41 デート
「彼女ぉ、きみ可愛いね! ちょっと俺とお茶しなぁい?」
「…………」
街中、駅前の広場はいつ来ても混雑していた。
スペースだけを測れば広々としているはずなのだが、そこを行き交う通行人が多すぎてどうにも狭苦しく感じる。
人にぶつからないようにと歩くだけでも注意を払わねばならず、手間がかかる。
それも駅近くには大抵が余裕のない奴ばかりが集まっていて、多少ぶつかっただけでも不機嫌そうに舌打ちされるのだから余計に注意レベルをあげておかないとこっちが不愉快だ。
当初、予定した時間に遅れたぶんだけ焦りはあって、だが変に不機嫌になって待たせている相手にそれと知れるのもすごく嫌で、どっちつかずな歩行速度で人の波を避けて阿沙賀は進む。
ようやく待ち合わせの場所にたどりつけば――驚き、絵に描いたようなナンパの現場を目撃することなった。
「えと、すみません。待ち合わせしてまして……」
「でもきみ、結構長いことここにいたよね? じつは狙ってて見てたんだよ俺。そんな待たせる奴なんか放っておいていいじゃん、一緒に行こうよ。流行りのカフェ知ってんだ」
「いえ、かってにアタシが早く来てただけで、待ち合わせの時間は……」
なんとか言い逃れしようとする小柄な少女に、ナンパ男はまるでめげず遠慮しない。ぐいぐいと距離をつめて自分の言い分を押し通そうとぺら回し。
阿沙賀はため息をひとつ吐いてから、そのナンパ男に後ろから軽めに蹴りをかます。
「いてっ……! なんだ、誰だ!?」
「わりィがその子はおれのツレだ、ナンパなら余所でやってくれ」
「あっ、先輩!」
委縮した様子から一転、阿沙賀の顔を見て少女は大きな安堵とより大きな歓喜に顔を綻ばせる。
阿沙賀はまずは少女に目線を遣り謝る。
「遅れて悪かった」
阿沙賀が遅れさえしなければこんな無用なトラブルには巻き込まれなかっただろうに。
それからすぐに「行こう」と少女を伴ってその場をスムーズに離れる。
少女は蹴りをかまされて膝をつくナンパ男を若干心配そうに振り返るが、阿沙賀は一顧だにせずずんずんと進んでいく。
これ以上、あれと関わるのはよろしくない。
嫌なことは忘れるに限る。面倒事も今はとりあえず目を逸らして。
今日一日くらい少女にはできるだけ楽しいことだけで一杯になってほしい。
今日は彼女――大江戸・遊紗とのデートであるからして。
◇
果たしてなぜこんな事態になっているのかと言えば、それは三日前に遡る。
九頭竜の悪魔と契約者が襲撃してきたその日のうちに、阿沙賀は遊紗と偶然に出くわしていた。
朝の襲撃後も当たり前に授業ははじまって、微睡むような日常に浸って。
なんとか目の前で起きた人が死んだという事実に折り合いをつけ、気を取り直すことができた頃。ひとりでトイレに出向いた帰り道で。
「あっ、先輩! 先輩じゃないですか!」
「ん……遊紗」
移動教室でもあったのか、数人の友人らとともに廊下を歩く遊紗と遭遇した。
彼女は阿沙賀を見つけた途端、喜色満面でこちらに駆け寄ろうとして、だが思い出したようにまずは友人らに一声かける。なにを言ったのかは聞こえなかったが、ともあれ一緒にいた友人らとはその場で別れ遊紗は改めて阿沙賀のもとに駆け寄ってくる。
その一直線に嬉し気に走る姿は子犬のようであると、阿沙賀は思った。
遊紗は目の前で急ブレーキをかけ、すぐに阿沙賀の身体中をどこか忙しなく見定める。その瞳には心配の念がありありと浮かんでいる。
「阿沙賀先輩、身体はもうだいじょうぶなんですか? 入院したって聞いてからずっと心配してたんだよ?」
「あー。そうだったか、そりゃ悪かったな。もう万全だから心配しなくていいぞ」
「そっか……よかった」
見た限りに異常もなく当人がそのように断ずるのなら、遊紗はとりあえずの安堵をできた。
すぐになにか妙に暗い顔で謝罪をする。
「ほんとはね、ほんとはもっと早く……先輩の退院したって日にでも会いに行こうとしたんだけど、アタシ先輩のお家知らないし……クラスも、知らなくて。遅くなってごめんなさい」
大江戸学園にはひとつの学年につき十数から二十ほどのクラスがあって、虱潰しにあたるには少々難易度が高い。
そもそも校舎の広さを考えると、他学年のフロアに移動するだけでも大きく時間を費やす必要がある。短い休憩時間では厳しく、長い休憩時間には訪ねても教室にいない可能性がある。
