59 凪いだ遠くに漏れ出るもの
「すこし長話になっちまったね。まだ半端だがすこし休憩をいれないかい。悪いがこっちも歳でね」
この場の半数以上が感情的になってしまったことを鑑みてか、志津がそんなことを言った。
年の功というものか、会話の流れを汲み取り塩梅よいタイミングを心得ている。特に異論もでずに全員がすこし気を抜いて心なし座椅子へ預ける体重が増す。
志津は退席していたメリッサを呼び戻し、温くなったお茶を淹れなおしてもらう。
阿沙賀などは座りっぱなしに飽いてちょっと窓際にまで寄って景色を眺めていた。
その合間に、すこしだけ遠慮がちにリアは口を開く。
「遠凪くん」
「どうしたリアさん」
名を呼ばれれば遠凪は思案気に閉じていた目を開き、流し目の要領で隣のリアを見遣る。
映る少女の面立ちはどこか曇っている。
まぁ、彼女は唯一この場でなにも知らなかった。突如として与えられた情報の衝撃度合いは想像を絶する。
阿沙賀のように能天気ではいられないだろう。
「遠凪くんは、いいんですか?」
「え」
どういう問いかけであるのか、すぐには掴み切れなかった。
リアのほうも言い分の拙さを理解し、すぐに言葉を補強する。
「ええと、ほら。遠凪くんは……大江戸・門一郎の試胆会、でしたか? それ受け継いだ、んですよね」
「おう」
思ったのと違う切り口の発言に、遠凪は意図がわからずぶっきら棒な返事になってしまう。
気にせず、リアはやはり目を伏せて。
「それはきっと、たぶん……とても大変なことだと思います」
「……」
「あっ、その。知った風なことを言ってすみませんが、わたしもたぶん今似たような立場になったわけですし、すこしは理解できる……んじゃないかって思います」
「そうだね、そうだ」
ぎこちない言葉は、この瞬間に生みだされた感情を言語化するのに手間取っているせい。
だがその感情と言葉の狭間みたいなぎこちなさこそが彼女の本音を示している。優しさと思いやりに満ちた、リアという少女が表れている。
「だから……なにが言いたいのかなわたし。はは」
自嘲しながらも、決して言いたいことは曲げない。
自分自身の言葉で確かめるようにしながら続ける。
「大変なこと……うん、そう大変なんです。大変なことを……遠凪くんは嫌になったりはしませんか? 重荷に疲れちゃったり、逃げたくなったりしませんか?」
「しないよ。覚悟は決めた、あとはもう突き抜けるだけだ」
そこで躊躇しないでいられるようにと心がけてきた。
だから実際にこうして問いに即答できたことに、遠凪本人がなんだかほっとした。
自分の見栄と本音が一致して誰憚ることなく申すことができて、よかったと思う。
「……すごいですね」
心の底から感心したように、リアはほぅと息を吐いた。
リアだって甲斐田家の跡取り。長く深い歴史をもった、啓術使いとして最高峰に位置する家柄を背負う最先端の者。
血により背負うものの重さは承知しているつもりだし、それを受け取る覚悟も培ってきた。
それでもなお断言することには未だためらいを覚えるし、相手によっては曖昧に濁して逃げてしまいそうになる。
同い年のこの少年は、だというのにそこに迷いはないように思えた。
けれど。
「すごくなんか、ない」
「え」
「すごくなんかないさ……」
遠凪は同じ言葉を繰り返し、俯いてしまう。
抑制きかずに漏れ出る掠れた声は、常々抱え込んでは言わまいと自ら封じ込めていたはずのもの。
「だってオレは……なにもできてない」
先の言葉に嘘はない。
そして、この言葉にも嘘はない。
遠凪という人格が十数年でもって形成されて今日、この覚悟と悔恨が強烈な衝撃となって根幹をも揺るがしていた。
「悪魔を召喚できなかった。試胆会に挑めなかった。外敵を追い出せなかった」
それをしたのは全て――無関係だったはずの友。
とばっちりにも厄介ごとに巻き込み、不運を被せて、こちら側に引き込んでしまった。
生涯、無関係だったはずなのに、もっと平穏でいられたはずなのに。
すべてはひとえに遠凪の至らなさ。そのせいで阿沙賀に大きなものを背負わせてしまった。
「全部全部、阿沙賀がなんとかしてくれたんだ。俺はなにもできなかった……」
「全部……?」
リアはわからないと言葉を重ねる。
「え……でも試胆会の契約をしてるのは、遠凪くんなんですよね?」
境界門を封じ込め、試胆会の悪魔を抑え、学園に立つ。
それが遠凪の役目であり、現状それを成しているからこそ大江戸学園は平和なのだ。
はた目から見れば随分とご立派な偉業であろうが、当事者からすれば鼻で笑うだけの張りぼてだ。
「……、さっきも言ったけど、試胆会を実際に戦い抜いて勝ってのけたのは阿沙賀なんだよ。オレじゃなくて、阿沙賀なんだ」
それは謙遜でも大袈裟でもなく事実であった。
多少なりの手助けはできたが、それをもって殊勲であると開き直るにはどうしても弱い。四捨五入してゼロであろう。
「ただ阿沙賀が啓術を使えないから、オレが代わりにその座に座った。あいつの手柄を掠め取っただけの卑怯者なんだ」
