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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第五幕 阿沙賀とニュギス
115/115

115 パンツがある!



「――で?」

「どうしましたの、契約者様」


 赤い月が煌々と照らす夜半。

 とある広大な草原に、阿沙賀とニュギスはぽつんと佇んでいる。


 阿沙賀は叫んだ。


「どうしたもこうしたも……こりゃどういうことだボケェ!」

「どうもこうもありませんの。先ほどの一撃で境界門も消し飛びましたので、あそこにはいられなくなっただけではありませんか」


 そうなのである。

 ニュギスが放った『天に戴く地に欲すダェモン・エクス・マキナ』はそれはもう恐ろしい威力を発揮した。

 標的であるザイシュグラを消し飛ばし、ついでにこれも邪魔かと軽い調子で境界門まで消滅させ、なんならそのせいで阿沙賀らも死に掛けた。

 顕能対象外で消滅は免れても、境界門の消滅に伴い次元の狭間に放り出されたら普通は死ぬ。そんな当たり前のことも想定せずに全部ぶち壊したお姫様の大雑把さのせいでマジで死に掛けた。


 必死こいて異次元を遊泳して近い世界へと落ち延びたはいいが、しかしそこは、なんと。


「魔界じゃねェーか!!」


 そう、ここは阿沙賀のよく知る、元居た人間界ではなく異世界――魔界であった。


「そっちのほうが近くにあったのですから仕方がないでしょう。次元の狭間で溺れ死ぬよりかはマシかと存じますが」

「そうだけどさ! まっとうによかったって言えないこの気持ちわかる!?」

「どうせこちらには寄る予定があったではないですか。一緒にお父さまのところまで行きましょう。紹介しますの、わたくしの新しい下僕ですと」

「誰が下僕だボケ」

「無論、阿沙賀・功刀がですの」


 にっこーとめっちゃイイ笑顔でニュギスは断言する。


欲儘エルゴ・ビバムス』――欲しいものを我が物とする簒奪の顕能。

 それにより、阿沙賀の身柄および魂は現在ニュギスのものとされている。

 ニュギスにはその実感があり、なんならおそらく阿沙賀の行動を縛ったりもできそうだ。なんと愉快で素敵なことだろうか。


 どうしてそれが成立したのかはよくわからない。

 ザイシュグラに喰われその存在を奴に奪われていたからか、阿沙賀自身がそれを許容したからか、その両方か……はたまた別の要因でもあったか。


「どんな理由があれ、契約者様がわたくしのものであるという事実は揺るぎませんの。ふふ、ふふふ……」

「そうだったな。そういやそうだった」


 気色悪いぐらいの喜びをにじませるニュギスに、阿沙賀は随分と落ち着いていた。

 悪魔に魂を奪われたというのに、どうしてそんなに平然としているのか。

 阿沙賀は命を惜しむような男ではないが、自分を奪われて放置できるような男でもないはずだが。


 ニュギスの疑問の答えはあっさり示される。

 阿沙賀にとって、一時の喪失など今や気にすることでもない。なぜなら。


「じゃあちょい話変えるけど……オメェの父親に顕能返すって話あったよな?」

「え」

「それ、ここで実践してみてやるよ」

「えっ、ええ?」


 急な話についていけないニュギスを他所に、阿沙賀はさっさと有言実行。己の顕能を行使する。


「――『それが故に自我(エルゴ・エゴ)縁故融通コギト――欲儘(エルゴ・ビバムス)』」


「おれの欲しいもんをオメェから奪う」

「え……え、えぇ――!?」

「これでおれはおれのもんだ」


 そうなった。

 ごくあっさりと。


 なんということだ、ニュギスにはわかってしまう。

 先ほどまで自らのものとしていた阿沙賀の魂が、存在が、生命が、手からすり抜けていくではないか。

 途轍もない喪失感。ぽっかりと胸に穴が開き、空虚な風が通り抜けていく。

 まるであたたかな宝物を奪い去られてしまったような悲惨に、ニュギスは涙を流していた。


「そっ、そんな! そんなぁ……! あんまりですの、酷すぎますの! あぁわたくしのっ、わたくしの貴方が……離れて……いなく……うぅ、どうして、どうしてこんな酷いことをしますの!」