なにより上級生の集まる場所に単独で赴くのは、けっこうの勇気がいるものだ。
それらを踏まえ阿沙賀は別段に思うところなく。
「そういえばそうだったか。というか謝ることじゃねェだろ」
「だからね! だから、お家はさすがにいいけど、クラスくらいは知っておきたいなって……」
「今は寮住みで、クラスは二年二組」
隠すことでもない。いや、こんなにも申し訳なさそうにされるくらいならとっとと知らせたほうがいいくらいだ。
遊紗は一瞬だけ目を広げ、すぐに細めて微笑んだ。
「えへへ、アリガト先輩。せっかくだし連絡先も交換して」
「そういえばグイグイ来るタイプだったわ」
しおらしいと思えば踏み込んでくる。遊紗というのはそういう少女だった。
阿沙賀は一旦頭を掻いて間をとってみたが、その隙に遊紗はポケットからスマホをとりだして操作を完了していた。
観念して阿沙賀もまたスマホを取り出し、連絡先の交換をつつがなく終える。
遊紗は随分うれしそうにスマホを抱き締め、上機嫌のまま会話を続ける。
「それで先輩、先輩に会えたら言おうって思ってたんだけど」
「これ以上なんだよ」
若干、胡乱げな目になっているのは、どうにも遊紗との相性悪さを感じているから。
なにをやっても彼女の思い通りに事を進められている気がする。勝てない気がする。
その警戒心は正しかったらしく、遊紗の提案は寝耳に水なそれ。
「次のお休み……三日後の土曜日にしよっか」
「……いやなんの話ですか?」
彼は押され気味になると敬語になるらしい――遊紗はそれを把握しにんまり笑う。
「ほら先輩、なんだか大変だったんでしょ? それ、終わりましたよね?」
「……まァ、ひとつは片付いたな」
続いて別の面倒ごとが高速で飛来してきたが。
とはいえ、遊紗に以前話していた分のそれは終わったというのは確かだ。
……そういえば付随してなにか話していたと、ようやく思い出す阿沙賀。
遊紗は片時も忘れていなかったと輝かしい笑顔で。
「じゃあ、約束通り一緒に遊び行こう!」
「約束してたっけェ?」
「してたよ、してた。絶対してた。してたってことにして遊びましょう」
「……あー」
困ったように視線を中空にさ迷わせ、けれどなにを見つけることもできずに遊紗の笑顔に立ち戻る。
目線が合ったと思った時には笑みはさらに深くなって。
「可愛い後輩とデートだよ? うれしいでしょ?」
「それはびみょう」
「えー? なんでー?」
「……めんどい奴がいるからな」
「え?」
◇
「絶対ダメだ! 行ってこい!」
「いやどっちだ」
返事はあとでメールすると遊紗には伝えその場を後にし、すぐに教室で前の席に座る遠凪に事の次第を話すと返答は矛盾したものだった。
混乱で混沌とした遠凪は表情と手振りを無駄に騒がせ支離滅裂に言う。
「絶対ダメだ……だが、時期的に、ありかもしれない……いやだがしかし! だとて……くそ! 阿沙賀、これすべて阿沙賀の企てではあるまいか!」
「落ち着け」
「ぐはっ」
右ストレート。
なぜだか暴走している遠凪には鉄拳が一番である。なんだその口調は。
正気に戻った遠凪は頬を押さえつつも先刻よりは遥かマシに言う。
「いやあのな、いま遊紗ちゃんは奴らに狙われてるだろ? さっきも襲撃があったくらいだし割と状況は深刻だ。で、学園内なら七悪魔どもの協力が得られるし、家ならオレがいるけど」
「待て待った。オメェ昨日、寮部屋にいねェと思ったら遊紗ンとこに行ってたのか?」
「そりゃまあうちのお袋の実家でもあるわけで、理由があったら泊りに行くくらい普通だろ」
そう言われてしまえば確かにそうか。
納得しつつもそういえばと。
「遊紗はこっち側を知らねェのはいいとして、親はどうなんだ? 大江戸・門一郎の実の子なんだろ?」
「んー。なんていうか、多少の心得だけって感じだな」
「なんだ、オメェは弟子にしたのに実子はスルーなんか」
「というか才能がなかった」
「は?」
なにを言っているのかは理解できるのに、どういう意味だかわからない。
困惑顔の阿沙賀に遠凪は肩をすくめて。
「遊紗ちゃんの父親とうちの母親で兄妹だったわけだが、その大江戸・門一郎の子には一切の才能が受け継がれなかったらしい」
「一切の?」
「そう、啓術使いにはなれそうもないってくらいな。だから大江戸・門一郎は一代限りの突然変異だとされた。ところが孫の代で再燃してじいさんもビビったらしいぞ」
そら驚く、阿沙賀だって驚いた。
