37 邪法召喚士
窓から差し込む夕暮れの赤は鮮烈だった。
昼夜の狭間、ごく短い切り替わりの時刻は逢魔が時と呼ばれ、古くから魔に遭遇する、あるいは大きな災禍をこうむると信じられた。
それを過去の妄言と切り捨てるにはあまりに夕日の赤が不気味で、まるで教室が血に染まったようにも思えた。
悪魔は確かに実在するのだから、この僅かな切り替えの赤が不吉であることも、否定し切るのは少々浅慮というものではないか。
それを厭ったわけでもなかろうが、放課後の教室に残る阿沙賀と遠凪に、リアは次のように提案をした。
「ゆっくり話すのにここでは不用心ですので結界を張ろうと思いますが、構いませんか?」
いちおう、信用に足らない相手の術中に嵌るというのは好ましからざる事態だろうと問いかけたのだが、阿沙賀も遠凪も特段不服もなしに頷いた。
軽いなぁと思いつつも否定もないので術を使う。
ふわりとなにかが振動し、波紋のように空気を伝って一定範囲内を区切る。
こちらとそちらは別の場所――結界とは要はそうした区別であり、そことこことを分かつ分断そのもの。
教室というスペースだけを切り取って、内外を断ずることで外部干渉を逃れる。
風景は歪み、空間は閉ざされ、世界は確立する。
室内の間取りや物の配置は変わらずとも、そこが別の場所だと阿沙賀でさえ理解できる。
リアは一息ついてふたりに歩みより、近くの座席に腰を下ろす。
三人で膝をつき合わせ、まずは説明をとリアは口火を切る。
「阿沙賀くんがどれだけ知識がないのかわからないので、ちょっと細かく説明していきますが」
「おーう」
「まず悪魔との契約について」
「そっから? マジで根本じゃん」
「あぁ流石に知っていますか。まぁ事故とはいえ悪魔とは一緒にいるようですし……あ、では基本三則という契約事項は知っていますか?」
「「なにそれ」」
「えっ」
男どもが声と疑問を揃えて首を傾げる。
そう、自分知らないことありませんみたいな面立ちで両腕を組んで見守っていた遠凪もだ。
リアのほうこそ困惑して。
「阿沙賀くんはともかく……遠凪くんも? 知らないんですか?」
「知らんなにそれ」
「えっ、ええと」
そう堂々と無知を言い張るのはどうなのか。
大江戸・門一郎の孫にして弟子というが、大丈夫なのか。
ともあれ説明はする想定であったのだから細かいことは気にせず押し進めることにした。リアもだんだんと阿沙賀と遠凪の扱いに慣れてきている。
「基本三則というのは悪魔と契約する際にまずなにを置いても結んでおくべきとされる約定のこと、です」
「ロボット三原則みたいな?」
「ちょっとだけ近い、かもしれません」
「え、近いのか?」
自分で挙げておいて驚く阿沙賀である。
三つの法則という部分のみで類似性を挙げてみただけなので、ほぼ冗句のつもりだったのだ。
「わたくしあれ嫌いですの。人間の都合ばかり押し付けてきますもの」
ふとなんの琴線に触れたのか不服そうにニュギスが口を挟む。
阿沙賀は肩をすくめて。
「人間が作った人間のためのロボット用の規則なんだからそうなるに決まってンだろ」
「ではわたくしたちとの契約にそれと似せるのは侮辱では?」
「リア、全然似てないって言ってくれ。これが面倒ィ」
「あ、はい。あまり似ていませんよ?」
どうも隷属する被造物と一緒くたにされたことが気に食わないらしい。
前言の撤回でなんとかワガママなお姫様が黙ったので、阿沙賀は無言で顎をしゃくって先を促す。
リアは頷き、指を立てて三則についてひとつずつ。
「ひとつ、悪魔は契約者に魔力的な行使をしない。
ひとつ、悪魔は人を傷つけない」
「たしかにロボット三原則みたいだけど……あれほど大きく縛ってはいないな」
「そうじゃねェと悪魔が納得しないんだろ。両者の合意、がいるんだらァ?」
あくまでも対等な関係。契約の天秤は常に水平。
ロボットのように人間の都合を押し付けることはできない。
「ええ。ちなみに先に述べたふたつも、大雑把な説明であって本来ならもっと細かく条項を設定していくものですからね?」
