107 尽きぬ暴食の餓執
「聞いてみるとあれだな」
阿沙賀はあまり感じ入るものもなしにただ思ったまま言う。
「どっちかって言うと、門一郎はそんなに関係なかったのか、あのザイシュグラってのと」
迷亭との因縁が先にあり、それを引き継いだ形に思える。
その割にはザイシュグラからの発言には門一郎へ宛てたものが多かった気もするが。
迷亭は率直な感想に笑みを浮かべて。
「人界に干渉してきた百年において前半は僕、後半は門一郎くんにせき止められたわけだからねぇ。そりゃあどちらにもいい感情は抱かないだろうさ。
特に門一郎くんに当たりが強いのは……結果だけ見ればザイシュグラくんは真っ向から学園結界を解けなかったわけで、そこにちょっとした敗北感があったんじゃないかなぁ」
確かに、迷亭だけの時代では契約を結ぶことで時間稼ぎをしたという。結界だけではどうにもならなかったため、迷亭が小細工を弄したということ。
一方で大江戸・門一郎の学園結界は、その条件を崩して無効化しただけ。結界自体は外部干渉でどうにもできなかったため、ザイシュグラが小細工を弄したということ。
「……ひとつ腑に落ちたな」
「おや、なにがだい」
「なぜ大江戸・門一郎は境界門を閉じるんじゃなくて封じたのか、だ。魔王が掘った穴だもんな、それを完全に閉じるとなると魔王が邪魔立てに来るってわけだ。そりゃ封印が関の山だわな」
境界門を完全に閉鎖するためには、魔王ザイシュグラをどうにかする必要がある。
流石にそれは大江戸・門一郎でさえ不可能であった。むしろ封鎖だけでもひとつの不可能を可能とした偉業だろう。
「それで次はそのザイシュグラくんについて、だ」
迷亭はそんな風に言っておいて、自分で語るよりもとすぐにアティスへと放り投げる。
「それでお姫様、ちょっと興味本位も込みで聞きたいんだけどね。百年前に門の開通として、その門が百年でできるとして、ではその合算である二百年前に、魔界でなにかしらの動きがなかったかい、もちろんザイシュグラくんに関して、だ」
「…………ありましたわ」
多少の逡巡は思い出すため、というよりも話してよいかの判断の間であっただろう。
とはいえここまで来て秘する意味などあるまい。アティスは結構な機密事項をつらつらと語る。
「同胞喰いの最悪たるザイシュグラを、国家盟主の魔王四名が合同で征伐にあたりましたの」
「待て待った……同胞喰いだと?」
魔王四名で征伐とかも気にかかるが、それよりも個人としてのザイシュグラへの異名が不愉快すぎる。
アティスはできるだけ感情を交えずにただ事実の列挙として述べる。
「魂喰魔王ザイシュグラ、その別名をして暴食の魔王。彼は人魔問わず魂を食い散らかすことを至上の悦楽とする最悪の存在」
「クソ野郎じゃねェか……」
アルルスタの肉体を乗っ取った。
試胆会契約を破綻させて学園結界を崩した。
もう最底辺にまで落ち込んでいたクソ加減を、さらに下回ってきやがった。底を突き抜けたクソカス野郎である。
まだしも異種族であり、明らかに強くなるためという理由をもって人界で人を喰うのは理解に及ぶ。だが同族を喰らうのはどんな種族であっても異端で忌避されるべき事柄のはずだ。
それをよろこんで自ら行うだなんて、生理的な嫌悪感を隠しきれない。
「一応は理由があるんだけどね」
迷亭が擁護というか説明として付け加える。
「彼の顕能は他者を喰らうことでその力を得るというものだ。だから、悪魔でさえも彼にとっては餌なのさ」
そもそも悪魔に食事は基本的には必要ない。
飲み食いせずとも生存できて、排泄すらなく存続する。それなのにむしろ人類よりもずっと長寿で健康だ。
彼らは世界に漂う魔力を空気とともに呼吸することでそれだけで生命を維持できる。
魔力というエネルギーを正しく自覚して長年の積み重ねにより半自動的に内部で循環させる術を会得しているが故の、人外な生態である。
よって、悪魔にとって飲食とはただ楽しむだけの嗜好品である。
生存のためではなく、食する楽しみのために食べる。そういう背景が魔界にはあって、故にこそ悪魔を喰らう悪魔の存在はありえる可能性ではあって、しかし実在すればやはり忌避されるべき異形の魂なのである。
そしてその異端は、人類にさえ恐るべき牙を剥いている。
「奴は千年以上前の魔界による人界への侵攻作戦に参加した一悪魔でしかありませんでした。しかしその際に人魂を無数に食い荒らすことで異常なほどに魂を高めたとされます」
千年以上前のこと、魔界の一国家はその国力の増強のために人界に侵攻作戦を実行していた。幾つかの部隊を投入して襲い、人魂を食らって兵隊を強化していった。
当時の魔界でさえそれは非難の多い作戦であり、あわや魔界でも戦争に発展しかねない事態となった。
しかし魔界での均衡が崩れる前に、人間界においてある男が台頭する。
人界侵攻に対抗するため、現れた男は召喚士の始祖スライマン。
天才的な啓術使いである彼は召喚術を完成させ、複数の悪魔を味方につけることで形勢を逆転、侵攻部隊は撤退を余儀なくされたという。
その一件から人界への侵攻は魔界国家においてはタブーとなった。人界を追い詰めることで、逆にこちらが危機に陥る危険性が周知されたのだ。