「というかオメェ、それじゃ試胆会の封印はどうするつもりだったンだよ……」
「さぁ? どっちにしても子供には無理に継がせるつもりもなかったらしいぞ。オレん時だってオレから言い出したし」
「思いのほか自主性任せた柔軟対応だったのか……」
その放任主義的なスタイルのツケが阿沙賀にまで降りかかって来たわけだ。
いやほんと相続問題って面倒だな……。
「伯父さんに遊紗ちゃんのピンチは伝えてオレが泊まるのも了承してる」
「家で警護ってわけか。ちなみに遊紗の反応は?」
「遊紗ちゃんにはなにも言ってない、単に優しい従兄のお兄さんがお泊りに来たってだけなんだが……なんか余所余所しいのは気のせいかな?」
「絶対気のせいじゃないぞ」
なんだか遠凪と遊紗の間で温度差があるように思うのだが、実際のところはどうなのだろう。
まあ実の兄妹だってウザがらみの兄とそれを疎ましがる妹ってのはあるだろうが……いや一人っ子の阿沙賀には想像するしかできないのだけど。
「で、話をはじめに戻すが……家と学園はだから大丈夫なんだが、休みの日になるとまあ遊紗ちゃんだって外出するだろ」
「そりゃ結構遊んでる感じあるしな、あいつ」
「でも家から出るななんて言ってもウザがられるだろうし……理由も説明できないし……だからまぁ、阿沙賀が傍にいるっていうのは安心できる――できるが、なんで阿沙賀が遊紗ちゃんとデートなんてするんだ! お兄ちゃん許しませんよ!」
「デートじゃねェよ」
男女が休日に遊びに行ったら全部デートって、ピュアかこいつは。
面倒くさいのでさっさと切り上げるべく告げ、そのまま顔を伏せて居眠りの態勢に移行する。
欠伸交じりに一言。
「ま、襲撃の可能性があるってのは覚えとく……」
「待て、阿沙賀! いいか、変なことすんなよ? 遊ぶだけだぞ、手もつなぐこともダメだからな! 半径一メートルのパーソナルスペースを確保して健全な友情でもって……!」
「zzz……」
「寝るなー!」
そしてチャイムが鳴って、やってきた教師に一発シバかれる阿沙賀であった。
◇
とまあ、そんなこんなで学園休みの土曜日、阿沙賀は遊紗と駅前にまで繰り出しているのである。
並んで歩くふたりは当然、私服で、互いにちょっと新鮮だなと思いながらも阿沙賀は言及はせず。
しかし遊紗はこういうところで沈黙しない。
ナンパ男も追いかけてこないと見て、気安く話を振る。
「そういえば先輩、さいしょに聞いておきたかったんですけど」
「なんだよ」
「似合いますか?」
阿沙賀が立ち止まるよう服の袖を摘まみ、遊紗はねだるような声を出す。
二歩ぶん停止が遅れて、阿沙賀は振り返る。やや困った顔つきで。
「……鏡見てきたなら答えでてんだろ」
「自分の評価は満点でも、先輩の評価のほうが重要なので」
遊紗の出で立ちはカジュアルであり着慣れているように思えた。
ゆったりとした白いオーバーシャツに、多少の防寒を考えて薄手のジャケットを羽織っている。
だが明るい空色のキュロットスカートとソックスの合間に見える広めの肌色が少し寒そうだと心配になる。指を見遣ればネイルアートが鮮やかに色づいていて、文字通り爪先までファッションをしているようだ。。
そして最も目につくのはいつものツインテールとは違い、今日は片方だけ――サイドテールであること。
遊紗は見て見てと仕草で示し、キュロットの裾を揺らす。金のテールを揺らす。
率直に可愛らしいとは思う。褒めることに一切の否定はない。
だがそれでも口ごもってしまうのは、やはり気恥ずかしさが先行するからか。
なんとか羞恥をねじ伏せ――目を逸らして、ごく端的に。
「……似合ってるよ」
「もう、こっち向いて言ってよー」
顔ごと背けて言い捨て、阿沙賀は前に向き直って歩き出してしまう。
思い切り恥ずかしがっているのが背中からでもわかって、遊紗はくすくすと笑ってしまう。
なんとも、可愛げのある照れ隠しではないか。
遊紗はすぐに追いかけ、その隣に並ぶ。未だに朱の残る顔色を覗き込んでやる。
阿沙賀は無言でまた顔を逸らす。
意地っ張りなところも余計に可笑しくて楽しくて、身を乗り出して傍に寄る。
「似合ってるならよく見てよ。ね?」
「見た見た、しっかり見ました」
「ほんとかなー?」
ぐいぐい踏み込んでくると受け身になってしまう阿沙賀である。
だがこのままでは一日中この件でいじくりまわされそうだ。
阿沙賀は急いで別の話題を探し出し、充分に転換しうるものを思い出す。