今は説明のために最低限の文言にしたが、最低限であるが故に実際の運用に際しては様々な問題がでるだろう。解釈次第では抜け道があったり、逆に縛り過ぎて火急の危機に即応できなくなるかもしれない。
そこらへんは契約者と悪魔の話し合いが重要である。
そう、基本の三則で前述二つは折り合いや折衝が必要となるもの。
しかし三つ目、これだけは問答無用で悪魔側に押し付ける条文。
リアは三本目の指を立てる。
「そしてこの話では重要なのがみっつめ。
――ひとつ、悪魔は契約においてのみ魂を取引し、それは契約者のみに限定される」
「……あ?」
「それって……」
その一言で、稚気に満ちていたふたりの目の色が変わる。
契約で縛ることでそれを不可能とさせるのならば。
逆説、契約しなければそれは可能ということではないのか?
リアは重く頷いた。
「そうです、それが召喚士たち全てから忌み嫌われる邪法。やってはならない禁忌――他者の魂を取引に使う」
悪魔との契約には魂を捧げる必要がある。
それをもって有利な契約を結び、悪魔と共存していくのが召喚士――契約者というもので。
だというのにそれは大前提を踏みにじる最低の所業。
「ふざけている……ふざけるなよ!」
「横紙破りも甚だしいな、おい」
そんな考え思いもよらなかったと、遠凪はまさかの手段に感情的になってしまう。
阿沙賀もまた静かだが不機嫌そうに眉をしかめている。
なにせそれは卑怯どころの騒ぎではない。
自分の損失を人に押し付け、利ばかりは得る。
それも命に直結する生命を、来世に影響する魂そのものを――徒に奪い去るなど許されるはずがない。
まるで悪魔の所業そのものな、卑劣非道の最低のやり口。
ただしく邪法である。
その事実を知りまず怒りを露わにするふたりに、リアは気づかれぬように安堵した。
アウトローは彼らも同じ、なるほどと合点して邪法に手を染める可能性もほんのわずかに懸念していた。
ここで怒りに震えるような性格であるのなら、至極真っ当で好感さえ抱ける。
「邪法召喚士と呼ばれる人たちは、それをしていて、だからこそ御霊会では優先的に打ち倒すべきとされています」
「じゃああのクズどももか」
「はい。頭目である竜木・竜は優秀な召喚士であり、彼が部下に見合う悪魔を召喚して組織化しています。そして竜木・竜は邪法に手を染めることを厭わず、その思想が部下にまで伝播し邪法集団となっているようです」
召喚士の位にたどり着くのは相応の才能と努力と運がいる。
それは希少にして少数であって、だからこそその数少ない召喚士が召喚した悪魔を他者と契約させることは時々ある。それをして仲介召喚、仲介契約という。
阿沙賀がニュギスと契約したのも、事故とはいえ遠凪による仲介召喚と解釈することもできるだろう。
邪法召喚士であってもそれは等しく、ひとりの召喚士がいればそれだけで多数の契約者を抱えた組織はできあがってしまう。
「すこし前から各所で魂簒奪の事件が繰り返され、調査の末浮かび上がって来た邪法の者たち――九頭竜と、名乗っているそうです」
「ん。なんだ、じゃあ召喚士は竜木だけで、他のはただの雑魚か」
すくなくとも宇治は戦闘力面においてはカスだったが。あ、いや人格面もカスだったわ。
リアは頷いて。
「おそらく多少の啓術の心得はあるとは思いますが、ほとんど悪魔頼みではあるかと」
悪魔に戦わせて自分は後ろに引っ込んでいる、と言えば召喚士のイメージのひとつではある。
であれば打倒すべきは悪魔だけで、契約者のほうはあまり気にせずともいいのか。
「……ていうか、たしかあいつの言ったことが事実なら九頭竜は八人いるらしいが、竜木は悪魔も八体召喚したのかよ?」
たしか並の召喚士じゃ一体召喚ごとに一年はインターバルが必要だったはず。
八年もかけて悪魔を順次召喚するような計画性と忍耐力があったのだろうか。
なにより実際に姿を見たわけではないが、竜木は若い印象があった。声質や態度、言葉遣い等から察することくらいできる。
――一体、あいつはいつから召喚術を使える?