「いや泣くな」


 掴みかかってくるニュギスを片手であしらい、阿沙賀は嘆息。こんなマジ泣きはじめて見たんだけど。


「おれがオメェの顕能を使った。で、おれがオメェから奪い取った。これで元通りだ文句言うな」

「そんなのズルですのー!」

「わっはっは。おれを奪おうなんざ片腹痛いぜ。おれは死ぬまで、いいや死んでも生きてもどうだろうと――おれだけのもんだ」

「くっ、流石は契約者様、こんなに容易く理不尽なことをしてしまえるとは……」


 理不尽への怒りを湧き上がらせることで涙をぬぐって、ニュギスは一度落ち着く。

 まぁこんなことだろうとは思っていた。大人しく首輪を嵌められる阿沙賀ではないのだから。


 ある意味で阿沙賀らしさに触れ、ニュギスはなんとか納得することにした。

 いや一個疑問がある。


「しかし契約者様、これだとお父さまの顕能を返すことはできないのでは?」


 ニュギスが奪ったものを奪い返せる、それは確かに出鱈目だ。間違いなく型破りも甚だしいことだと断言できる。

 けれどニュギスの父、魔王ベイロンとは無関係。縁もゆかりもないだろう。

 阿沙賀が得たものを、どうやって父に渡すという。


「んあ? なんでだよ、できるだろ」


 一方で阿沙賀はあっけらかんと。


「おれがオメェから奪い取れば、おれから返せばいい」

「か、返すですの?」

「オメェの常識じゃァ知らねェがよ、人から盗んだもんは返さねェと駄目なんだぞ」


 至極もっともなことを言われて、ニュギスはぽかんとしてしまう。

 きっと彼女にとっては常識外れの発言なのだろう。

 誰かのものは自分のもの、自分のものは自分のもの――とどこかのガキ大将のような理論を骨子としてできた魂、故にあんな顕能になったはずなのだから。


 そこに来ると阿沙賀・功刀、彼は真っ当に社会生活を営んでいた善良な……善良な? 日本人である。

 盗むことは悪いことだと理解して、返せるものなら返したほうがいいと心の底から理解している。


それが故に自我(エルゴ・エゴ)』の応用である『縁故融通コギト』の真骨頂はそれだ。

 すなわち、他者の顕能を阿沙賀の解釈でもって行使できる。そこで発生する化学反応は未知数で、必ずしも良い結果にはならないかもしれない。

 けれど今回においては、彼と彼女の意識の違いこそが最良の結末を提供してくれる。


 そしてならばこそ、奪われたままにしておけないものがもうひとつある。


「ついでにもうひとつ!」


 びしっと一本指を立て、再びニュギスからあるものを返却願う。


 ――『それが故に自我(エルゴ・エゴ)縁故融通コギト――欲儘(エルゴ・ビバムス)』。


「ふっ、ふは! わーっはっはっははっははっはっはははっはっははははははっは!!」


 すると阿沙賀にしては珍しい突き抜けたような大笑い。

 嬉しくして仕方ないとばかりに大口あけて笑い転げる。


「やったぞ! ついに取り返した、おれの――パンツ!!」

「うっわ、この流れでやることがノーパン卒業ですの?」

「当たり前ェだ! 最初っから言ってンだろうが、おれはパンツを取り戻すために戦ってたンだっての!」


 そうなのである。

 ニュギスと出会い、パンツを失い、それからはもうずっとパンツを取り戻すために阿沙賀は戦ってきた。

 一時はそれも不可能かと思われたが、今日この時、遂に遂にパンツは帰ってきた。

 阿沙賀が自分の顕能を開花させたことによる一番の功績はこれにあったと言って過言ではあるまい。


「しかし契約者様、貴方下着なんて持ち歩いているわけがありませんよね?」

「……ねェよ」


 なんだよこの喜びに水を差すなよ。

 しかしニュギスの追求は止まらない。完璧な無表情から繰り出される言葉の刃は阿沙賀の心の隅の不安を掻き立てる。


「ではまだノーパンでは?」

「そうだけどさ! 概念的には取り返せたはずなんだよ」

「本当ですの? 実際のところまだ未確定では?」

「シュレディンガーのパンツというわけか……」

「シュレディンガー先生に謝ってくださいまし」

「いいよもう、とりあえずパンツもってこいよ履いてみるからさ!」

「ここ魔界ですが」

「そうだったよ畜生!!」


 なんということだ、これでは本当にパンツを取り返せたのか証明ができない!