「そっ、そういえば遊紗」
今思いついたとばかりにごく自然に不自然に言い出す。
「オメェ、遠凪……多々一の従妹なんだってな?」
「え」
ふとその一言で遊紗の表情は固まってしまう。
ただ足だけは止まらず通行の邪魔にはならない程度の配慮はあってチグハグなことになっていた。
それが余計に彼女の驚きを物語っている。
これまでの会話の流れを唐突に寸断することに非難さえ湧かないほどに、その一言は彼女にとって大きかった。
どれだけか無言のまま歩いて、赤信号で立ち止まって、そこで遊紗は顔を俯けた。
前髪で目つきはうかがえない。発された声はどこかかさついて低く、振り絞るように切実だ。
「先輩、そういえば二年二組って言ってたよね?」
「あぁ」
「そっか……同じクラスか……広い学園で、同じクラス……」
なぜか非常に重苦しく呟いて、遊紗は見上げるように前髪の隙間から片目をだして問いを続ける。
彼女らしからぬたどたどしさで、祈るように。
「あの、じゃあ先輩。多々一お兄さんに、迷惑かけられてないよ、ね?」
「メイワク……」
ノーパン。
試胆会への強制参加。
七不思議七悪魔とのバトル。
召喚士とかいう裏世界での揉め事。
うん、とひとつ頷き。
「すごく迷惑被ってる気がする!」
「やっぱりぃ」
なにか懸念していたことでもあるのか、遊紗は頭を抱えて酷く沈んでしまう。
いやなんだ。
まさか悪魔関連のことは伏せているはずで、他になにか彼女が罪悪感を抱かせるようなことがあっただろうか。
わからずにいると、遊紗のほうから謝罪が飛んでくる。
「ごっ、ごめんね先輩。でもお兄さんも悪いひとじゃないんだよ? ただこう、暴走しやすいって言うか、抜けてるところがあるっていうか……」
「おいおいそんな真剣になるなって、冗談だよ」
「え」
どうやら身内を知られていることへの気恥ずかしさが主成分のようだ。
古くから遠慮なく接する肉親同士のノリを外の友人にも向ければ大分鬱陶しいと思われるのではないかと危惧している。
かの従兄がそういう迷惑をかけているのなら、ともすれば自分のこと以上に申し訳ないのだと。
まァ、あのシスコン? ぶりをどういう形にでも発露していたら阿沙賀も引いていた――引いている――が、かといってそれでどうこうもない。
むしろ阿沙賀は微笑ましい気分になって。
「そりゃ多少なり文句もあるけど、そんなのあいつからしたっておれに言いたいことが山ほどあるだろうぜ。友達なんだ、持ちつ持たれつっていうか、どっこいどっこいっていうか……まァとにかくそんなもんだろ」
「……友達、なんだ」
「あぁ、それは間違いない。寮部屋も隣で一年から同じクラスだ、縁がある」
そういう縁ある男によって召喚士界隈に引き込まれたというのは、なにやら思うところはある。
ニュギスならそれを運命とでも呼ぶかもしれないが、阿沙賀にとっては奇運の巡り合わせ程度の思い入れ。
赤信号が青に変わって、阿沙賀は歩き出す。
遊紗は一歩だけ遅れてすぐに追随。
「べつにオメェが遠凪の従妹だからどうとか言いたいわけじゃねェ。言いたいことがあるンならおれは当人に言う。単に最近ふたりの関係性を知ったから話に上げてみただけだ」
「そっか」
なんとなく、遊紗が笑ったように感じた。
前を歩いている阿沙賀には振り返らねば表情は見えないので半ば勘だが、そのように思ったのだ。
一歩、遊紗が前に出る。阿沙賀の隣に並んで――思った通りの眩い笑顔だった。
「多々一のお兄さんがなにか迷惑かけてきたらアタシに言ってね、叱っとくから!」
「そりゃ頼もしい」
実際、遊紗に言われたらなんでも聞きそうなところがある。
思わぬところで遠凪への切り札を得た。今度脅し文句に使ったろ。
「だからお兄さんと、仲良くしてあげてね。……あっ、もちろんアタシともだよ?」
「……そういうのは頼まれるもんじゃねェ」
照れるとすぐに目を逸らす人だ、遊紗はすこしだけ阿沙賀のことを理解できた気がする。
きっとこの人は自分にあまり価値を見出していないのだ。だから真っすぐに好意を向けられると戸惑ってしまう。人から善意や優しさを与えられてもそんな価値はないのにとうまく受け取れない。
謙虚といえばそうでもあるが、それはどちらかと言えば自虐的な自己否定めいていて。
遊紗は、だからそのぶんだけ肯定的にいようと思った。
「じゃ、今日は仲良くなれるよう、楽しく遊ぼ!」