「ですが、問題はザイシュグラ。彼は決して自らを高めたくて人魂を喰らっていたわけではなく、ただただひたすらに美味しいから楽しいから、そういう我欲でしかありませんでしたわ。それだけを理由に大量の魂を貪り――そして故に人魂の味を忘れられず、同胞たる悪魔さえ襲い食らうようになってしまいましたの。それすら彼にはただ美味しいものを食べたいという、それだけしかなかったようですが」
その理由は嗜好であり、悪魔の性根そのもの――ただ楽しいを求めると同じ。
だが結果として彼は膨大な魂を腹に収め、その顕能をもってひたすらに強くなり続けた。
底なしの食欲は、底なしの成長。止まることのない暴食は、やがて魔界そのものの脅威となっていく。
「そして陰に隠れ悪魔の魂を喰い続けた奴は、自覚もなくいつの間にか強大なる力を得ていた――第七の魔王の誕生ですわ」
「そりゃ……また……」
「史上最悪の魔王として記録されております」
阿沙賀ですら言葉もでない。
一体どれほど同胞を喰らったというのか。全体どれほどの魂を喰らったというのか。
人界侵攻が千年前だというのなら、それからひたすら続けた暴食は、きっとひとつの国や大陸を食い尽くすほどの膨大な値なのだろう。
胸糞悪いにもほどがある。
「とはいえ魔王という領域に踏み込んだことで遂に魔界の他の魔王たちがザイシュグラの討伐に動き出しましたわ」
「それがさっきの合同での征伐だな?」
「ええ。その結末としては彼に同胞を食らうことを禁ずる契約を取り付けることに成功――それがいまより約二百年前のことですの」
その事実を知るのはこの場においてはアティスのみ。魔界中ですら二十人も知らないであろう機密事項であった。
魔王関連には厳しい緘口令が敷かれることが多く、これもまたそのひとつ。
迷亭は二度頷いて納得を示す。
「タイミングとしては辻褄があうね。そうか同族喰いが禁じられたから無理をしてでも再びの人界侵攻を目論んだというわけだ」
「じゃあ、なにか? あいつが人間界に滅亡のリスクを負ってまで来ようとする理由は、美味いもんが食べてェからって、そんなクソ戯けた個人的極まる理由なのかよ」
「その通りさ」
「はー、どこでもいつでもはた迷惑な奴だな、消え失せろ!」
言いながら、阿沙賀はふと疑問。
「というかその魔王複数でボコれる機会があったんならそん時にぶちのめしておけよ、めっちゃ後の禍根になってんじゃねェか」
「結果論、と言いたいところですが、そもそもそれができなかった理由がありますの」
曲がりなりにも魔王という位階にまで到達してしまったこと、それが最大の問題。
「ザイシュグラは魔王四名に囲まれた時点で降参し、自ら契約を申し出ましたの――「二度と悪魔は食さない」と」
「契約遵守生命としては約束は絶対に近いか……その割を食ってンのはおれらだがよ」
「付け加えるのなら、その時もはやザイシュグラは魔王として認められていました。そうすると、魔王同士の契約……極力の戦闘を回避すべきというものがありましたからね」
悪魔を殺して喰うという魔界に対する明らかな敵対行為と、それに実際に抵抗の意志を示して襲い掛かってきたのなら、その場で処断できただろう。
だがそうはならなかった。ザイシュグラは自ら降伏することで魔王たちから戦闘という選択肢を奪ったのだ。
魔王間の契約をうまく衝いた、強かなるはザイシュグラであるか。
「それから今日まで、ザイシュグラに関する報告は一切なく――まさか人界をターゲットにしていたとは、夢にも思いませんでしたわ」
そこで、アティスは力なく頭を下げる。
この両界存亡の危機における責任を、彼女は感じていた。
「付け加えるなら、学園結界を読み取った時にはこんな事態になるなんてこともまるで予測できていませんでした。結界の精度は干渉して理解しておりました、ため息がでるほど素晴らしい。故にこそまだ魔王の侵攻を食い止められると判じて私事にのめり込んでしまいましたわ――この危機はわたくしの失態でもありましょう」
「エ、でも、悪いのワタシだヨ。ワタシが軽率だったのが、一番悪い、でショ?」
亜空間という人界と魔界の狭間という結界外において自我を消失した。学園結界の要たる試胆会の悪魔がそんな隙を晒したのなら、魔王が奪いに来るのは至極当然のことだろう。
アルルスタがそのことに気づかないはずはない。
「それを言うなら魔王との敵対などという情報を伏せていた僕や門一郎くんにも責任はあるさ」
「かと言ってそんな話最初にされたら試胆会がまず成立しなかっただろう」
そりゃあ魔王の侵略を防ぐための結界の維持をしてくれ、と頼まれて受け入れる者は多くないだろう。
魔界の悪魔にとって、魔王とは神にも等しい理不尽なる存在なのだから。
そこで漏れるのはどでかいため息。
阿沙賀は至極鬱陶しそうに手を振って切り捨てる。
「あー、うるせェうるせェどいつもこいつも責任の所在なんざ全部ザイシュグラが悪いに決まってンだろ、勝手に沈むなウザってェ」
事の発端も因縁も隠していた迷亭も。
それを知りながら自分のことを優先させて試胆会を襲ったアティスも。
なにも知らなかったとはいえザイシュグラに最悪の幸運を与えてしまったアルルスタも。
誰も別に悪くなんかないだろう。
悪いのはただザイシュグラだけ。
境界門という試胆会発足の原因であり、ありとあらゆる面倒事のはじまり。
それを作った真実の意味での諸悪の根源。
魔界の害敵。試胆会の宿敵。迷亭の怨敵。
巡り巡って――阿沙賀の、パンツの仇!
「魔王ザイシュグラ――あいつをぶん殴ってぶちのめせばそれで全部解決だろうが」