「そんなこと――!」
「ある」
そればかりは断じて譲らない。
死にたくなるほどの負い目。誰かに罰して欲しいと常に願っている罪悪感。
この座にあること自体を、遠凪自身が誰より許していない。
「試胆会だってオレが会長ってことになってるけど、悪魔たちが慕ってるのは阿沙賀のほう。オレなんか飾りだ……いてもいなくても、どっちでもいい」
阿沙賀は悪魔に好かれやすい――そうした特性を無視しても、直接ぶつかり合って認め合った間柄であることは明らかで、彼ら彼女らは阿沙賀を慕っている。
それに引き換え遠凪はどうか。
直接的な関りもなしにただ門一郎の孫だとか阿沙賀の友人だとか、そういう間接的な繋がりしか存在しないのではないか。
全部終わったあと契約だからと上に立った遠凪に、七不思議たちがどう思っているのか……恐ろしくて聞くことができないでいた。
方向性の違う破格のふたりにおんぶにだっこで支えられ、挟みこまれて堪らない。
己が卑小さに眩暈がする。劣等感が疼いて魂を締め付けられている気さえする。
どうしてオレはこんなに――
「……そう自分を責めずともいいじゃないですか」
あまりに自虐的な悔恨の言葉に、リアはどうにか慰みになるようなことを言いたかった。
いなくてもいいなんて、そんなの嘘だと伝えたかった。
だってそれを肯定すれば、翻って自らに刃を突き立てることにも似た痛みが走るじゃないか。
「あなたはきっと、望まれています。おじいさんからも、阿沙賀くんからも。でないとあなたに託すはずがありません。あなたのために戦うはずが、ないじゃないですか」
「……わかってるよ。それもまた、けっこうキツイんだけどな」
「え」
これだけあいつの人生を無茶苦茶にしておいて。
とばっちりを食らわせ、理不尽を叩きつけたというのに。
その原因たる遠凪に、なんと言ったか。
「阿沙賀はさ……恨んでもいいんだ。憎んでもいいんだよ、オレのこと。だってのに……あいつはすこし怒っただけで、済ますんだ」
恨みは晴らすまで。
憎しみは一生涯。
けれど怒りは……たった六秒で過ぎ去る。
一発殴ってそれでお仕舞い。それ以上を言えばむしろ億劫そうに遮られる。
その態度にはリアも直近で心当たりがあった。
「……それは、わたしも感じてます。阿沙賀くんは、なんというか……ときどき話が通じないというか、避けてるっていうか。感謝や謝意の念にたいして、変に警戒してまともに受け取ってくれないんですよね」
こっちの気持ちも考えてほしい。
こんなにあふれんばかりの感謝があるのに。張り裂けそうなほどの謝意があるのに。
笑って要らないなんて、そんなこと言わないでほしい。
本当に助かったのに、そのことさえなかったみたいにしないでほしい。
それじゃあ――あなたの思い遣りに報いれないではないか。
その共感をもって、リアはすこしだけ目じりを緩ませた。
「でも……よかったです」
「は?」
またしてもよくわからない。
さきほどまで随分と悲しげにしていたのに、どうして急にそんな穏やかに安堵したような顔をするのか。
「阿沙賀くんのことを大切に思っていて、だからそれが裏返って自虐になっちゃってるんですね」
「っ」
「阿沙賀くんも、きっと遠凪くんが悪くないって知ってるから、謝らなくていいって言ってる……いい友達同士で、よかったです」
互いに互いを尊重して、敬意を払っている。
ゆえにこそ負い目が深いのだが、そこにある根源が清いものであることが……どこまでいっても不仲には至らないと信じさせてくれるから。
リアにはそれがなにより安心できたのだ。
「あー……いや、くそ。参ったな……」
そこで遠凪は言葉が過ぎたと自覚できた。
こんなこと彼女に言う必要がないどころか、誰にも言わずにおこうと決めていたはずだろう。墓までもっていくつもりだったのに、なにを弱音を吐いている。
背負う重さに耐えかねて、抱え込むことに苦を感じ、感情を外に吐き出しておきたかったのか?
違う。
リアの立場やあり方が……どこか自分に重なって見えた。
そのせいでほんのすこしだけ、箍が外れて本音が漏れ出てしまった。
その上なんかこちらのコンプレックスを上手いこと包み込まれて褒められてしまった。非常に気恥ずかしく、居心地が悪い。
どうやら甲斐田・リア、彼女は遠凪にとって不可測のつむじ風。
優しく頬を撫ぜつけてくるだけかと思えば、わっと驚くような強さで叩いてくる。遠凪はそういう予想外に振り回されがちだ。
まるで、阿沙賀のような――
「なんだよ、オメェらなんの話だ?」
「阿沙賀……」
どうやらベランダにまで出て景色を眺めていた阿沙賀当人がちょうど帰ってきてしまった。
一瞬、遠凪は非常に気まずい空気をかもすのだが、むしろ笑い飛ばすことにした。
リアのお陰で、今の遠凪にはそれができた。
「阿沙賀は面倒くさいやつだって話」
「あ? 陰口か?」
「ちがうちがう……褒めてたんだよ、なあリアさん」
「ふふ、ええ、褒めてましたよ」
どういうこっちゃと阿沙賀は不思議そうに首をかしげるばかりであった。




