できる者はいなかった。

 なに言ってんだこいつ的な空気になりかけたところ、ごほんと咳払いののち迷亭は話を続ける。


「それにもうひとつ……バルダ=ゴウドくんの攻撃はやけにしっかりガードしてるよね」

「そこは当然至極の気もするが……まぁ言われてみればそうやもしれん」


 バルダ=ゴウドに殴りかかられたらそりゃ誰でも防ぐか避けるかしたくなるだろう。

 そういう話ではないのだろうけれど。


 話している内にも外での戦闘は進行している。

 丁度、二柱の悪魔たちの手助けによって遠凪の一撃が炸裂したところ。

 これには教室全員から感嘆の声が漏れる。


「おぉ、やるね遠凪くん。あのグウェレンくんを殴り飛ばしたよ」


 バルダ=ゴウドふたりのサポートを受けつつとはいえ、人間が公爵悪魔を殴り飛ばすなんて偉業である。

 そして同時に思うのは、しっかりと遠凪の拳にグウェレンはダメージを負っているということ。その前にアルルスタの一撃でも、だ。


「うん、やっぱりそうだ。遠凪くんの啓術込みの攻撃もやっぱり普通にくらってる」

「相対して顕能の影響だけがやけに低い、か。そういう顕能と見るのが妥当だな」

「二つ名は……隔断カクダンだったっけ?」

「へっ、隔てる……断つ……まさか」


 ――顕能の影響を断っている、と?


 言葉にしないで全員が同じ結論にたどり着くが、しかしそうであるという確証はない。言葉にして決めつけるにはまだ心もとない。

 なによりも、もしもそうであるのなら非常にまずい。勝ち目が大きく遠のいてしまう。

 なにせ顕能とは下位の悪魔が上位の悪魔に一矢報いることのできる唯一の希望、地力を超えうる勝算。

 その顕能を無効とする顕能が事実であるのなら、グウェレンは下位悪魔に絶対のアドバンテージを有することになる。


「んー、ていうかよ」


 フルネウスがひょいと手を挙げる。

 事の真偽はさておき、前提事項に首をかしげている。


「俺はあいつに触れたけどよ、顕能使ってるって感じしなかったぞ」


 実際に自らの領域で触れて沈めているフルネウスの意見であるが、あっさり反論がくる。


「そりゃそういう発動の感覚は僕もなかったさ。この学園結界に入って以降一度もね。けど、じゃあ事前から発動していた、という場合があるだろう」

「まっ、まぁあいつの発動状態と非発動状態を比べて見たやつなんて、こっ、この場にいないもんな」


 発動状態と非発動状態の差を見分けるには、そもそもその両方の状態を知っていなければならないだろう。

 そして現在のグウェレンが、発動非発動のどちらかを断ずることはできない。

 いや、低位の顕能であれば魔力反応で見分けることもできるだろうが、古く恐ろしい悪魔――公爵ヘルツォークの顕能ともなれば上手く反応を消しているという可能性を捨てきれない。

