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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第二幕 阿沙賀と竜と邪法召喚士
45/115

45 竜急襲


 その少女は微動だにせずただ彼らの潜ったドアを見つめている。

 無表情に無反応に、まるで時が止まったかのようにその少女は動かない。


「あれ? 九桜さんなにやってんの?」

「…………」


 ひょいとそんな動かぬ少女――九桜に声をかけるのはあまり空気を読まない八木である。

 九桜は振り返る。顔色ひとつ変えず八木に短く言う。


「阿沙賀くんを待ってる」


 おおよそは予想通り。

 なにせ九桜が立っているのは自席ではなく、阿沙賀の席の前。彼に関するなんやらかとは簡単に想像できた。


 八木はとはいえとぼけたように。


「阿沙賀? まだ来てないの?」

「なーんか遠凪と転校生にどっか連行されたぞ」

「志倉」


 話していると当たり前にまざってくるのは志倉だった。

 一部始終、九桜のことまで含めて見ていた志倉は状況をしっかりと把握している。面白そうだということも、当然に。


 物々しいワードに八木は困惑して。


「連行って、遠凪はまだしもあの転校生――えっと、甲斐田さんが?」

「そうそう。ま、阿沙賀だし、そういうこともあるだろ」

「それはそうかもしれないけど」


 阿沙賀なら大人しそうで真面目そうな転校生が朝っぱらから連行と呼ぶに相応しいだけの勢いで連れていくという奇行をしても、まあありうる。

 なんというか、事件を起こした際に「あいつはなにかやらかすと思ってました」レベルの負の信頼というべきものが、彼にはある。

 いい意味でも悪い意味でも、やらかす男なのである。


「え、じゃあ九桜さんはそのよくわからない三人組が気になってる感じ?」


 阿沙賀と女生徒が親密になっていること、とは言えない八木である。

 とはいえ確かに、阿沙賀と遠凪はともかく、そのふたりと転校生というのは組み合わせとしても珍しいというか奇妙というか、予測しづらい面子にも思えた。

 知らない内に仲良くなっていたのだろうか。


 どちらにせよ疑問を抱くか――そうではないと九桜は小さく首を振って。


「そうじゃなくて、今日はまだ……阿沙賀くんから大丈夫って、聞いてないから」

「あー」


 そういえばあれで阿沙賀は数日前まで入院していた病み上がりであった。

 このクラスにおいて、そのことを真実理解し心配しているのは、おそらく九桜・真冬だけ。なにせ当人さえもう忘れているくらいである。

 阿沙賀の強がり――意地でできた外面に惑わされないで真っすぐに見据えることができる者は、存外に少ないのである。


「まあホームルーム前には戻って来るでしょ。阿沙賀はあれで、人を巻き込むのは嫌ってるし」

「そうだな、真面目な転校生をサボりに付き合わせるなんてことはしないな」

「うん。だから、待ってる」


