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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第三幕 阿沙賀と御霊会と厄介大悪魔
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66 阿沙賀のいない大江戸学園


 どうやってここまでたどりついたのだろう。

 どれだけの時間をかけてここまで帰ってきたのだろう。


 遠凪・多々一はなにひとつわからないまま、覚束ない歩みで大江戸学園にまで帰還を果たしていた。


 あの時、阿沙賀に殴られて、加減しても有り余る威力に一日以上も意識を失っていた。

 キルシュキンテは怪我は巻き戻せても、失った意識までは戻せない。


 意識が戻っても、すぐに大きな喪失に気が付いて長らく茫然としてしまった。

 泣きたくなる衝動を必死にこらえて、ただひたすらに感情を静める努力だけをした。


 強く強く目を瞑って、口を閉じ歯を食いしばって、拳を握りしめる。

 蹲り、地面を叩いて、心を殺す。

 ひたすらに、ひたすらに、ひたすらに。


 なんとか立ち上がれた頃には、もう夕焼けが滲んでいた。


 当然、その頃には既に御霊会の結界は消え去っており――隔断のグウェレンの魔力気配も見つけられなかった。

 感情を怒りに割り振って殴りかかることさえ、遠凪にはできなかった。


 頭が回らないまま、ともかく、帰らなきゃと思った。

 阿沙賀に最後に託されたのは大江戸学園試胆会――帰らなきゃと思った。


 だが意気消沈、打ちのめされて項垂れて、幽鬼のごとくふらふらとぎこちない足取りで歩むことしかできていない。

 そんなザマだから、歩みは亀よりも鈍く、這うように危なっかしい。


 傍のキルシュキンテは、なんと声をかけていいのかわからないでいた。

 ともかく外傷については『け掛仕桜し廻逆クロックロックワークス』により既に巻き戻っている。

 だが意識と同様、傷ついた心には彼女の顕能は作用しない。

 

 なにかそうした特殊な力などではなく、ただの言葉をかけてあげられればいいのだけれど……正しく契約もしていない自分がなにを言えるというのか。

 キルシュキンテはただ寄り添うことでしか心を伝えることができず、その不甲斐なさを嘆きながらも離れることだけはしない。


 ふたりは沈黙のまま夜道をただひたすらに歩き続けた。

 車での送迎なら一時間ほどだったのに、遠凪が帰還した頃には朝になっていた。


 大江戸学園は三日目の学園祭だと盛り上がっていて、門の外からでさえ活気が伝わってくる。

 そのよろこばしげな祭囃子の声がどこか遠く、呑気さが耳障りに思えて、酷く身勝手ながら腹立たしく思えた。


 門をくぐるのが、なにより気が重かった。


 とはいえ立ち止まってもいられず、一歩踏み込んだ。その途端にすべての音が途切れ、切り替わる。

 大江戸学園の結界内に入り込んだことにより、彼女からの干渉が可能になった。故に即座に取り込まれた。

 それもまた、遠凪には想定通りで憂鬱で――恐ろしかった。


「やぁ、おはよう遠凪くん。早速で悪いが聞かせてもらうよ――どうして」


 気づけばそこは学園の教室を模した亜空間、迷亭の世界。

 ただいつもと様相が異なっている。

 机や椅子はすべて壁際にのけられていて、なにもない中央に遠凪は立たされている。

 その正面の教壇には迷亭だけでなく、キルシュキンテを除く他の七不思議七悪魔全員が横並びになっていた。

 多くが苛立たし気で、遠凪を睨みつけてきていて、落ち着かない様子を見せている。


 理由は明白。

 遠凪が半日呆けていた喪失を、彼ら彼女らも感じ取ったのだ。



「――どうして阿沙賀くんとの縁故が切れているんだい?」



 その瞬間、迷亭以外の悪魔がそれぞれになにか喚き散らす。

 それは激怒なのか。悲嘆なのか。失望なのか。

 わからない――聞こえない。


 そこでようやく気が付いたが、どうやら世界の主である迷亭が自分以外の悪魔をこの世界とほんのわずかにズレたところに置いているらしい。

 こちらのことは見え聞こえはするが、彼らはこちら側に干渉できないようになっている。

 