 そして現状の顕能への抵抗力を見るに、事前に備えていたいう見方のほうが正しいように思える。


 それが事実だとすれば、コワントはすこし笑った。


「なんだ、思いのほか用意周到ではないか。我らなど眼中にないのかと思っていたぞ」

「確かに。へっ、意外と俺らにビビッてんのかもな」


 爵位を笠に着て下位を舐め腐る悪魔は大勢いる。

 グウェレンもまた大江戸・門一郎以外はまるで眼中になく、この試胆会すら邪魔者であって敵とすら見做していないのはわかる。


 けれどそういう表面上の態度とは別に、心のどこかで警戒し備えていた。

 それはきっと門一郎由来の悪魔であるという一点が理由であろうが、それでも警戒心は恐怖の裏返しのはずだ。

 グウェレンもまた、豪語するほどには絶対の勝利を確信してはいない。


「しっかしこうなるとバルダ=ゴウドのおっさんが最適解ってことになるな」


 おおまかに悪魔は三種の戦い方をもっている。

 顕能という固有の能力。

 魔術という汎用の技術。

 そして魔力強化による単純な暴力だ。


 このうちバルダ=ゴウドは言うまでもなく三つ目。それも特化した、である。

 顕能を使わず魔力の全てを身体強化に回し、武芸を磨き、愚直に肉弾戦。

 魔界においては数少ない戦法を選ぶ変わり者であるが、この場においては最有力の戦士である。


「そうなるね。アルルスタくんの奥の手も、同時に有効ということになる」


 アルルスタの備える奥の手、それは単純に殴我のバルダ=ゴウドに変身すること。

 ただ強力な悪魔を模倣しているというだけではなく、試胆会を通じて縁故を結んでいる分、通常よりもより迫真になる。変身による劣化が最小限になるのだ。

 同時に縁故で繋がっているという前提がバルダ=ゴウド(それ)アルルスタ(これ)とは別個の魂であるということを証明している。

 そのため試胆会ではない誰かの変身よりも、ずっと現状のアルルスタの魂を浸食しない。持続時間が伸びる。


 また、アルルスタは今の自分の個性を痛く気に入っている。阿沙賀の友達でいる自分が、失くした心を思い出させてくれている気がしている。

 だから実は、最近彼女は自らの顕能『相克する合わせ鏡(ドッペル・グルッペ)』を使うのを躊躇っていていた。


 そういう精神的な気後れも最小にできるというのがアルルスタ本人にとって実は一番助かっているのだけど、それは余談か。


「バルダ=ゴウドふたりに襲われるとか考えたくねぇ……」

「それをきっちり捌いている、というかあしらっているのは流石といったところか」

「せっ、性格最悪の迷亭と、とっ、遠凪の支援も含めて、って考えると、ひっ、腹立つくらい強いな、あっ、あいつ」

「うーん?」


 それぞれ三名がグウェレンの脅威を見て取るが、迷亭はどこか腑に落ちない。


 たしかに遠凪の一撃をもろにくらってもまるでパフォーマンスに低下は見受けられない。

 平然と戦いを再開し、バルダ=ゴウドふたりと遠凪の連携攻撃にきっちり対応して受け流している。迷亭の邪魔立てを受けつつ、だ。


 なるほど体術においても素晴らしいのだろう。

 けれど。


「大江戸学園という完全アウェーの地で、顕能という不測を極力排するために顕能を維持し、魔界への送還を警戒して……」


 ――公爵ヘルツォークの悪魔という逸脱は、あの程度なのか?

 迷亭は未だ底の見えないグウェレンに警戒と恐怖とを抱いていた。


「……とりあえず顕能の影響が阻害されている可能性について、情報を全員に共有しておこうか」



    ◇



「『魂魄活性コルプス』による身体能力向上は当たり前、その上で『空所固定テクトニクス』で拳を固めてより一撃の威力を高める、か。門一郎と同じ戦術だ」


 グウェレンは服に付いた埃を払いながら、淡々という。


「当然、教えてもらったからな」


 打ち込んだはずの遠凪のほうが苦い表情なのは、クリーンヒットにもかかわらず大した痛手になっていないとわかっているから。

 殴り飛ばした、というより拳に合わせて跳びのかれた、というほうが正しいだろう。

 遠凪はそれを感触で理解し、バルダ=ゴウドもまたそれを見ただけで看破していた。


 多少なり距離を稼ぐことができただけでも上首尾とするべきだろう。


「なによりも、この俺に素手で殴りかかって来たこと、褒めてやる」

「あんたに褒められたってうれしくないね」

「あぁ世辞だからな――貴様は弱い」


 温度なき感想に火が灯る。

 燃え上がっては否定ばかりで焼き尽くす。


「弱い、弱過ぎる。門一郎とは比べるべくもない。やはり貴様は失敗作だ、門一郎を恐ろしいまでに劣化させた模造品にすぎん」

「っ」

「なぜ貴様のような雑魚を後継とする? 門一郎が続いたほうがずっとずっと価値がある。やはり貴様は嘘吐きだ。門一郎は生きている。貴様の体たらくがそれを証明している」


 後継者が前任に比して弱すぎる。

 後を任せるレベルに達していない。

 ならばこそ、やはり引継ぎなど成立していない。門一郎は生きている。


 また腹立たしいロジックで生存説を組み立てるものだ。


「……」


 こちらの弱さを引き合いにして言いたい放題の暴論をあてつけられる。

 阿沙賀なら、怒っただろうか。

 けれど遠凪はすこしだけ共感できてしまう。控えめながら賛意を寄せてしまうほど。


 自分の弱さと祖父の強さは、遠すぎる。

 後継を名乗るには、おこがましすぎる。


 わかっている。遠凪が一番わかっているんだ。

 それでも声とだすのは本音ではなく強がり。強気の顔を作って下手くそな嘲笑を浴びせかける。


「だったらじゃあ……逆を言えばオレが、オレたちがあんたを倒したら、じいさんは死んでるってことだよなぁ」

「減らず口を! 貴様らごときがこの俺に勝てるわけがない! いや、俺を倒すことができるのは門一郎だけだ!」

「あんたは決着もついてない勝負を断ずるのか」

「断ずるとも! 当然に過ぎる。道理に過ぎる!

 空に上がれば落下する。海に沈めば窒息する。誰がそこに異を挟むという! 貴様は天地をひっくり返して痴愚をのたまう狂人だ!」


 最初から論ずるまでもない無理であり不可能ごと。

 公爵の悪魔を倒すなど、天地が逆さになってもありえない。



 ――よーし、お前さんの言い分はよくわかった。

 ――じゃああと腐れなく殴り合うか。

 ――勝ったほうの言うことを聞くってことで!