 九桜の素っ気ないながら意志の強い言葉に、八木と志倉は苦笑して――


 そのとき、クラス中の生徒が一斉に意識を失った。



    ◇



「リアさん、今すぐ結界を解いてくれ!」

「えっ」


 余裕なく鋭い指示は、遠凪にも迷亭の声が届いてた証左。想定を超える事態の速度に声には焦りが満ちていた。

 その態度はモタつくようならこちらで勝手にこじ開けると言外に言っており、それだけ焦燥している。

 よくわからないが切迫していることだけは感じ取り、リアは言われた通り結界を解除。


 その途端。


「!」


 全身が重くなる。

 意識が遠のく。

 瞼が、閉じていく。


 それは見知った感覚、毎夜毎朝陥る症状――


「ねっ……眠い……!」


 急激にして法外な眠気であった。


 まるで落ちていくような感覚で意識が指先から離れていく。

 立っていられず、目を開いておれず、こくりこくりと遠くへと舟を漕いで――


「啓術・一節――『魂魄活性コルプス』」


 たったその一言で、徹夜明けのような睡魔は去っていった。

 持ち直して立ち上がれば、遠凪がサムズアップをしている。どうやら彼が緩和してくれたようだ。


 この悪魔からの攻撃を。


「わりィ助かった。しかし眠気を与える顕能か……くそ、和らいでも多少は残ってやがンな」


 面倒なデバフだ。

 阿沙賀が頭を叩いて毒づいている内にも既にリアは廊下の外を確認している。


「やはり! 無差別な攻撃です、廊下中で生徒たちが眠っています!」

「学園全体を眠りに就かせる気か、なんつー大規模な」

「低位の悪魔では考えられん規模だな……これは」


 遠凪が目を伏せるだけで、阿沙賀は理解できてしまう。


「ち、また自分の契約者でも食ったってのか? 胸糞悪ィ」

「だがそうであっても十全ではないな。範囲が広すぎる、そのぶん威力はさほどでもない。抵抗力さえあれば耐えられるし、多少のレジストで凌げる」


 眠気に邪魔され片手間で三人分、という程度の質の啓術でも充分に対抗していられる。

 というかたぶん阿沙賀ならあのままでもコナクソと叫んで自力でレジストしてたと思う。


 だが焦点はそこではない。


「問題は敵の攻撃がはじまったってことだ!」

「そうだ、遊紗ちゃん! ――待ってろ今いく!」

「あっ、バカひとりで突っ走ンな!」


 聞きもせずに遠凪は窓を蹴破って外へと飛んだ。

 止めることすらできない早業であった。


「ち、あのバカ!」


 敵は五組くると言っただろうが、ひとりで囲まれたらどうするつもりだ。

 遊紗のことだからって短慮になりすぎている。バカ野郎め。


 とはいえここで無策に遠凪を追いかけるのも同じく馬鹿だ。

 先に確認せねばならないことがある。振り返り同じ結論に至った少女のもとへ。


「……リア、敵の数はわかるか?」

「すみません二柱だけ。一柱は屋上で全力で魔力を使っています。おそらくこの眠気を敷いている悪魔。それと、一年七組にも。その近くに契約者はいるかと思いますが……それ以上は見つけられません」