リアは記憶を手繰るようにしながら。
「詳しいことはわかっていませんが、九頭竜とされるメンバーの中で召喚士は竜木・竜だけというのは確かです。そして彼は二十代後半と目されていますね。召喚士としては天才の部類でしょう」
そこらへんの話になれば遠凪が理解できる分野。
なるほどと多少の感心を載せて語を引き継ぐ。
「インターバルも短いほどの才気があって、年若くからして召喚士にまで至ったと。天才だな。まぁ、オレには劣るが」
「自画自賛が余計だぞ」
「ただの事実だが?」
「事実でも偉ぶって言えば嫌味なんだよなァ」
「あー? 魂だけじゃなくて声も引きこもってんのか? 聞き取れないなぁ?」
「魂の引きこもりで悪いかァ!」
そこをいつまでもネチネチとつつきやがって! しょーがねェだろ、なんか閉じこもっちまってンだからよ! マジでなんでなん!?
「こほん」
にらみ合っていると、リアが咳払い。
ふたりが喧嘩っ早いのもわかってきた。早いとこ区切らねば。
阿沙賀と遠凪はそういえば会話の途中であったことを思い出し、どちらからともなく視線を切る。
ここですぐに話を戻せるのだからまだ冷静なふたりである。
阿沙賀はなんの話だったっけと思い出すように。
「あー? 竜木・竜が悪魔全部召喚したって話だったっけ。ん? っても、契約はその雑魚とやってンだろ? そんな程度の奴らじゃ悪魔も大して強くはねェんじゃねェの?」
楽観的な意見は、否定されることを想定した物言い。
そのまま通れば楽だが、そうは問屋が卸さないともわかっている半ば諦めのような確認である。
「いえ」
案の定というか、リアはすこし強めの否定をいれる。
……先輩風という名のみょうな義務感をリアは感じていた。自分がしっかりせねばと、可愛らしい顔立ちでできるだけ厳めしくして楽観を諫める。
それこそが彼らの最大の厄介な点でもあるのだから。
「彼らは悪魔を育てます」
「育てる? ゲームかなんかかよ」
その言葉だけでおよそ理解する。
軽口を叩いていながらも阿沙賀と、それと遠凪の顔色が悪くなる。
リアだって非常に嫌そうながらも説明はきっちりとこなす。
「邪法召喚士は、自分ではなく他の者の魂を捧げて悪魔と契約します。それは、契約者に損害もリスクもない契約ですから遠慮なしに幾らでも悪魔に魂を譲渡します。今回のように、適当に拉致監禁でもすれば調達はできてしまいますから」
「!」
「悪魔側からしてもこれは相当に好都合な話です。ふつうなら数パーセントから数割程度しかもらえない魂を丸ごと頂けるわけですから、すごく高効率で急速に力をつけていきます」
「悪い奴のがなりふり構わない分だけ厄介ってわけだ」
「はい。下位であっても、多く人間の魂を取り込めば位階を覆す強さを手に入れることができますから。それにそのぶん人間側に有利な契約をとりつけることもできるので、非常に厄介です」
聞けば聞くほど利得しかない。
道理に背いているということから目を逸らせばある意味、最上の悪魔との付き合い方なのかもしれない。
一応、啓術に携わりのない一般人の魂では小さく薄みで食らった際の能力向上は低いのが欠点とも言えるが、そこは数で補えてしまう。
また、遊紗のような天然自然で強大な魂を保持する者もいて、やはり数撃てばあたるが成立してしまう。
「ち」
阿沙賀程度に倫理観と善性をしっかり保持している身からすれば、クソ戯けたお得情報を聞くたびに吐き気がしてむかっ腹が立つ。