 

 そんな無法の例外はこの天下に唯一無二であるべきなのだ。そうでなくてはならない!


「貴様らごときが吐いた大言、その報いを受けて道理を弁えるがいい!」


 踏み込むだけで大地が砕ける。

 瞬間移動のような速度で接近し、グウェレンは手近なバルダ=ゴウドに襲い掛かる。

 回避も防御も間に合わない。

 ゴミを払うように片手で薙ぎ飛ばされ、バルダ=ゴウドの巨体は吹っ飛んだ。

 驚く間もなく二歩目。

 もうひとりのアルルスタ(バルダ=ゴウド)に――『空所固定テクトニクス』が間に合う。

 殴打する軌道上に空間的な壁が発生しアルルスタ(バルダ=ゴウド)を守る――


「小賢しい!」

「っ」


 守る壁ごと砕き貫きアルルスタ(バルダ=ゴウド)に届かせる。

 流石に速度も威力も減退し、防御が間に合い受け止められる。受けたアルルスタ(バルダ=ゴウド)の腕が砕けるが、腕は二本ある。即座にもう片方の腕で反撃をかます。

 体捌きだけで回避されるが、めげずに連撃。

 アルルスタ(バルダ=ゴウド)はその闘争心まで写し取っている。この程度で怯むものか。

 無論それは、オリジナルであれば言うまでもなく。


「おおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉおおお――!」

「なに」


 先ほど殴り飛ばしたはずのバルダ=ゴウドが再び立ち向かってくる。

 おかしいのは損傷が見えない点。先ほどの攻撃で顔面粉砕くらいにはなっていたはず。

 ……快癒の顕能か?

 思案は一瞬、反応は刹那。


 煩わしいアルルスタ(バルダ=ゴウド)のほうを蹴散らし、向かい来るバルダ=ゴウドに今度こそ引導を渡すべく魔力を発散して――


「啓術・二節『無形出力アストラ』」

「ち」


 意をバルダ=ゴウドひとりに集中し過ぎた。

 横合いから生命力の弾丸が空間を飛び越えて飛来し、グウェレンの頬を撃ち抜いた。


 絶妙に嫌らしいタイミングでの援護。

 ダメージはさほどもないが、顔ごと視界を逸らされた。

 当然、そんな態勢からの一撃を避けられないわけもなし。バルダ=ゴウドはグウェレンの腕を掻い潜って腹に殴り込む。瞬間で三発。

 四発目を振りかぶった時にはグウェレンの足が動いた。すぐにバックステップで回避を試みるが、顎に足先がかすめて、それだけで意識が揺らぐ。


 ――『け掛仕桜し廻逆クロックロックワークス』。


 のを、強制的に巻き戻して万全の状態に回帰。

 そのまま再び距離をつめ、またアルルスタ(バルダ=ゴウド)も損傷ない身で突如虚空より転送されてくる。


 二名のバルダ=ゴウドに挟まれその暴威を振るわれながら、グウェレンは忌々し気に。


「またか。面倒な……門一郎、貴様一体何名の悪魔と契約をしている」

「契約してるのはオレだぞ」

「黙れ、雑魚が」


 最初に五寸釘を降らせた悪魔シトリー

 足を沈めてきた悪魔フルネウス

 目の前の身体強化特化の悪魔《バルダ=ゴウド》。

 それの分身を出している悪魔アルルスタ

 そして今、快癒の顕能を使っている悪魔キルシュキンテ


 他にも啓術でサポートする誰か(迷亭)と。

 控えめな援護をしつつも奥義を放つ機会を探っているこいつ(遠凪)