 後ろでうるさくされては会話もままならないという迷亭の判断だろう。

 そして、誰より素早く確実に帰って来た遠凪を確保できるのはまず迷亭であり、他の面子は話を聞くだけという条件で声の届かない状態を納得させられている。

 それだけ早く、ともかく早く阿沙賀のことを聞きたいのだ。


 それがすべて遠凪には痛いほど理解できてしまい、だから俯く。

 肩を震わせ、歯を食いしばり、なんとか言葉を吐かねばと努める。


「オレを逃がすために、阿沙賀はグウェレンとひとりで対峙した」

「!」

「その後のことは、オレにもわからない。阿沙賀に殴り飛ばされて気を失っていた。目覚めたときにはもう、阿沙賀との縁は切れていた」

「…………そうかい」


 およそ想像通りだったのだろう。

 迷亭は目を伏せてちいさくため息をひとつ。

 それから顔を上げて天井を――その先の見えない空を見つめるようにして、ふとわかりきったことをつらつらと述べる。


「人と悪魔との縁故は妙味にして奇怪。存外に容易く繋がることができるのに、切るには当事者の介入なしにはほとんど不可能。その方法は大きくふたつ」


 淡々とした説明文。

 迷亭はおろか遠凪も他の悪魔たちだってわかりきった事実。

 そして、今もっとも認めたくはない現実。


「異界ほどの遠くに飛ばして無理やりに引きちぎる。

 もしくは――契約したどちらかの、死」


 すなわち阿沙賀・功刀と試胆会との縁故が切れたというのなら――彼は異界に放逐されたか、もしくは死亡したということになる。

 それが過去前例を省みるに正しいはずの真実で、当たり前に阿沙賀はグウェレンに敗けたのだという確認でしかない。


 嘘だ、阿沙賀は死んでいない。

 そう言うのは簡単だったが、突き付けられた縁故喪失の事実と学び得てきた知識とが邪魔をする。

 