「下は遠凪に任せるぞ。残る三グループは潜んでやがるだろうが――迷亭」

『はいはい、お呼びとあれば即参上、迷亭先生だよ』


 声だけで登場はしてないだろう。

 とかツッコんでいる暇もない。

 リアでわからないことでも、迷亭なら問題なく掴んでいると確信をもって。


「敵の数は?」

『四組と一柱だよ』

「足して五……一足りない……。竜木・竜は? 来てるか?」

『来てないね』

「ん。高みの見物ってか……じゃ配置は?」

『屋上に一柱、一階に二組、三階に二組。フロアは当然、一年七組のあたりと、君たちいるそこさ』

「敵の狙いは遊紗とおれ」


 わかっていたが、あからさまな気もする。

 すこし考えて。


「迷亭――嘘は吐いてるか?」

『まさか。こんな非常事態にそんな利敵な真似は――』

「わかった吐いてやがンな、面倒クセェ」

『!』


 これは勘というより経験則。

 こういう事態であるからこそ、どうしようもなく嘘を吐きたくなる。迷亭という女はそういうサガをもっている。

 絶句する迷亭を無視して阿沙賀は次にリアに。


「リア、声は聞こえたか?」

「いえ……阿沙賀くんは誰と話しているんですか?」


 やはり話し相手を絞っている。

 存外シャイか、好き嫌いが激しいのか。他に思惑でもあるか。


「嘘吐きだ。

 で、そいつの情報によれば侵入しているのは五組。竜木以外のメンツが揃っての襲撃。屋上の奴を除いて半分に分かれて一階と三階にいる――ただしなにかひとつ嘘がある」

「えっ、どういうことですか」


 情報は有用でかつこちらにも気づけなかった部分を補足しているが、最後のひとつで一気にきな臭い。

 阿沙賀はリアの反応に実に深く共感を示しつつ。


「嘘吐きなんだよ。ただし腕前は一流で有能、そこに疑いの余地はない。嘘吐きだがな」

「全部台無しでは?」

「おれもそう思う」


 人数が嘘か、配置が嘘か、それともやはり竜木も来ているのか。

 詳細までは流石の阿沙賀も即時に見抜くことはできない。だがここで懇々と迷いに耽っても時間の無駄。走りながら正解を探して目的を達成するべき。


 敵勢力を把握――嘘混じりだが――したのなら次は自軍のこと。


「じゃあ次、迷亭。うちのボケどもは出れるか?」

『それがねぇ、ちょっと難しいんだよねぇ』

「うれしそうに言うな」


 いやそんなつもりはないんだけどね? とやはり楽し気に迷亭は言う。

 阿沙賀が困るのがそんなに楽しいか。


『まずシトリーくんはそこの廊下の角で眠りこけてるよ』

「おいバカ、悪魔のくせにこんな範囲攻撃で雑にやられるなよ」

『とはいっても、彼女は先日の戦いでの消耗があるからね、下手に抵抗に力を割けば維持魔力に影響しかねないしね』

「む」


 シトリーは他者の魔力を奪う。

 だがそれは結局、他者の魔力という異物であることに変わりはない。

 その場で燃料として燃やすことはできても、ため込んで自己の糧とすることはできない。

 別枠のタンクを持つイメージに近いか。それも穴あきの、だ。

 奪っても維持に傾注せねばすぐに揮発し失われる。注力して維持しても一日が限度。


 阿沙賀はそれを身をもって知っている。

 それにまあいちおう、戦功を挙げた上での休眠とするなら納得しておくべきだろう。


「他は?」

『コワントくんは無防備でこの魔魂顕能レツァイゼンを受けて寝るかどうかで僕と賭けて負けたよ』

「火事場の愚行遊戯ァ!」


 この緊急事態でなに遊んでんだよ、それも不利にしかならない遊びとかふざけすぎてンだろ!

 シトリーの奴とは違って一かけらも擁護できる点も見当たらないし、マジで愚行すぎる!


『いやいや、実はコワントくんは伏せておきたいのさ。そのための小細工だったんだけど、あれ? 阿沙賀くん気づいてないの?』

「なに……」


 コワントを敵から隠して、あとで使い道があるということか?