 もしかしたらまだ姿も能力も出さずに控えているコワントさえいるのかもしれない。


 厄介な集団、手ごわい連携だ。

 だが。


「戯けが。群れて協力すればこの俺に届くとでも思ったか!」


 すべて無意味だ。

 なぜならどれだけ集まっても公爵という圧倒的な力の前には、所詮は塵芥に過ぎないのだから。


「貴様らに勝ち目なぞはじめから存在しない。そんなことさえわからんのか」

「――今勝てないから、諦めるのか」

「なに?」


 グウェレンの断言に、遠凪は否定をしなかった。

 そんなことはわかっているのだから。

 わかった上で抗っている。


「あんたは、今できないから未来永劫できないと決めつけるのか? 卑屈だな、負け犬根性丸出しじゃないか」

「貴様らに未来などない」

「あるさ。だってオレはあんたとは違う、違うと言い張る。まず宣言しなくちゃはじまらない!」


 弱い遠凪は、心の旨を言葉として押し出すことで逃げ道を潰す必要がある。

 言ってしまったからには成し遂げなくては。

 無責任な嘘つきにはなりたくないし、そんな奴だと思われたくもない。

 だから今回もまた、そうなのだ。


「バルダ=ゴウド、アルルスタ!」

「「おう」」


 一声かければふたりは突如、攻撃を取りやめて遠凪のもとへ戻る。

 急な停止に、グウェレンは訝しんで揃った三名を見遣る。これは確実に事前から打ち合わせた動き。

 なにかをしてくる。


 遠凪は警戒されている内に行動に移す。邪魔立てが入らないならそのほうがいい。


「迷亭、シトリー! あれを!」

『ではでは最初の賭けかな』

『いっ、いいんだな、遠凪・多々一』

「どんとこい!」


 迷亭の転移によってこちらの世界に送り込まれたのは五寸釘であった、

 それぞれ遠凪とバルダ=ゴウド、アルルスタ(バルダ=ゴウド)の手元に届く。


 それはシトリーの顕能――『命短し恋せよ亡者(イドルム・モリ)』。


 可視化されるほどの生命力、否、魔力を溢れさせた釘を握りしめ、一瞬だけしてしまった躊躇いを拭い捨て。


「っ!」


 三人は自らにそれを突き立てた。


「っァ! ぐぐ……ギギ……ィ……ァァぁ!?」


 シトリーの顕能『命短し恋せよ亡者(イドルム・モリ)』は非常に珍しいことに悪魔でありながら人の生命力の操作にまで手を付ける。魔力を変換し、生命力として人に付与して強化したり奪ったりすることが可能である。

 ならばこのように長時間かけて大量の魔力を注ぎ込んだ特製の五寸釘を味方に刺せば、それは大きなバフ――魔力譲渡となるのである。


 だが問題がひとつ。

 シトリーの顕能は魔力から生命力に変換する際に上限が存在し、ある一定以上の魔力は変換しきれない仕様となっている。一気に大量の生命力の受け渡しはできない。


 その上限を無視する裏技がある。


 それは生命力へ変換せず魔力そのままで五寸釘を生成すること。

 これなら変換の手順を踏まないので上限など存在せず、ただし釘に宿るのは当然ながら調整されない魔力の塊でしかない。

 そして、未調整の魔力の譲渡は危険極まる行為である。


 魔力とは悪魔それぞれがもつ固有のエネルギー。もしも他者から譲られても血液型の合わない血を輸血されるようなもので、拒絶反応が発生する。

 それも一度に急激な、子爵ヴィゼグラーフ一柱分の量の魔力だなんて、下手をすれば注入した側が内側から破裂しかねない。


 そして、今刺し込んだ三本の釘には、裏方で観戦している三柱の悪魔――シトリー当人とコワント、そしてフルネウスの全魔力をそれぞれ一本ずつに注ぎ込んである。


「ぐっ、ぐぐ……ぐゥ……!」


 異なる魔力をなんとか自らの魔力で染め上げ、無理やりに飲み下す。

 一応、今日までの一か月で幾度か練習はしていたが、やはりきつい。バルダ=ゴウドをして数割の魔力を無駄に散らせてしまった。

 とはいえ悪魔なら、その程度で済む。その程度の消耗と消費と苦痛をリスクにリターンを得られる。


 では人間では?

 

「っっっぇぇぇ……!!」


 人間である遠凪・多々一にとって、それどころではない。

 想像を絶する苦痛。

 毒素がしみ込んで端から順に細胞を汚していくような。小さな破裂が体内で数珠つなぎに連続しているような。

 経験したことのない激痛に悶えて叫びだしたくなる。


 悪魔にとって型違い程度の話でも、人間にとっては毒物そのもの。

 魔力の受け容れなど、自殺行為でしかない。


 それをどうにかこうにか飲み込めたのは、やはり――


「あいつは……なんでこんなにやべぇもんを平気なんだよ……わけわかんねぇよ」


 滝のように汗を流し、血を吐いて、けれど絶対に涙はこぼさない。

 意地にもかけてこの魔力を掌握してみせる。


 阿沙賀にできたことは、遠凪にだってできなければならないのだから。


 遠凪は、得た魔力全てを自らの生命力に変換し、その分だけの力を増幅させた。


「死ぬほど痛ぇ……死にそう……けど! ともかくドーピング成功だ……ッ!」

「……魔力を食らったか、出鱈目をしおって」


 グウェレンがすこしだけ笑ったように見えたのは、門一郎のような予想外を久しく垣間見たからか。

 けれど彼にとって、その程度の強化では話にならない。まだまだ遠凪を認めるにはほど遠い。


「いくぞグウェレン、第二ラウンドだ。勝負はまだまだこれからだ……!」

「ふん、その程度で大口を叩くな。なにも変わらん。リスクを伴った強化程度で、この俺に敵うと思うなァ――!」



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