 いや! いや実感はある、あるのだ。こう、なんか魂的に承知しているのだが……そういうふわっとした感覚ってちょっと信じきるの難しい。実際に履いてみないことには心が納得しない。


「くそァ、こうなれば一刻も早く帰るしか……どうやって帰ればいいんだ?」

「それは――」


 とニュギスはとりあえず父のもとへと提言しようとした時、別の声が割って入る。

 この誰もいない野原に――よく知る耳馴染みの声が。


『阿沙賀! 阿沙賀、無事か! そこにいるんだよな!?』

「……あ? おいなんだ空耳が聞こえたぞ」


 切迫した声に、しかし阿沙賀は呑気に言う。


「ここは魔界だってのに遠凪の声が聞こえた気がする。やばいな、疲れてるかも……」

『馬鹿! 気のせいじゃねぇから返事しろ、バカ阿沙賀!』

「えぇ……」


 振り返ると、そこにはなんとも言えない奇妙な穴があった。

 虚空を裂いて、平常に亀裂をいれるこの世ならざる孔――阿沙賀はこれを見たことがある。


「あぁ……召喚の啓術だっけ?」

『そうだよ、お前らとの縁が切れちまったから大慌てで阿沙賀に繋げたんだが……よかった、やっぱり生きてたんだな……よかった』


 ただその事実を噛み締めるように、遠凪は何度も何度もよかったと繰り返す。

 ちょっとバツが悪くなる阿沙賀。話を進めて誤魔化す。


「そういやなんか縁が切れてるな。あれか、人間界と魔界じゃ遠すぎて縁も切れちまうっていう……」

『絶対違う! それ以前からブチ切られた、たぶん絶対、そっちのお姫様のせいだぞこれ』

「ほほほ」

「笑って誤魔化してるな」

『こっちは大変だったんだぞ! 魔王を仕留める寸前で途切れた時のオレたちの気持ちも察せ!』


 勝てたのか。

 生きているのか。

 なにもわからず寸断された試胆会及び他の面子は、もう阿鼻叫喚としか言いようがなかった。


 阿沙賀は特に気に留めず、まるで別の部分に反応する。


「おれたちって……あー、そこに全員いるのか?」

『そりゃそうだろ、みんなで安堵と野次で一杯だ。正直、オレだけの声しか通らないのがちょっと申し訳ない』

「ふゥん」


 聞いているのかいないのか、阿沙賀はなんだか笑っていた。

 一応、異次元の窓からその顔が見えた遠凪は思う――なんか悪いこと考えてる時の笑みだこれ。


「じゃあこっちの声は全員に聞こえてるな?」

『? あぁ、そうだな。悪魔との契約用のゲートだからこっちの情報を減らしてそっちの情報は多く得られるようになってる。いじくる暇もなしに繋げたからな』

「よし。なら聞けよオメェら――」



「見たかよ見てたな、どうだよおれは勝ったぜ。ざまァみろ!」



 それはきっと意趣返し。

 魔王に勝てるわけがないと散々叩いてくれやがった奴らに結果でもって見せつけた。


 不可能を可能にしてやったと清々しく、無理難題を成し遂げてやったと晴れ晴れしく。

 誰より自慢げに、なにより嬉しそうに、己の勝利を高らかに誇る。


 それについて、遠凪はもちろん他の誰も何も言えない。言えるはずがない。

 本当に、まさかまさかだ。

 前人未踏どころの騒ぎではない。空前絶後という言葉すらも小さく感じるスケール。

 彼は誰もの予測と想定を裏切って、絶無に近い期待に応えてくれた。


 本当に、阿沙賀・功刀は他の誰でもなく阿沙賀・功刀だった。


「あーよしすっきりした。そんで遠凪」

『あっ、あぁ。なんだよ』


 言葉に撃たれ、割と大激痛な遠凪にはその切り替えは早すぎて相槌が遅れる。


「オメェの次の召喚は確か二週間くらい間をおかないとダメだったよな?」

『だいたいそのくらいだけど……』嫌な予感がした。いやもう確信だ『おい、まさか阿沙賀、そのままそっちに残るつもりか?』

「どうせ用事があるんだ、済ませてから帰ったほうがいいだろ。帰りのチケットも今予約しといたし、なんか問題あるか?」

『…………はぁぁぁ』


 なにを言っても無駄だ、これは。

 遠凪は沢山の言いたいことをため息で押し流す。

 阿沙賀の言にも一理あることも確かではあるし、なによりも。


『まぁ、約束ならもうしたしな、これ以上は野暮だよな。

 とりあえず死ぬなよ、帰ってこいよ、それだけ』

「魔王をぶっ飛ばすよりは現実的だろ、信じとけ……あ、あとそこにメリッサはいるか?」

『そりゃいるけど』