 そんなわけがない。

 常識なんか知ったことか。

 間違いなくなにかの間違いだ。


 ――と、グウェレンのように妄信して猛進して、理屈無視に断ずることは難しい。

 阿沙賀は不安定なところがあったし、完璧だなんて言葉とは程遠い奴でもあった。

 敗けるなら、敗ける。そういうありきたりに常人的な部分を残していた。

 だからこそあいつがなにかあっさりと死んでいたとしても、不思議と受け入れることはできる。そういう危なっかしい奴で、危なっかしい生き方を選んでいたのだから。

 選んだ生き方がそうであったのだから、果てにあっけなく終わりを迎えたとしても他人は見送る以外に手立てがない。


 全ての過去現在がそれを物語る。

 知識の上ではそれが正解で、見知った友としてもそれに頷けるし、最後のあの背中を見届けた切なさからも理解できる。


 遠凪・多々一はそれを納得しなければならない。

 遠凪・多々一はそれを納得しなければならない。


 納得して受け止め、この悲哀と絶望とを飲み干さねばならない。

 それが正しい。間違いなく正答であり正当。

 敢えて自ら間違った解答を選ぶなど、そんなとんだ馬鹿野郎――



 ――それでも。



「阿沙賀は死んでなんかいない」


 それでもそう言い張る。納得なんかしてやらない。

 そうじゃなくちゃくずおれそうだったから。彼の生存を信じることで己の支えにできるから。

 なんて利己的なことだろう。

 生きていると信じるほうが都合いいからそう言っているだけだ。


 あぁいいや、ちがう。

 きっとそれだけじゃない。


 単純――信じたいのだ。

 阿沙賀という男を、信じたい。


 たしかにいつ死んでもおかしくない生き方で、それを自分で選んでいただろう。

 だからと言って、死にたがってなどいなかった。

 生きようとして足掻いて足掻いて、足掻き抜いたからこそ彼は試胆会の勝者になりえた。

 あいつの生きようとする意志を、信じたい。


 信じる――なんと無責任で愚かしい目晦ましか。

 ただ簡単に言える言葉を簡単に吐き出して、難しい理屈も未だ捏ねられていない。ただの開き直りだ。


 けれど見つけ出すのだと決めている。あいつが生きていると断ぜられるなにかを、きっと見つけたい。

 そうした覚悟をもって言う。何度でも。


「阿沙賀は死んでなんかいない。絶対生きてる」


 消沈していた。傷心していた。

 事実に打ちのめされて立ち尽くそうになっていた。

 阿沙賀の死を、受け入れそうになってしまっていた。


 だがそんな諦観は許されない。

 否と叫ばずしてなんとする。


 阿沙賀は生きてる。

 理屈なんか知らない。どうでもいい。

 理由なんか知らない。お呼びじゃない。

 だってそうだろう? 阿沙賀でも、きっとそうしたはずじゃないか。


 ただそう信じたいだけの身勝手で、遠凪はすこしだけ立ち直ることができていた。


「ふふ」


 開き直りのやけっぱちにも似た態度に、迷亭は笑った。遠凪の目を見て言葉を贈る。


「よかったよ、ここで落ち込んでばかりのつまらない君なら失望していたところさ。そういう我武者羅な不屈が僕は好きさ」

「ヤケになってるだけだけどな」

「なら存分にヤケになるといい。なに、もはや背水の陣、飛び込む以外にはないだろう。御霊会もまた、おそらく負けたようだしね」

「! やっぱり、そうなのか?」


 御霊会の結界は消え、グウェレンは未だ人界に居座り、そしてリアに連絡をとっても通じない。

 それらの要素を踏まえてそうだろうとは思っていたが、確証はなかったことを肯定されてしまう。


 迷亭は肩をすくめる。


「こっちも推測でしかないけれど、まぁ負けたろうね」


 推測と言う割には断定的な語調は揺るぎなく、なにか遠凪にはわからない情報を拾っているのだろうと思えた。学園からは出られないはずなのに。

 ともかくその情報について精査する必要を感じていないのか、もはや前提として組み込んで迷亭は続ける。


「となると彼――隔断のグウェレンくんは生存し、その目的も変わっていない。そうだね、遠凪くん?」

「……あぁ。あいつは絶対に諦めたりはしない」

「うん。うん。じゃあそれで、君はどうするんだい」

「それは……」


 奴は必ずこの学園に現れる。

 むしろ今来ていないのは不思議だが、流石に御霊会との……もしかしたら阿沙賀との戦闘で負傷、疲弊しているのかもしれない。

 ならば回復が済み次第、グウェレンは大江戸学園にやって来る。

 試胆会会長として、大江戸・門一郎の孫として、遠凪は再び相まみえることとなる。

 その未来が確定していて、だからこその迷亭の問い。


 グウェレンを倒す――きっと、阿沙賀ならそう言った。

 けれど遠凪は沈黙ののちに。


「わからない」

「ふぅん?」


 興覚めのような声音をだされても、仕方がないじゃないか。


 あの阿沙賀でさえ勝てなかった。御霊会という大組織でさえ勝てなかった。

 そんな相手に、自分ごときがなにかできるものなのか?

 弱気になっている、というだけではなく実際的に勝ち目が見当たらない。

 だが同時に逃げるという選択肢も存在しない。


 大江戸・門一郎の遺した、人間界にあってはならない悪魔。

 遊紗や友達、死んで欲しくないたくさんのひとたち。

 なによりも――阿沙賀が生かしてくれたこの命すべて。


 立ち向かわねばならない。勝利せねばならない。

 でなくばそれは大切なものへの裏切りだ。


 そこまで腹を括ってなお、口にだすのは憚られる。

 阿沙賀はいつもどうやってあの大言壮語を当たり前に語っていたのだろう。


 そんな遠凪に、迷亭はちいさく苦笑して。


「遠凪くん、ひとつ肝に銘じてほしいのだがね。なに、召喚士の先達としての忠言さ」

「なんだよ」


 情けない態度をとることへの嫌味か?

 常日頃の口ぶりからそのように構える遠凪であったが、迷亭はいっそ優し気に告げる。


「君は阿沙賀くんとは違う」

「…………。そんなことはわかってる」

「あぁいや。いや違うよ。そういう意味ではないさ。非難の意など一欠けらも含まれていない。他意のない事実というものさ、落ち込まないでくれ」

「べつに。落ち込んで、ない」

「そうだといいんだけどね」


 子供を嗜めるような物言いに、なんだか遠凪は怪訝になる。

 どうにもいつもと違う気がする。いや、阿沙賀がいないからテンションが低いのかもしれない。遠凪なんかじゃ彼女の本質を垣間見ることさえできないだけなのかもしれない。

 