 だがそれはどういう――いや、だから今は時間がない。あとで考えればいい。無駄な煽りに乗せられるな。

 阿沙賀が思考を振り切ったのを察し、迷亭はその潔さにまた笑みを深める。


『僕は当然、教室世界ここから出たくないので不参加』

「ち」


 そこから動かずとも割と有能なせいであまり文句が言えないのが悔しい。


「てェことはすぐ動けンのは……フルネウスくらいか?」

『そうなるねぇ』


 一拍の思考。


「……バルダ=ゴウドは」

『駄目だね。相変わらずずっと引きこもったままさ』

「クソほど引きこもりの似合わんキャラしてなにやってンだ、あの野郎」


 バルダ=ゴウドは阿沙賀に敗北して以来、自身の構築した異相空間に閉じこもって一切の干渉を遮断していた。

 あの時の晴れやかな敗北からして不貞腐れているわけでもあるまい。一体なにをしているのだか。


「まァいい。動かん奴なんざ勘定にいれてもしょうがねェ――フルネウス!」

「はいよ」


 廊下に呼びかければ即座に床を波立たせて跳ねあがってくる。

 褐色肌の長身、紺色髪に背びれと牙をもったサメの如き男――嘆溺タンデキのフルネウス。


「オメェはまだまだお眠じゃねェよな? おれと遊びに行こうぜ、廊下の奴らを仕留める」

「やったぜ」

「リアは屋上の奴、頼めるか。不意打ちには気を付けてな」

「…………」


 その人選には納得がいく。

 いちおうは知り合って信用できている阿沙賀ならともかく、ほとんど初対面の悪魔と同行したくないのがリアの本音だ。共闘なんて論外と言える。

 となると組み合わせはこれしかなく、廊下が二組であるというなら数的な不利にならないように阿沙賀らが行くのも筋だろう。

 残る屋上の一柱をリアが狩り、学園の眠気を解けばこちらに有利で、さらに浮いたリアが加勢に混ざるというのも順当。


 だが、そういう理論的な真っ当とは別に、少女には道義的な真っ当さが存在する。

 俯き、下唇を噛みしめて、御霊会の啓術使いは言う。


「……本来なら」

「あ?」

「本来ならばあなたのような巻き込まれただけの一般人を、こんな戦場に送り込むこと自体があってはならないことです」

「今更な」

「はい、今更です。ですがわたしがもっと強ければ、その今更を当然にしないだけの強さがあれば――阿沙賀くんが危険を犯す必要もなかった……」

「んー?」


 どうやらこの切迫した状況において、リアは自らの不甲斐なさを思い知ってしまったようだ。


 状況を動かしているのは完全に敵方。対応に奔走するのは部外の彼ら。

 そしてこの決定的な危機において増援も対策もなにもできなかった無能の自分。

 もしもこの学園に阿沙賀も遠凪もいなくて、守るべきものしか存在していなかったとしたら……きっとなにもかも奪われていた。


 こんな時に自責の念に駆られている暇はない。わかっていながら、リアは踏み出す一歩を忘れてしまった。

 それは少女の責任感の強さ。善性の発露。かけがえのない優しさだ。


「うるせェ」


 ――トンと、額に小さな衝撃。


「え」


 阿沙賀は、そのまどろっこしさに思わずチョップをしていた。

 男だったらグーパンだったぞ。


 急に叩かれたことに驚いて、リアは額をおさえながら二の句を継げないでいる。

 阿沙賀はため息を吐いて。


「うだうだ言ってねェで走るぞ。

 悩んで結論が出るまで蹲ってるのは正しいのか? ほかの奴らは結論だして走り出してンのに、オメェは立ち止まったままでいいのかよ?」

「それは」

「とりあえず走ろうぜ。悩みながらでいいからよ。そうじゃねェといつまでたっても差は縮まらねェし、なによりさァ」


 こんな非常事態の危急的場面。

 学園中が悪魔の顕能に支配され、敵はこちらの倍近くの数が潜んでいる。その情報だって錯綜していて、なにを信じればいいのかわからない。

 それらをすべて飲んだ上で、阿沙賀は笑った。


「そっちのほうが、絶対楽しいぜ?」

「!」


 正しく自らに納得いく結論を出せれば、無論それが最善だろう。

 けれどその答えを算出するのにかかる時間と労力はいかほどのものか。そして、そうこうしている間に起こる揉め事は待ってくれるものなのか。

 即決こそがよしとは言わないが、迷い立ち止まっているのもまたよくはないだろう。

 今この時ばかりは熟慮よりも短絡が求められる。


 ――あぁそれはまるで悪魔の口車。


 楽しいことを求めて火事場に駆け込むようにとそそのかす。

 理性の躊躇いを蹴飛ばして無思慮に愚直に笑おうと後先を考えない暴論を振るう。


 だが今はそれでいい。


 意味不明で理解不能のクラスメイト。

 こちらの世界に首を突っ込んで未だひと月にもならない新参者の門外漢。

 であるのにその胆の据わりようは舌を巻く。

 多数の悪魔を下に見ず上に見ず、ただ友のように横に置く。


 彼は一体、何者なのだろう。


 そんな疑問さえ今は棚上げにして、リアは屋上へと駆け出した。



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