 またぞろよくわからない質問だ。

 当人のメリッサも小首をかしげている。


「じゃ、メリッサだけこっちに送ってくれ。案内役が欲しくてな」

「契約者様! わたくし! わたくしがおりますの!」

「オメェは箱入りで外出したことねェんだろ? 無理じゃん」

「くっ! 確かにそうですの!」

「はい黙ってろー」


 そうこう言い争っているうちに、空間の亀裂よりひょいとひとりの少女が舞い降りる。

 メイド服を纏った青色のメイドさん――糸々のメリッサである。


 まずはなによりも挨拶を。スカートの袖をつまんで礼をひとつ。完璧メイドたる鉄面皮も崩れるほど満面の笑みで。


「ご主人様、その生存と勝利に心よりの賛美と感謝を」

「賛美はいいけど、なにが感謝だよ」

「貴方様の生存がこれなににも勝る私の喜びですので。生きていてくれてありがとうございます」


 眩いほどの笑顔でそんなことを言うものだから、阿沙賀はなんだか居心地悪い。

 ホワイトブリム装着してるはずなのに、随分と素が漏れているじゃないか。


「まァいいや。いくぜ、案内してくれ」

『あ、おい阿沙賀、もういくのか!』

「もう行くよ。いつまでも立ち止まってなんねェだろ。おれは走ってこそおれだ。またな、遠凪」

『…………あぁまたな、阿沙賀』


 ひらりと手を振り、阿沙賀は歩き出す。


 見渡す限りの草原、遠く見通せるはずなのに建築物なんて見当たらない。人里離れた土地なのは容易に想像できる。

 ここがどこかもわからず、行くべき方向さえ知らない。

 文字通りの異世界で、言うまでもなく新天地。


 それでもここにいるのは阿沙賀・功刀。

 パンツもある(概念)し、メイドが案内してくれて、ニュギスも変わらず傍にいる。

 ならば充分歩き出せるさ。


「さぁていくか。今度の目的地は別の魔王のお城かァ……おれってもしかして勇者だったのか?」

「まるでらしくない勇者ですの」

「ご主人様は私にとっての勇者様です」


 阿沙賀が歩き出せば当然のように白と黒の少女たちが追随する。

 ニュギスはそのすぐ傍らに、メリッサは三歩下がって。


「ま、勇者よろしく旅するんだ、どうせなら楽しんでいこうぜ。メリッサ、観光名所とかあったら寄ってくれよ、時間の許す限りな」

「あぁそれはちょっと楽しみですの。わたくしも書物でしか魔界を知りませんもの」

「……異世界に飛び込んで最初から観光気分なのは流石ですね、ご主人様」

「なにが流石だよ。うちのニュギスだってハナから享楽目的で人間界に召喚応じてやがったぞ」

「そんなこともありましたわね。もはや懐かしいですの」

「……似た者同士の契約だったわけですね」


 やれやれとばかりメイドは笑う。

 甘く見たわけではないが、やはりこのふたりを案内だなんて間違いなくハチャメチャが待っている。

 とうに覚悟は決めている。笑ってやるさ、なにが来ようと。


 メリッサまで阿沙賀の流儀に染まっていることを、当の本人は知る由もなくふと声を荒げる。


「あ! しまった……さっきのゲートが開いてる内に遠凪にパンツ送りつけてもらえばよかった!」

「いえその、契約者様のパンツは部屋からなくなっているはずでしょう? ちょっと買いに行ってからでは間に合わないのでは?」

「そりゃそうだ……どう足掻いても無理だったか……」


 がっくりと落ち込む阿沙賀に、ニュギスは見かねたように。


「あの、契約者様? いちおう魔界でも服飾技術は進んでおりますし、下着くらいなら購入できるかと思いますが」

「その手があったか!」


 神ならぬ悪魔からの天啓に、阿沙賀は顔を上げる。

 そうだよ、ニュギスだって最初からめっちゃ豪奢なドレスだった。魔界といえど男物のパンツくらい売っていてもおかしくはない。

 パンツが、ある!


「こうしちゃいらんねェ、はやく行こうぜ!」

「えぇ、共に。どこまでも。ずっと一緒ですの」



 これにてひとつの物語は終わる。

 けれど阿沙賀とその仲間たちの青春の日々は終わらない。続いていく。


 朝が西から来るような不条理こそが人生。

 ならば、そうした理不尽を笑って楽しめてこそ幸い。

 

 ――幸いなる人生をあなたと共に。






 了


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