忌々しくって宇治と竜木を逃したことを後悔してしまいそうだ。せめてもっと殴っておけばよかった。
遠凪も同じく不愉快であったが、阿沙賀の露骨なご機嫌斜めを顧みることでちょっと感情を冷やして。
「敵は下位の悪魔かもしれないが、油断はできないってことだな」
「どうにせ蹴散らすだけだ」
「そうだけどさ。……そういえばリアさん、あんたとあんたの組織のほうはこの事態にどういう態度で臨むんだ?」
調査をしに来たとのことだったが、そんな呑気なことを言っていられないのではないか。
九頭竜の登場は御霊会にとっても予想外のはずで、その存在を無視してはいられまい。
口元を引き締め、厳しい眼差しでリアは断ずる。
「もちろん、彼らを捨て置くことはできません。こちらの学園の件は昼にうかがった分を報告した上、調査を後回しということになりました」
「で、優先するのは?」
「大江戸・遊紗の魂の強大さは認識しておりますので、その防衛は必須でしょう。それに可能であれば九頭竜への攻撃になります」
「よしっ、そうこないとな!」
御霊会にとって、遊紗を奪われるということは敵対組織の大幅な強化に繋がるし、そもそも民間人の誘拐を許してはおけない。
阿沙賀らにとっては情報を多く持ち、戦力として数えていい手数がひとつでも増えるのは助かる。
相手は複数で、なにをしでかすかわからない犯罪者で邪法の徒であるのだから。
「利害は一致してるわけだ。手を組もう、リアさん。オレたちも遊紗ちゃんを絶対に守るし、あいつらも許しておけないからな」
「……それはこちらから申し出させていただこうと思っていました」
「ん。そうなのか? お仲間とかいればおれらなんて素人は邪魔じゃねェの?」
この協力要請に一番の懸念は、リアもまた組織人であるということ。
リアひとりでは不足であっても、組織から増員があればこちらの手助けなど不要なのではないか。
そうはならないのが世知辛いところ。
「そんなことはありませんし、そもそも増援は期待できません」
「なんで。だいぶ厄介な邪法のボケどもなんだろ? 日本一の啓術機関なんだろ?」
物を知らないからこそ素直に問えるもの。
リアは非常に痛まし気に目を逸らし、力ない声でなんとか答える。
「……今はそれ以上に強大なものの動きが活発化していますので、他に手を回せません」
「それ以上?」
「そちらについては話せませんので、ともかくこの学園にいられる御霊会はわたしだけと思ってくれていいです」
「なんでェ、日本一っても人手不足ってことかよ」
「そもそも召喚士も啓術使いもそう多くはないですからね?」
裏側に仕舞いこめているのはそちら側の人口不足がゆえとも言える。
そのくせ野良悪魔はそこそこいるのだから困ってしまう。手が足りないのはどこでも同じということ。
リアの沈痛なため息は、困窮に喘ぐような悲嘆に彩られていた。
「まっ、まぁあれだ。とにかく、よろしくリアさん」
「はい、よろしくお願いいたします、阿沙賀くん、遠凪くん」
◇
「ちなみに御霊会では基本三則に加えもうひとつ契約条項の推奨されています。
それは契約者の死後、悪魔は魔界へ帰還する! です!
……これを怠るせいで野良の悪魔が増えるんです。困ります!」
「「ははは……」」
大江戸・門一郎にも言ってやってほしい、そう切に思う阿沙賀であった。