 どこか卑屈な遠凪に、迷亭の眼差しは揺るぎなく注がれて、単純な算数でも教えるみたいに当たり前を言う。


「君は君で、阿沙賀くんは阿沙賀くん。当然至極のことだろう?」

「…………」

「だから君は阿沙賀くんのようにしなくていい。しないほうがいい」


 自分は自分。

 他人は他人。

 同じように真似ても、同じにはなれない。


 嘘つきの口から発されるにしては随分とありきたりな真理だった。

 だが迷亭に言われたからこそ、遠凪には深くしみ込んだ。

 嘘吐きな彼女に嘘吐きめと指摘されるのはなにより堪える。耳が痛い。

 

「そもそも立場が違うだろう? 阿沙賀くんは乱入者、副会長となったけれどそれは後付けだ。しかして君は会長、この試胆会の王じゃないか――王が下々と対等にあっちゃ、駄目だろ」

「!」

「阿沙賀くんは番外さ。だから悪魔と対等に友達になるなんて裏道を行ける。僕らからして信じがたいことにね」


 本当に信じられないといった風情で顔中が困惑で、だから楽しくて、彼は迷亭らの求める男である。

 けれど。


「君は違うだろう? 王道も王道、誰よりも召喚士として真っ当だ。だからこそ、悪魔と向き合うのなら相応の当たり前があるはずさ」


 そうだ単純。当たり前じゃないか。

 悪魔を倒すのなら、勝てない相手に挑むのなら――悪魔の力を借りればいい。


 ひとりで勝手に戦って、ひとりで勝手にどこかへ行った、阿沙賀とは違う。違っていていいのだと。


「あぁまったく、あんたにそんな風に言われるなんてな……」

 

 くしゃりと額とともに前髪を掴んで、口元をゆがめる。

 下手くそな、いつもの遠凪の笑みだった。


 気負い過ぎ、卑屈過ぎ、阿沙賀に見とれ過ぎ、だ。

 遠凪は阿沙賀になりたいのではなく、阿沙賀の隣に立っていたいのだから、根本から誤っていた。

 彼とは違ったやり方ができるからこそ、上手く嵌るのだということを忘れていた。大事なことなのに、近すぎて見落としてしまっていた。


 けれど不意と目が絞られてジト目に切り替わる。刺すように迷亭を見遣って。


「それにしてもどうした、今日はなんだかすごく優しいじゃないか、らしくないだろ」

「そうかな」


 一度ははぐらかそうと試みるものの、視線の鋭さがまるで減退しないのであっさり白状。


「まぁ君には立ち向かってもらわないと困るからね」

「無謀な特攻をせせら笑うためか?」


 いやいやそんな悪趣味はないさと首を振り、二本指を立てる。


「縁故が断たれる理由はふたつ。異界ほどの遠くに飛ばして無理やりに引きちぎるか、もしくは契約したどちらかの死」


 先刻と一言一句違えず繰り返し。

 今度はそこに、逆接を加える。三本目の指を立てる。


「けれど例外はある」

「……顕能か」

「そう。悪魔の魔魂顕能はどんな時にも例外になりうる」


 たとえば、と迷亭は阿沙賀と縁故が切れた瞬間より今までずっと思考していた例を挙げる。


「グウェレンくんのそれが他者を隔離断絶するものだとしたら?」

「阿沙賀が囚われている、と?」

「かもしれないって話さ。もっと単純に縁故を断つ顕能だってありうるけど……」

「そんな顕能がありえるのか……いや、だからこその例外か」


 そして遠凪も合点がいく。

 阿沙賀が死んだとは思えないのなら、その例外に値するなにかがあったと推測する他にない。

 そうであるのならば、顕能の行使者たるグウェレン当人を締め上げる必要がでてくる。


「つまりともかく術者をどうにかしないと会えないかもしれないってことか」

「うん、その通りさ。だからグウェレンくんには顕能を維持できない程度の深手を負ってもらいたいんだよ」

「……なるほどな。そういう打算があるほうが、あんたは信用できるな」


 遠凪には迷亭の嘘は見抜けない。

 この会話の中にだっていくつか嘘は潜んでいたかもしれない。隠し立てや誘導がなされていたのかもしれない。

 ただ阿沙賀のことについては、きっと大丈夫。

 どんな嘘が織り交ぜてあったとしても、それはきっと最後には阿沙賀を取り戻すことにつながる。


 遠凪と、そこだけは心を一致させているはずだから。


「さてじゃあ、試胆会の悪魔たちと話さないとな」


 そうだな、しかるに出席番号順にでも。



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